■32.本物の、軍靴の音が聞こえてきたとき。
知識人や文化人、芸能人、それから他人の不幸をネタにして金を稼いでいる連中が日本政府の対応について是々非々語る中、当事者たちは動いている。
東京・大阪・名古屋といった大都市圏から伸びる下り方面の高速道路は、連日渋滞を起こしていた。
平素より平和ボケと揶揄されることの多い日本国民だが、朝鮮人民軍による韓国軍への核攻撃を契機にして、彼らは自主的な疎開を始めていた。北朝鮮は何を考えているのかわからない。大都市圏が核攻撃の標的になる可能性は十分にある。核が使用されれば、米軍は報復してくれるだろうが、自分たちが死んでからでは何もかも遅いのだ。
リモートワークが可能な企業に勤めている人々は単身、あるいは家族連れで地方へ逃れ、仕事の関係上で離れられなくとも、妻子だけは実家に帰省させておこうという動きが活発になっていた。
一方、より現実的な脅威に晒されていたのは、台湾の邦人であった。
中国人民解放軍の電波情報と軍需物資の集積・分配を中華民国国防部軍事情報局は掴んでおり、中華民国政府は中国共産党が台湾侵攻に移ろうとしていると発表。
これを受けて日本国外務省は、台湾における海外安全度をレベル3(渡航中止勧告)に設定し、邦人に対して退避を促し始めた。
レベル3に設定されるエリアは軍事政権と武装した市民、現地政府と反政府勢力が小競り合いを続けているような地域だ。具体例を挙げればミャンマーやウクライナ東部がそれにあたる。レベル3を上回るレベル4もあるが、これはアフガニスタンのような事実上の無政府地域しかない。日本政府が「台湾本島と周辺島嶼は紛争地帯になる」と公に認めたようなものである。邦人に与えるインパクトは、はかりしれなかった。
日本政府は台湾へ政府専用機・自衛隊機を出すことはなかったが、その代わりにチャーター便で速やかな邦人帰国に尽力した。
ここで宙ぶらりんとなったのは、沖縄県以西の先島諸島の住民たちである。
日本政府は先島諸島への武力攻撃が迫っていると判断し、国民保護法に基づいて避難措置の指示を沖縄県へ出したが、対する城田ジョニー沖縄県知事は、
「台湾海峡危機の可能性を煽るのは勝手ですが、そのとき本当に先島諸島が戦場になるとお思いですか。中国軍の沖縄県侵攻、その根拠が乏しいにもかかわらず、住民避難措置の指示。これは事実上の人権侵害ですよ」
と放言した。
つまり証拠はあるのかという言だが、要は政府批判につなげたいのである。
沖縄県知事がこうした態度をとるものだから、先島諸島住民の沖縄本島・九州地方への避難は当初あまりはかどらなかった。
住民避難について国民保護法では、国民は協力に努めることになっているが、同時に自発的な意思が尊重されており、強制はされてはならないことにもなっている。
しかも城田ジョニーはずるかった。
「もしも先島諸島が戦場になるとすれば、それは先島諸島に進出してきた自衛隊や、沖縄本島の在日米軍が原因。先島諸島にはそもそも戦略的な価値はなく、自衛隊の駐屯地や基地のせいで攻撃の標的となる」
と続けて言い放ち、仮に中国人民解放軍が先島諸島に侵攻したとしても、日本政府に責任をなすりつける布石を打った。
これを聞いた防衛省関係者は怒るよりも、落胆した。
「沖縄県知事がその程度の認識では……」
中国共産党政府が先島諸島を奪りにくるか、それは“その日”を迎えなければわからないことだ。
しかしながら中国人民解放軍の立場にしてみれば、先島諸島の価値ははかりしれないであろう。
まず台湾への渡洋侵攻が短期決戦で終わることはありえない。
米軍が第82空挺師団、第101空挺師団をはじめとする即応部隊を朝鮮半島に投入することなく、手元に残しているという状況からして、米国政府が台湾への介入を決意していることは間違いない。
そうなれば中国人民解放軍の強襲上陸が成功し、台湾本島西部や大都市が制圧されたとしても、中華民国国軍は米軍の来援を期待し、台湾本島中央・東部の山地にて持久戦を試みるだろう。
台湾本島は総面積の過半が山地である。質・量ともに勝る中国人民解放軍といえども、容易に彼らを包囲殲滅できるとは思えない。
さらに遊撃戦に臨む中華民国国軍は地の利だけではなく、人の利さえある。
彼らは市民の支援を受けながら継戦が可能だが、中国人民解放軍にとって現地市民は潜在的な敵となる。かつての日本陸軍のように、今度は彼らが人民の海の中に孤立する番であった。そういうわけで海岸線や平野部で華々しく戦って勝利を掴み、敵を散々に打ち破ったとしても戦争が早期に終わることはない。
中国共産党が中華民国を屈服させるには「抵抗を続けても救援の希望はない」と国軍将兵、現地市民に思わせる状況が必要であった。
そういう観点でも、現実に米軍の来援を遮断する上でも、先島諸島ほど前進・警戒陣地を築く上で好都合な地形はない。
石垣島は直線距離にすると台北から約300km、那覇からは約400kmの位置。宮古島は台北から約400km、那覇からは約300kmの位置――つまり、先島諸島の主要は台湾本島と沖縄本島の中間にある。
先島諸島は港湾や空港が整備されている島嶼を多く擁しているから、これを利用して地対空ミサイルや地対艦ミサイルを展開させるだけで、敵海空軍の動きに制限をかけられる。
それに周辺海底には与那国海底地溝・八重山海底地溝・南西諸島海溝が刻まれており、平坦かつ浅い東シナ海とは異なり、潜水艦が身を隠しやすい地形が続いている。与那国島を確保出来れば、人民解放軍海軍の潜水艦は台湾本島と与那国島の間を通行して太平洋への進出も可能だ。
――逆に先島諸島を奪らなければどうなるか?
それは中国人民解放軍にとっての悪夢にほかならない。
台北から約160km(台湾本島東海岸からは約120km)しか離れていない与那国島には、陸上自衛隊の情報科部隊が張りついており、電波・通信情報が続々と米軍に提供されるであろう。
石垣島や宮古島をはじめとした空港・港湾が充実している島々は、そのまま米軍の兵站として機能する。近年、米軍は島嶼部へ地対艦・地対空部隊を進出させる訓練を繰り返しており、先島諸島にも同様にミサイル部隊がポップアップするであろう。そうなれば沖縄本島を発した米軍の増援は、先島諸島のミサイルの傘に守られる。中国人民解放軍空軍・海軍機による阻止は難しい。
先島諸島の価値は、十分すぎるほどある。
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次回更新は11月22日(月)となります。




