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私はお嬢様の“専属”

作者: ユウキ

 私は幼い頃、寒空の中死にそうだった所を天使のような女の子に拾われた。


 それから、今、私はその女の子の専属となった。



 ****



 一般的な平民だった私は、温和な父と、儚げな容姿の母の間に生まれ、慎ましやかに過ごしていた。



 ある日なかなか帰ってこない父を、母と心配していたのだが、日が暮れてから突然訪れた訪問者が父の訃報を知らせた。

 それから母が父の代わりとばかりに懸命に働き、幼い私も少しでも手伝えればと、なんとか小遣い稼ぎに励んだ。


 しかし、運命は無情なもので、肩を寄せ合い支え合って生きていた母が、父の亡くなったその年の冬に風邪をこじらせると呆気なく逝った。


 父が亡くなってから移った小さな貸家の隣近所の人が手伝ってくれて、なんとか葬式をあげた。

しかし、悲しみにくれる間も無く、大家が苦い顔をして「すまないが、払えないなら出ていっとくれ」と言った。


 抵抗する術などない私は、素直に謝罪し、荷物の整理のために期間を少し延長してもらった。

抜け殻のようだった心を、なんとか目を瞑って蓋をし、必要なものを手にすると寒空の中、歩き出した。


 だんだん小汚くなる子供に、手伝いさせて小遣いをくれる人は居なくなった。

手荷物はいつしか奪われた。食い扶持に困り、上着さえも小金に変えた。


 滲み入る寒さに震えながら耐えるように自身を抱き込み、当ても無く歩き続け、「最後に食べたのいつだっけ」とぼんやり考えていたら、いつの間にか倒れてしまっていた。


 音もなく降り積もる雪。

 寒さは冷たさから痛みに変わり、やがて眠気に変わった。

 目を閉じれば、まるでチリンチリンと響く鈴のような音が何処からか聞こえた気がした。



 柔らかく温かな布に包まれ、天国かなとぼんやり目を開けると声をかけられた。



「あら、目が覚めたわ!

 あなた、大丈夫?うちの門の近くに倒れていたのよ?覚えていて?」



 眠る前に聞いた鈴の音色のような声だと思い、その方向へ何とか顔を動かすと、まるで天使のような女の子が覗き込んでいた。


 キラキラと輝く銀髪は腰まで真っ直ぐと伸び、釣り気味の大きな瞳は青い宝石のように好奇心で輝いている。雪のように白い肌だが、まろみのある頬はほんのりと色づき、スッと通った小さな鼻の先にある唇は、サクランボのようで、楽しそうに弧を描いていた。


 私は父母の元に案内してくれる天使様が現れたのだと思い、口を開いた。



「天使様……父さんと母さんの元に案内してくれるのですね……感謝します」



 そう言った後、またもや気が遠くなりそうだった私に、その子は顔を赤くした。



「ちっっっっっ違うわよ!天使じゃないわ!」



 その言葉に私はショックを受けて、目を見開いた。



「……どうして…では地獄へ…?

 父さんと母さんには会えないのですか?……」



 ここまで来ても父母に会えないと思った私は、ボロボロと涙を溢れさせた。

 慌てふためきだした天使様の後ろから、白い立ち襟に黒いワンピースの上にエプロンを付けた大人の女性が現れると、私に声をかけた。



「お嬢様、まだ混乱している様ですので、まずは説明をしてあげましょう。

 代わりに失礼いたしますね」



 そう言って場所を代わった女性は、私に優しく話してくれた。



「あなたはこの屋敷の外で倒れていたところ、たまたま外出から戻られたお嬢様に助けられて、来客用の一室に寝かされています。

 死んでおりません。生きております」



 実に簡潔。実に的確。


 目を瞬かせた私はようやく現状を認識して起き上がろうとしたところ、やんわりと止められた。


 そうして温かく、体に優しい食事を供され、意識もはっきりした頃、お嬢様と黒い服を着た女性が現れた。



「ご機嫌よう。ちょっとは顔色がマシね?体調はいかがかしら?

 あ、いいの、病人は起きなくていいのですって」


「すみません、ありがとうございます。

 あの、ノエルといいます。

 何も持ってなくてお礼できないのですが…」


「いいのよ、これも貴族であるノブー…えっと何だったかしら…「ノブレスオブリージュでございますお嬢様」そう、のぶれいおぶりーじゅなのよ。感謝すると良いわ!」


「のぶ…ありがとうございます。

 この御恩、決して忘れません」



 取り敢えず助けてくれたのだと、見返りは不要と分かり、ベッドの上で平身低頭感謝を述べると、黒い服を着た女性は今後の事を淡々と説明をした。



「リリアンナお嬢様付き侍女のサーシャと申します。

ノエル様はまだ幼いので、もし身寄りがないのであれば、我がライバッハ侯爵家が寄付している孤児院にお連れいたします。

 親類がいるのであれば使いを出しますが…」



 如何でしょう?と丁寧な物腰で伺ってくるサーシャに、頼れる先も身寄りもない事を再認識して、震えてつまりそうな言葉をなんとか吐き出す。



「あ…父さんも母さんも…死んでしまって…他は誰も…」



 暗く俯いた私をサーシャは気遣う様に、優しく続けた。



「では孤児院へ…ですが」


「あなた気に入ったから、私の専属になりなさい」



 サーシャの言葉を遮り、割って入ったリリアンナはニンマリと笑いながら言い切った。



「“天使”の様な私が、お父様にお願いしたの!

 こんな小さくて細い、可愛い女の子をまた外に放り出せないわ!

もし行くあてがなかったら、私のお友達兼専属侍女にするわ!ってね。

 ね?いいでしょ?ノエル、貴方もいいわよね?」


「ぃぇ…ぁの……は、はい…」



 あまりの勢いに呑まれて頷いたものの、行く当てがないのは確かだし、拾ってくれたお嬢様に願われれば否やはない。



「…あの、でもっっ」


「はいと言ったのだから、もう何も聞かないわよ?

 取り敢えず元気になるのが先よ!

 私がお見舞いに来てあげるわ。早く元気になって一緒に遊ぶのよ!いいわねっ」



 オーっホッホと笑いながら去る後ろをペコリと軽くお辞儀してサーシャも付いて出ていった。


 勢いに飲まれたまま何も言えずに、この日からお嬢様付きとして、侯爵家でお世話になることになった。



── 言えなかった事を胸に抱えたまま。



 回復した私は、リリアンナに押し付け…手渡されたサーシャと同じ形のお仕着せを身に纏い、最初が肝心とばかりに色んなことを教わった。


 まずは貴族のマナーや常識を知り、その上でどう動くのがいいかを学ぶのが大事だと言われ、教え込まれた。

勉強の合間に、リリアンナの前に姿を現せば、



「ノエル!えーっと、コレ分かるわよね?

私に分かる様に教えなさい」



 そう言ってはあらゆる勉強を押し付けではなく、命じられたので、渡されたものを熟読して分かる様に解して教えて差し上げた。


 リリアンナと相性が良かったのか、教えられた事をどんどんと吸収して目の前で実践する私に競争心もあったのか、私が来るまでの傍若無人とも言える態度は形を潜めた…らしい(サーシャ談)



 そして言いそびれ続けて1年が経ち、私は11歳を迎えた。



 成長期のお陰で小さかった身体はすくすくと成長し、なんとかリリアンナと同じ身長にまで伸びた。


「ノエル、もう見下ろせないじゃない。生意気だわ」


 こう言われるのは耳にタコである。

この年、リリアンナは王宮のお茶会に呼ばれ、第二王子ロドヴィックの婚約者になった。



「うふふ、当然だわ」



 そういうが、おそらく



「高笑いは時代錯誤です」

「輝く天使様の御髪はドリルではなくストレートが良い」

「お化粧をしないと自信がないお顔なのですか?」

「天使様はド派手な色を身につけません」

「行動する前に尋ねてくれないとご一緒しません」

「勝手をなさるならどうぞ私を元の場所にお捨てください」



 と言ったことを、常日頃口にした私の努力の成果と思っている。

 そして使用人としての勉強を修了し、専属としてお側に侍る前に、やっと抱えていた事を侯爵夫人、執事長、侍女長が集まる中、涙ながらに吐露した。


 皆驚愕し、困惑したが、侯爵夫人は微笑み許してくれ、提案もしてくれた。


「1、2年もすれば、あの子は学園に通って寮に入るわ。その時に連れていくのは同い年のノエルではなくサーシャが適任と思っていたの。

 空いた時間はもっと妃教育に費やすでしょうし、どのみちノエルはそれまでの短い期間の専属にしましょう。

その後はノエルに合った仕事に就かせるわ」


「……はい。畏まりました」



 侯爵夫人の提案を受け入れ、私はリリアンナが学園の寮に入るまでの間、専属としてお側に侍ることとなった。


 期間が定められると私は腹を括り、一層お役に立てるよう、リリアンナの先を読み、時に良い方向へ誘導して命の恩人であるリリアンナに、陰になり日向になり尽くした。


 難しい勉学は時にユーモアを入れて噛みほぐし、時に数カ国語で会話し、護身術を学び、ダンス相手になり、乗馬は手取り足取り…etc



 そうしてあっという間に2年が過ぎ、リリアンナが入寮する日になると、リリアンナは涙を滲ませ別れの言葉…


「一緒に行けないなんて、一人しか連れていけないのが悔しいわ。

 本当なら、もう会うことも殆ど無くなってしまうところなのだけど、あなたのおかげで妃教育もほとんど終わっているみたいなの。

 毎週末とはいかないけれど、時々帰ってくるから、専属のままで居て頂戴」



 …ではない言葉を口にした。



「……リリアンナお嬢様、私は拾われたあの時からお嬢様の“専属”でございます」


「ふふ、そうね。大好きよノエル。

 では暫く会えないけれど、元気でいるのよ?手紙を書くわ。ちゃんと返事を書くのよ?」


「畏まりました。

 行ってらっしゃいませ、リリアンナお嬢様」



 深々と礼をして、リリアンナが去っていく背を、馬車に乗り込み見えなくなるまで見送った。



***


 リリアンナからは週に1、2度手紙が届いた。

そして月に1度は必ず帰り、羽を伸ばすように寛いだ。



「ただいま皆、変わりはないかしら?

 ノエル、あなたも変わり…また身長伸びた?

儚い容貌も相まって、まるで物語に出てくるエルフみたいだわ」


「お嬢様もお変わり無いようで、安心いたしました。

 奥様もお待ちでございます。

 お嬢様の好きなお茶をご用意いたしますので、お早くお支度を」


「ええ、分かったわ。

 サーシャ、行きますわよ」



 初めの頃は変わらず元気な様子だったが、最終学年に上がり、リリアンナが15才を迎えた辺りで少しずつ変わっていった。


 お手紙ではいつも便箋10枚は書いて、封筒が立体的にコロコロになることもしばしばなのに、この頃には2枚と激減した。

……届く回数は変わらないのだが。


 この変化に落ち着いて居られずに、学園に付いて行っているサーシャへ連絡を取ると、信じられない内容が返ってきた。



─ 婚約者であるロドヴィックが、リリアンナ以外と仲良くしている。


─ 仲良くしているのは元平民の男爵令嬢らしい


─ その男爵令嬢が虐めを申告しており、犯人がリリアンナと言われているらしい



 私は事態を重く見て、侯爵夫妻に事情を話して許可を取り、学園へ潜入した。


 サーシャと連絡を取り秘密裏に落ち合った時、驚いた顔をしていたが、侯爵家の意向を伝え、リリアンナを第一に考えて隙ができない行動をする事をお願いした。


 私はそこからあちこちへ飛び回り“事実”を聞き、確認し、裏付けを取ることに奔走した。

知り得た事実を侯爵家へ報告し、そこから侯爵様が王家へと意向を伺った。



─ 王家の回答は“静観”との事だった。



 それはつまり、リリアンナが傷付く事ではないのかと、臍を噛む思いだった。


 それから苦い思いを抱えて、見つめるだけの日々を過ごした。


 何度も後ろから張り倒したくなるのを堪え続けるのは、使用人としての精神修行の一環と思いなんとか堪え続けた。


 そうして迎えた学園の卒業パーティーで事は起こった。


 一人で入場したリリアンナに、まるで舞台の役者のように大袈裟に、ロドヴィックが大声を張り上げた。



「リリアンナ・ライバッハ侯爵令嬢!

 貴様が行った数々の悪行、もはや許すことはできん!

 貴様との婚約はこの場を以て破棄する!!」



 本来ならリリアンナが居るべき場所には、小柄なピンク色の髪の少女が怯えるように小さく震え、しかし何かを決意したかのように目に力を込めてリリアンナを見据えながらロドヴィックにピッタリと寄り添っていた。

 そして追従するように、見目麗しい高位貴族の令息達も2人、その少女を守るように囲み立っている。



「そしてこのロティ・サザライア男爵令嬢と新たに婚約する事を、ここに宣言する!!」



 尚も続けられた言葉に、リリアンナは一瞬顔を強張らせたが、取り乱したりはせず、静かに見つめ返していた。


 一旦、言いたい事は済んだのか、一同はリリアンナを放置して少女に触れたり微笑みあったり。


 それを目にしてリリアンナは、心地よく響くその声を張った。



「恐れながら殿下、破棄については私ではなく陛下へお話しください。

 上の決定を、下の者が勝手に変更する事は出来ません。

 父にそのようなお話があった事はお伝えいたしますわ」



 まず、婚約について暗に「こっちに言うのはお門違いだ」と口にしたリリアンナは、一呼吸置いてから続けた。



「また、悪行とは聞き捨てなりませんわ。

 私は家名に恥じるような行いは何一つしておりません。

 事実無根でございますので、お早くご訂正ください」



 ピシャリと言い切ったリリアンナに、ロドヴィックはその形相を怒りで赤く染め上げた。



「貴様っ!あれだけの事をしておいて、白を切るつもりか?!」


「あれだけの事とは?」



 すかさず切り返すリリアンナに、ロドヴィックが歪めた口を開く前に、後ろにいた青髪の侯爵子息が繊細な銀フレームのメガネをクイッと押し上げながら慇懃に礼を取ると申し出た。



「殿下、私めが代わって詳細を申し上げましょう」


「うむ、セジュール。其方に任せる」



 どこか自信満々な侯爵子息であるセジュールは、一歩前へ出てくると、威圧するように発した。



「リリアンナ嬢、貴女は常日頃から愛らしいロティを目の敵にし、貶め、嫌がらせを繰り返し、危害を加えましたよね?」


「いいえ?」


「そんなっ!男爵位だからとなんども…っ!」



 小さな身体から予想以上に大きい声を張り上げて、リリアンナへ被せるようにロティが発すると、悲壮感漂う彼女を口々に慰めて、頭や肩を撫でていた。

 セジュールは、そちらへ労わるような優しい目を向けると、再度リリアンナへため息をついて顔を向ける。



「 素直に認めませんか…

 ロティが言うように、事あるごとに身分を持ち出し、厳しく言い立てたのでしょう?

 何人も目撃者が居るのですよ?」



 自信満々なセジュールは、顎をクイッとあげると、鋭い眼差しを向けて見下した。



「この学園でも身分に則した行動を求められますので、間違っている事は訂正申し上げましたわ。

 彼女でしたら走らない、騒がない、男爵位で在る貴方から許しなく上の爵位の方へ気安く声をかけてはならない……などご注意申し上げましたわね。

 王族の婚約者である私が、その場で言わずに捨ておけば許した事になりますわ。


 貴方は私に、それを曲げて見て見ぬ振りをしろと言いますの?」


「…しかし、多数で囲って口汚く罵るのは王族の婚約者として、人として在るまじき行いでしょう!」


「いいえ、しておりませんわ。

 正しくは、その場にいた私以外の第三者も交えて、正しいマナーを実践で教えて差し上げましたわ。

 何度か教諭の方も混じっていただきましたので、確認なさって下さい」



 リリアンナの発言に、最早観客と化したパーティー参加者達が騒めきだす。



「あー、あの突然始まる、実戦!正しいマナー講座かー」

「あれ、勉強になるよねー。態々見に行ったな〜」

「理由やちょっとしたこぼれ話も入るから分かりやすいんだよね〜」

「え、あれって身分を笠に着てって事になるの?」



 周りの声が聞こえたのか、狼狽え出したセジュールをスッと睨み見据え、リリアンナは続けた。



「学園に居るうちにマナーを正しく学ぶことは意味ある事ですわ。

 貴方にもご注意申し上げなければなりません。

 私にちゃんと名乗りもせず、かつ許しもなく名前を呼ぶのはマナー違反でしてよ?不快ですわ」


「そんな言い方、酷いわっ!」



 突然割り入った金切り声に、観客が不快感を示すも、涙目でリリアンナに抗議をするロティ。

 そして非難はセジュールへも向いた。

てっきり名乗りあった知り合いなのかと思っていた観客は、セジュールへ非難の目を向け、ヒソヒソと囁き合う。



「貴族として名乗らないのは…」

「許しもなくですって…」

「酷いって、何なんだ?常識だろ…」



 貴族間のマナーとして、家名も表さず正しく名乗りもしない事は、名乗るに値しない相手と軽視しているなどの意味を持つ。


 セジュールは、学園に入ってからロドヴィックの取り巻きとなった。

 直後ロティにより“虐められている”と聞き、悪感情を持ち、周りに流されて同じように名前を口にしていたのだ。


 周りの非難の声が耳に入り、たじろいだセジュールを体格の良い伯爵家の令息が、短く切りそろえられた赤髪をガシガシと掻きながら肩を引いた。



「セジュール、さがっててくれ」


「す…すまない…ダリウス」


「いいさ。気にすんな」



 セジュールがロティの側へと戻ると、立ち位置を代わるように一歩進み出た伯爵家令息のダリウスは、鍛えられたであろう太い腕を組むと、厳つい形相をいっそ鬼のように歪めてリリアンナを睥睨した。



「ライバッハ侯爵令嬢、俺はコソコソと陰湿に人を傷つけるやり方は気に入らない。

 ロティの良くない噂を故意に流し、女子の集まりにもロティだけ誘わず孤立させ、教科書を破損させ持ち物を壊すなど…

その腐った性根、実に許し難い。潔くロティへ謝罪せよ!!」



 ビリビリと鼓膜に響く声を張り上げたダリウスにも、臆さず真っ直ぐに見返したリリアンナは、一呼吸置いてから口を開いた。



「はぁ…物を壊す…ですか?

 席は自由で、必ず寮の自室で管理をするように徹底しているこの学園で、どうやって持ち物を破損すると仰るのかしら?」


「………移動教室で、ロティが忘れた教科書を破損させたのだろう?!

彼女は涙を流していたのだぞ!」


「どの移動教室か存じませんが、基本授業後はその教科の教諭補佐が、生徒を見送った後に次の授業のために点検と軽い清掃を行いますのよ?

 忘れたのでしたら直ぐ様後を追って返却されるか、学園事務室に報告され、担当教諭へ。そして生徒へ返却されます。

 ……それで、もう一度訪ねますが、私が、いつ、どうやって破損させるのです?」


「…それは…身分に物を言わせて…」



 はぁ…っと扇子で口元を隠しながらもあからさまにため息を漏らしたリリアンナは、勢いの削がれたダリウスに冷たい視線を浴びせた。



「私も暇ではございませんのよ。

 皆様と一緒に次の授業のために移動しますでしょう?態々他の方の忘れ物に目を光らせて、問答して身分で押し切るなど、どこにそんな暇があるのです?

 私、王族の婚約者として全ての授業に、公務や陛下や王妃様からの呼び出し以外で遅れた事はございませんのよ?


 それから女子の集まりってお茶会のことですの?

 ちゃんと紹介も名乗りも受けていない、最初の交流会を断ったさして興味の無い方に一々招待状を送るような無駄な事は致しませんわ。


 貴方のお家では、交流のないどんな方にでも招待状をお送り致しますの?」


「そんな訳は…!

 しかし、一度も誘わないなどっ」


「聞いておりまして?

 最初に“殿下方と予定があるからそんなの行かないわ”と言い断られたのは彼女でしてよ?」



 分が悪くなったダリウスは、唸り声を上げて後方の仲間に守られているロティを見つめた。ロティは「そんな事言ってないわ、信じて…!」と目を潤ませながら首を横に振っていた。



「噂に関してもですわ。

貴方はあの複数の男性に嬉しそうに触れられている光景を、王宮で見たらどう思いますの?

何も知らない方が見たら、それ相応に言われるのは仕方のない事。まして1番目を引く王族の殿下が中に居ますのよ?

 お諫めしても聞く耳を持たなかった皆様の失態を、私のせいにしないでくださいますか?」



 少しは客観的に見られるようになったのか、視線をうろつかせたダリウスは、周りを見渡して、その視線の意味に気づき、しどろもどろに口籠った。

 リリアンナの指摘に、ロドヴィックとセジュールは、ロティから手を離し、心持ち距離を取った。

リリアンナ優位の状況に焦り苛立ったロドヴィックが大声を張り上げる。



「ええい、小うるさい女が!アレコレと言い逃れおって!

先日ロティに危害を加えた事は明白なのだ!

未来の王族の命を狙った罪人だ!捕らえろ!!」



 無理やりな理論を振りかざすが、“罪人だ”の言葉にハッとして勢いを取り戻したダリウスは、ロドヴィックの指示で、リリアンナの細い体を組み伏せんとし、体と共に勢いよく突き出された手は──



「ぐっっ!貴様!!何者だ!!!くっ離せ!!」



 ── リリアンナに届く前に、私は堪えきれずに即座に間へ飛び入り、関節をきめながら捻りあげた。



「紳士がか弱い令嬢に手を上げるなど、言語道断です。恥を知りなさいっ」



 背後では、息を詰めて身構えていたリリアンナがホッと息を吐き出した。



「あ…ありがと…う……!

 え?あなた…ノエル?」


「お怪我などはございませんか?お嬢様」


「ええ…ないわ…でも…「ノエル!!!!!!」え……?」



 割り入った声は、ロドヴィックやセジュールに囲われていた、小動物のように震えていたはずのロティだった。


 皆がポカンと呆ける中、いち早く我に帰ったリリアンナは、囁くように私に問いかけた。



「えっと、ノエル?彼女と知り合いなのかしら?」


「いいえ、顔を合わせた事はありません」



 思わず一層捻り上げてしまったダリウスの腕を、取り敢えず身につけていた物で両腕を背中側で縛って転がした。


 服についたホコリを払って、リリアンナの服装の乱れを整えると、庇うように前に出た。



「僭越ながら、代わりに申し上げます。

 学内で複数人の男性に襲われたとの事ですが、その女性の狂言でございます」


「なっっ!嘘だ!!ロティは制服を切られボロボロになりながら走って逃げてきたんだぞ!」


「しかし、犯行を行った者はなく、彼女の証言のみ。あまりにお粗末な内容で、高位貴族のご令嬢、ましてや陛下が定めた婚約者を罪人扱いするなど、あり得ません」



 事実を口にしたのだが、ロドヴィックが言い訳にもならない反論をするので、即座に切り捨ててしまった。


 しかし、ロドヴィックは引かずに再度声を上げる。



「証拠がある!

 この刺繍入りのハンカチが襲われた現場に落ちていたのだ!!」



 正装のジャケット、内ポケットから清楚な白いフリルのついたハンカチを取り出すと、その刺繍が見えるように掲げた。



「ここに、花とつた模様の真ん中に“RR”と…!!!!!」



 その瞬間会場は静寂に包まれ、人が多くいるにも関わらず衣擦れ一つ聞こえない程だった。


今度は私がロドヴィックへと、口を開いた。



「殿下、恐れながら申し上げます。

 お嬢様のお印は全て “ LR ” でございます……」


「な…なに?!そんな…」



 掲げていたハンカチをバッと引き寄せて食い入るように確認する中、ロティは口元に手を当てながら顔を青くして「え、うそ…」と小さく呟いていた。



 周りの騒めきが波が寄せるように戻ってくる。



「え、婚約者のイニシャル間違えるか…?」

「ライバッハ様の百合の文様とLRのイニシャルはワンセットで有名ですわよね?」

「冤罪も甚だしいな…」



 ロドヴィック一同への非難の目が鋭くなる中、聞いたものを従わせるような低い声が響いた。



「もうよい。ロドヴィック、さがれ」



 ホール2階から降りるための階段から、近衛兵を引き連れた人物がゆっくりと降りてきていた。


 その姿を視界に入れたロドヴィックは、顔を青ざめさせた。



「ち……父上」



 ホールにいたロドヴィックとロティ以外全員ザッと最敬礼をして頭を下げ続けた。



「公式の場では父と呼ぶことを禁じているはずだ」


「も、申し訳ございませんっ……陛下…!」



 やっと頭を下げながらも呼び方を正したロドヴィックは、緊張にこわばった面持ちで陛下の言葉を待った。


 ゆっくりと周りを見回しながら進み、ついでに腕を縛られたまま取り敢えず下に顔を向けて転がるダリウスをも一瞥した陛下は、程近くで止まると口を開いた。



「面をあげよ」



 それでも直視しないようにやや視線を下げながら、皆姿勢をゆっくりと戻す。



「茶番劇、とくと観させてもらった。

 ロドヴィック、余が決定した婚約を、衆人環視の中、相手の令嬢を謂れのない罪で貶め、破棄を宣言したな」


「ち…陛下!しかし、本当にロティは虐められたと!」


「そうです陛下!私辛くて…!」


「其方、許可なく口を開くでない」



 鋭く睨みつけられたロティは、「ひっ」と小さく悲鳴を漏らしてロドヴィックの後ろへ震えながら隠れる。



「して、その全ては事実無根と反論されたようだが?」


「…そ、そんなやっていない確証など無いではありませんか…」


「お前にはあるのか?本人以外の証言、または証拠が。

 リリアンナ嬢には沢山の証言者が居るようだったがな。

 ああ、婚約者のイニシャルさえ間違えるのであったな。証拠もまともに精査出来ぬのであれば到底無理な話であるな」



 フンっと鼻で嘲られ、ロドヴィックは反論できずに羞恥で顔を赤くして俯く。



「国が議論して下した決定に、正式な手順も踏まずに剰え貶め、勝手に破棄するような者は我が王家には不要だ。

 ロドヴィック、婚約は白紙撤回。王位継承権の剥奪、廃嫡とする」


「ち…父上!そんな!!!」



 真っ青になった顔を上げて陛下へ取りすがろうとしたロドヴィックは、陛下を守るように立っていた近衛兵に阻まれる。



「ロドヴィックを諫めず同じように追従したそこな者らも追って沙汰を出す。

謹慎して沙汰を待つがよい」



 ロドヴィック同様に真っ青な顔のセジュールと転がったままのダリウスは、人混みから現れた警備兵に抑えられた。


 周りに侍っていた者が次々と取り押さえられる中、助けを求めてキョロキョロと周りを見回したロティは、私へ視線をバッチリ合わせると、涙をこぼしながらフルフルと震えて訴えた。



「ノ…ノエルさま!わっっ私、本当に何も…

 助けて!貴方のお国へ…隣国へ連れて行って…!」



 ピンク色のフワフワとした髪や、緑色の大きな瞳からポロポロと大粒の涙を流して訴える姿は庇護欲を誘うのかも知れない。


 しかし、陛下の御前でまたも許可なく発言する姿に、学習能力が無いのかと、頭痛を覚えたが、要らぬ嫌疑を掛けられてもと思い、仕方なく発言する。



「陛下、一介の使用人如きではございますが、恐れながら発言をお許し願えますでしょうか?」


「…うむ、許す」


「私はライバッハ侯爵家、リリアンナお嬢様付きでございます。

 学園には此度の騒動のために一時的に調査で出入りしましたが、けしてサザランド様と話したことも顔を合わせたことさえございません。

 生まれてからずっとこの国におりました。

 サザランド様が仰るように、隣国と関係などありません。密偵ということもございません。

 もちろん、お嬢様にもございません。何卒信じていただきたく」


「うむ、分かっておる。其方の詳細な報告書は余も目を通した。

ライバッハに来た経緯も侯爵から聞いている。疑ってはおらぬ。安心せよ」


「ありがとうございます」



 深々と礼をすると、ロティが悲痛な声を上げた。



「う、嘘よ!

 貴方は隣国の公爵家の子でしょう?!

 両親を亡くされて、伯父の公爵様に引き取られたのでしょう?!

 小さい頃に過ごしてたこの国を、もう一度見るために留学したのよ!

 あなた続編で私を隣国へと誘うじゃない!もう何でも良いから早く連れ出してよ!!」



 段々とヒートアップするロティを、陛下は警備兵に目配せして猿轡を噛ませて暴れないように2人がかりで取り押さえた。

 静かになるまで無感動な瞳で見守った陛下は、ボソリと処遇を零した。



「ロドヴィックを虚言で騙して誑かし、高位貴族の令嬢に濡れ衣を着せ、婚約破棄を唆したとして尋問まで貴族牢へと思ったのだが…妄想癖か?

まぁ良い、連れて行け」



 ぞろぞろと引きずられるように強制的に連れ出される4人を横目に、陛下はリリアンナに向かい、言葉をかけた。



「其方の境遇を知りながら、愚息の行く末の希望を捨てられずに静観した事、申し訳なかった」


「いえ、陛下、謝罪なさらないでください。

 私がもっと引き留めて正しい道へと導ければよかったのです…

 力不足でした。申し訳ございません」


「いや、其方は良くやってくれていた。

 埋め合わせはライバッハと話し合って決めるとしよう。

 さて、皆のもの、騒がせた。

 卒業祝いパーティーは後日改めて用意しよう。

 では先に失礼する」



 陛下の退出に合わせて、皆頭を下げて見送った。


 退出されたのを確認すると、緊張感が解れてどこか疲れた顔がチラホラと垣間見える。



「終わったわね……ありがとうノエル。

 サーシャから聞いていたわ。奔走してくれていたのよね。心強かった。ありがとう」



 リリアンナも緊張から解放されたのか、柔らかく微笑みながら私へ顔を向けてくれた。

 私もそれに答えながら態と恭しく礼をして微笑む。



「いえ、お嬢様。

 私はお嬢様の“専属”でございます。

 お嬢様の異変に気づき、駆けつけるのは当たり前でございます」


「ふふ、ありがとう。

 ところでノエル、似合ってるけど、なんでドレスじゃなくってタキシードを着ているのかしら?

 あ、護衛で動きやすくするため?」


「お嬢様……実は侯爵家の皆にはちゃんと言っているのですが…」



 私は意を決して、リリアンナに向き合った。



「私…は  男  です…!」




「……え……ぅっそ……」



 目を丸くして固まったリリアンナの後方から、いつの間にかサーシャが迎えに来ており、一先ずここでは何だからと、休憩室として用意されていた一室を借りた。


 入室するなり、呆然としたままソファへ座らされたリリアンナに、私は深々と頭を下げて、洗いざらい話した。



「騙したわけでも偽ったわけでもございません。

 言う前に”専属侍女”に決まってしまい、訂正する暇もないまま詰め込み勉強が始まってしまい、切り出すところがなかったと言うか…!


 幸い専属に正式に任命される時に、奥様や執事長、侍女長にも明かしたのですが、もうすぐ学園に行ってしまわれるのでそれまで護衛も兼ねてお側に着く事に…。

 なので、私はお茶、お食事のご用意、勉強を共にするなどに徹しました!


 お嬢様が学園に行かれた後はフットマンになり、ゆくゆくは執事を目指す予定だったのですが、お嬢様は“専属”でいる様にと…

 それは良いのですが、奥様が「面白いからあの子がいる時は侍女服着てあげなさい」とか仰いますし…!

 こんなに身長伸びたのに、侍女服を着せて「あの子ったら鈍いわね」と含み笑いで…!


 今まで言い出せずに申し訳ございませんでした。これで専属を解任してくださっても構いません。

 思うまま処罰してください!」



 抱えていたものを一気にぶちまけた私は、目を固く瞑ってリリアンナの言葉を待った。


 とても長い時間に思える静寂が訪れた後、そっと開いたリリアンナの口から吐息と共に滑り落ちたのは



「ノエル…… 男の子だったの……?」



 と言う、なんとも脱力する言葉だった。



「はい。この通り背も高くなり、変声期も訪れ、段々低くなって来ております」



 私はそう言うと、ダリウスを縛ったことで無くなったタイがあった襟元を少し寛げ、喉元を晒した。



「ノエル…」


「はい、お嬢様」


「あ、喉、動いた。本物なのね…」


「はい、お嬢様」


「…………」


「……」



「ノエルが男ーーー?!」



 やっと頭で理解したのか、リリアンナは立ち上がり、サーシャの腕へ取り縋った。



「サーシャ!ノエルが男だって!」


「はいお嬢様。存じております」


「サーシャ?!あなたいつから!」


「侍女長様から専属に上げられる前でしょうか?」


「なんで言わないのよ!」


「奥様から、面白いから気づかれるまで放っておく様にと」


「お母様…!!!!!!!

 はっ!待って、ノエルがうちに来た日、お医者様に診てもらっていたわよね?!」


「健康や怪我がないかを確認しましたが、全身ひっぺがしたり、股まで診ませんでしたから」


「サーシャ!言葉!!」


「失礼いたしました」


「ノエルもその時に言えば良いじゃない!」


「あの頃のお嬢様は人のお話を聞かなかったですから。それに言っておられたではありませんか。「もう聞かないわよ!」と。その後高笑いをして立ち去ったと記憶しております」


「…そんな事もあったかしら…」


「ノエルさんから、辞めると言われたくなくて、何か言いたそうにしていたら有無をいわせずに振りまわしておられました」


「…そんな事もあったかしらね…」


「しかし、学園の男子学生の制服を着て潜入調査に来られていた時は恥ずかしながら少々驚きました」


「…そんな事があったのね…」


 段々と打ちひしがれて、最後には頭を抱えたリリアンナは、サーシャにポンポンと背中を宥める様に叩かれて、またソファへ連れ戻されて、落ち着かされ、いつの間にかティーカップを手にしていた。



「ふぅ…………。

 私が原因ね。ノエル、ごめんなさい。

 初めて見た貴方は、線が細くて華奢で儚げで、琥珀色の目もぱっちりとして綺麗で、その艶やかな黒髪も……小さい貴方は女の子にしか見えなくて疑いもしなかったわ」


「いえ、私の容姿は母にそっくりでして、女性的だと…幼少の頃は尚更そう勘違いされても仕方ないかと。

 それに、一人称も早々に矯正されましたし」


「そうね…………もう落ち込まないで。

罰なんてないわよ。そのまま侯爵家に居て頂戴」


「ありがとうございます。お嬢様」


「そうね、罰じゃないけど、再び開催される卒業パーティーのエスコートでもしてもらおうかしら。

お父様は忙しいし、騒動のせいで相手もいないし」


「はい、精一杯務めさせていただきます」



 その後、リリアンナは「ノエルが…」とぶつぶつ呟きながらお茶を飲み切り、寮へ戻って行った。


 私は侯爵家に戻り、侯爵様と奥様へ報告し、リリアンナ様にお会いして全て話した事に触れると、奥様は珍しく声を出して笑い、侯爵様は苦笑いをされた。

 エスコートの件も仕方なしと許可をもらい、後日開かれた卒業パーティーを恙無くエスコートすることが出来た。



「ノエル…男装をすると、貴公子そのものね」


「お嬢様、男装では無くちゃんとした正装です」


「そ…そうね。ごめんなさい。

 ノエル、いつの間にこんなに手が大きくなったの?」


「ダンスのお相手をさせていただいていた時から、お嬢様より大きかったと思いますが…」


「そうだったかしら?」



 そんな会話を時々挟みながら、「あの時は大変だったわね」と同級生に囲まれた時には後ろに下がって見守った。


***


 パーティーも終わって数日が経ち、寮部屋を引き払ったリリアンナは侯爵家へ帰ってきた。


「ただいま戻りましたわ!

 お母様、お出迎えくださりありがとうございます。

 いろいろお話ししたいことがありますのっ」


「まぁ、リリアンナ、相変わらず元気のいいこと。

 ではサロンでお茶をしましょう。着替えてらっしゃい」


「ええ、すぐに参りますわ。

 あら?ノエルは?まぁ、専属なのに出迎えないなんて」



 奥様の言葉を聞いて、リリアンナは周りを見回しながら返事をしたが、探した相手が見当たらずに不満を零した。



「…その事についてもお話があるの。

 サロンで待っているわね」


「はい、お母様」



 何だろうかと不思議そうに首を傾げながらも、自室へ向かい、着替えて奥様の待つサロンに入ると、一先ず淹れられたお茶で一息つく。

 先に口を開いたのは奥様だった。



「そうね、まず騒動の事後についてね。

 王家から正式に謝罪と、慰謝料を頂いたわ。

 もしリリアンナの希望があれば、望む相手との仲を取り持ってくれるそうよ。

 ロドヴィック殿下は廃嫡。これは知っているわね。

 その他子息達は長子でも、爵位を継ぐ予定もなかったので、自領で蟄居、再教育と強制労働。王都への出入りは禁止となったわ。

ご令嬢…ロティとか言ったかしら?

サザランド家からは勘当され、戒律の厳しい修道院へ送られたわ」


「そうですの…」


 琥珀色の水面を見つめながら、静かに返事をしたリリアンナだったが、奥様の次の話に顔を素早くあげた。


「ノエルの事なんだけど…」



 ****



 それから半年を過ぎた頃、ライバッハ侯爵夫妻とリリアンナは、王宮へ呼び出されていた。



「お母様、謁見の間で無いのですね」


「ええ、非公式と聞いたわ」



 豪奢な応接室前へ案内されると、侯爵夫妻とリリアンナは入室の許可を待ち、静かに開かれた扉から中へ進んだ。



 中に入ると、焦げ茶色の重厚なローテーブルを中心に、革張りのソファセットが配置してあり、右側の奥、一人がけのソファには、陛下が座っていた。

 扉を背にした4人がけのソファには別に呼ばれたのか二人、座っているようだった。



「よく来た」



 気軽に声を掛けてくれた陛下に促されて、先に挨拶をしようとしたが、先客も立って振り返った。


 皆、先客を目にすると驚きに固まる。



 先客の一人が、久しぶりに見た私だったからだろう。


 そんな侯爵一家の反応を楽しそうに見た陛下は、紹介をした。



「こちらは隣国、フォース国のテルツァ公爵と、そのご子息だ。

 テルツァ殿、こちらがライバッハ侯爵だ」


「初めまして、ライバッハ侯爵。

 テルツァ公爵当主、ガブリエルです。

 この度はお会いできて光栄です」


「初めまして、テルツァ公爵。

 こちらこそ、お会いできて光栄でございます。

 ライバッハ侯爵当主、マーヴィンです。

 こちらが妻ヴィオレッタ、そして娘のリリアンナです」



 お互い一通りの礼を交わし合い、ソファへそれぞれ座り直すと、改めて視線を交わし合った。



「いやなに、あの娘の妄言を信じたわけでは無いのだが、そう言えば隣国の夜会に参加した際に見たテルツァ公爵とよく似ていると思い出してな。

 友好国でもあるし、調査ついでに隣国へ行かせてみたのだが」



***


 話は卒業パーティーの翌日にまで遡る。


 侯爵家で朝からせっせと働く私に、執事長から呼び出しがかかり、向かった先では何故か侯爵夫妻が待っていた。



「ノエル、急で悪いのだが、隣国へ行くある視察の調査員の一人に急遽加えたいと陛下が願われてな。

 3ヶ月〜と長期だが、行ってくれるね」


 それはもはや命令では…と思ったが、断れるはずもなく、私は頷き、急遽身支度を済ませて旅立つこととなった。


 心残りは、もう直ぐ屋敷に戻ってくるリリアンナを、新たな男性用使用人の服を着て出迎えられなかったこと。


 数人で1ヶ月ほどかけて隣国に渡った私は、他の方に言われるまま付いて行った。

 そして顔合わせの予定があると言われて向かった公爵邸で迎えられた領主は、私を見るなり呆然とし、見開いた目には涙が滲んでいた。緩く開かれた口から小さく何かを溢していたかと思うと、「フィオリアーナ!!」と叫ばれて両肩をがっしり掴まれたのだった。



「き…きみは…!もしかしてフィオリアーナ…いや、名を変えたんだったな、フィナの息子か?!」



 次に目を見開いたのは私だった。

 公爵が告げたのは私の亡き母の名前だったからだ。

 公爵様は私をがっしりと掴んだまま涙を零し、公爵邸内は騒然となった。


 落ち着いた公爵様に通されて向かったサロンでは、テルツァ公爵夫妻と私より幾つか上に見える息子が揃い、まずは視察と称して訪れた外交官が書状を手渡した。


 内容に目を通した公爵は嬉しそうに目元を綻ばせながら「借りができてしまったな」と呟いていた。


「席を外します」と言って外交官が退出すると、公爵は話しはじめた。


 母フィナことフィオリアーナは、公爵家の次女として生まれた。しかし先代公爵の無理な政略結婚に反発して、想いを交わす男と手を取り出奔したのだとか。


 公爵様は母の想いを知り、資金や抜け出せるようにと手を回して協力したのだとか。


「私がテルツァ公爵を継いで、先代を領地の片田舎で隠居させたら、こっそりと連絡をとって呼び寄せるつもりだったのだ」


 しかし、母の手を取った男、私の父の訃報が届き、母を迎えるために厄介ごとを片付けて駆けつけた時には母は亡くなっていた。


 忘れ形見の私も探したが、どこを探しても居らず、見つからなかった。後悔で真っ暗になりながら諦めざるをえなかった。


 そして時は流れ、隣国からの急な視察依頼が入り、調整して会ってみればそこには母にそっくりな私が立っていた…と。



「すまない、もっと早く駆けつけていれば…」


「いえ、かなりの距離が御座いますし。

 すれ違ってしまいましたが、こうして母の親族に会えました。それだけで十分で御座います」


「…随分所作も言葉も綺麗ね。保護されていた先で学ばれたの?」



公爵夫人の質問に、私は苦笑しながら今までの経緯を簡単に話した。



「もし良かったら是非養子として我が家に来てくれないだろうか。

 あんな想いは……もう沢山なんだ」


 辛そうに顔を歪めた顔を見て、私は話し合った結果、養子に入ることを了承した。


 先に外交官へと話を通し、本国へ戻ってもらい、養子手続きやら伯母といった親族に会ったりと、怒涛のような日々を経て、私は公爵家の一員として迎えられた。


 そしてやっと本日、直接お礼を言いたいという養父となった伯父を連れて戻ってきたのであった。


 ****


「ライバッハ侯爵には感謝しかありません。

 本当に、ノエルを保護して教育までしてくれて…!」



 やや目を泳がせた侯爵、サッと扇を広げた侯爵夫人、目線を外したリリアンナに気付かず、心のまま感謝を述べる養父は、いかに大切だった妹の忘れ形見である私が、優秀かを説く。


元はリリアンナが振り回す一手として、わがまま言って勉強を押し付けていたとは言えませんからね。



「そうで、すな。ノエル…様は飲み込みが早くて、どんな分野もあっという間に理解すると、それを他者に分かりやすく説明することにも長けておられました…」



「おお!」と自分の知らないエピソードに目を輝かせる伯父と、「どうだったかな〜」と言いながら話す侯爵様の横で、侯爵夫人はアイコンタクトを送ってきた。

 サッと近くの侍女に目をやり、戻してきた。


(侍女として一時期仕えた事は言ったの?!)


 私は口を真一文字に引き結んで、小さく首を横に振り見つめ返した。


(言っておりません、言えません!)


 ホッとしたのか、リリアンナにこっそりと耳打ちし、夫にも合図を送って素早く伝える侯爵夫人。流石である。


 話が一通り済むと、私は本題を口にした。



「ライバッハ侯爵様、もし宜しければ、リリアンナ嬢への求婚をお許しいただけないでしょうか?」



 ポカンとして固まる侯爵一家を面白そうに眺めていた陛下は、愉快そうに話す。



「そういえば望む縁談の仲を取り持つと言う話が残っていたな。どうだライバッハ。

 まぁ今回断っても次にも協力は惜しまないがな?」


「え…それはご配慮いただき…誠にありがたいお話ですが…娘に…リリアンナ、どうする?」


 まだポカンとしていたリリアンナは、慌てて返事をする。


「きゅ、急なお話で御座いますので、何と言ったら良いか…いえ、その…えーーーーっと」


 ワタワタとするリリアンナの顔が、ジワジワと赤くなっているのは気のせいじゃないと信じたかった。

 私は自然にあがる口角を押さえながら想いを口にする。


「私は“専属”としてリリアンナ嬢のお側におりました。ずっと側に居たいと言う気持ちは助けられ、微笑みを頂いたあの時から変わりません。

 ()()()()()()()()()()()()()()()のは、保護されていた関係上仕方のない事。

 なので、この国へ滞在してリリアンナ嬢にアプローチし、意識してもらい、ゆくゆくは婚約してもらえるよう鋭意努力したいと思います」


「ノエルー?!何言ってますの?!」


「はい、リリアンナ嬢、私は永遠にあなたの“専属”となれるように、夫の座を手に入れてみせます!

リリアンナ様、私も大好きですよ」


ニッコリ微笑むと、誰が見ても真っ赤になったリリアンナを見つめながら、私は専属の地位()までの道を計画していくのであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 面白かったです。 ただ、野暮ではありますが、実際には公爵家から大家に話が行っているはずだと思いました。 なので天涯孤独となった後に引き止められて、晴れて公爵家へと招かれたことでしょう。 まぁ…
[一言] 本当にヒーローさんが他国の公爵家の眷族だと判明した事でヒドインちゃんの客観的な薄気味悪さが増しただろうから、最悪魔女として焚刑待った無しですべぇ(・ω・)
[良い点] テンポがよくて、スーッと読めて世界観に入っていけました。 お嬢様の高飛車も可愛い限りです。 [一言] 一途な『専属』様。 素敵ですね。 しかし、召使(侍女)から夫へなんて、ほんとロマンスで…
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