■27.死は音よりも速く、
在大韓民国日本国大使館の機能は、2015年に旧日本国大使館建物から16階建てのダブルツリーという建物へ移転している。
本当は老朽化した大使館建物を建て替えるまでの間借に過ぎないはずだったのだが、度重なる日韓の政治的対立の影響で、韓国政府からの許可が下りないまま、いまに至っている。
そしてこのダブルツリーはガラス張りになっている面積が多く、お世辞にも守りやすいとはいえなかった。
すでに日本国大使館は朝鮮人民軍のゲリラコマンドから激しい攻撃を受けており、100発近い小銃弾と2発の対戦車ロケットが撃ちこまれていた。
まさに満身創痍。多くのガラスが割れ、コーヒーブラウンの壁面には銃弾が抉った痕が無数に残っている。
大使館職員は狙撃の恐怖に晒されながら、文書をシュレッダーにかけ、電子データの破棄やPCの破壊に努めていた。
「応援はまだでしょうか?」
「申し訳ございません、閣下――」
総領事部がある8階、そのひとつ下のフロアに避難している新星一全権大使の質問に、警備担当の“生き残り”の中で再最任となる警察庁機動隊員の姜淙于は、頭を下げるしかなかった。
日本国大使館職員にとって幸運だったのは、警備のために増派された機動隊員らが勇敢であったことだった。
30代の経験豊かな隊員である姜淙于は内心、もう応援は来ないと思っている。
危機に晒されているのは、日本国大使館だけではない。
世界各国の大使館――どころかソウル市内のあらゆる重要施設が危機に直面している。
(警察庁のお偉方は出動要請を受けるがまま、俺たち機動隊をバラバラにして派遣しやがった!)
まとまって運用されているのは、警察特攻隊(KP-SWAT)や、アメリカ大使館の警備を担当する第1機動隊第9中隊・第10中隊・第11中隊くらいであろう。
ただでさえ寡兵で警備をしなければならないのに、それを取り巻く状況は最悪だった。
前述のとおり、応援の見込みはない。この市街戦じみた状況では、相手が警察車輛から無線機を手に入れている可能性が高いため、警察無線は信用できない。
姜淙于に望みがあるとすれば、それは大使館職員らから説明を受けた日本陸軍の到着だけだった。日本国大使館周辺に潜んでいる北韓ゲリラどもは、狙撃銃やロケットランチャーまで持ち出している。いま携帯している短機関銃や拳銃は勿論、警察装備でかなう相手ではなかった。
韓国陸軍が出張ってくれる可能性も低いだろう。
いま韓国陸軍首都防衛司令部は、ソウル市内の重要拠点や橋梁などを“点”と“点”で守っているような状態だ。それを線で結びつけ、安全を確保して大使館職員を脱出させるような余裕はない。
それでも姜淙于や部下の機動隊員が逃げないのは、任務を遂行しようという前向きな責任感と諦めれば自身と機動隊の名誉に傷がつき、世界各国から笑いものにされるという恐れがあったためである。
第2機動隊“青龍”のパッチを付けている以上、それに泥を被せるくらいならば名誉の殉職を遂げた方が遥かにマシだった。
姜淙于は機動隊の車両を玄関前に駐車し、玄関にはシーツや泥落とし用のマットを垂れ下げさせるなど、工夫の限りを尽くした。
前者は車両の自爆攻撃による被害を少しでも減らすためであり、後者は投擲された手榴弾を跳ね返すためだ。狙撃手に対する目隠しでもある。
「また向こうで戦闘が始まりました」
民間人に変装して周囲を偵察していた防衛駐在官の神田一等陸佐が戻ってきた。
神田一佐がみたところだと敵の攻撃は、日本国大使館から数百メートル西方に離れたソウル警察庁や、外交部の入っている庁舎に集中しているようだった。
姜淙于は一縷の望みとともに「アメリカ大使館はどうでしたか」と聞いた。
神田一佐は少し言いよどんでから、答えた。
「紅藍五角星旗が翻っていました」
「陥ちましたか……」
「大使館職員はすでに避難していたのかもしれません。無事を祈るほかありません。……機動隊車両もなかったので、おそらく別方面に転進したのかも」
だといいのですが、と言いながら姜淙于はいよいよここが、完全に孤立していることを理解した。
現在、地下1階のレストランには約40名の日本人が避難している。なんとか彼らだけでも逃す術を考えなくてはならない。
在韓日本国大使館に対する攻撃が激化したのは、午後3時頃である。
日帝の手先を皆殺しにせよ、という命令を受けた中隊規模の北朝鮮兵が、大使館の北側に面する大通りの向こう側に7.62mm機関銃を据え、さらに1個小隊をもって大使館南側のビルを占拠して銃撃を始めた。
「くそったれ――」
玄関前に駐車した警察車両では機関銃弾は防げない。
貫徹した銃弾は玄関のガラスを破砕し、Doubleと書かれた看板を粉々に破壊した。
対する機動隊員らも蜂の巣となった警察車両を目隠しとして短機関銃で反撃したが、敵の機関銃を狙撃するには至らない。
「ダメです、降伏しましょう」
「馬鹿か!」
弱気を口にする隊員に対して、姜淙于は敵の銃声に負けじと怒鳴った。
「皆殺しにするか、されるかしかない!」
次の瞬間、さらなる機関銃の掃射が一帯を襲い、先程まで姜淙于と会話をしていた機動隊員を射抜いた。
「沆寅ッ」
右肩と右胸を貫いた銃弾の運動エネルギーに耐えきれず、背中から転倒した機動隊員は悲鳴を上げようとしたが、実際に口から漏れたのは完成の喘ぎであった。
即座に同僚が彼の襟を掴み、玄関の内側へ引きずっていく。
それを姜淙于は一瞥すらせず、僅かに警察車両の裏側から身を晒し、大通りの向こう側にいる敵へ短機関銃を連射した。
が、こちらが1発撃てば、向こうは10発撃ってくるような状態だ。
(火力が違いすぎる――)
突破されるのも時間の問題だ。死傷者が出るのを恐れているのかはわからないが、なかなか道路を渡ってこない敵が慎重すぎるくらいである。
(もう保たないか?)
姜淙于はまだ自分たちが抵抗できる内に、自らが捨て石となって大使館職員を逃がせるか、と考えついた。
大通りからは死角になっているガラス壁面をぶち破って脱出口とするのだ。
市街地は危険だが、このままダブルツリーに留まれば皆殺しの憂き目に遭う――それよりはマシか。
そう姜淙于が覚悟を固め、周囲に提案しようとした瞬間、すべてが逆転した。
敵の機関銃を圧倒する轟音。
12.7mm重機関銃の薙射が一瞬で数名の北朝鮮兵を切断し、他の敵兵の動きを拘束した。
そして火焔噴く車上の重機関銃をそのままに姜淙于ら機動隊員と、敵兵の間に8輪の装甲車――96式装輪装甲車がその身を割りこませる。
数発の小銃弾がその正面装甲や側面装甲を叩いたが、ボルト止めされた増加装甲がこれを弾き返した。
そして車体後部に備えられた76mm発煙弾発射機が煙幕を展張し、同時に後部ハッチが開く。
「敵に機関銃を使わせるな!」
後部ハッチから飛び出した数名の隊員は、ミニミ軽機関銃と89式小銃を構えて道路の向こう側に広がるタクシー乗り場の敵兵を制圧。その援護の下、小銃の銃口にライフルグレネードを装着した隊員が、曲射を開始した。
そこへ2両目の96式装輪装甲車が突っこんでくる。
こちらは96式装輪装甲車B型ではない――仁川港に2輌だけ持ちこまれた96式装輪装甲車A型、つまり40mmグレネードランチャーを備えたタイプであった。
「やっちまえッ」
姜淙于ら機動隊員が快哉を叫ぶ中、グレネードランチャーが旋回してダイキン製の40mm多目的擲弾を連射した。
この擲弾は数十ミリの鉄板をぶち抜き、炸裂すれば手榴弾同様に広範囲に破片をばら撒く――つまり市街地における大概の遮蔽を粉砕し、生身の軽歩兵を一方的に虐殺できる。
北朝鮮兵らの暴虐、その代償は高くついた。
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次回更新は10/27(水)
■28.死は光よりもまばゆい。




