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■22.希望も、絶望も、どこにでもやってくる。(中)

 岡田少佐の指摘は、どこまでも正しかった。


 高速輸送船『ナッチャンWorld』が寄港した新国際旅客ターミナルは仁川港でも所謂“南港”と呼ばれる埋め立てエリアにある。

 当初、轟三佐らはこの地形を活かせばスムーズに邦人乗船はうまくいくだろう、と考えていた。南港仁川新国際旅客ターミナルの北方・東方には橋梁が架かっているため、ここに阻止線を張れば邦人や輸送対象の外国人であるか否かの身元確認や、持ち物検査は容易に行える。南方は市街地や鉄道と接続しているものの、埋め立て地の最狭さいきょう部は全幅2km。道路を封鎖してしまえば何とかなる、とたかをくくっていた。

 しかし現実には押し寄せる人の波を前にして、轟三佐らは身のすくむ思いがした。

 韓国海兵隊第8旅団第83大隊が敷いた橋梁上の阻止線、その手前にまで何事かわめきながらキャリーバッグを引いた人々が押し寄せる。彼らの叫びが日本語なのか韓国語なのか、それとも他の言語なのか、自衛隊員らにはわからなかった。

 これに対峙する自動小銃を持った韓国兵らは、自爆攻撃を恐れて“空白地帯”を作るべく空中へ発砲を繰り返し、何回も怒号を飛ばしている。おそらく集まった群衆の大部分は現地市民、あるいはすでに戦場となった北方の市町村から逃げてきた避難民なのだろう。


「後退しろ、後退しろ、と叫んでます」


 韓国語に熟達している三等陸尉が、轟三佐に耳打ちした。

 その傍から再び、別の場所で銃声がした。

 見やればひとりの海兵隊員が橋梁きょうりょうの外――海面に向かって射撃をしている。

 水面が砕けて上がる水飛沫みずしぶきの向こう側には、浮き輪片手に子どもを背負ってこちらに渡ってこようとする男性がいた。もう対岸から150メートルくらいは泳いできたようで、必死の形相である。背中の子供が泣き出した。


「やめろ、来るな! それ以上来るなら、射殺するしかない!」


 若い海兵隊員は焦燥と恐怖を吐き散らすように怒鳴った。

 北朝鮮の特殊部隊なら子どもをさらって背負い、避難民を装って自爆攻撃くらいはする。

 一方、対岸でその様子を見守っていた市民は、怒声を張り上げた。

 十数名の市民が銃口を無視して前進し、阻止線を守る海兵隊員まで彼我数十メートルの距離にまで迫る。


「そんなに日本人が大事か! この売国奴が!」

「国軍の兵士ならまず自国民を優先するべきだろうが!」


 一方の現場の小隊長はひるむことなく――少なくとも怯む様子をみせずに――怒鳴り返す。


「我々は貴方がたと口論するためにここにいるわけではなく、北韓の連中から仁川港を守るためにいるのだ! 貴方がたも我々と口論するためにここにいるのではなく、南へ避難すればいいではないか!」

「くそったれの職業軍人が、そもそも俺たちがこうして逃げなきゃいけないのはお前たちの責任だろうがっ」

「話題を逸らすな! 貴方がたは現金を持っている、韓国語がわかる、地方に知人や親戚もいるだろう? 我々も警察も、避難ルートの確保に全力を挙げている、ならば自力で逃げる努力をしなさい!」


 そうだ、と周囲の若い海兵隊員がそれに追随した。


「外国民を外国へ避難させるのは、我々の義務のひとつだ。韓国国民ならばズルをしようとするな! 当局に従え!」

「当局に従えだあ!? ソウルを捨てて逃げ出したくそったれの大統領と政府に従うバカがどこにいる!? 俺たちだって逃げていいはずだろ!」

「そのくそったれの大統領と政府を選出したのは、我々全員の責任だろうが――」


 口論は突如として終わった。

 数十発というロケット弾が、突如として仁川港一帯に降り注いだからである。轟少佐らは近くに停めていた96式装輪装甲車の影に隠れて伏せ、口論を繰り広げていた韓国海兵隊員も避難民も咄嗟に地面に這いつくばった。

 240mmロケット弾の雨霰は極めていいかげんに、人々の生命を奪い去った。

 おそらく仁川港目掛けて発射されたであろう240mmロケット弾22発の内、仁川港周辺に命中したのはわずか2発だった。20発は数km離れた仁川中心市街に着弾――そして仁川港周辺に落下した2発の内、1発は仁川港新国際旅客ターミナルの南東から2km離れた小学校に直撃。

 ……もう1発は、東方に架かる橋梁の手前で炸裂した。

 人体を1秒で引きちぎる弾片が飛び交い、スライスされた血肉は重力に曳かれて地に落ちる前に爆風で吹き飛ばされる。まき散らされた臓物や肉片が、かしいだ電柱にひかっかり、団地の壁に叩きつけられ、木々の合間に引っかかる。

 それから5秒して、人々の声が戻ってきた――といっても、呻き声と悲鳴だが。


「……」


 轟三佐らが呆然としているところに、岡田少佐が現れた。


「自衛隊員は前に出ない方がいいかもしれないな。いや、バカにしているわけじゃない。市民がヒートアップする。俺たちでさえ“売国奴”だのなんだのと、あの言われようだ。あんたらは“侵略者”扱いだろう」

「……申し訳ない」

「あんたに謝られてもな――とにかく仁川港外に出ない方がいい。というか、出られんのかな。また連中は集まってくるだろ、そいつらを掻き分けて車輛で出るのはかなり骨が折れるぜ。2、3名くらいは射殺することになるかもな」


 岡田少佐は平然とそう言ったが、事態は彼の希望とは逆の方向に行こうとしていた。


「轟三佐」


 新国際旅客ターミナルに戻った轟三佐を待っていたのは、ソウルからの報せであった。


「在韓日本国大使館から救援の要請です」

「何――」

「現在、自力での避難が難しい在韓邦人を大使館で保護しているものの、近傍で銃撃戦が多発しており身動きがとれないとのこと。現地警察や軍関係者に輸送を依頼しているが、手が回らない様子なのと、もはや韓国兵の恰好をした人間は信用できない、とのことです」


 そこまで報告した部下は、声をひそめて続けた。


「砲撃や変装した北朝鮮軍兵士の襲撃で、大使館を警備している機動隊に死傷者が出ている模様です」

「……」

「それから――北朝鮮軍によるソウル攻略作戦の発動が近い、と信用できる陸軍情報参謀が伝えてきたそうです」


 ……実際、そのとおりであった。


 黄海航空戦の敗北など気に留めず、李恵姫は「強大な航空戦力は地上部隊を撃破する一助になっても、戦争の勝敗を決するわけではない。勝敗を決する上で重要なのは、地上軍による攻撃だ」と語って周囲を鼓舞すると、朝鮮人民軍総参謀長の辛光に第2梯団の投入を命じた。

 かくして第820戦車軍団をはじめとする朝鮮人民軍の最精鋭が、ソウル市防衛に集った韓国陸軍を破砕せんと動き出す。




◇◆◇




次回更新は9月29日(水)を予定しております。

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