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■61.対岸の火事であっても、空も、海も、人も、つながっている。(前)

 朝鮮人民軍ロケット戦略軍の韓国に対する核攻撃は、日本国内からでも直接確認することが可能であった。対馬海峡の監視任務を有する海上自衛隊対馬防備隊は、釜山の惨状をすぐに把握することが出来たし、そうした監視機材をもたない対馬市民であっても肉眼で北の空が燃えていることはわかった。対馬島北部からは夜空に浮かび上がる墓標――巨大なきのこ雲さえ見られた。

 上島(対馬島北部)は大混乱に陥った。日本政府の発表よりも早く「釜山港が核攻撃を受けた」という話が広まり、同時に「放射能が襲いかかってくる」「鰐浦わにうら漁港が燃えている」「上対馬町が全滅した」と流言が飛び、県道・国道は下島を目指す人々であふれた。

 実際のところ鰐浦漁港や上対馬町は釜山市から60km以上離れているため、熱線は勿論のこと死傷者が出るような爆風による被害はなかった。しかしながら、放射性物質がどの程度降下するかは、誰にも予想できない。


 陸上自衛隊は対馬駐屯地に前進配備されていた第1戦闘ヘリコプター隊のAH-64Dを、情報収集のために飛ばした。射程の長い対戦車ミサイルを扱うAH-64Dはセンサーの塊であり、攻撃だけではなく偵察や夜間飛行も得意としている。AH-64Dは単機、海を渡った。


(これは、なんと報告すればいい――?)


 AH-64Dの射撃手ガンナー兼副操縦士は、絶句した。

 まず彼らが目撃したのは、釜山港の内外で無残を晒す船腹せんぷくや、座礁したり沈みつつあったりする船舶であった。埠頭には1隻のフェリーが煌々(こうこう)と燃えている。

 本来なら美しい夜景が広がるはずの釜山港周辺の光源。

 いまやそれは電気ではなく、火焔であった。

 そして港湾の向こうに広がるはずの市街地は、見渡す限りの廃墟――瓦礫の海となっていた。


 AH-64Dを操る2名の隊員は逐一状況を伝えたが、何があったかなど想像もつかなかった。

 いや、想像はついた。しかしながら現実のものとは思いたくはなかった。AH-64Dの操縦士である島村しまむら二等陸尉は、観光で釜山市を訪れたことがあった。刺身や海鮮鍋に舌鼓を打った水産市場は、おそらくすべて灰燼かいじんに帰したであろう。薬味代をおまけしてくれたおばさんはどうなっただろうか――。


 他方、陸上自衛隊西部方面総監部はAH-64Dに帰投を命じた。これは地震発生時の情報収集とは違い、2名の操縦士の生命にもかかわる飛行であると理解したからである。


「核か、あるいは燃料気化爆弾か」


 日本政府関係者は大邱市や釜山市に機能を分散させた韓国政府にコンタクトを取ろうとしたが、通信は完全に途絶していた。韓国国内に残っていたジャーナリスト等の邦人とも、当然ながら連絡は取れない。

 和泉首相は早急な緊急事態大臣会合を望み、国家安全保障局は状況把握に努めたが、事態は彼らを取り残して進展していく。

 東京都内では深夜から翌朝にかけ、多くの人々が自主避難を開始していた。SNS等を通じて韓国、アメリカが核攻撃を受けた旨を知った都民が「次は日本だ」と思うのは至極当然であった。

 開戦劈頭の朝鮮人民軍によるミサイル攻撃、日中開戦と事態がエスカレートする度、都内から脱出する都民はいたが、それでも残っていた人々が一斉に動き出したのである。


「パパは仕事あるから一緒には行けないけど――」と、核攻撃の可能性があるにもかかわらず、仕事に備えなければならない父と母子、あるいは母と父子、または父母と祖父母に連れられた子が引き裂かれていく。

 翌日の報道番組ではすでに郊外に逃れた芸能人たちがオンラインで参加し、口々に好き勝手なことを放言していた。


「すぐに日本は戦争から手を引くべきではないですか。日本だって中国軍に核ミサイルを撃ちこまれたら終わりですよ」

「もしも政府が戦争を続けるなら、日本をてて国外脱出するしかないですよ。すぐに中国と停戦して、与那国島の人々を避難させてから明け渡すべきですよ。生きていれば、また戻ることだってできる。人命優先の決断を日本政府にはしてもらいたいですね」

「与那国島の自衛隊も降伏しちゃえばいいんですよ。中国軍に自衛隊員や住民を九州へ送り届けさせればいいじゃないですか」


「……」


 赤坂へ向かう車内。後部座席でポータブルテレビを見ていた宮内庁長官の北島きたじま一治かずはるは、感想を口にはしなかった。

 昨日と今日こんにちで、すべてが一変いっぺんした。

 戦術的優位のために、少数の戦術核が使われるのではない。大量破壊兵器が無差別的、無秩序的に使用される“フィクション”が現実のものとなり、昨日まであった日本国が明日には亡国となる未来さえも忍び寄ろうとしている。


 その2時間後――赤坂某所にて北島宮内庁長官は、侍従長とともに拝謁申し上げた。

 彼らが申し奉ったのは、東京都外への脱出の提案であった。

彼らの前にあらせられる御方は、東日本大震災の際と同様、未だ東京都内にお留まりになっていらっしゃったのである。

 数分間沈黙が続いた後、空気が震えた。


「移ったばかりで、ここをてるのはもったいないでしょう」

「幸運にもみな海外におりますから、わたくしはここにいることにします」


 ……それですべては決した。

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