■16.激突!日韓海戦!?(後)
「正気じゃないです」
潜水艦『金佐鎮』士官居住室では幹部たちが集合し、小声で議論を戦わせていた。
潜水艦は一度潜航すると、潜望鏡深度まで浮上してアンテナを上げない限り、基本的にまともな連絡を取り合えない。
故に『金佐鎮』は韓国海軍潜水艦隊司令部からの命令を受け、済州島東方沖に進出したものの、外界の状況がよく掴めていなかった。
黄海沖へ向かう海上自衛隊の護衛艦隊を識別し、襲撃せよという命令はあまりにも荒唐無稽に過ぎる。朝鮮人民軍サイバー部隊による謀略通信ではないか、と最初は疑ったほどであった。
「正気じゃないってのは問題発言だよ……事実だけど」
尉官の船務長が苦笑いをしながら、他の士官の発言に同調した。
「攻撃が必要になった政治的な背景がまったくみえない。自衛隊が北韓の連中と結託して、侵略を開始したってことなのか?」
「日本国民の避難に釜山港を無理やり使おうとしているのかも」
「それを強引に止めるために雷撃させるつもりなのか」
「作戦の内容が明瞭ではない」
と言ったのは、『金佐鎮』艦長の東嶺全海軍中佐であった。
言葉尻とは裏腹に、弱気というわけでもなければ、不満をこぼしているという感じでもない。職人が「材料が足りないな」と淡々と言っている風である。
「彼の陣容はおろか、我の支援の有無もわからない。優先目標も」
「仕方ないですよ。潜水艦隊司令部の返答は明瞭ではなく歯切れが悪かったし、あのときアンテナを上げ続けて電波を出し、通信を継続するのは危険でした」
船務長の言葉に、椅子に腰かけた他の士官もまたうなずいた。
潜水艦隊司令部に更なる情報をリクエストしようとしたときに、『金佐鎮』の潜望鏡に取りつけられた逆探が、遠方から飛んできた正体不明のレーダー波を捉えたのだ。
もしかすると、海上自衛隊の対潜哨戒機が発射するレーダー波だったかもしれない。
「……我々は見つかったでしょうか」
「二流海軍ならば見逃してくれただろうが、海上自衛隊の哨戒機ならばこの艦の現在地を特定出来ていてもおかしくはない」
東嶺全海軍中佐は躊躇なく言った。
海上自衛隊が護衛艦『いせ』とP-3Cを派遣した2018年の環太平洋合同演習に、彼は韓国海軍関係者として参加しており、その実力の一端を実際に知っている。過去の環太平洋合同演習に参加した先輩の幹部からも、海上自衛隊の対潜哨戒機の活躍については聞かされていた。
「我々が出した通信のための電波と、上げていた潜望鏡や潜望鏡が起こした波を彼らのセンサーが捉えていたとしても、ピンポイントで特定するのは難しいのでは?」
「海上自衛隊はP-3Cよりも進歩した対潜哨戒機を保有していると聞く。それにこのあたりの海はあまりにも浅すぎる。もしも音響を拾い集めるパッシブ・ソノブイが敷設されており、哨戒機がずっとこの辺りに張り付いている場合、彼らのセンサーによってこちらは捕捉されているかもしれない。……だが付け込む隙はある。我々が命令を受けて戸惑っているように、海上自衛隊もまさか韓国海軍潜水艦から襲撃を受けるとは思っていないはず――」
東嶺全艦長はそう推論したが、実際には間違っている。
すでに海上自衛隊第4護衛隊群と韓国海軍第7機戦師団は戦闘を繰り広げているため、音紋で韓国海軍潜水艦と知れば、すなわち敵と見做されるであろう。
だがそのあたりは、『金佐鎮』乗組員にはいっさいわからない。
第7機戦師団や第6航空戦団との共同作戦だということさえも伝えられていないのだから、推理のしようがなかった。
「命令は命令だ。外界から隔絶され、行動に比較的自由な裁量を与えられている存在である我々だが、それでも司令部から下された正式な命令には、服従するのが原則だ。でなければ判断基準がなくなってしまう」
東嶺全艦長は、無感情にそう決した。
さて、すでに潜水艦『金佐鎮』は命令を受信後、わずか数ノットで航行し、済州島東方沖に陣取っていた。済州島東方沖なら海上自衛隊の護衛艦が済州島を避けて大きく迂回しない限りは、済州島北方・南方、どちらに相手が歩を進めても攻撃のチャンスが得られると考えたからである。
その後、『金佐鎮』は僅かな速度で航行しながら、艦首を振り回すように回頭を繰り返した。
潜航中の潜水艦の弱点のひとつとして挙げられるのは、後方からの音響を拾うのが苦手ということだ。艦尾から発せられる自分のスクリュー音が邪魔になるため、潜水艦のソナーは艦首に備えられていることが多い。であるから、相手艦を捜索する際には回頭して、艦首のソナーをそちらに向けた方が、より遠方からの音響を拾い集めることが出来る。
「……」
先程の議論から1時間後、ようやく状況が動き始めた。
「継続的なスクリュー音です。駆逐艦のものと思われます」
発令所が静かにどよめいた。
若手の船務長は内心、護衛艦を見つけられなければよかったのに、と落胆したが、すぐに覚悟を決め直した。攻撃命令は正式なものなのだから、疑う余地はない。海軍軍人として任務遂行の義務を果たすのみだ。
「スクリュー音は複数です。音紋は日本国海上自衛隊所属のむらさめ型護衛艦、あきづき型護衛艦のものと一致しています」
「当該音源を“エコー1”、“エコー2”に指定する」
東嶺全艦長は続いて、この音源に接近するように命じた。
現代魚雷の最大射程は数十kmまで延伸されているが、実際のところ潜望鏡等で目標の動きを見定めてから発射しなければ命中しない。であるから有効射程は10kmかそれ未満となる。
射程100kmを超える対艦ミサイルも積んでいるが、それもダメだ。音響だけでは目標の距離や速度、進行方向が分からないため正確な座標入力が出来ず、命中率が著しく低下する。
魚雷による襲撃にしても、対艦ミサイルによる攻撃にしても、目標から数千メートルの位置、そこまで肉薄しなければならない。
(パッシブ・ソノブイによるバリアが展開しているかもしれないが……)
東嶺全艦長は平静そのものの表情で平常通りの指揮を執っていたし、周囲の士官や兵を不安にさせる言動をいっさいみせなかった。
……しかしながら、『金佐鎮』があまりにも不利であることはよく理解していた。
水深の浅い黄海や済州島沖では、本来ならば3次元的機動が可能な潜水艦の行動範囲が局限される。海中に潜むことが出来ないまま、“平面上”を逃げ惑うことしか出来ない。
それに海上自衛隊の対潜哨戒機が飛び回っていたということは、韓国空軍が航空優勢を確保出来ていないということだ。おそらく朝鮮人民軍と対決中の韓国空軍が、ただでさえ強力な航空自衛隊を打ち負かせる可能性はないだろう、と思う(現実には韓国空軍は出動すらしていないのだが、それは『金佐鎮』艦長にはわからない)。
つまり、『金佐鎮』は自衛隊の哨戒機や対潜ヘリに、一方的に追い掛け回されることになる。
すでにこの『金佐鎮』が潜む海域には、潜水艦を探知するソノブイが投下されている可能性もあった。いまのところ自ら音響を発して潜水艦を捜索するアクティブ・ソノブイはないようだが、音響を集めるパッシブ・ソノブイの存在までは『金佐鎮』にはわからない。
「潜望鏡深度」
『金佐鎮』はゆっくりと浮上すると、海面に潜望鏡を上げた。
この水深の浅い海では音響は平気で嘘をつく、というのが東嶺全艦長の持論だった。
潜望鏡についている逆探で護衛艦が放つ電波を捉え、位置をピンポイントで特定したい。自分からレーダーは絶対に使わない。それから、もしも潜望鏡で直接確認出来る位置に護衛艦がいるなら、針路と航行速度を確認して、即座に襲撃を仕掛けるつもりであった。
「脅威電波捜索開始」
逆探を起動させるとともに、東嶺全艦長は潜望鏡を一周回した。
用心を重ねて、視界内に哨戒機が映れば、すぐに潜望鏡を下げて潜航するつもりだった。
「あ――」
不覚にも東嶺全艦長は声を上げてしまった。
その3秒後、『金佐鎮』潜水艦の艦首前方で爆発が起きた。海面から白い水柱が立ち、水中を衝撃が駆け抜ける。艦体は振動し、乗員らは歯を食いしばって耐えた。
「マスト収め、急速――」
3秒前に東嶺全艦長が潜望鏡で見たのは、背後に迫るP-1哨戒機であった。
その銀翼は『金佐鎮』潜水艦を追い越すと、前方に対潜爆雷を落下させた――それを1秒未満の速度で理解した東嶺全艦長の決断は、同じく早かった。
「いや、急速浮上」
「浮上ですか」
「浮上だ。降伏する。もう我々は特定されていた。あの爆雷投下がブラフだとは思えない。あれは警告だろう――急速浮上」
「急速浮上」
次の瞬間、発令所の空気は弛緩して、安堵の感情が解き放たれた。
潜水艦『金佐鎮』は海面を割って浮上すると、無防備な姿を晒した。
そして自ら降伏する旨、暗号を使わずに発信し始めたのであった。
「やれやれ、降伏してくれてよかったよ」
その十数km北東を往く護衛艦『きりさめ』の幹部らもまた、安堵していた。
実のところ潜水艦『金佐鎮』の存在は、『金佐鎮』が最初の命令を受信する際にわかっていた。
偶然になるが、第4護衛隊群を援護するP-1が、海上に突き出たアンテナを捉えていたのだ。すぐにアンテナは収納されたため、この時点で正体不明の潜水艦(『金佐鎮』)を見失ってしまったのだが、第4護衛隊群では、第7機戦師団との戦闘が一段落ついた段階で、今度は進行方向にパッシブ・ソノブイを仕掛け、“防衛線”を張り巡らせたのであった。
その後、第4護衛隊群に接近した『金佐鎮』は、このパッシブ・ソノブイに捉えられてしまったというわけである。
『金佐鎮』の乗員の練度は高く、よく速度を抑制して静粛に前進したのだが、味方機による支援がなく、海上自衛隊の哨戒機が自由自在に動き回れる状況下では、最初から勝ち目がなかった。
そしてP-1哨戒機は、降伏勧告代わりとなる爆雷投下を行った。
この時点でP-1のクルーたちは絶対に逃さないという確信があった。潜航しても深度はたかがしれている。相手が賢ければ、もはや逃げられないことはわかっているはずだった。であるから、降伏する公算は十分あったのである。
かくして第4護衛隊群の前途は拓けた。
その後すぐに“迎え”となる韓国海軍第3艦隊の仁川級フリゲートと合流。半島西海岸沖を北上し始めた。
「ついに来たか……!」
韓国海軍第2艦隊司令部・第3艦隊司令部は、蘇生する思いがした。
先に述べたとおり、第2艦隊・第3艦隊の戦力は貧弱だ。
両艦隊合わせても駆逐艦は広開土大王級駆逐艦が1隻のみであり、あとはフリゲートとコルベットしかない。朝鮮人民軍海軍・空軍が貧弱だった時代はこれでよかったのだが、いまでは敵のミサイル攻撃や航空攻撃を凌ぐだけでも厳しかった。
そこに強力なミサイル護衛艦やF-35B搭載艦の来援――勿論、韓国海軍の作戦に使えるわけではないが、その艦隊防空網を利用出来ることは大変心強かったのである。
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次回更新は8月28日(土)を予定しております。