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■47.漁港がねえ、空港ねえ、人もまったく歩いてねえ!(前)

 アメリカ合衆国政府をはじめ、各国政府が注視した日中開戦初日は、彼らにとって意外な展開になっている。

 中国人民解放軍はリソース投入の比重を台湾本島に置いているから、というのもあるだろうが――世界各国の予想を裏切り、未だに中国側は与那国島をはじめ、日本領の島嶼をひとつも確保出来ていない。

 地上戦が唯一生起している与那国島では、陸自第22即応機動連隊と中国人民解放軍上陸部隊との間で戦闘が継続していたが、互いに有効打を与えられないまま、日付が変わろうとしていた。

 立て続けのY-9輸送機被撃墜と航空母艦『遼寧』の撃沈により、結局増援を得られていない中国人民解放軍将兵は、戦線を予定よりも縮小せざるをえなかった。

 前述のとおり、彼らの作戦目標は与那国島の占領から、与那国空港の確保に変わっている。海軍陸戦隊と空降兵は陸自第22即応機動連隊の制圧射撃の中を足掻き、正午前になんとか与那国空港にて合流することに成功したが、空降兵を中心に多数の死傷者が出ていた。


(くそ、俺が最先任か――!)


 この与那国島では、死は階級に関係なく平等に訪れる。

 死傷者が続出した中国側では、若手の蔡谷秋海軍中尉が指揮を執ることになった。

 彼が最初に指示したのは、空港周辺のホテルへ負傷者を収容することであった。蔡谷秋中尉は与那国島や南西諸島の気候に対して、特別に精通しているわけではなかったが、10年前に日本旅行を経験しており、そこでいわゆるゲリラ豪雨に遭っていた。「日本の天候は変わりやすいし、熱帯みたいな雨が降る」というのが彼の印象であり、負傷者を風雨に晒すわけにはいかないというのが、彼の思考だった。

 と同時に蔡谷秋海軍中尉は与那国空港の守備を固めたが、内心では「いやこれ無理だな……」とさじを投げかけていた。中国側の守備範囲は、与那国空港の滑走路まで含めれば東西2000メートルに及ぶ。

 ただし蔡谷秋海軍中尉や他の下士官・兵らは、楽観的だった。いまがいちばん苦しいときだと考えていたからだ。航空母艦『遼寧』の被撃沈を知らされていない彼らは、すぐに増援は来ると信じていたし、日本側も同然に苦しかろうと思っていた。上空には常に無人航空機が張りついているし、戦闘攻撃機による航空攻撃も時折ある。有効射程数kmの携帯式地対空誘導弾では高空の航空機や、高速で翔けてくる戦闘攻撃機までは狙えない。中国側こちらには航空支援がある、というわけだ。


 一方の陸自第22即応機動連隊も攻めあぐねていた。

 志生野しおの克己かつみ一等陸佐は与那国空港へ向かう空降兵を追撃、そのまま空港一帯の敵を駆逐しようとしたが、その前面に03式空挺歩兵戦闘車が立ち塞がったことで頓挫した。この03式空挺歩兵戦闘車の装甲は、重機関銃弾に対する防御がやっとという薄さである。が、この2輌の車輛は対戦車火器が指向されるまでの間、まさに空挺“戦車”に相応しい活躍をみせた。

 伏せた陸曹たちが「いま行くな、いま行くなッ」と怒鳴る頭上を、空挺戦闘車が発射した30mm機関砲弾が翔け抜けていく。射程約4000メートルの30mm機関砲は雑木林を薙ぎ倒し、ブロック塀や家屋といった障害物を容易く粉砕。84mm無反動砲を抱えた隊員の攻撃も撃退し、中距離多目的誘導弾に撃破されるまでの数十分、第22即応機動連隊の攻勢を退しりぞけた。


「こっちも車輛を使えれば」、と第22即応機動連隊の幹部らは悔しがった。

 中国側は正午前後から無人航空機による監視と攻撃を明らかに強化しており(これは航空母艦『遼寧』被撃沈により増援が事実上不可能になったことへの代替だが、第22即応機動連隊本部がそれを知るすべはなかった)、96式装輪装甲車等を出せば即座に攻撃を受ける状況となっていた。

 第22即応機動連隊は夜が訪れる前に負傷者を収容し、与那国空港周辺の包囲を強化したが、その日はもう攻勢には出られなかった。

 かくして与那国島内の戦線は、膠着した。


 さて、“未だに中国側は与那国島をはじめ、日本領の島嶼をひとつも確保出来ていない”と先述したが、これには例外がある。

 不順の南西諸島方面作戦に頭を抱えた中国人民解放軍東部戦区は、初日の内になにがしかの成果を挙げたかった。このままやられっぱなしでは、面子が立たない。そこで目をつけたのが、軍事的にはさしたる価値がない島嶼――釣魚群島(尖閣諸島)であった。


 平時では日中対立の最前線であった尖閣諸島だが、防衛省は最初から同諸島の防衛を放棄していた。最も面積の大きい魚釣島でさえ海上保安庁が管理する灯台があるくらいで、ヘリパッドや港湾施設はない。そのため重装備の揚陸は困難であるし、普通科隊員を配置したとしても今度は補給が大変である。

 逆に中国人民解放軍東部戦区もまた、釣魚群島(尖閣諸島)の占領は考えていなかった。同群島のインフラが皆無であるため、長射程の地対空ミサイルや地対艦ミサイル等の重装備の展開は不可能だし、所属する島々は小さすぎる、あるいは平坦な地形がほとんどないため、空降兵の降下やパラシュートによる補給も出来ない。

 つまり戦術的価値はない――それどころか地上部隊をったが最後、兵站に負担をかける“お荷物”であった。


 だが、政治的価値はある。

 中国人民解放軍東部戦区、そして中国共産党首脳陣は急遽きゅうきょ、釣魚群島(尖閣諸島)の“奪還”を決定した。すぐに中国人民解放軍海軍第13護衛支隊所属056型コルベット『河澤』に白羽の矢が立てられ、同艦は釣魚群島の北方に接近していった。『河澤』から搭載艇を出し、手始めに魚釣島へ海軍陸戦隊員約20名を上陸させようという計画だった。

 前述の通り、魚釣島には漁港さえない。

 しかしながら同島西部には旧船着き場、と呼称される人工的な入り江がある。海軍の調査によると、どうやら海上保安庁はこの入り江周辺から上陸し、灯台の整備を行っているらしく、東部戦区の参謀らはコルベットの搭載艇なら同じように上陸出来るだろうと踏んでいた。


(バカバカしい――)


 国威発揚のための上陸作戦に駆り出された056型コルベット『河澤』をはじめとする海軍関係者は、苦々しい思いでいた。上陸作戦に関わるのは『河澤』だけではない。中国人民解放軍東部戦区共同作戦司令部は「日本側は釣魚群島を無防備に放置しているわけがない」と思い込んでいた。であるから無人島のために、小さくない戦力を割いた。

 つまり『河澤』進行先の機雷を排除すべく082II型掃海艇が投入され、これらの水上艦艇を敵航空脅威から守るために052D型駆逐艦が配置され、さらに艦隊の目となる早期警戒機が進出し、J-11戦闘機が護衛につけられ――と、消費される燃料とその代金だけでも考えたくない事態になっている。

 ところが日本側はこれら無人島を放棄していたため、驚くほど順調に事は運び、日付が変わる前に中国人民解放軍東部戦区共同作戦司令部は、灯台を占拠した海軍陸戦隊員の集合写真等を報道局へ提供することに成功した。


 しかし中国人民解放軍東部戦区共同作戦司令部はその後、この無人島のために大きな代償を払い続けることになる。




◇◆◇




056型コルベット『河澤』の河は正確な中国語の漢字とは異なりますが、環境依存文字ですので使用を控えさせていただきました。


次回更新は1週間以内を予定しております。

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