■60.地獄半島。(後)
滅びの日に相応しくない晴れ上がった星天の下、地上に次々と破滅背負った鋼鉄が現れた。
止める者はいない。止められる者も。
中国人民解放軍空軍機による空中哨戒の下、発射車輛が発射台を屹立させる。
運命から逃れられなかった少女が、世界ごと己の運命を焼却すべく用意した反逆の鋼槍――その切っ先が、人々の安らかな眠りを見守る星々へ向けられた。彼女を取り巻く運命、世界、人類への反逆はいま、198個の核弾頭を以て完成する。
「ありえない」
詠うように、李恵姫はいう。
「そう世の人はいうだろう」
気づくのが遅すぎる、と李恵姫は嗤った。
ありえないというのであれば、中国共産党の忠良なる手駒となって大戦の魁となること自体がありえないではないか。
平壌市の中心地にある中央広場。
ひやりとする花崗岩の敷石に李恵姫は大の字で寝転ぶと、辞世の句を叫んだ。
「ざまあみろ!」
そして、彼女の一撃は、まさしく星々を砕く。
安寧の眠りも、明日への希望も、これで失われる。
いまから1000万、2000万という人々が死ぬ。そして大量の生物兵器と化学兵器が世界中に拡散し、安価な武器として誰もが濫用する昏い未来がやってくる。
◇◆◇
「ありえない――ありえないありえないッ!」
世界で最も迅速に、かつ正確に事態を把握したのは、軍事衛星を操る中国人民解放軍戦略支援部隊や中国人民解放軍ロケット軍の関係者であった。朝鮮人民軍ロケット戦略軍の核攻撃は、規模も、軌道も、明らかに日本国を対象にしたものではなかった。
最初に炸裂したのは、韓国上空に達した1発の核弾頭であった。
膨大な熱も、破滅的な衝撃波も、ほとんど地表には届かない。その代わりに強力な電磁パルスが降り注ぐ。その僅か20秒後、韓国領直上高空にわだかまる熱と吹き荒れる電磁波を隠れ蓑とした“本命”――数十発の核弾頭が、韓国から夜を奪い去った。
標的となったのは、人口密集地と港湾、空港施設。無数の死体転がる焦土と放射能物質を含む汚泥に覆われるこの地獄半島から、少女は人々を逃すつもりはなかった。
「事前連絡と明らかに違う」
「どこだ、どこを……!」
中国人民解放軍戦略支援部隊の関係部署に詰める当直たちは、モニターにかじりつくことしか出来ない。また1発、また1発と打ち上げられる弾道弾が増加し、そのどれもが超高空1000kmを超越していく。
一部の専門家たちは、最悪の未来を視た。
彼らの未来視は、即座に現実となる。
弾道は伸びていく。無慈悲にも伸びていく。
アメリカ合衆国グアム準州へ、ハワイ州へ、アラスカ州へ、そして北アメリカ大陸全土へ。
「ありえない――」叩き起こされた華鉄一は、何ひとつ理解できなかった。「とにかくすぐにアメリカ大統領との連絡をつけろ!」
「ありえない」「ありえない」「ありえない」と世界の各所で驚きと嘆きの声が木霊する中、現地時間午後1時――太陽背負うアメリカ戦略軍は光り輝く鋼鉄を、蒼穹へ投じた。
朝鮮人民軍ロケット戦略軍が放った弾頭の数を遥かに超える核弾頭が、海上や地上から天翔ける。これは朝鮮人民軍を完全に破壊し、地上に残っている可能性がある核弾頭をすべて焼き払うための全面核攻撃だ。アメリカ大統領も、軍関係者も、誰も躊躇しなかった。同時にカリフォルニア州をはじめとした西海岸に配備されている地上発射型弾道弾迎撃ミサイル約30発が発射され、無辜の生命をひとつでも守るべく、1000kmの超高空へ挑戦する。
神の意思も、人の意志も介在しない一瞬で、すべてが決まる。
防空網を突破した過半数の弾頭は、地対空ミサイルが展開する軍司令部機能や政府機関ではなく、人口密集地の上空に再突入した。なぜならば李恵姫は、アメリカ軍の核報復による速やかな破滅を望んでいるからだ。
人々がつぶやく無数の「ありえない」の直上に、李恵姫が放った悪意が顕現する。かつて米国が産み出した叡智の炎が、摩天楼の空に灯される。数万度の火球。閃光が奔り、超音速の暴風が吹き荒れて、人々の生活を圧し潰す。6000度にまで加熱された地表は灼熱地獄となり、地上に存在するすべてが衝撃波によって洗い流される。自動車が、ガラスが、街灯が、外壁が粉砕されて無数の凶器と化す。放射される熱線が人々を焼く。爆風が往還し、念入りに地上を破壊していく。
火焔と塵芥に覆われた地表を嘲笑うように、漆黒の雲が立ち上る。
数千メートルの巨大な雲柱は、そのあと崩壊しながら放射性物質を含んだ雨を降らせるであろう。
地対空ミサイルで重点的に防御されていたアメリカ軍基地や国防総省を嘲笑うように、サンフランシスコが、ロサンゼルスが、シカゴが、ニューヨークが――アメリカ合衆国の名だたる大都市が無残な廃墟となっていく。
それに遅れること数分――太平洋を挟んだ遥か西方で、熱核兵器が炸裂した。
高さ約170メートルの主体思想塔の西側に、業人と醜悪な体制を焼滅させる白光が閃いた。1秒にも満たない時間で中央広場は破砕され、平壌高麗ホテルをはじめとする高層建造物が倒壊する。平壌駅や人民大学習堂、博物館、競技場は瓦礫となって飛散していく。夜闇の中に出現した人工の太陽は、虚栄と汚濁の平壌中心部を照らし出し、裁きをもたらした。
そしてミニットマンとトライデントが運ぶ100発以上の核弾頭が、朝鮮民主主義人民共和国という国家を焼き払い、北朝鮮という骸と塵灰によって覆い尽くされた絶望の地に変えていく。
ここに復讐は、成った。




