■17.陰陽の国。
戦闘能力の約半数を失った韓国海軍第7機戦師団水上艦艇4隻は降伏し、早急に負傷者を救出すべく、護衛艦『もがみ』や海上保安庁ふそう型巡視船『やしま』が急行した旨は前述したとおりである。
また数十分後には巡視船と、ヘリコプター搭載型護衛艦『いせ』率いる第2護衛隊が応援に馳せ参じた。
「第7機戦師団が――」
趙海軍参謀総長から報告を受けた白武栄は、憤激した。
言葉にならない呻き声を数十秒あげたかと思うと「あ゛あっ゛!」と絶叫し、両腕で自身のデスクの上にあるものを薙ぎ払って、再び何かを叫んだ。
「『世宗大王』は、大王は!? あれはイージス艦で、イージス艦なんだ! 世界でもトップクラスの、重武装の、イージス艦だと、せっ、説明しただろうが! 刺し違えたか! そういうことか!?」
「まず……落ち着いてください」
激昂する白武栄とは対照的に、趙海軍参謀総長とその背後に控える海軍関係者は悄然として立っていた。
惨憺たる思い。本来ならばする必要のない戦闘で、死傷者を出してしまった――という忸怩たる思い。日本側に降伏を申し入れる前後の『世宗大王』からは、部隊全体で少なくとも10名以上の死者が出ている旨、報告を受けていた。負傷者はその数倍にもなるだろう。
しかし、作戦実行に踏み切った時点で、わかりきっている結果でもあった。
韓国空軍が味方についていない以上、航空優勢はない。上空からの援護は得られない。
つまりいくら強力な水上艦艇であっても(海軍所属の哨戒機を撃ち落とされたが最後)、水平線の向こうを見通すことは出来なくなってしまい、本来ならば射程100km、200kmを超えるミサイルも有効射程が30km程度にまで減じられてしまう。
この条件下で、海上自衛隊の護衛艦隊を打ち負かすのは至難といえた。
「第7機戦師団がやられたのは、わかった……!」
白武栄が落ち着くまでに、数十秒がかかった。
「で、それと引き換えに、どれくらいのダメージを海上自衛隊の護衛艦隊に与えたのだね」
「不明です」
趙海軍参謀総長は躊躇うことなく、正直に言った。
事実である。趙海軍参謀総長以下、誰もどの程度の戦果を挙げられたのか分からない。
空対艦ミサイルも、艦対艦ミサイルも基本的には撃ちっぱなしだ。ミサイルは最終的に自分自身でレーダー波を発射して、目標に向かっていく。対艦ミサイルが命中したか、どれくらいの損害を相手に与えたかは、改めて偵察機等を出して戦果を確認しなければならない。
が、それを白武栄には理解できない。
「ふっ――ふざけるなァ!」
彼の怒りは、顔面蒼白の趙海軍参謀総長にぶつけられた。
「撃ったミサイルが当たったか、当たらないかもわからない!? そんなことがあるのか? このド無能二流海軍どもがァ――」
先にも触れたとおり、発射したミサイルが命中したかがわからないという問題は、水上艦艇の練度の課題ではなく、水上艦艇は単独では水平線の向こう側を見通せないという原理原則の依るところが大きい。
それでもこの時点では、趙海軍参謀総長は批判を甘んじて受けた。
だが次の瞬間、その場の空気が一変した。
「『世宗大王』が活躍できなかったのもうなずけるというものだ――大方、乗組員も無能揃いだったのだろう!」
「閣下――ただいまの発言、撤回していただきたい」
「なぜだ? 事実だろう」
「韓国海軍第7機戦師団が大敗を喫した責は、小官にあり――奮戦した乗組員にはございません。彼らはベストを尽くしました」
「どうだかな」
白武栄は侮蔑を隠そうとはせず、言葉を続けた。
「それに先程の報告によると、『世宗大王』らの乗組員はこともあろうに、自衛隊に救助されているそうじゃないか。自爆して刺し違える覚悟もないとは」
「閣下――」
「そうだ趙海軍参謀総長、まだ整備中の水上艦艇があるはずだ」
「閣下――」
「それを使って負傷者の救助のために近づいてきた護衛艦を攻撃するんだ。救助活動中の護衛艦には隙が生まれるはず、そこを……」
「閣下――」
趙海軍参謀総長は、すんと顔面から喜怒哀楽をなくし、単刀直入に言った。
「閣下には、人の情がございませんな……!」
対する白武栄は、一瞬呆けた。目の前の将官の言葉の意味を、すぐに理解できなかったのである。思考が追いつくまで、数秒を要した。
「軍人風情が」
彼は平手で机上を叩いて怒鳴った。
「軍人風情が、軍人風情が、国民に選ばれた俺を愚弄するつもりかァ!? 陸軍といい、空軍といい――お前もそうだ! 貴様らは俺の手足として働けばいいのだ!」
「自身の手足を馬鹿にする者がどこにおりますか。……いえ、失礼。目の前にいらっしゃいましたな、閣下」
「うまいことを言ったつもりか? 趙、俺はお前をいまこの瞬間、罷免する。もっと忠実で、有能な海軍将官に指揮を執らせ、この好機を活かすつもりだ」
「ありがとうございます」
趙は無感情に礼を述べた。
「大変嬉しいです。閣下の御命令に従って、同胞を撃つことなく済みますから」
◇◆◇
「ちっ――」
夕焼けの空を背負い、大邱国際空港の滑走路に接近する巨影を認めて、韓国空軍空中戦闘司令部の金大学空軍少将は舌打ちをした。
韓国空軍大邱基地の一角に立ち、空を見つめる彼の表情は苦い。
アメリカ空軍大学の卒業生である彼が、航空自衛隊のことを好いていないことは、誰もが知っている事実であった。いや、愛憎を抱いているといった方が正確かもしれない。日頃から航空自衛隊のことを「日米戦争が産み落とした奇形的怪物」と評していた。
彼の瞳に映る機影――航空自衛隊第401飛行隊のC-130Hは、韓国海軍第7機戦師団が駐屯する釜山港を大きく避け、韓国南西部の全羅南道上空を経由して、韓国南東部の大邱国際空港にやってきた。
護衛は韓国空軍第11戦闘航空団所属のF-15K戦闘攻撃機2機が務めている。
C-130Hは北朝鮮の特殊部隊員が携帯式地対空ミサイルを構えて潜んでいる可能性を考慮し、大邱国際空港周辺の人家のない山地上空で赤外線誘導を妨害するフレアを発射すると、そのまま大邱国際空港の滑走路へ滑りこんだ。
「閣下、外は危険です。司令部にお戻りください」
「どこにいたって危険だよ――いや、ごめん。まあ戻るけどさ」
最も早く韓国入りしたのは護衛艦ではなく、航空自衛隊の輸送機となった。
護衛艦や高速フェリーと航空機とでは、後者の方が速いことは自明の理だ。
在韓邦人はソウル市近辺に多く居住しているが、一方で韓国南部にも旅行者等、多くの邦人や外国人が帰国出来ないまま立ち往生している。
まず日本政府はこうした人々を最前線から離れた後方の国際港を利用し、迅速な輸送にあたることを決めたのであった。
しかし金大学空軍少将が「どこにいたって危険」、と言ったとおり、前線から離れているからといって国際空港や港湾が安全だとはいえなかった。韓国全域は朝鮮人民軍ロケット戦略軍が保有する弾道弾の射程内に収まっているし、施設の周辺には朝鮮人民軍の特殊部隊員が潜んでいる可能性がある。
こうした事情があり、はじめは韓国南部と対馬島をCH-47JA輸送ヘリでピストン輸送する腹積もりだった陸海空自衛隊邦人輸送統合任務部隊司令部は、朝鮮人民軍特殊部隊員が携帯式地対空ミサイルを装備している可能性を考えて、より優速の固定翼機に切り替えている。
「釜山の馬鹿が日本の連中に素直に頭を下げりゃいいんだ」
金大学空軍少将は忌々しげに言い放つと、踵を返して司令部へ戻り始めた。
その間、彼の愚痴は止まらない。
「自分が南北統一の立役者になると張り切る馬鹿が、海軍の一部を頼みにいつまでも頑張るから、ウチが自衛隊機の面倒をみてやることになるんだ」
「ご自慢の機動艦隊が釜山港にいるせいで、港の近くの金海国際空港が使えないわ、世宗大王級ミサイル駆逐艦に撃たれちゃたまらないから釜山周辺空域を通過させることもできないわ……」
「空自は何をやっている、さっさと釜山を爆撃すればいいんだ――なんのためのF-2戦闘攻撃機だ。対艦攻撃ばっか考えやがって」
後についていく従兵は、なにか言いたげな微妙な表情をしていた。
実際のところ、口で言うほど金大学空軍少将が航空自衛隊を嫌っているわけではないことを、周囲の人間は知っていた。本当に嫌悪しているのであれば、陰に陽に自衛隊機の妨害をしたであろう。
「あの機には役人や佐官クラスの幕僚どもが乗っていたんだったな。これからじゃんじゃん飛んできて忙しくなる――北韓のポンコツどもも仕掛けてくるはずだ」
金大学空軍少将は司令部に戻るなり、左右に声をかけた。
「韓国空軍の誇りにかけて、1機たりとも自衛隊機を撃墜させるなよ」
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8月更新は今回のお話で終わりです(予定)。
この1週間は既存の投稿話の加筆を実施します。
次回更新は9月4日(土)となります。
今後ともよろしくお願いいたします。