■29.問われる、覚悟。(前)
仁川港を最後に出港したのは、海上自衛隊第1輸送隊のおおすみ型輸送艦『おおすみ』であった。
前述したフェリー『べにりあ』、『シルバークイーン』は在韓邦人と、日本政府が認めた一部外国人を可能な限り乗船させ、夕方にはすでに仁川港を離れていた。
『べにりあ』、『シルバークイーン』に遅れて入港してきたのは『おれんじホープ』である。
このフェリーはトレーラーを約150台搭載可能な優れた設計の船舶であり、防衛省がチャーターしているそれの中では大型の部類に入る。
が、この『おれんじホープ』は未だ積載量に余裕があったにもかかわらず、夜を迎えるとともに、陸上自衛隊中央即応連隊の一部装備品を載せて出港した。
これは朝鮮人民軍による核攻撃を受けての処置である。
仁川港が核攻撃の目標となる可能性は、ないとはいえなかった。
「本当に、使いやがった……」
仁川港の日韓将兵からも、北東の空が真っ白に輝き、遅れて巨大な雲が膨らむのが見えたため、彼らは何が起きたのか、己の視覚でも理解していた。
轟三佐ら車両部隊を迎え入れた陸上自衛隊中央即応連隊には、間髪入れずに撤収命令が出た。
この最後の撤収、輸送任務のために残ったのが、『おおすみ』である。
「ありがとうございました」
別れ際、轟三佐は海兵隊第83大隊の岡田斉賢少佐に挨拶したが、岡田少佐はいや、と頭を振った。
「俺たちは与えられた任務を果たしたまでだ。日本人が特別に恩義を感じる必要はない。仁川港には日本以外のアメリカ海軍などの艦艇も寄港したわけだしな」
「しかし……」
「だが、そう礼を言ってもらえるのはありがたい。少しでも人々の役に立てたと思えば――このあと訪れる俺たちの戦死にも意味があるというものだ」
「戦死などと」
と言いつつも、轟三佐はおそらくそうなるだろうと直感した。
迫りくる朝鮮人民軍を相手に海兵隊第83大隊は、仁川港を文字通り死守することになるか、あるいはソウル方面の攻防戦に投入されることになるだろう。
岡田少佐の言った通り、彼らはことごとく生命を散らすことになる可能性が高い――そう思い至った轟三佐の表情が曇ったのをみて、岡田少佐はにやりと笑った。
「もちろん簡単に死んでやるつもりはない」
「出来ることならまたどこかでお会いしましょう」
「……お互いの武運長久を祈るとしよう」
その1時間後、夜陰に紛れ、輸送艦『おおすみ』は仁川港を出港した。
……時は前後する。
韓国海軍第2艦隊の手引きで、ソウル市から約60km南方の平沢市へひそかに脱出していた韓国外交部長官・金源正のもとに、米国政府からの通告が届いていた。
「諾と言うしかないんだろうな」
悪徳坊主、と渾名されることさえある金源正――その彼が困惑した表情を浮かべているところを、軍高官や高級官僚らははじめて見た。
米国政府からの通告とは他でもない。
報復核攻撃を北朝鮮に対して行う旨を報せるものであった。
「朝鮮半島は汚染された死の焦土と化すぞ」
震えながら語る金源正に対して、軍関係者はどこまでも冷静である。
「閣下、お言葉ですが核による報復が行われなければ、北韓は誤ったメッセージを受け取ることになります。報復核攻撃はない、と勘違いするようなことがあれば、彼らは次々と原爆を使用するでしょう」
「朝鮮人民軍の核攻撃による直接的被害に比較すれば、放射性降下物による汚染などさしたる問題ではありません」
議論はそれで終わった。
結局のところ韓国政府関係者が泣こうが喚こうが、米軍は核攻撃をする。
それを金源正自身よく理解していたし、報復核攻撃が正解であることもわかっていた。
夜空を翔けた二条の流星は、平壌近郊の朝鮮人民軍第91首都防衛隊の駐屯地と、北朝鮮西部に位置する朝鮮人民軍空軍・温泉基地の上空へ墜ちた。
ソウル市、議政府市と同様、辺り一帯が光輝に満たされる。
次の瞬間には、地表は熱線と爆風、強烈な放射線に晒されていた。
しかしながらその被害は地上施設だけに留まり、朝鮮人民軍将兵や装備品へのダメージは局限されている。
米軍の報復核攻撃を予見した彼らは、標的となりやすい軍事施設から人員や車輛を可能な限り遠ざけ、また空軍機は緊急発進用の一部機体を残して、ほとんどを掩体壕やトンネルに避難させていた。
実際、温泉基地のMiG-29戦闘機は、基地東端の山に築かれた洞窟型滑走路に隠されていたため、難を逃れている。
さて、この核攻撃の応酬は当然ながら日本国内にも動揺をもたらした。
「北朝鮮は在日米軍基地を核攻撃するのではないか」
「いや、彼らの狙いは日本国内の大都市になるかもしれない。このまま自衛隊が邦人輸送を続けるのであれば、東京を核攻撃する可能性は十分考えられる。仁川は勿論、韓国国内に派遣している自衛隊機や釜山港に入港した船舶を撤収させるべきだ」
「では未だ韓国国内に残る邦人を見棄てるのか?」
「核攻撃という恫喝に屈すれば、それこそ奴らの思うつぼだ」
「そのとおりだ。何をいまさら――すでに北朝鮮の攻撃によって、日本国民から死傷者が出ている。自衛隊を撤収させようがさせまいが、日本に核が落ちるかどうかは奴らの胸先三寸でしかない」
これまで囁かれてきた北朝鮮の核の脅威――それが現実となって目の前に顕現したとき、日本国内は議論百出の状況に陥った。
そんな中、韓国国内の空軍基地には自衛隊機が駐機し、ようやく開放された釜山港には護衛艦や予備自衛官によって運航される輸送船が入港。陸海空自衛隊邦人輸送統合任務部隊・JTF-防人は在韓邦人の輸送、各国政府からの要請に基づく在韓外国人の救出を続けている。
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次回更新は11月3日(水)を予定しております。




