■5.「人命は地球より重い。そして朝鮮半島には約5万名の邦人がいるんですね。つまり日本政府は地球5万個分の生命を助けなければいけない」
時間は遡る。
日本時間午前6時、突如として関係者から叩き起こされた内閣総理大臣・和泉三郎太は、即座に状況を理解した。彼は事前に国家安全保障局から、半島有事勃発の可能性が高い、と報告を受けていたためである。
未だ40代の和泉首相はマスメディアや野党から「史上最悪のリーダー」と非難され、SNSでも小馬鹿にされることが多い人物であるが、是非はともかく自分自身の信念の下、物事を推し進められる行動力の持ち主であった。この3か月間、彼は私邸に戻ることなく、公邸で生活している。万が一の事態の際には、即座に指揮を執り、国民の生命を守るためである。
鮮やかなブルーのスーツを纏い、首相官邸地下にある危機管理センター入りした彼は、求められるままに官邸対策室の設置を指示した。
「私は今朝起きて、カップ麺を食べたのですが、そのとき私はお湯を入れてから3分後の未来を考えていました。……3分後、私はカップ麺を食べているんだろうな、と。しかし、ここでは3分後に何が起こるかわからない。みなさん、頑張りましょう」
(……カップ麺のくだり、要る?)
と、周囲の困惑を招く一幕もあったが、物事は順調に進んだ。
和泉首相は他の議員と比較しても、野球がうまいだけの二世議員に過ぎない。
しかし長所もある。彼の言葉を借りるなら、
「私は自分が何もわからないことをわかっているんですよ。それがみなさんに伝わっていないことを反省しており、反省していることが伝わっていないことを反省しているんです」……。
つまり、何をするべきかは周囲の専門家に任せる、責任は決断した自分がとるという姿勢を内閣総理大臣就任後は貫いており、それがプラスに働く局面が多かった。
そんな無知の彼であっても、理解していることがひとつある。
半島有事は対岸の火事では決してありえない。
いや、対岸の火事かもしれないが、その火事に巻き込まれようとしている邦人が韓国国内にいるならば、これを救出する義務が日本政府にはある。
すでに陸海空自衛隊は転地演習の名の下に、海上自衛隊舞鶴基地、同隊佐世保基地、航空自衛隊春日基地をはじめとする日本海側・九州地方の自衛隊基地へ、邦人輸送に必要な部隊を集結させていた。
邦人輸送は韓国政府との協議の後、空路と海路で実施する計画だ。開戦前は政府専用機や日本政府がチャーターした航空機による輸送も検討されていたが、この状況下と輸送対象者が多すぎるために、日本政府は自衛隊輸送部隊の投入を決定していた。
(C-130輸送機 ※1)
空輸の主力となるのは、十数機のC-130Hを擁し、邦人輸送の実績がある航空自衛隊第401飛行隊。
海上輸送の主力となるのは海上自衛隊第1輸送隊のおおすみ型輸送艦『おおすみ』である。加えて防衛省が高速輸送船として買い上げ、自衛官を乗組員とした高速フェリー『ナッチャンWorld』が待機している。
陸上自衛隊の航空科部隊は、日韓間の輸送には直接関わらない。
が、日本国内における避難民の移送などで、助力が期待されている。ただし、状況によっては航続距離約1000kmの大型輸送ヘリCH-47JAで、韓国南部から対馬島への輸送も可能だ。
どちらかといえば、陸自に期待されるのは韓国国内における邦人の警護であろう。こちらに関してもソマリア沖海賊対策や南スーダン共和国PKOなどの海外派遣で活躍した陸上総隊中央即応連隊が、九州地方北部に移動済だった。
開戦直後から邦人輸送の準備がここまで整ったのは、ひとえに紺野九郎防衛相以下、背広組・制服組あわせて防衛省幹部の努力があってこそだ。
「僕が思うに、自然災害を予見することは出来ない。だが、戦争を予見して準備することは出来る」
事前に複数回開かれた防衛会議で紺野防衛相がそう語り、物事を積極的に牽引したことで、防衛省関係者がスムーズに動けたことが良い方向に働いたのであろう。
だがしかし、1から10まで順調にいくほど事態は生易しくはない。
問題は3つある。
1つ目は韓国国内の日本政府関係者とその家族に加えて、韓国支社で働いているビジネスマンや韓国を偶然訪れていた観光客など、約5万と推定される邦人を輸送しなければならない点だ。
さらに先の朝鮮戦争同様、北朝鮮の優勢で戦争が展開していくと、交戦地帯に取り残される邦人が現れることは想像に難くない。
また韓国全域において航空優勢を北朝鮮側が握っている場合、安全地帯と交戦地帯の別などありようがない。C-130Hが中距離空対空ミサイルで攻撃されたり、韓国の港湾施設へ接近した『おおすみ』が空対艦ミサイルに突っ込まれたりする可能性は十分にある。
その場合、自衛隊の武器使用はどこまで認められるか。それは国内法と日本政府の決断のみならず、韓国政府の判断にもよるところが大きい。
2つ目の問題は、法的な点である。
自衛隊が外国にて邦人輸送を実施する際には、“戦闘行為が行われることがないと認められること”が条件となっている。これはあまりにもナンセンスだ。戦闘に邦人が巻き込まれるかもしれないから自衛隊が必要なのであって、戦闘が行われないなら民間機で事足りる。自衛隊は必要ない。
対する和泉首相は「日本政府は法律を守るよりも生命を守ることを選ぶ」と明言し、これについては超法規的措置で臨むしかない、とした。
3つ目の問題は、邦人輸送の実施には、韓国政府との協議と事前許可が必要な点である。
「白武栄が自衛隊を入れるとは到ォー底、思えねえけどナ」
数か月前に行われた内閣改造で、外務大臣となった超大物議員の赤河太郎は苦々しげに言った。
実際に3か月前、「朝鮮戦争の再戦が近いのではないか」と日本側が指摘し、暗に邦人輸送の可能性を示した際も韓国外交部はそれを頭ごなしに否定し、それきりであった。しかし戦端が開かれた以上、彼ら韓国外交部も協議に応じざるをえないであろう、と日本政府関係者は思った。
が、現実はより最悪だった。
外務省が韓国外交部関係者に問い合わせたところ、歯切れが悪い。「白武栄大統領閣下のご判断が必要」という回答であったが、外務省担当者の「それでは白大統領の判断はいつ下るのか、白大統領はどこにいるのか」という質問に対しては確認する、の一点ばりである。
「もしかすると白のやつ、行方不明になってんじゃねえだろーナ」
と、80代にしてまだまだ精力的な赤河外相は冗談半分に笑ったが、実際そうであった。
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(※1)出典:航空自衛隊ホームページ
次回更新は7月20日(火)の18時を予定しております。




