■54.センカクの価値はどれくらい?(前)
政経の中心地、深夜の中南海は荒れた。
「3日で……」と、中国共産党中央委員会総書記と中央軍事委員会主席を兼任する華鉄一は絶句した。辣腕家の彼も、万単位の死傷という現実を前にして竦んだ。膨大な金と鉄と血の投資。対して回収出来ているのは、未だ金門島と馬祖列島、魚釣島のみである。
さらに中央軍事委員会参謀部の関係者は死傷者数の報告とともに、「フィリピン共和国やベトナム社会主義共和国の参戦は確実であり、対中国包囲網が完成しつつある」旨を付け加えた。もちろん「さしたる脅威にあらず」「一打すれば容易く突き崩せる脆弱な包囲環」と、虚飾することを忘れなかったが。
これを受けて彼は、
――もしかすると俺は中華文明の未来のために必要な犠牲を払っているつもりが、先人が遺した財を溝に捨てているだけなのではないか?
という疑念をふと抱いた。
が、いまさら損切りなど許されない。逆にいえば開戦からまだ3日しか経っていない。根を上げている場合ではない――長期戦となれば、根を上げるのは相手が先だ。
そして次の瞬間、自身への疑問符は他者への感嘆符に変わっていた。
「東部戦区の連中は何をやっている!」
強気を取り戻した華鉄一国家主席は卓上のペンを投げつけると、中央軍事委員会参謀部の軍高官や政治委員を難詰した。「亜州最強の武装力量を運用しながら、未だにこの程度の戦果しか挙げられていないのはペテンである」とまで口にするほどで、言葉をほとんど選んでいなかった。
(まずい)
そばに控えていた孫徳荘国防部部長は、そう思った。
国防部部長は他国でいえば国防大臣にあたるが、実際のところ中国人民解放軍の管理・運用に携わっているわけではなく、この場では中央軍事委員会参謀部の関係者がもっぱら非難の対象になっている。
(上級者がこれだけプレッシャーをかければ、前線将兵によからぬ波及が――)
中国人民解放軍・旧南京軍区上がり――根っからの軍人である孫国防部部長は、即座に待ち受けるかもしれない最悪の事態を透視した。難詰された中央軍事委員会参謀部は、当然ながら東部戦区の参謀らを責めるであろう。共同作戦司令部は作戦計画の前倒しや、無茶な部隊運用に奔るかもしれない。
しかし孫国防部部長は、この場では口出し出来なかった。
目下の前で華鉄一国家主席の面子を潰すわけにはいかない。
それとは対照的に、日本国内では下から――というと語弊はあるものの、要は世論・国民からの突き上げが激しくなっていた。
戦前と同様に東京都内では市民団体による反戦デモが行われているが、その一方で「早急に尖閣諸島を奪還せよ!」「台湾本島へ自衛隊を派遣し、日台共同戦線を構築せよ!」といった主張を掲げる政治団体もまた現れていた。「希代の馬鹿に戦争指導を任せるな」「天皇陛下、いまこそ御親征のときです!」と大書された煎餅屋のトレーラーまで都心を走り回る始末である。
前述のとおり、尖閣諸島はインフラ皆無の無人島で重装備の揚陸も難しいため、中国人民解放軍に占領されたとしても問題はない。第二次世界大戦でアメリカ軍が飛び石したように、自衛隊やアメリカ軍もこれを無視するべきであろう。
ところが問題は、自由民権党内にも「尖閣諸島に中国の旗が立っている状況には我慢ならない」「陸上自衛隊の大部分は遊んでいる状態なのだから、まず尖閣諸島を奪還させてはどうか」と考える国会議員が多いことだった。
対する和泉首相は、一部の政治団体が言うように「希代の馬鹿」なのか、それとも動じない性格なのか、そうした圧力に屈することはなく、防衛省の高官には「もしプロの皆さんが必要かつ可能だと思われるなら相談してください」と発言するに留めた。
その防衛省関係者はまず与那国島に上陸した敵部隊の排除と、その周辺に遊弋する敵水上艦隊の撃破、対潜水艦作戦に注力すべきだと考えていたし、思考のリソースをそこに向けていたため、特に尖閣諸島を意識してはいなかった。
ところが、事は動き始めた。
前述の通り、中国人民解放軍は魚釣島に20名の海軍陸戦隊を上陸させて魚釣島警備隊としていたが、それをさらに倍以上に増強。それに留まらず、無人のまま放置されていた釣魚群島の島々に対しても数十名規模の上陸部隊を送りこんだ。
魚釣島の次に大きい無人島で、かつて水産加工工場があった久場島(約0.9㎢)はともかく、島というよりは岩礁の大正島(約0.06㎢)にまで陸戦隊員を上陸させたのだから狂気の沙汰である。
そして極めつけに「近いうちに釣魚群島にはミサイル部隊が進出する。また将来的には周辺を埋め立てて滑走路が建設される予定だ。釣魚群島は強力な軍事拠点となるだろう」と中央軍事委員会・中国人民解放軍東部戦区共同作戦司令部の関係者は広報した。
無論、ブラフである。
しかも内向きの、だ。
要は国家主席に詰められた中央軍事委員会の高官が中国人民解放軍東部戦区の関係者を詰めた結果、彼らは即座に戦果として計上出来る地として釣魚群島に目をつけたのであった。
当然ながら彼らも本気で地対艦ミサイルや地対空ミサイルを、かの地に配置しようと思っているわけではない。
が、日本側にはそんなことはわからない。
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