episode 7 戦闘後、そして夢への想い
アンドレスたちが魔獣二体と戦闘を繰り広げていた現場への道を急ぐ。
道を進むにつれて足元が悪くなり、躓かないように注意が必要になっていった。
地面の至る所に陥没や土砂、吹き飛んだ樹木や粉砕した燈篭。
先ほどまで身を潜めていたラベンダーの茂みのすぐ近くでは黒煙を未だ立ち昇らせる物置小屋の残骸。
ラベンダー畑も何カ所か地面ごとえぐり取られてしまい、土砂と瓦礫にまみれて焦げかすとなり果てた花や葉が辺り一面に散乱している。
また、絶命して横倒しになっている魔獣から流れ出た血が地面の窪みに溜まって異臭を放っている。
一体は俺が射抜いたやつで辛うじて首が繋がっていたが、もう一体はアンドレスが首を両断していた。
丘の上から射たときは判らなかったが、二体とも近くでよく見ると3m以上の体長にも関わらず体躯はスリムで四肢が太い。
そして太く鋭い爪と黒光りする角も持ち、死してなお見る者を畏怖させるほどのプレッシャーを放っている。
そんな中を、俺とエミリーは怪我人の救助のために冒険者たちの元へ急ぐ。
あちこちから立ち昇る黒煙のせいで折角の満月の光も十分に地表に注がれず、エミリーが頭上に展開した発光魔法の巻物の光を頼りに、足元に気を配りながら歩を進める。
ふとエミリーを見やると、後方で彼女の足取りが止まりかけていた。
やがて彼女は窪みの傍らに立ち尽くし、ある一点に視線を向けていた。
視線の先にはベンチ―夕方三人で腰かけていたものと同じ形をした―が、全損は免れたが黒い炭の塊と化して辛うじて自立している状態でそこにあった。傍を歩くだけでも粉微塵に崩れそうなほど、儚く弱々しい。
彼女は、視線を落したまま、微かに震えているようだ。表情はよく見えない。
俺は、彼女が村のレストランで人目をはばからず叫んだ言葉を思い出した。
『ここは、特別な場所なんです!・・・無くなったら、イヤなんです!』
掛ける言葉が思い当たらず、暫く彼女をそっとして先に行こうと決めかけたとき。
「すみません!こちらにも明かりを貸して下さい!発光魔法の巻物はまだありますか?」
と、我々の接近に気付いた神官らしき人影が立ち上がり、自分の頬に左右の手を添えて大声で問いかけてきた。
その足元には彼が治療中であろう兵士たちが何人か横たわっているようだ。
俺が返すより早く、エミリーが応えた。
「はい!もう少し大きめのものがありますので、これをお使いください!」
腰のポーチからそれを取り出し、何やら小声で詠唱すると鈍い光を放ちながらクルクルと拡がり、神官に向かって水面を滑るように音もなくスーッと飛んで行った。
展開した巻物は神官たちの数m上空で止まり、彼らを優しく照らす。
すぐ傍では兵士と冒険者が二名ずつ並んで寝かされており、他の兵士一名が半壊した燈篭にもたれかかっているのが見えた。
光に照らし出された中年近い神官の顔には疲労の色と共に泥と血がこびり付いていたが、そこに幾らか安堵の笑みが加わったようだ。
「ありがとう、お嬢さん!」
俺の心配など無用だった。
彼女はやはり強い女性だ。まるで自分のことのように誇らしく思える。
彼女はポーチを急いで閉じ、上目遣いに俺をチラリと見たものの直ぐ俯いて、そのまま神官たちの元へ駆け出して行った。
「神官様、私もお手伝い致します。」
エミリーは横たわる兵士の傷口に手をかざして呪文を詠唱し始める。
徐々に流血が止まり、火傷も小さくなっていく。
息も絶え絶えに痛みに耐えて歪んでいた兵士の顔も少し穏やかになったようだ。
「助かります。私の魔力が底をついてしまったために僅かなHPポーションを少しずつ分け与えることしか出来なかったのです。私が準備を怠ったために彼らを死なせかけてしまいました。」
エミリーは優しい光を発する左手を兵士にかざしながら、右手でポーチから青い小瓶を取り出し、神官に差し出した。
「神官様、MPポーションをお分けします。これで魔力を回復なさってください。」
「ありがとう、お嬢さん。有難く使わせて頂きますね。それと・・・」
神官は若干よろめきながらも立ち上がり、エミリーから遅れて辿り着いた俺に向き直った。
「先程はありがとうございます。見事な腕前ですね。貴方がいなければ、誰かが命を落としていたかも知れません。」
「いや・・・、」
どう応えればいいものか。
さっきは必死だった。
自分の腕がどうとか解らない。
確かに最終的に倒すことは出来たが、一度しくじっている。
一撃で仕留められていれば、いや、もっと早く駆け付けていれば、負傷者が少なかったかも知れない。
そんな風にウダウダ考えていると。
「本当に見事だった、ユーゴ。」
後ろからよく知った声がした。
肩に担いでいた大樽を足元にどっかと降ろした声の主はアンドレスだった。
彼はチャポンチャポンと音を立てる大樽の蓋を開けると、何やら神官に指示を出していた。
中身は水のようだ。近くを流れる川から汲んで来たのだろうか。
あのサイズでは何十キロとあるのだろうに、彼は戦いが終わった直後からすぐに、負傷者たちのために動いていたのだ。
「アンドレス・・・!」
俺が歩み寄って差し出した右手を、彼もガッチリと握って応えてくれた。
友の無事は確認出来ていたが、今こうして向き合ってようやく実感が湧いてきた。
彼が強いのはよく知ってはいるが、敵の数や味方の布陣によっては思いどおりいかないこともある。実際、今回は急造パーティのフォローのために苦労しているように見えた。
「ユーゴ、おまえ、記憶が戻ったのか?」
彼に労いの言葉をかける前に、先に彼から問いを受けてしまった。
まぁ訊かれて然るべき疑問だろう。
記憶が戻った訳ではないので、ありのまま応える。
「・・・いや、突然なぜか魔力が身体を巡りだして弓矢の扱い方だけを思い出した、というところだな。」
話を聞きながら、握りあった右手に添えた俺の左手を、さらに彼が左手でポンポンと叩いている。
「そうか。詳しくは落ち着いてからだな。とにかく助かった、ありがとう。だが、なぜ店で待たなかったんだ?」
そうだ。
俺とエミリーは、店で待っているようにと、彼から指示されていた。
俺達は危険を冒して、彼の指示を無視してやって来たのだ。もしかしたら何も出来ずに最悪は死んでいたのかも知れないのだ。
「私がお願いしたのです。」
エミリーが片膝で俺たちに向いて話しかけてきた。
彼女は神官と共に、兵士たちの傷を水で洗い流している。
後から教わったのだが、泥がついたままでは治癒魔法をかけても傷口が綺麗に塞がらないばかりか雑菌を取り込む危険があるらしい。
寝かされた兵士たちは彼女と神官の手で応急手当が進んでおり、意識が戻った者もいる。
「ごめん、エミリー。すっかり君に任せっきりだった。」
「いえ、大丈夫です。神官様もいらっしゃいましたから。でも、出血が酷かった方もいらっしゃるようなので、早くお医者に診て頂きたいのですが。」
俺とアンドレスも兵士たちの介抱に加わった。
持参したポーションは一般純度のもので、傷口は塞がっても流れた血の再生までは出来ない。それはエミリーや神官の治癒魔法も同様だ。
そこで、一人をアンドレスが背負い、あと一人は即席担架を使って、俺と比較的軽症だった兵士の二人で、村まで運ぶことにした。
村に戻ってからも慌ただしかった。
アンドレスは近隣の村や町を統治している領主への報告のために、迎えの馬で現れた兵士によって半ば強制的に連れて行かれてしまった。
俺とエミリーは、村の入り口で待機していた薬師に言われるまま治療院のベッドまで負傷者を運び、そのままアレコレと指示されて手伝いをやらされるハメに。
「俺は身体を鍛えていない、ただの飲み屋のオッサンなのに・・・」
エミリーは薬湯を満たした幾つかの器の下に敷かれた魔法陣に魔力を注がされている。
俺は骨折した重傷者の装備を脱がせるなど主に力仕事だ。
骨折している者には睡眠魔法がかけられて完全に脱力しているため、かなりの労力を要する。
やがて、俺の身体にも異変が起こった。
ここにきて、慣れない戦闘から解放された安堵からなのか、脱力感と強烈な眠気に襲われ始めた。
後日に解ったことだがこれは魔力を急速に放出したことによる魔力欠乏症と呼ばれる症状らしい。
「マスター、大丈夫ですか?」
「―だめ、かも・・・」
「マスター!?」
そのままクラッと目眩がして周囲の風景がぼやけて暗転したかと思うとキィンと耳鳴りに襲われ、兵士が横たわっているベッドの傍らに、倒れこんでしまった。
「マス―・・・・・」
「・・・―」
暗く深い闇に沈んでいく感覚になすがままに身を委ね、エミリーが俺を呼ぶ声も段々と遠のいていくのが判った。
そして、目が覚めた。
「ピピ、ピピ、ピピ・・・・」
午前6時50分。
枕元に置いたスマホに反射的に手を伸ばしてアラームを止める。
「・・・・・。」
無機質なワンルームの天井が見える。
見覚えのある、否応なく見せ付けられる、気にも止めない天井。
横を向くとカーテンの隙間から差し込む朝陽が頬から目元にかかり、強制的に現実感を取り戻させる。
傍らのガラス製の小さなテーブルにはビールの空き缶が置かれてある。
ビールといっても正確にはビールテイストの第3のビールってやつだが。
そんなことはええか。
さて、えーと、そうそう。
昨日の日曜の晩、友人ふたりと旅行から帰って来たのだ。
ベランダに洗濯物も干してあるが、取り込むのは帰ってからでもええか。
今日は月曜だから出勤だよな、解ってるけど。もう一日、有給を申請しておくべきやったかなー。
「・・・・・。」
今まで何回も見た夢。
いや正確には繫りのある続きものの夢というところか。
見始めて少なくとも半年くらいは経っていると思う。多いときで4〜5日連続、均して週に2〜3日は見ているだろう。
最初の頃は自分が何か心の病にでも罹ったのかと思っていた。病院に行くまでにはならなかったのは、このファンタジーな世界がいつの間にやら好きになってしまったからだろう。
そして、ずっと夢の中の自分の設定が平凡で不満だったが、ついに魔法が使えるようになった。あのハーフエルフの女の子とも何となく進展があった。
しかし相変わらずリアルな夢だった。
ラベンダーの焼き焦げた匂いも、弓を引き絞ったとき筋肉が張る感触も、はっきり覚えている。
魔力が身体をめぐる感覚は何とも表現し難いが、それも覚えている。
そして夢の中で眠ると、現実で目が覚めるという流れ。これもいつも同じだ。
なんやコレ。
「うぉっ、アカン!」
時計が7時30分を過ぎていた。
さすがに呆けすぎた。何やってんだオレは。
慌てて顔を洗って、トーストをほおばりつつコーヒーで流し込み、新聞を読む時間もなくスーツに着替えて部屋を飛び出した。
駅に着くなりダイヤがずれている旨のアナウンスには焦ったが、乗車駅も乗換駅でもタイミングよく電車に乗ることが出来た。
家を出た時間はいつもより15分近く遅かった筈だが、出社した時間はいつもより5分程度のズレで済んだ。
「はー、焦るほどではなかったな。」
タイムカードを押しながら呟いていると背中から明るい声がした。
「おはようございまーす、玄野先輩。」
振り返ると、同じ部署の女の子がいた。
ショートヘアのせいか10代くらいに見えるが立派な社会人3年生だ。シッカリ者で気もよく利くいい子である。
ちょうど彼女も出社したところらしい。
「おはよう、あん・・・黒江さん。」
「あ、いま言い直しましたねー?」
彼女の名前は黒江杏菜。
俺が玄野だから同じ「くろ」で被るからと誰かが言い出したのがキッカケで彼女のことを「杏菜ちゃん」と名前で呼ぶ人が多い。
しかしどうにも俺は照れ臭くて苗字で呼ぶことが多く、彼女もそれを承知でからかってくるのだ。
まぁ彼女にからかわれるのは悪くない。むしろ大歓迎だ。
「黒江さん、この間はありがとうね。これお土産。」
「わぁ、ありがとうございまーす!」
俺が手渡した紙袋を受け取りながらニッコリする彼女。うん、いい反応やな。
彼女には早退する日に助けて貰ったのでお土産は必須項目だ。俺は恩知らずではない。
「あとこっちは部内の皆で。」
「ありがとうございます。皆にまで、さっすが優護先輩です。」
「早退させて貰ったからな、って、名前で呼ばんといてって言ってるやんか。」
「はぁーい。」
玄野優護。それが俺の名前。
最近になって「なんか不公平です」とか言いだして彼女が俺のことも時々「優護先輩」と呼ぶようになった。
何が不公平なのかさっぱり解らないが。
しかし、実にいい。
それはさておき夢の中でも俺の名前は「ユーゴ」だった。
夢を見始めた頃は名前を呼ばれなかったのに、何故か最近は呼ばれるようになってきたのも不思議だ。
おっと、今から仕事仕事。夢のことは忘れよう。
「はぁぁー」
タイムカードを押した瞬間、思わずタメ息を吐いた。
どうにも最近は疲れが抜けにくくなってきたように思う。
特に例の夢を見た次の日か。
「おつかれさまでーす。」
右後ろからひょこっと、杏菜ちゃん・・・黒江さんが覗き込んできた。
「お疲れ様。黒江さんも終わりかい?」
「はい。そうです。ところで先輩?」
「なに?」
タイムカードを押しながら彼女がこちらを向いて振り返る。
「最近よく疲れてませんか?」
む、そんなにわかりやすい疲れた顔をしていたのか。
「うん、としかなー。最近なかなか疲れが抜けへんねん。」
「としって、私と5つしか変わらないから、まだ30前じゃないですかー。」
「もう30前、やで。今朝も洗濯物を取り込むのが億劫になるほど体力が続かへんし。」
「ありゃー、やっぱり、としですか?」
「なんやとー?」
「ごめんなさーい、先輩お先に失礼しまーす!」
ビルの出口に着くなりパタパタと彼女は走り出した。
いつも明るい子だ。
あれで彼氏は今いないというのだから不思議でならない。我社の男たちの中にも密かに想っているやつは何人かいるだろう・・・俺も含めて。
「さて俺も帰るか。」
ビルを出て彼女とは逆方向へ。
路線が違うから通勤で彼女と一緒にならないことが少し残念だなとか考えながら、疲労感と共に駅へ歩き出した。
乗り換えこそあるが通勤が30分くらいで済むのはまだ恵まれている方か。
中には1時間半かけてマイホームから通う同僚もいることだし、まぁ俺は独身だし、そこそこ買い物出来るところがあって寝られさえすればいい。
「まだ月曜かー。もう金曜でもええやん。」
我ながら意味不明の独り言を呟きながら、今日は疲れたから自炊はやめて適当に惣菜を勝って帰ろうと心に決めた。
駅を出て、道中のスーパーに立ち寄ってまっすぐ惣菜コーナーへ、のはずが何となく野菜コーナーへ。
一般的なスーパーでは野菜が最初に目に飛び込む動線になってるとはいえ、なんだか吸い込まれるように足が向いてしまった。
「夢の中のポトフ、旨かったな・・・」
夢に出てくる女の子―エミリーと言ったか―が作ってくれたポトフを思い出していた。夢の中では料理はシェフに任せているが、現実の俺はそんな身分でも高給取りでもないので主に自炊だ。
疲労感が残りつつもスマホでポトフのレシピを調べて必要な食材を買い物かごに放り込み、力尽きることも想定して惣菜も少し放り込み、レジへ。
予定より重くなった買い物袋を下げて帰宅、ドアの鍵を開ける。
「はー、疲れた。」
玄関からリビングに続く廊下の電気をつけ、靴を脱ぎながら呟いた。
マイホームのある同僚はまだ電車に揺られている頃だろう。しかし帰ったら彼は奥さんから「おかえりなさい」等と声をかけて貰えるのだろう。
俺もいつか、とか妄想しつつ。
部屋に入ってベランダへ直行。休憩してしまうと動きたくなくなるためだ。
乾いた洗濯物を取り入れ、惣菜と冷凍していたご飯を電子レンジへ入れて、浴室でシャワーをさっと浴びた。
「ふー」
パジャマに着替えてテーブルに食事を用意し、ここでようやく腰を落ち着けて座ることが出来た。
ビールの前に栄養ドリンクをイッキのみ。惣菜とご飯のラップを剥がして、ここでようやくビールをあけてグイッと一口。
「かーっ、うめぇーっ!」
ポトフを作るのは今度にしよう。
なんだっけ、『エルフの隠れ里』だっけか。その店の新メニューになるようなものを作ることが出来ればいいが。
とか、また妄想に浸って苦笑する。
やがて1時間もしないうちに眠気に襲われ、辛うじて食器をシンクに運んだ後ベッドに潜り込んだ。
すぐに眠りに落ちた。
段々と意識が遠のいていくのが判った。
いつの間にか、夢の続きを想いながら眠りにつくようになっていた。