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■33.覇する黄龍、覚める青龍。

 広がる群青の中に浮かぶ島は、真夏の陽射ひざしに輝いていた。

 日本で最も遅く日が昇り、沈む島――与那国島。

 東崎から西崎まで東西約11km、南北約4kmの細長い小島であり、面積は約29㎢。太平洋戦争における激戦地となった硫黄島の面積が約24㎢であるから、それよりも一回り大きい程度のサイズである。

 その小島へいま、空色の四発機が近づいてくる。海と空が交じり合う水平線、その直上を翔けてきた輸送機は唸りながら2000メートルの滑走路を有する与那国空港に降り立った。


 与那国島はいま、覇権主義と自由主義が激突する最前線になろうとしていた。

 防衛省は前述した先島諸島の価値を知悉ちしつしていたし、また内閣総理大臣・和泉三郎太も複数回のレクチャーを受けてそれを理解しており、早々に日本政府は先島諸島の防衛態勢強化に動いていた。

 そこで重要視された島嶼のひとつが、台湾本島と指呼しこの距離にある与那国島だ。

 すでに石垣島・宮古島にはそれぞれ普通科中隊を中心とした警備隊が平時より置かれているが、与那国島に駐屯しているのは陸上自衛隊与那国沿岸監視隊をはじめ、情報科・通信科といった後方職種の部隊が多い。自衛目的の小火器で武装した警備小隊があるだけで、中国人民解放軍が隠密上陸、続けて空挺攻撃や強襲揚陸艦・航空母艦からのヘリボーンを決行して与那国島の占領を図った場合、これに抗戦することは難しいとみられていた。


 そのため日本政府は防衛省の防衛会議、和泉内閣の閣議等を経て、与那国島や他の島嶼へ戦闘職種の部隊を進出させることに決定した。

 対する中華人民共和国の国営メディアや、日本国内の一部メディアはこれを「南西諸島における軍事的緊張を煽るものである」と批判したが、防衛省は「これは事前に予定されていた転地訓練の一環である」と反駁はんばく、記者の前に姿を現した和泉首相は、


「“備えあれば憂いなし”という言葉があります。これは“備えておけば、心配がない”という意味なんですね。つまり、備えておけば心配はないんです」


 とコメント。


「何に対する備えでしょうか!?」


 と、誰かが突っこんだが、和泉首相はにこやかな笑顔で「何が起こるかはわかりません。何が起こるかわからないから備えるんですね」と、当たり障りのない返答をした。

 実際には何が起こるか、質問した記者も誰もわかっていただろう。


っつー」


 輸送機から与那国島の地に降り立った自衛官らは、まず与那国島の照りつける太陽に閉口した。

 与那国島の7月の平均最高気温は31℃を超える。宮城県からやって来た彼ら陸上自衛隊第6師団第22即応機動連隊の隊員にとっては、厳しい暑熱しょねつのように感じられた。“郷土”――出身地を重視する陸上自衛隊の例に漏れず、第22即応機動連隊は東北地方や北関東出身者が多かった。


「観光で来たかったな――Dr.コトー診療所のセット残ってるらしいわ」


 与那国島をモデルにした島嶼を舞台とした大ヒットドラマの直撃世代である30代、40代の陸曹たちは開口一番、そんなことばかりを言っていた。


「見て帰れるだろ……たぶん」


 他愛ない話をしていたが、内心は非日常への不安と興奮でいっぱいであった。

 彼らは全員、多賀城駐屯地・大和駐屯地を出発する前に遺書を書き、関係者に預けている。

 呑気のんきそうに構えている隊員もいるが、それは表面上を取り繕っているだけで、内心では覚悟を固めていた。


(ここは、硫黄島だ――)


 常に陣頭に立つことを是とする第22即応機動連隊の隊長、志生野しおの克己かつみ一等陸佐はそう思っていた。


 それに前後して重装備と糧食をはじめとする物資も運びこまれている。

 以前からマスコミに指摘されているとおり、与那国空港の滑走路は戦闘機を運用するには不足気味である。しかしながら戦術輸送機のC-130Hなら余裕をもって運用出来るし、搭載重量に注意すればC-2輸送機も離着陸が可能であり、第22即応機動連隊の中距離多目的誘導弾や93式近距離地対空誘導弾が優先されて空輸された。

 陸上自衛隊の即応機動連隊を代表する装備品といえば16式機動戦闘車だが、各種誘導弾や迫撃砲、部隊の“足”となる96式装輪装甲車、軽装甲機動車、そして武器弾薬と燃料、その他の物資が優先され、こちらは後回しにされている。


 海上輸送も行われているが、効率はあまりよくない。

 与那国島には久部良くぶら港と祖納そない港があるが、前者は漁港だ。

 後者も大規模な設備を擁しているわけではなく、平時は総トンにして1000トン未満のフェリーが出入りする港湾である。

 過去、祖納港への海上輸送訓練を実施した海上自衛隊の艦艇・船艇としては輸送艇1号があるが、これも排水量でいえば約500トンに過ぎない。


 今日明日にでも開戦になるのではないかと渋る海運会社を説き伏せ、なんとか総トン1000トン前後のフェリーを掻き集めた防衛省は、車輛や弾薬、燃料を積んで送り出すと、今度は祖納港で与那国島の島民や与那国駐屯地に務める自衛隊員の家族らを乗せて、帰路に就かせた。

 航空機に比べるとフェリーの足は遅いのは当然のことだが、施設側の問題で一度に揚げられる物資量も限られていることが、関係者からするともどかしかった。


 さて、その一方で中国共産党中央委員会総書記と中央軍事委員会主席を兼任する華鉄一や孫徳荘国防部部長、中央軍事委員会の高官らは、台湾渡洋侵攻を決意していたものの、若干の戸惑いと苛立ちを覚えていた。


「李恵姫はなぜ核を使った? 自殺か?」


 大量破壊兵器の使用は事前に打ち合わせたシナリオにはなかったし、李恵姫もまた大量破壊兵器の不使用を約束していた。

 それを証明するように朝鮮人民軍は、最も奇襲効果を発揮するであろう開戦初日に核・生物・化学兵器を使わなかった――故に華鉄一国家主席以下は安堵していたのだ。

 中国人民解放軍は台湾併呑に大量破壊兵器を必要としないが、核攻撃の応酬が今後も続き、中美全面核戦争にまで発展すれば……。


(負ける)


 というのが、孫徳荘国防部部長や軍関係者の共通見解だった。

 2015年時点で中国人民解放軍が保有する核弾頭は260発。

 そこから倍近く増強したものの、アメリカ軍が保有する核弾頭約5500発には遠く及ばない。

 中国共産党関係者の中には、「美国の大都市をひとつふたつ核で焼けば、相手は簡単に屈服する」と放言する者がいるが、孫徳荘国防部部長からすればとんでもない話である。

 美国の国民性を考えるに人々は一致団結して復讐に熱狂し、国力の総てを報復に投じるであろう。

 つまり中華人民共和国は、壊滅的打撃を被る。


 しかしながら華鉄一国家主席は、作戦決行を指示した。


「朝鮮人民軍が核を2発使ったことに対し、アメリカ軍も2発の核で報復とした。つまり美国政府は核のエスカレーションを望んでいない」


 というのが彼の判断である。

 物資集積と分配、部隊展開をぬかりなく終えていた中国人民解放軍は、台湾本島から南西諸島、そして日本列島に至る長大なる要塞線に殴りかかろうとしていた。




◇◆◇




次回更新は11月26日(金)か28(日)のいずれかになります。

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