■31.問われる、覚悟。(後)
「しかし自衛隊員から殉職者が出なかったのは意外だったなあ(笑)」
「ひとりふたりぐらいねえ、死んでくれた方がやりやすいんだけどねー(笑)」
翌朝、黒樫の発言は電波に乗っていた。
油断しきっていた彼の言葉は、何者かによって録音されていたのである。
以前は家畜伝染病に関係する種牛相手であったからまだ許されたものの、さすがに今回の“自衛隊員が死んでくれた方がやりやすい発言”はまずすぎた。
「録音機を持ち込んでたのはどこのどいつだよ!」
テレビを見た秘書がかけてきた電話で叩き起こされた黒樫は、事態を理解するとともに自室で怒鳴り散らかした。
「早々に帰った木田が怪しいですが……」
「この俺を舐めやがって! これは裏切りだ、榎本(※憲政民主党党首)にねじ込んで党から蹴り出してやる! 除名だ、除名!」
すでに後の祭りであることに気づいていない彼は、憤然そう叫んだ。
待ち構えているであろう報道陣には、発言が周到に切り抜かれたものだと反論して、新たな話題が出てくるまでそれで押し切ればいい、とたかをくくっていたのかもしれない。
「自衛隊員から殉職者が出なかったのは意外だった、というのはいい意味で意外だったということ。政権与党の失策で殉職者が出るかもしれなかった場所に、自衛隊の方が行って、殉職者が出なかったのは意外にも良い結果だった、ということ。死んだ方がやりやすい、というのは自由民権党の立場を考えたときの発言。自衛隊の方が亡くなった方が、自由民権党は脅威を煽りやすくなって、戦争がやりやすくなるということ」
という言い訳まで用意していた黒樫だが、それから間もなく、リーク元として名乗り出た木田が丁寧に逃げ場を潰していった。
「発言は切り抜かれたものではありません。確かにこの耳で、自衛隊の方が亡くなられた方がいい、というニュアンスで黒樫議員は発言されました。ここにレコーダーがあります」
……。
時間は遡る。
昨日の時点で、木田一成衆議院議員がICレコーダーを持ち込んで“黒樫グループ”の会合に出席したことを知っている人間は、この世に木田一成以外にはもうひとりしかいなかった。
木田一美――彼の妻である。
四女を産んで育てた彼女は、地元では子育てに悩むママたちの話を聞いたり、PTA会長OB会の会長をやったりと、八面六臂の活躍をみせている。
木田が小選挙区で自由民権党の候補を破って勝利したのも、一美の人望と手腕によるところが大きい。
……故に、彼は彼女に頭が上がらなかった(昔からだが)。
「あんたいま暇でしょ?」
そして、これである。
昼休憩中にスマホに突然の着信があったかと思うと、一美の第一声がそれだった。
「な、なんだよ……何か用事があれば駿田くんにかけてよ」
「秘書の駿田くんだってあんたの代わりにいろいろ仕事してて忙しいでしょうが。それにあんたに直接話をした方が早いしね」
「次のスマホ買い替えるときに電話番号変えるわ……」
「そのときは駿田くんに聞くとするわ。で、時間ないからさっさと本題に入るけど。四葉の友達、夏鈴ちゃん知ってるわよね」
「知ってるよ」
(誰だよ)
と思ったが、木田は話を合わせた。
実際のところ、四女である四葉のことを彼はほとんど知らなかったし、その友達となればもっと知らない。
「で、いまその夏鈴ちゃんなんだけど……韓国旅行に行ったきり帰ってこられなくなってるみたいなのよ」
「えっ」
「自衛隊に助けてもらうしかないわけだけど、でも最近の報道じゃあ……自衛隊の撤退もあるみたいじゃない? そこであんたの力が必要ってわけ」
「えっ」
「夏鈴ちゃんのお母さんにもお願いされちゃってさあ」
「お願いって、そんな一個人のお願いで俺が動くわけ……」
「は?」
久々の威圧感に満ち満ちた「は?」を前にして、木田は沈黙した。
そして次の瞬間、スピーカーから流れてきたのは闘志を秘めた絶対零度の言葉。
「おめーよぉ――“一個人”じゃねえだろうがよ」
「……」
「夏鈴ちゃんのお母さんは、あんたに一票投じてんだよ」
「はい」
「ひとりの有権者、ひとりの国民のお願いも聞けねえやつが、国会議員やってんじゃねえぞ」
「はい」
「黒樫を潰せ」
「えっ」
「あいつが海外派遣の潰しのリーダーだろうが」
「そりゃそうだけど、俺が当選できたのはあの方のおかげだし、派閥的に言って――」
「お前が当選できたのは有権者のおかげだろうが!」
「これはうらっ! ……裏切りだぞ」
大声を出しかけた木田は、周囲の視線に気づいて声を潜めた。
「裏切り者は信用されない。それ以降、政界でやっていけるはずがない。俺の立場くらいわかるだろ」
「そこを裏切りじゃなくて手柄にするんだよ! 党首の榎本は反中国だ。党内には現実主義者、中道派閥も多い――中国の支援を受けた北朝鮮を擁護する黒樫は切りたいはず」
実際、憲政民主党党首の榎本は、チ問議連(チベット問題を考える議員連盟)の顧問を務めている。過去には北京に“中国の核実験反対”のプラカードを持ち込んで中国当局とやり合い、プラカードを取り上げられてもなお、手元の紙に抗議のスローガンを書いて掲げてみせた男だった。
「……賭けだ」
「馬鹿かよ!」
「は?」
「Wikipediaに自衛隊の海外派遣に反対した一政治家として書かれるか、それとも有権者のためにジャイアントキリングを仕掛けた男として書かれるか、どっちがいい」
というわけで、この昼休憩で木田と黒樫の運命は決まった。
◇◆◇
「現実としていま困っている人たちがいる以上、国会議員がそれを見棄てるわけにはいきません。そこで有権者、国民のために、なんとか自衛隊の方々お願いします、と頭を下げる。それが我々のあるべき姿かと思います。……黒樫議員のように面白半分で自衛隊の方が死ねばいいと、そう発言されるのは到底許されることではないと思います」
◇◆◇
さて、朝鮮人民軍の核攻撃にも怯むことなく、アメリカ軍は次の一手を打ち続けている。
かつて韓国に駐屯していたアメリカ陸軍第2歩兵師団を呼び戻し、韓国南部に上陸させるとともに、第7歩兵師団へ移管されていた第2歩兵師団所属の2個ストライカー旅団戦闘団と、アメリカ陸軍第7歩兵師団の第81ストライカー旅団戦闘団を韓国に派遣した。
加えてアメリカ陸軍第25歩兵師団からも2個歩兵旅団戦闘団が緊急派遣されており、残る2個旅団戦闘団も数日の内に韓国入りする予定になっていた。
しかしその一方で、第10山岳師団や第82空挺師団、第101空挺師団といった本土に駐屯する緊急展開部隊や、海兵隊の第1海兵遠征軍および第3海兵遠征軍は動き出すことなく、静観を保っている。
――米国政府は中国人民解放軍に備えている。
この不可解な状況を防衛省関係者は、そう読み解いた。
中国共産党の大々的な支援を受けている北朝鮮が、軍事行動を独断で決意するはずがない。
つまり朝鮮人民軍の南侵は、中国共産党の了承を取りつけた上での行動。
そこから中国人民解放軍が台湾侵攻に踏み切って半島有事・台湾危機を同時演出し、自由主義陣営の対処能力を圧倒――アメリカを疲弊させて最終的な勝利をもぎ取る。
誰でも描けそうな画であり、日本政府にとっては最悪のシナリオであった。
◇◆◇
次回更新は11月17日(水)か、11月14日(日)のどちらかになります。




