不思議な娘 ※龍海視点
久方ぶりに帰った里で、のんびりしすぎてしまった。
双子の兄、もしくは弟である龍樹と共に、人目を盗みながら鬼の住む屋敷へ戻る。
もう100年は代わり映えのない生活だが、私はその生活も気に入っていた。
何より、兄弟と共にいられるのだから。
だが、屋敷へ帰ったのと同時に、来客の気配を感じた。
案の定、玄関には見慣れない靴がある。
帰宅を知らせるために声を出せば、すぐさま感じ慣れた気配が来た。
「朽葉! ただイま!」
「朽葉! ただいマ!」
「おかえりなさい。二人とも。早速ですが、お耳に入れたいことが…」
100年と少し前に、主である焔が引き取った鬼女だ。
彼女は妙に嬉しそうだった。
ほぼ停滞した時間の中で、喜びを見つけられることは大切だ。
何か機嫌が良くなる知らせでもあったのかと思ったが、彼女が告げたことは余りにも予想外だった。
「焔様にと生贄が捧げられる話はご存知かと思いますが、本日、先ほど、その娘を嫁にと迎え入れました」
「………?」
「………?」
ここで私と龍樹が顔を見合わせたのは、別に双子だからでは無いと思う。
故郷にいる間に、そういった内容の文は届いていたが、それがいつなのか、結果としてどうなったかまでは知らなかった。
「生贄、ダろう?」
「何故それガ嫁という話ニ?」
私たちは端的に、朽葉から話を聞いた。
何やら、様々な思惑とすれ違いが重なり、随分な結果をうんだらしい。
だが、何より私たちが驚いたのは、彼女が焔も朽葉も恐れなかった事だ。
そしてそれは多分、私たちのことも。
ぎゅ、と手に力が入る。
天龍族という種族は、当人たちにとっては非常に喜ばしくない所で有名だ。
立髪や髭はもちろん、鱗や角、爪や牙など、私たちを形作るほぼ全てが、非常に高値で取引される。
なので、富に目が眩んだ人間や魔物たちにとって、私たちはいい獲物なのだ。
『神族』と名のつく一族は、人からも魔物からも敬われ、守られる。
また、恐れられ、遠ざけられることはあっても、害をなすことは許されない。
鬼神族でさえ、人々が故意に殺めることは許されていない。
だが当然、天龍族にその規律は当てはまらない。
私たちは数百年にわたり、富を求める者たちから逃れ続けてきた。
人間は別に嫌いじゃない。永くを生きてきた私たちは、彼らが欲だけで生きているわけじゃないことを知っている。
けれど、警戒はしてしまう。
私たちの握り込んだ手を見て、朽葉は寂しそうに笑った。
この娘も、似たように人間の負を見てきたのだ。
そしてそれと同じくらい、人間の可愛いところも。
だから私たちの気持ちが解るのだろう。
「声を出しても大丈夫ダと思う?」
私が問えば、朽葉は逡巡なく頷いた。
先ほど来たばかりと言うが、随分な懐き様だ。
龍は人の声を持たない。
根本的に、他の生物とは声の使い方が違うのだ。
他の生物は同族との意思疎通の為に声を持つというが、龍においてはその限りではない。
龍の意思疎通は念話といい、互いの思考回路をリンクさせることで行うもので、声とは争いの為に使われるのだ。
龍の声には全て魔が宿り、その属性によって様々な事象に干渉する。
例えば天龍族の声は雨や雷、快晴や嵐を呼ぶ。
地龍族の声は噴火や地震、土砂崩れを呼ぶ。
口から出す水や炎は、我らにとって声そのものなのだ。
故に、他の生物との会話は不得意で、どうしてもノイズ混じりのような、発音がずれたような声になる。
正確には、これらは声ではなく、声に限りなく近い音を出しているに過ぎない。
龍は人に化けるが、その正体は声を聞けば解ると言われるほどに、私たちの『声』は特徴的だ。
私たちはこの屋敷か、自分の里でしか他者と話すことはない。
龍はそもそも、他種族との交流には不向きな種族なのだ。
「万が一があるならば、焔様も私も、貴方たちを護ります」
朽葉の言葉に、私たちは頷く他なかった。
とはいえ、初対面を相手にぶすくれるのは大人気ない。
もう500年以上を生きている私たちが、たかだか19の赤子に気を使わせては悪いだろう。
その娘が本当に家族となれるなら尚のこと、第一印象は大切だ。
すたんと勢いよく開けた戸は、勢いが良すぎて中々痛快な音がしたが、まあそれはこの際無視しよう。
何、私たちも少しばかり、緊張して力んでしまっただけだ。
隣の龍樹の笑顔は少し引きつっていたが、きっと私も同じだ。
「ほむらサマ、ご成婚おめでとうございマス!」
龍樹がにっかり笑った。
私たちの足の速さについて来れなかった朽葉が、あきれた顔で追いついてきた。
「ホタルさま、ようこそ我が家へ! 歓迎しマス!」
事前に聞いた名を呼び、何とか笑顔をつくる。
ああ、震えていませんように。
「私はこの屋敷の使用人、龍樹と申しマス!」
「私はこの屋敷の使用人、龍海と申しマス!」
返答を聞くより先に、がばりと揃ってお辞儀する。
何。私たちは傍目から見れば幼児なのだ。これくらいの無礼、許されよ。
「よろしくお願い申し上げマス、奥サマ!」
「よろしくオ願い申し上げまス、奥さま!」
さて、これだけ聞けば、私たちの声が人のものとは違うことくらい解るだろう。
詳しい者なら一発で龍と判るだろう。
この娘は、人でない私たちをどうするのだろうか。
「よ、よろひくお願いします」
たじたじといった様子で声を上げた娘は、真っ白な髪の、ただの人の子だった。
ついでに、随分と派手に噛んでいた。
眼には驚きが宿るものの、その裏には欲も嫌悪もない。
長年生きた龍ほど、ヒトや生き物の本質を嗅ぎ分けることが上手くなってくる。
ちらりと見れば龍樹にも伝わったのか、彼は小さく頷いた。
多分この娘は、大丈夫だと。
その後この娘の世話は私に一任された。
にしても、この娘は心配になるほど何も知らない。
私たちが龍だとあっさり暴露した焔の坊ちゃんに、この上なく興味なさそうな返答。
翌日の買い物での会話で露見する興味の偏り。
買い物へ向かう前の会話ですら、私たちの予想を遥かに上回る無知の証明。
それら一つ一つを教えれば、鵜呑みとすら言えるほどすんなりと受け入れる無防備。
能無しかと思えば、節々に思い悩む様子を見せる。
その上で自分の行く末を自分で選ぶ度胸と覚悟がある。
危うい綱渡りのように見える彼女の生き方は、それでも不思議と誤った道へ落ちて行かない。
今まで見てきたどの人間より、彼女は不思議な存在だった。
『どう思う?』
買い物を終えた日の夜、隣で横になっている兄弟がおもむろに問うた。
同じ部屋で私たちだけの会話だ。『声』は音なく頭に届く。
この優しい龍の心を聴くことが出来るのは、同じ龍である私だけだ。
『蛍ちゃんのこと?』
『他に居ないだろう?』
『どうって聞かれてもなぁ』
口も喉も一切使わない会話は、私たちにだけ許されたものだ。
ごろりと布団に転がって、龍樹の質問の意図を探る。
双子ならば言葉がなくとも解り合えるなんて、いったいどこの誰が言い出したのだったか。
私たちは完全に別個体であり、故に、言葉なく解り合えるなんてことは未来永劫ないのだ。
『焔様を任せるに足りるか?』
『宴会の時の自分の台詞を思い出しな。ばーか』
くすくすと喉からこぼれる笑いに、龍樹は気を悪くしたらしい。
膨れたふりをして、私に背を向けて転がった。
私たちは、年老わぬ種族だ。人間の言葉を借りると、子供のまま成長が止まるのだという。
だから、龍樹にせよ私にせよ、実年齢より見た目の身体年齢の方が精神年齢は近い。らしい。
まあ、本当の幼子と一緒にされると、それは大変遺憾なのだが。
『あの二人なら大丈夫だよ。きっと』
『………。ん』
私の言葉に、龍樹は少しだけ不服そうに応えた。
ごそごそと寝返りをうって、仰向けになった。
今日の龍樹はよく動く。
『あの子は愛を知らない』
龍樹の声に、少しどきりとする。
『あの子』とは、焔様のことだろう。
私は肩まで布団を引き上げて、体を丸めた。
『…この屋敷の者は、みんなそうだよ』
私の返事に、龍樹は何も言わなかった。
龍樹も私も焔様も朽葉も、みんな『愛』に疎い。
あの娘は知っているのだろう、愛を。
沈黙のまま眠りについて、その翌朝のことだった。
初めてちゃんと会話を転がした夫婦が、嬉しそうに笑うのを見た。
なんとなく、やっぱり大丈夫なんだな、と思った。




