4 早々の暴露
ひたすら笑い転げていた朽葉さんは、落ち着いて冷静になってから、申し訳ありませんでした、と頭を下げた。
こちらこそ盛大に空騒ぎしてしまったのだから、申し訳ないやら恥ずかしいやら…。
「その…不出来で大変申し訳ないです…。鬼神族の事は、その、余り知らなくてですね……」
勿論、本当のところは『あまり』どころか『全く』知らないのだが、流石にそれは失礼すぎる。
だって存在さえ知らなかったのだ。分類学上動物なのか魔物なのかさえ解ってない。
だがそう言えば朽葉さんは得心いったように頷いてくれた。優しい。
「それでよくこの家に来たものだ」
が、焔様の冷たさを孕んだ言葉に思わず肩がはねる。
いや、だが、もっともすぎる一言でもある。
何も知らんくせによく嫁に来たなって話ですよ。ええ。
でも、それを言うならこちらだって似たことが言える。
「では、焔様はなぜ私を嫁にとおっしゃったのですか?」
ついでに、私の何を知っているというのだろうか?
怒りも恨みもないが、ここに来てから不思議に思っていた事ではある。
私の言葉に、焔様は豆鉄砲を食らった鳩のような顔をした。
その表情の意味するところは推し量れない。
が、その表情は直ぐに、冷たい色でかき消された。
やっべ、流石に今の一言は軽率すぎただろうか?
別に不平や不満を言いたい訳ではなくて、責めているつもりも無いのだけど、不快な思いにさせただろうか…。
「…何も聞いていないのか?」
昏い色を宿した瞳に、一瞬息が詰まる。
朽葉を確認してみれば、彼女も少し暗い表情になっていた。
え、聞いてないって何を…?
両者の表情を見比べていると、焔様がふ、と小さく息をついた。
諦めに似た仕草に、なんだか申し訳ない気持ちになった。
「外見に似合わず、豪胆なのだな」
そう言った焔様の口角は上がっていたが、微笑みというより、それは哀れみにさえ見えた。
そしてその台詞は余計なお世話だ。
「敷居を跨ぐなら、同胞も同義だ。嫁としてここへ来たなら尚のこと。我が一族のこと、そしてお前のこと、互いに理解し合おうか」
そう続けた焔様は、何処か怯えるような光を目に宿した。
ように見えたが、それを確認するより先に背を向けられた。
ついて来いってか?
思わずその背中を見送りそうになったが、朽葉さんのにこにこした笑顔を見て慌てて後を追った。
てっきりすぐそこにある私の部屋という名の空き部屋に入るかと思ったが、そこを通り過ぎて別の部屋へ入った。
その部屋も殺風景ではあったが、ちゃぶ台と座布団が並んでいた。
「座れ」
「では、私はお茶をお持ちしますね」
さっさとくたびれた黒い座布団に座った焔様に促され、新しく見える紺色の座布団に座った。
朽葉さんは弾んだ声色で言うだけ言って、ぱたぱたと立ち去った。
ちゃぶ台を挟んで真正面。正直ちょっと居心地が悪い。
「さて、お前は何を知っている?」
何も知りません。と、それをそのまま口にしていいか迷って、それと一緒に視線も迷う。
だが時間と沈黙は何も解決してくれないようで、気まずいそれらに耐えられず、結局正直に口を割った。
「大変恐縮ですが、当方は何も存じ上げません」
なんか下手なクレーム対応みたいな言葉が飛び出てきて、我ながら酷すぎると思った。
が、その酷すぎる認識はそのまま私のものなのだから仕方ないと思う。
焔様は怪訝な顔をして私の顔を伺った。…言いたいことがあるならはっきり言って欲しい。
というか、取り敢えず焔様は私の旦那様になるんだよね?
夫婦の会話ってこんなに酷いの?
というか式がどうのって聞いたけど、それらしい事何もしてなくない?
っていうか当人同士の自己紹介すらまだちゃんとしてないよね?
気まずい沈黙に、ぐるぐると変な思考が駆け回る。
そこへ、朽葉さんがお茶と茶菓子を持って入室してきた。
丁寧な仕草でそれらをちゃぶ台に並べ、そのまま立ち去るかと思いきや、部屋の隅の方に行って座った。
え、出て行かないの? すんごく沈黙が気まずいんですが。
前世でもこんな気まずさ滅多になかった気がするよ?
中学の時に間違えて水道の蛇口を捻じ折った時より気まずいよ?
「私についても、鬼神族についてもか?」
長ーい沈黙の後、ようやく訪れた質問は困惑の色をもっていた。
だが残念。困惑したいのは私の方だ!
もう取り繕うことさえ出来ない。私は素直に首を縦に振った。
「ではお前はなんと言われ、何のためにここへ来た?」
ありのままを全て正直に話せば、呆れてものも言えなくなるだろう。
親に言われた意味不明な言葉に意味不明なまま軽い気持ちで頷いたなど、流石に無礼千万だろう。
だが残念。私はその事実以外持ち合わせがないのだ。
「鬼嫁に、なれと………」
「それを承知したのか? 何故だ?」
「何故と申されましても…」
ああ、穴が欲しい。できれば頭まで入るくらいの。
だってまさか鬼の嫁だなんて思わなかったんだもん。
ウチの母みたいな……なんかそういう、厳しくも優しい嫁を目指せ的な……そういう軽さだと思ったんだもん…。
でも冷酷にはなれないから鬼嫁ってより恐妻家がせいぜいだなぁくらいにしか思わなかったんだもん…。
改めてみるとつくづく数日前の自分を殴り飛ばしたい衝動に駆られるが、残念ながらその延長にいるのが現在の私である。
やはり長い沈黙は私の味方ではないらしい。
最早退路は絶たれているのだ。
取り繕うことさえ出来ないとさっき悟ったばかりじゃないか。
いっそ殺される覚悟で全てを白状する他私に選択肢は無い!!
「いえ、あの、鬼嫁というのは、てっきり、その、鬼のように厳しい嫁を指すのかと思いまして、いずれそんな……厳格な女になれという、意味かと…思いましてね…」
開き直った割には非常にしどろもどろな言い訳に、なんかもう穴があったら入りたい。
本当。埋めて。いっそ埋めて。
羞恥心から、また顔が火照る。
もうまともに相手の顔が見られる訳もなく、ただただ縮こまって耐える。
顔から火が出る。なんならお茶でも沸かせそうだ。
違うわお茶沸かすのは腹だし意味が違うわ(混乱)。
「………そうか…」
長い、私にとったら地獄のような沈黙の後、焔様はようやくそう言った。
いやホント、それ以外の言葉は無いと思う。
それ以外何て言ってあげたらいいの?って話だよね。
やっばいわ殺される。例えこの鬼に殺されなくても実家の鬼に殺される。
後の祭り。いやぁ大盛況でしょうね!
恥ずかしさと申し訳なさでいよいよテンションがおかしくなってきた。
「あの。なんといいますか。………も、申し訳ござるません………」
謝罪の言葉さえ噛む始末。もうダメだ、私は生きていけない。
恥で人が死ねるなら私は今間違いなく死ねる。
穴と言わずなんかもう袋に入るよ。ごみ袋でいいかな?
「それでよくここまで来たな」
最早感心されている。とんだ蛮勇だと。
いや、全くその通りだと思う。
なんの申し開きもできねえ。
厳しい教育で治った筈の口の悪さもぼろぼろ出てる。今のところ脳内だけだけど。
やっちまった。ホントに。
「いえ、その、なんといいますか……もし嫁ぐことを意味してるなら、それはそれで別にいいかな、と………思ったり、しまして…」
「何故だ?」
「う、いや……、あの、こ、こちらの方がどのような方であっても、その、わ、私は頑張る所存でして…」
まてまて、何を言っているんだ自分は。
何が言いたいのかさっぱりな発言に自分で驚く。
頑張る所存て何だ。何が言いたいんだ蛍。
「余りに自分の生を軽く見ているのではないか?」
「いえ! け、決してそんなつもりは無く…。ただ、私はその、わりと何処にいても幸せなので…いや、その、えぇっと……なんとか、なるかなぁと…」
「なんとか…?」
ショートした思考回路がまともに働く訳もなく、ついにいい加減な私の本性を暴露する。
非常に薄っぺらい化けの皮を剥いだ嘘偽りない私の本性は、化けの皮より更に薄っぺらく見えるだろう。
私にはどうしても譲れないモノというのが少ない。
だから、その本当に僅かな大切なモノ以外は、割とどうでもいいのだ。
だから、私は私という生き物の信念が、真理が、そして私の大切にしているモノたちが、踏みにじられたり、歪められることさえなければ、大抵のことを許容できる。
私にとっては恋愛も結婚も、元が不得手であることも相まって、そう大切な事に分類されていない。
正直、どんな相手だろうと興味はないし、けれど身内になるなら心を砕ければいいな、くらいの認識しかなかったのだ。
最悪想い合うのは難しくても、思い合える程度には成れたらな、と。
というか。
「ほ、焔様こそ、会ったこともない娘を娶るなど、どういうおつもりだったのですか?」
苦し紛れに水を向ければ、意外な事に、ふむ、と悩むような相槌が聞こえた。
顔はあげられないので、相手の表情は見えませんが。
「お前は生贄だ。だが、生贄なんぞいらん。それでもこの敷居を跨ぐなら、鬼の嫁に成れるのかと、そう問うた」
「え」
余りに寝耳に水な言葉に、一気に顔の熱が引く。
思わず上げた目は、涼しい顔をした焔様の表情を映した。
紅蓮の瞳は、凪いでいる。
「そうしたら、お前は来た」
私たちの間には、愛も熱も、何もなかった。
中学の蛇口よ、すまなかった…。