■30.問われる、覚悟。(中)
『おれんじホープ』と海上自衛隊輸送艦『おおすみ』が仁川港を後に、南西へ針路をとる一方、海上自衛隊第4護衛隊群は仁川沖にて殿を務めていた。
仁川港と北朝鮮領は直線距離で約50km前後しか離れておらず、朝鮮人民軍の追撃に備える必要があるためだ。
実際、朝鮮人民軍海軍は事前に黄海へロメオ級潜水艦を3隻差し向けており、彼らは仁川港から出港する輸送船を襲撃する任務を帯びていた。
しかし、ここまでロメオ級潜水艦による待ち伏せ攻撃は、不発に終わっている。
最初に『ナッチャンWorld』が出港した際には、彼らはまだ待ち伏せの態勢が整っていなかった。3隻の内1隻はなんとか追いすがって西方から襲いかかろうとしたが、前述のとおり『ナッチャンWorld』は最高速度約35ノットの高速フェリーであり、一方のロメオ級潜水艦は9ノット程度が現実的な水中速力である。
航空攻撃や潜水艦の襲撃を警戒して速力を上げていた『ナッチャンWorld』は、容易にこれを振り切ってみせた。
そして170デシベルという大騒音を垂れ流しながら襲撃を試みたこのロメオ級潜水艦は、SH-60K哨戒ヘリに捕捉された上、護衛艦『うみぎり』が発射したアスロックによって撃破されてしまった。
残る2隻は対照的な行動をとった。
1隻は次に通る輸送船を襲撃するため、『ナッチャンWorld』の航跡へその身を割りこませようと、そのまま前進していった。
一般的に通常動力型潜水艦は水上艦艇よりも鈍足である上、ロメオ級潜水艦が備える長魚雷の最大射程は10kmほどだ。有効射程となるともっと縮まる。敵輸送船が本当に自艦のそばに接近してこなければ攻撃はできない。
もう1隻のロメオ級潜水艦――『鯱21号』は幸運にも艦体破砕音のキャッチに成功していたため、その場で着底し、ほとぼりが冷めるのを待つことに決めていた。
「敵は対潜水艦警戒を厳としています。いま攻撃を仕掛けても、刺し違えることさえできないでしょう」
出撃から数日――異臭がただよい始めている薄暗い発令所にて、艦長は政治委員にそう説明し、了解をとりつけた。
中年の艦長も若手の政治委員も敢闘精神に溢れてはいたが、同時に『鯱21号』の限界をよく知っていた。
『鯱21号』は中国の手助けを得て90年代に国内で建造された潜水艦だが、もともとの設計は50年代にソ連で完成したものである。近代化が多少為されているとはいえ、現代戦で活躍出来るほどの能力はない。
それを証明するように、『ナッチャンWorld』の航跡へ接近していった『鯱21号』の僚艦は、即座にSH-60K哨戒ヘリに捕捉された。
仁川港周辺に敷設されたソノブイが、接近してきた潜水艦の放つ雑音を拾うと同時に、護衛艦『いせ』所属のSH-60Kがディッピングソナーを海面へ下ろす。
それで勝負は決まった。
海中へ潜った12式魚雷は捜索運動さえせず、ロメオ級潜水艦の艦体後部に突っ込んでいった。
しばらくしてから『鯱21号』は2ノットという微速で、仁川港へじりじりと近づき始めた。
排水量約1800トンの鈍色の影は、艦首の533mm発射管に必殺の魚雷を装填済みだ。『鯱21号』は敵艦の動向を捉え次第、パッシブソナーを備えた533mm長魚雷を発射し、離脱する腹積もりであった。
(いや、離脱は不可能だろう)
しかしながら『鯱21号』の艦長は、攻撃はすなわち死であると理解していた。
黄海は水深が浅いため、深く潜航して敵の捜索をやり過ごすことはできず、『鯱21号』の水中速力では敵の反撃を振り切ることも出来ない。魚雷を発射したが最後、延々と追撃される格好になる。
だが、現実はそれよりも残酷だった。
「前方、着水音?」
『鯱21号』のソナー士は極めて優秀であり、自艦近傍とはいえ、非継続的な着水音――つまり航空機から投下された魚雷が海面を割った音を聞き取った。
「気のせいでは」
「……高速スクリュー音ッ」
艦長が低周波ジャマーによる防御や、回避機動の命令を下す暇さえない。
必殺の短魚雷は『鯱21号』の艦体中央に突っ込んだ。成形炸薬の弾頭は『鯱21号』の船殻をぶち破り、メタルジェットとなって艦内を貫く――と同時に膨大な海水が雪崩れこんだ。
(何もできないまま――!?)
横殴りの衝撃と急速に傾く艦体。
発令所の面々は立っていることさえ出来ない。『鯱21号』は圧壊こそしなかったが、凄まじい勢いの浸水によって浮力を失い、海底へ引きずり込まれていった。
◇◆◇
旧社会党出身者を主とする憲政民主党の派閥“黒樫グループ”は、黒樫紘衆議院議員の議員会館事務室にて、頻繁に会合を開いていた。
彼らからすれば、事態は“思い通りの方向”に進んでいる。
海上自衛隊は韓国海軍の水上艦艇を攻撃し、仁川港から韓国入りした陸上自衛隊中央即応連隊は、ソウル市内にて発砲を行ったという。
勿論、自衛隊員らは自らと邦人の身を守るために武器を使用したのだが、彼ら左派議員はその正当性を認めるつもりはなかった。
この一連の自衛隊の行動は、自由民権党による軍国主義の復活であり、邦人救出を口実とした韓国に対する侵略にほかならない、というのが彼らの解釈である。
「自衛隊は即時撤退するべきです。彼らは在韓邦人救出を口実に、韓国海軍を攻撃し、ソウル市内にて銃撃戦を繰り広げてきた。現在も、韓国国内の主要港に武器をもった自衛隊員を派遣している。これは見方を変えれば、自衛隊による韓国占領ですよ。邦人の避難は韓国政府に任せればいいじゃないですか!?」
憲政民主党の幹部でもある清澄佳乃衆議院議員は、テレビカメラの前でそう吼えてみせるほどだった。
「いやー清澄くんは素晴らしい」
黒樫紘衆議院議員はご満悦である。
事務所のテレビは22時台の報道番組を映しており、ちょうど自衛隊の武器使用が適正だったのか否かの解説や、国会前に集結したデモ隊の映像が流しているところであった。
テレビは隣国の半島有事、自衛隊の海外派遣の話題でもちきりだ。
どこの報道番組スタッフも憲法学者や安全保障の専門家、元・自衛隊幹部を呼び、解説等に力を入れているが、一方で大御所とされるお笑い芸人やタレントを使って“わかりやすい意見”、“わかりやすい結論”へ安易に着地させている番組も少なくない。
「とにかくこれをチャンスに、我々の支持を伸ばしていきましょう」
清澄議員も手応えを感じていた。
在日米軍基地を外れたミサイルにより日本国民から死傷者が出た直後と、自衛隊の緊急派遣の前後こそ、和泉内閣の支持率は上昇したものの、北朝鮮の核使用によって政権与党も世論も動揺している。
一方で気になるところもあった。
同じ憲政民主党の中でも党首を中心とする中道派閥や、首相経験者をトップとする保守派閥は、静観を保っていることだ。
どうやら彼らは事態がどう転ぶかわからない以上、手出しを控えた方がいい、という判断を下したようだった。
「しかし自衛隊員から殉職者が出なかったのは意外だったなあ」
ぽろりと黒樫議員はそうこぼした。
彼には思いついたことをそのまま口にする悪癖がある。
憲政民主党の前身政党にて閣僚入りしていたときは、九州地方における家畜伝染病の対処にあたっていたが、テレビカメラの前で「(種牛だろうが)だから早く全部殺せって言っていたのに~」と半笑いで言い放ってしまい、バッシングを受けていた。
「ひとりふたりぐらいねえ、死んでくれた方がやりやすいんだけどねー」
黒樫議員が続けて言うと、追随して何人かの議員が笑う。
そんな中、ひとりの議員――恐妻家で四女の父として知られている木田一成衆議院議員は、曖昧な笑みを浮かべていた。
結局のところ彼ら“黒樫グループ”や左派政党は、常日頃から「国民の生活が第一」「いのちを守る政治」を標榜してきたが、実際のところ国民に目など向けていない。
朝鮮半島に取り残された在韓邦人は数万名。
その家族、友人、知人は無数にいるのだ。
それこそ、黒樫や清澄のそばにも、である。
◇◆◇
次回更新は11月10日(水)予定です。




