■36.雷の劔、出づる!(前)
001型航空母艦『遼寧』は、中国人民解放軍海軍艦上機部隊の錬成に大きく寄与した功労艦である。しかしながら002型航空母艦『山東』と003型航空母艦『河北』に比較すると、さすがに能力不足の感は否めない。『遼寧』を発艦するJ-15戦闘機には重量制限をかける必要があり、燃料・兵装を満載することは難しいとされる。また『遼寧』と準同型艦とされる『山東』と比較しても、ジェット艦上機の搭載可能機数には10機以上開きがある。
故に『遼寧』は航空作戦を専らとするのではなく、その指揮機能・艦体規模・長大な航空甲板を活かし、上陸戦部隊の中核を担うことになっていた。艦上機であるJ-15よりも、Z-18やZ-8Cといった輸送用ヘリコプターを多く搭載しており、この巨艦から海軍陸戦隊の精鋭たちが出撃し、必要に応じて物資の空輸、負傷者・捕虜の収容が行われることになっている。
「俺たちはさしずめ、“牛刀”だな」
『遼寧』に座乗してこの艦隊を監督する政治委員の石尋春は、溌剌と笑った。
鶏の首じみた貧弱な島嶼群――先島諸島に突きつけた刃は『遼寧』と先に触れた072A型戦車揚陸艦2隻だけではない。少し離れた海域には956型駆逐艦『杭州』・『福州』や徴用した輸送船も遊弋している。
002型航空母艦『山東』や075型強襲揚陸艦といった最精鋭水上艦艇は台湾方面の作戦に回されているため、この方面には不在だが先島諸島攻略に割り当てられた『遼寧』率いる水上部隊もかなりの規模を誇っていた。
しかし石尋春の余裕の笑みとは相反するように、『遼寧』以下は慢心することなく、慎重な行動をとっている。
まず作戦の主軸となる『遼寧』は尖閣諸島以北を航行し、尖閣諸島以南へ決して前進しようとはしなかった。
これは日米潜水艦の襲撃を警戒しての行動である。海軍陸戦隊の作戦を考えれば、『遼寧』らが先島諸島に接近すればするほど効率が良い。だが尖閣諸島の南側――尖閣諸島と先島諸島の合間には、与那国海底地溝と八重山海底地溝という水深数百メートルから2000メートルを超える地形が存在している。三次元運動を得意とする潜水艦側に有利な地形であることは言わずもがなだ。であるから『遼寧』は尖閣諸島以北、水深の浅い大陸棚が続く海域に浮かんでいた。
また宮古島・石垣島に配備されている地対艦ミサイル部隊の無力化は、未だ確認出来ていない。中国人民解放軍東部戦区共同作戦司令部に詰める空軍の作戦参謀は、「航空優勢は中国側にあるのだから、いくら自衛隊が両島に長射程の地対艦ミサイルシステムを配備していたとしても意味がない。ターゲティングが出来ないでしょう?」と余裕の発言をしている。が、現代航空戦は高速で進展する。『遼寧』のような価値の高い水上艦艇を、不用意に両島へ接近させるのは躊躇われた。
実際、宮古島に駐屯する陸上自衛隊第302地対艦ミサイル中隊、石垣島の第303地対艦ミサイル中隊の被害は皆無であった。
(防衛出動命令が出ていてラッキーだった)
というのが、地対艦ミサイル中隊の幹部らの偽らざる感想である。
中国共産党が半島有事の演出という策を弄することがなければ、宮古島駐屯地・石垣島駐屯地の部隊は陣地すら構築することが許されないまま、ミサイル攻撃によって大損害を受けていただろう。地対艦ミサイル中隊の発射機も、容易に撃破されていたかもしれない。
ところが現実には朝鮮半島からの邦人救出のために防衛出動命令が下っていたため、宮古警備隊と石垣警備隊は、陣地構築等の戦闘準備を整えることが出来ていた。
12式地対艦誘導弾の発射機は断崖を掘削した坑道に隠され、森林や山地には防御陣地が築かれている。また海岸線の一部には水際地雷と対人障害システムが敷設された。詳細は後述するが、平時の宮古警備隊・石垣警備隊に本州からの普通科部隊が増派されており、総合的な火力・継戦能力は格段に上がっていた。
このように数で勝る中国人民解放軍が強襲上陸を敢行したとしても、効果的な反撃が行える態勢が築かれている。先島諸島を守る陸自諸部隊の幹部は、端から「数日から1週間前後は孤立無援で戦うことになるだろう」と覚悟を固めており、その覚悟が防御陣地の強化という形で現れている。
実際、航空自衛隊・海上自衛隊による直掩はない。
開戦直前に南西諸島周辺海域へ派遣されていた海上自衛隊の水上部隊は第1護衛隊群と、チャーターしたフェリーの護衛にあたっていたもがみ型護衛艦『みくま』と『すずや』、あさぎり型護衛艦『あまぎり』である。ただし第1護衛隊群は緒戦の激しい敵航空攻撃を予想し、先島諸島ではなく、沖縄本島東方沖に展開していた。
この状況下で航空攻撃を躱し、敵の海上優勢を脅かすことが可能なのは潜水隊だけであろう。
現在、先島諸島周辺海域には3隻の潜水艦が活動中だった。
1隻は与那国海底地溝に隠れる潜水艦『じんりゅう』、もう1隻は石垣島・宮古島の北方に横たわる八重山海底地溝の潜水艦『しょうりゅう』だ。そして最後、3隻目は先島諸島南方を固める潜水艦『ずいりゅう』である。
しかしながらこの海底に潜む幻獣らは現在、海中でただ待機していた。
これは横須賀基地等、多くの海上自衛隊基地が弾道ミサイル攻撃を受け、指揮・通信機能に混乱が生じており、潜水艦との連絡がうまく取れていないためであった。潜水艦側は一方的に攻撃命令を受信したとしても、真偽の確認が取れない。高性能な対潜哨戒機を相手が飛ばしている場合、潜水艦側がマストを上げて電波を発すれば逆探知される可能性が高い。潜望鏡深度で上げたマストをレーダーで捕捉されたり、生まれた航跡波を発見されたりする事態も考えられる。外界と切り離され、単独で敵を狩る現代潜水艦の性質上、3隻の潜水艦が戦争という事態をはっきり認識しているとは限らなかった。
航空自衛隊についていえば、戦闘機部隊は九州地方・本州にまで後退している。
沖縄本島に配備されている航空自衛隊の戦闘機部隊はF-15J/DJ戦闘機を40機前後擁する第9航空団が有名だが、彼らは開戦前より那覇基地から姿を消していた。これは地上被撃破を避けるための方策だ。第9航空団作戦機の多くは、平時には戦闘機部隊が置かれていない岐阜基地や小牧基地に分散して逃れている。那覇基地は戦闘機用の掩体壕が数基しかない。那覇基地は官民共用であるため、中国人民解放軍も攻撃を避けるのではないか、という意見もあったが、彼らが躊躇わなかった場合は半数近くが何も出来ないままに撃破される可能性があった。
その危惧は正しかった。中国人民解放軍は特に躊躇しなかった。3000メートルの第1滑走路、海に大きく張り出す形で新造されたばかりの2700メートルの第2滑走路ともに、クラスター弾頭による攻撃を受け、複数の穴隙が生じていたし、高性能炸薬弾頭が直上で炸裂した駐機場は、暴力的な衝撃波に晒された。
こうなると航空自衛隊の戦闘機部隊は、最前線の南西諸島から後退せざるをえない。
不幸中の幸いは、九州地方に所在する空自基地の被害が軽微だったことだ。
F-2A/Bが配備されている築城基地や、F-15J/DJを主力とする第5航空団の新田原基地は、滑走路にダメージを受けたものの、数時間後には復旧の見込が立っていた。これは日米のミサイル防衛網により、両基地に到達した弾頭が中国人民解放軍ロケット軍の予想よりも僅少となったためである。
しかしながら新田原基地から宮古島・石垣島上空までは片道1100km前後はある。
F-15Jの戦闘行動半径内に収まってはいるが、やはり彼我の距離は遠大だ。
そこで緒戦における航空戦の主軸となったのは、第1護衛隊群の『いずも』であった。
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