■3.南北再戦。
「何かの間違いだ! 会談中止など……政治的判断によるものではなく、体調不良などの不可抗力だろう! 南北首脳会談は彼らも望んでいたことだ!」
李恵姫から一方的に南北首脳会談を反故にされた白武栄大統領は、裏切られたことを容易に認めようとはしなかった。
南北は反日という一点で協力し合うことが出来る、というのが彼の持論だった。そこを足掛かりにして南北平和統一へ歩を進めることが可能だと彼は本気で信じていたし、朝鮮半島を再び統一するという偉業は自分しか成し遂げることが出来ないのだ、という自負さえもあった。
であるからその偉業達成に至るロードマップが崩壊する事態を、彼は認めることが出来なかった。南北首脳会談中止など考えられない。ましてや一部の野党寄りメディアが騒ぎ立てる韓国戦争(朝鮮戦争)再戦の可能性など、あってはならないのであった。
その一方で朴陸軍参謀総長ら韓国軍の一部将官は、国内にすでに北韓特殊部隊が浸透しているとして少なくとも珍島犬2号を発するべきだと、改めて意見を述べた。珍島犬2号とは、朝鮮人民軍のゲリラコマンド部隊の侵入が予想される際に発せられる警報である。
珍島犬2号警報の発令に、まったくの根拠がないわけではない。
この半年間の内に韓国国内では未登録の銃器が押収されたり、まったく無関係の捜査から、韓国軍将兵の被服が大量保管された倉庫が発見されたりする事件が、断続的に発生していた。
大統領とのつながりが強い国家情報院は沈黙を保ったままだが、朴陸軍参謀総長はこれが氷山の一角であり、多数の朝鮮人民軍偵察部隊員が韓国国内に入りこんでいる証拠ではないか、と疑っていたのである。
だがそれは、大統領の意を汲んだ任義求合同参謀本部議長や、李善夏国防部長官によって潰された。
……そして李恵姫が平壌に戻った翌日、白武栄大統領は非情なる現実を突きつけられることになった。
「諸君、最初の24時間でどれだけ殺せるかが勝負だぞ」
平壌郊外の地下司令部にて、李恵姫は愉悦を堪えきれずに哄笑した。
時刻は午前2時――夜闇を纏った朝鮮人民軍は行動を開始し、払暁とともに陸海空すべての空間で南侵。南傀儡政権勢力圏に棲息する人間を、可能な限り殺害する腹積もりであった。
「暴風。繰り返す、暴風だ。1月後には釜山を陥とす」
李恵姫の命令とともに、朝鮮人民軍が動き出した。
その数は約300万。そのうち数万の特殊部隊員はこの半年間をかけ、すでに韓国国内の内通者の助けを得て浸透しており、彼らの破壊活動から朝鮮戦争の火蓋が再び切られた。
(※1)
最初に攻撃の標的となったのは、韓国南西部の大邱国際空港だった。
大邱国際空港は官民共用の空港だ。最前線からは300km、ソウルからは約230km離れており、朝鮮人民軍の多連装ロケット砲や榴弾砲では直接攻撃できない位置にある。ここにはF-15Kから成る韓国空軍第11戦闘航空団が駐屯しており、それのみならず韓国空軍の戦闘機部隊を指揮する空中戦闘司令部の所在地となっていた。
「行くぞ」
虫の音だけが響く中、空港南東側に広がる住宅街の路肩に停められた1台の白バンが動き出そうとしていた。
座席にはラフな格好をした男たちが行儀よく座っているが、精悍な顔つきと鋭い眼光をたたえた瞳は、只者ではないことを物語っていた。
「F-15Kは、1機あたり1億ドル近い代物だ。1機でも破壊出来れば、任務は成功。達成は容易だ」
運転席の男は、自分に言い聞かせるように言った。
助手席や後部座席の男たちは返事をすることもなく、ただ頷いた。
彼らは朝鮮人民軍第11空軍狙撃旅団の精兵だった。空軍狙撃旅団とは敵空軍基地の襲撃を主任務とする特殊部隊であり、敵地に侵入して攻撃を仕掛けるというその任務の性質上、訓練時から生還を期さず、最後まで戦い抜く教育が行われている。
であるから、彼らは作戦に何の疑問も差し挟まない。
ただ恐れるのは、犬死だった。敵戦闘機を1機でも破壊して武功を挙げることが出来れば、祖国にいる家族の生活は保障されるであろう。一方で何も為すことが出来なければ、家族は窮乏するかもしれない。
時は午前2時30分。
途中で合流し、車列を作った数台の白バンが大邱国際空港の西側に架かる空港橋の検問を突破し、利用客用の駐車場を突っ切ってターミナル施設の横につけた。
「ん――」
出入口の傍に居合わせた空港警備員がバンに気づき、訝しげに視線を遣る。
その2秒後、彼は5.45mm小銃弾に頸部を射抜かれ、血液と肉片を辺りにぶちまけた。
夜の静寂を破ったのは、助手席の窓から突き出された銃口であった。そこから吐き出される機関銃弾は警備員の詰所や、武装警備員が警戒する屋内へばら撒かれ、彼らの動きを封じた。
制圧目的の連続射撃が続く中でバンのスライドドアが開き、男たちが現れた。
彼らはみな北朝鮮で無断製造されたソビエト連邦製自動小銃AKS-74を手にしており、相互に援護しながらターミナル施設へ侵入――銃声を聞きつけて現れた武装警備員と激しい銃撃戦を繰り広げ始めた。
一方、十数名の隊員を降ろしたバンと別の車輛はその場に留まらず、駐車場の端を北へ驀進。
ターミナル施設の北側に広がる駐機場と、滑走路へ向かった。
その滑走路の向こう側には、F-15Kが翼を休める駐機場がある。
「いやまあ、ここに来るに決まってんだよな……」
だがしかし、空中戦闘司令部率いる金大学空軍少将以下、基地警備隊の面々は彼らの襲撃を完全に予期していた。
南北首脳会談中止以前から金大学空軍少将は、基地敷地内に防御陣地を築かせていたし、シフトを組み直して基地警備隊以外の職種の人間にも武装をさせ、戦力を増強していたのである。
滑走路に近づこうとしていた一台のバンが、突如として横合いから鋼鉄の奔流を浴びた。12.7mm機関銃弾は運転席を蹂躙し、車体側面を粉砕して反対側のスライドドアから血肉を纏って飛び出ていく。狭い車内は切断された腕や、吹き飛ばされた首が乱舞する地獄と化した。
他の車輌もまた基地施設近傍に設けられていた機関銃座からの連射を受けて阻止された。
無数の火線に絡み取られたバンから脱出することに成功した生き残りの狙撃旅団兵は、反射的に警備隊の火点に向かって反撃したが、前面に基地警備用に配備されているK200A1装甲兵員輸送車が現れたことで、一度ターミナルへ後退することを決めた。
一見すると攻撃は失敗に終わったようにみえるが、そんなことはない。
彼らの突入から十数分後、数発の迫撃砲弾が大邱国際空港の敷地内に落着した。
大半は空軍基地施設を狙ったものであり、2発は基地施設を飛び越して滑走路の中心で炸裂。多少の着弾痕を残した。
「どこから撃たれている――」
続けて迫撃砲のみならず、1発のロケット弾が基地内の角に配置されていたK200A1装甲兵員輸送車を直撃した。
ロケット弾が飛んで来たのは白バンが突入した西側とは別方向――大邱国際空港の北東であった。大邱国際空港の立地について触れると、西側から南側にかけて川が流れており、北側から東側が森林・丘陵地帯となっている。第11空軍狙撃旅団はこの北東側の山林に、迫撃砲や無反動砲で武装した隊員を進出させていたのだ。空港ターミナル施設への奇襲は一種の陽動、基地警備隊の戦力を分散させることこそが狙いであった。
「とにかく空港ターミナルビルに侵入した工作員を排除しろ」
司令部にて展開を見守る金大学空軍少将は平静を装いながらも、あーこれはまずい、と心底そう思った。
もしも丘陵地帯に迫撃砲を有する敵部隊が潜んでいるのであれば、早々に山狩りを行ってこれを駆逐しなければならない。迫撃砲弾による施設や人員の被害は無視出来ないし、彼らが地対空ミサイルを保有している可能性もある。このままでは第11戦闘航空団は身動きが取れない。
しかし、山野での敵兵との戦闘はなかなか骨が折れる。敵の掃討を終え、戦闘機の出撃態勢を整えるまでどれくらいの時間がかかるだろうか?
朝鮮人民軍空軍狙撃旅団による攻撃を受けているのは、当然ながら大邱国際空港だけではない。
韓国空軍基地の過半が襲撃を受け、基地警備隊はこれを排除すべく反撃に打って出ていた。もともと韓国空軍はゲリラコマンドによる襲撃を想定していたこともあり、概ね基地警備隊の側が優勢の格好である。
だがしかし、防空体制には隙が生じた。
狙撃銃や対戦車ロケット、迫撃砲が睨みを利かせている中で戦闘機を飛ばすのは難しく、駐機する作戦機を出せない空軍基地が続出。
また烏山空軍基地など在韓米軍も駐屯する基地に対しては、短距離弾道ミサイルによる執拗な攻撃が行われ、滑走路が一時的に使えなくなるなどの被害が出た。
そのため続く朝鮮人民軍空軍機の跳梁に立ち向かえた韓国空軍機は、ごく少数であった。
「木蘭より飛虎、敵要撃機はなし。所定の経路にて攻撃を開始せよ」
黄海北道(北朝鮮南西部)上空約8000メートルを“木蘭”――朝鮮人民軍空軍所属の中国製KJ-500早期警戒管制機が飛行していた。
この四発機は円盤型のレーダーレドームを有しており、約350kmの捜索範囲を有する。そのためソウル上空は勿論のこと、先の大邱国際空港上空までを見張ることが北朝鮮領内から可能であり、韓国空軍機の緊急発進がないことを友軍機に伝えた。
燃料不足と訓練不足に苦しみ、さらに軍事費の多くが弾道ミサイルや核兵器の開発に投じられていた頃の“死に体”の朝鮮人民軍空軍の姿はもうどこにもない。
新生した朝鮮人民軍空軍の第一撃を担ったのは、再編されたばかりの第4航空師団のJF-17戦闘機である。JF-17は中国製の輸出用第4世代ジェット戦闘機で、パキスタン軍やミャンマー軍も採用したことで知られている安価なマルチロールファイターだ。韓国空軍のF-15KやKF-16に比較すると能力の上では見劣りするが、朝鮮人民軍空軍にとって強力な最新鋭機であることには違いない。
この中国製単発軽戦闘機は、同じく中国製の対レーダーミサイルやレーザー誘導爆弾を翼下に抱えており、韓国空軍のレーダーサイト基地や航空基地を破壊することを期待されて送り出された。
彼らが韓国軍の防空網に穴を空けることが出来れば、老朽化した従来のMiG-21の代わりとして中国人民解放軍空軍から無償供与されたJ-7E/G戦闘機や、00年代に購入したMiG-21bisといった旧式機でも、十分活躍出来るだろうという狙いである。
(味方機が少なすぎる……!)
韓国空軍側も最大限の努力を以て、迎撃機を繰り出した。
JF-17から成る攻撃隊の一部へ、韓国中部に所在する中原基地から飛び立った第19戦闘航空団所属のKF-16戦闘機4機が襲いかかり、続いてF-5E等の旧式機を擁する他の戦闘航空団も参戦した。
ところが朝鮮人民軍空軍側は用意周到で、攻撃役のJF-17とは別に中距離空対空ミサイルを装備した護衛機役のJF-17を高空に配していたため、逆に韓国軍機が撃退されてしまう始末であった。
地上は、破壊に満ち満ちた。
空対空ミサイルによって尾翼と左主翼の一部を吹き飛ばされたKF-16が高層ビルに衝突し、機体の一部が強化ガラスをぶち破りながら室内をずたずたに引き裂いた。ビルから剥がれた外壁の一部や、機体の破片が重力に曳かれるまま落下し、舗装路を穿つ。
ソウル市をはじめとして韓国北部の都市は、サイレンと砲弾が炸裂する轟音によって叩き起こされた。
市民の中には覚醒した次の瞬間に五臓六腑を吹き飛ばされ、生命を虚空に散らす者も現れた。長大な射程を誇る朝鮮人民軍の170mm自走砲や240mm多連装ロケット砲は、何の躊躇もなく市街地を標的に無差別砲撃を始めていた。
射程延伸のためにロケットアシスト弾を使用している170mm自走砲の射撃精度は低いが、広範囲にまたがる市街地が標的なら問題ない。
彼らの目的は、無秩序な破壊と殺戮。合理的なそれではなかった。
北朝鮮に隣接する京畿道(韓国北西部)に対しては砲撃のみならず、激しい空襲も加えられた。
短距離弾道ミサイルによる韓国空軍基地への攻撃と、前述の第4航空師団所属JF-17による航空攻撃の後に、朝鮮人民軍空軍第1航空師団のMiG-23が低空から侵入し、対地ロケット弾で韓国陸軍の駐屯地を爆撃。
さらに中型双発爆撃機のH-5が市街地に対して無差別爆撃を実施した。
一方の韓国軍の反撃はうまくいっていない。
憂国派の将官が手を回して臨戦態勢をとらせていた韓国空軍の中距離地対空ミサイル部隊が、敵攻撃機を十数機撃墜することに成功したものの、100機、200機と襲来する敵機を押し留めるには不足であった。
韓国陸軍もまた対砲兵レーダーによる弾道解析で、朝鮮人民軍の長距離火砲の位置を概ね掴んでいた。
が、北朝鮮領内への砲撃には政治的な判断が必要であり、前線部隊は反撃を躊躇――すぐさま朴陸軍参謀総長が独断でMLRSと玄武巡航/弾道ミサイルによる攻撃命令を下したものの、敵の大火力投射により思うように展開、反撃できない部隊もあった。
(移動するMLRS ※2)
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(※1)(※2)出典:大韓民国国軍公式flickr
次回、■4.西海奇襲。に続きます。
7月13日(火)12:00更新予定です。
今後ともよろしくお願いいたします。