■12.なぜわれわれは、ひとつになれない?(中)
「き、北朝鮮軍はもう金浦国際空港まで約15kmのところまできているそうです」
「15km――15km!?」
「25kmの間違いじゃなくてかよ!? 昨日まで金浦国際空港が、韓国政府が指定する外国人集合地点のひとつでしたよね?」
「韓国政府の指定する現在の集合地点は――」
ソウル市に残る人々の間では、絶望が広がっていた。
在韓邦人に対して避難場所や海外避難のための集合地点をアナウンスしようと情報を集めている在韓日本国大使館職員らは、機能が麻痺しつつある韓国政府によって、翻弄されていたといっていい。
韓国政府首脳、つまり白大統領は「諸外国軍派遣は不要。我が韓国政府が責任を以て、外国人の方々を保護し、彼らの家へと送り届ける」と豪語し、在韓邦人の集合地点を設定するように命令している。
が、その後が続かない。
一向に輸送が始まる気配がなかった。
……白大統領の釜山移動は、悪影響しか及ぼしていない。
韓国政府を動かすソウル市内の官僚は、職場に残る者もいれば、行方をくらます者、口実をつけて釜山市へ向かう者もいた。中央行政はソウルと釜山で分断され、あるいは“歯抜け”になっている。
韓国外交部の官僚たちはよく踏みとどまっている方であったが、彼らも在韓日本国大使館職員も、軍事専門家ではないため、朝鮮人民軍の首都圏進出まで1週間くらいの猶予はあるだろうと踏んでいた。
故に市内のソウル鉄道駅や漢江南岸の金浦国際空港を集合場所に指定したのだが、前者は朝鮮人民軍のロケット砲や短距離弾道ミサイルによって断続的な攻撃を受けており、後者はいまや前線になろうとしていた。
この在韓日本国大使館さえ、安全だとはいえない。昨日には近傍にて朝鮮人民軍の240mmロケット弾が炸裂し、避難準備をしていた市民の間から多くの死傷者が出ていた。こうして彼らが話し合いをしている中でも、爆発音が時折割り込んでくる。
「ソウルから最も早くアクセスできる他の集合地点は、仁川港の国際旅客ターミナルです」
「仁川港だって金浦国際空港から20kmくらいしか離れてない……」
「船だって出るかわからないんじゃなあ」
「なんとかアメリカ軍に便乗させてもらえないかな」
この在韓日本国大使館職員の会話に、防衛省から出向している防衛駐在官の神田一等陸佐と長野一等海佐、そして全権大使の新星一は参加していなかった。別室にて命がけでやって来た、韓国陸軍本部・韓国海軍第2艦隊司令部の参謀に応対後、玄関口で見送りをしていたからである。
「釜山港は使えない――」
天地震える街中へ飛び出していった韓国側の参謀を見送った制服姿の神田一等陸佐は、日焼けした額に浮かんだ汗を流れるままにした。韓国陸軍本部・韓国海軍第2艦隊司令部の参謀らとの会談、その内容は彼らの愚痴が半分、ソウルを首都とする韓国政府からの提案が半分であった。
神田一佐に比べると頭ひとつ背の小さい長野一佐と、新星一全権大使は十数秒間、口を閉ざしたままだった。
「ここは本当に法治国家なのかな」
新星一全権大使はメガネの位置を直すと、溜息をついた。
韓国大統領は自衛隊の邦人輸送を認めることはないであろうし、韓国海軍第2艦隊司令部参謀によると、韓国海軍第7機戦師団は釜山港を封鎖しているそうで、アメリカ軍や自衛隊、その他の諸外国軍が使える見込みは立っていないらしい。
このままでは在韓邦人は皆殺しと言わずとも、相当数が座して死を待つことになる。
……そこで朗報である。
金源正外交部長官の発表を以て、ソウルの韓国政府外交部は自衛隊による邦人輸送やアメリカ軍をはじめとした諸外国軍による外国人の輸送を認めるという。
話を聞いて、新星一全権大使は内心で溜息をついたものだ。
要はアメリカ軍や諸外国を繋ぎ止めたいのだ。おそらくソウルに残った政府機能と韓国軍は、白大統領の愚行によってアメリカ政府が呆れ返り、朝鮮半島から手を引くことを恐れたのだろう。
「これで日本も本格的に参戦だ」
「我々は命令されれば、死地にでも身を投じる覚悟があります」
神田一佐は躊躇いなくそう言ったが、今年で61歳になる新星一全権大使は再び溜息をついた。
「物事、やるかやらないか、じゃなくて、できるかできないかだと私は思っていますよ、神田一佐。勿論、私も覚悟は固めてますけどね。これで外交官人生にピリオドだ……で、長野一佐、できるんですか?」
長野一等海佐は瞳をぎょろつかせて新星一全権大使を見つめて、力強くうなずいた。
そこには自衛隊史上、最も困難な作戦が始まるという確信と、それをやり抜こうという決意があった。
(釜山ではなく、仁川――!)
海上自衛隊護衛艦隊は、韓国海軍第7機戦師団の妨害を突破し、在日米軍第7艦隊・韓国海軍第2艦隊と黄海にて合流――朝鮮人民軍の攻撃を排除しながら、仁川港へ突入し、可能な限り在韓邦人を救出する。
同時に陸上自衛隊・航空自衛隊も、韓国陸軍・韓国空軍と協同し、韓国国内の在韓邦人や他国政府の要請により外国人の避難援護にあたることになるだろう。釜山港が使えない以上、陸海空自衛隊は激しい戦闘地域での活動を強いられることになる。
それでも、やるしかない。
この日のためにこの70年間、自衛隊は戦技を磨いてきたのかもしれなかった。
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次回更新は8月14日(土)になります。