episode 6 よみがえった力
月明かりの中を駆ける二人の影。
念のため発光魔法の巻物を持ってきていたが、幸いにも満月が雲に隠れることなくその姿を現してくれているので、ラベンダー畑に続く夜道を問題なく走ることが出来た。
道の小脇には石灯籠が等間隔で設置されてはいるが、今は敢えてだろうか、いずれにも火は灯されていない。
やがて戦場が、俺とエミリーの視界に入りつつあった。
弾ける火の粉が混じる赤黒い煙をバックに魔物のシルエットが浮かんでいる。
牙と角をもち、身体を長い毛で覆われた、虎のようなやつだ。
辛うじて大型ではなさそう、といっても脚が強靭そうで全長も3m以上はあろうやつが少なくとも二体。
しかも先程の振動から察するに、強力な炎を吐く厄介な魔獣だ。
「マスター、何人か倒れています!」
エミリーが走りながら叫ぶ。
彼女はハーフエルフ。ヒューマンより夜目の利くエルフの血を引いている。
そして遠目魔法も習得しているらしい。索敵魔法ほどではないが、冒険者時代には重宝したようだ。
魔獣の姿は彼女にも見えただろうが、今は魔獣よりも対峙している人たちの安否が優先だ。
「エミリー、どこまで見える!? 倒れている人が兵士かどうかとか、まだ闘っている人が何人か、その中に回復術師がいるかとか、判るか!?」
「ええと・・・。倒れているのは冒険者二人と神官一人。その神官を兵士がポーションで回復しているところをアンドレスさんが一体の魔獣から庇っています。もう一体とは兵士三人がかりで拮抗・・・いえ、苦戦しています。」
遠目魔法というのは遠くの様子がただ近く見えるというだけでなく、照準を合わせた地点を全方位から観察できるらしい。
日常生活で使うと、見られる側からすればたまったものではないな・・・。
そこからは魔獣に見付らないように、彼女を誘導して樹木や小屋の陰に二人で隠れつつ、畑道を通って回り込みながら徐々に近付いていった。
起伏のある道であり、戦場は緩やかな坂の下にある。
つまり戦場からはやや見上げる場所を我々は移動しており、若干だが有利に近付けている、筈だ。
移動しながら彼女の観察結果を訊き、状況分析と行動方針の打ち合わせを進める。
「魔獣のランクは中堅以上だろう。それに対して常駐の兵士達が力不足で、その彼らを庇ってアンドレスは前衛に徹することが出来ない状況だろう。俺たちはこれから負傷者を保護してアンドレスを戦いやすくする。」
頷くエミリー。
しかしどうやって負傷者を保護するかだ。
まずはアンドレスに俺たちの存在と意図を知らせたいが・・・
・・・。
はて?
戦い方を忘れている俺が、戦況把握は出来るのか?
ふむ。まあ困る訳でないので気にしないでおこう。
距離は、あと50mといったところか。
もう少し近付きたいので畑に入って身を屈め、やがて手と膝をつき、ラベンダーを踏まないよう隙間を縫って距離を詰めていく。
そこでエミリーが小声で訊ねてきた。
「マスター、その長い鞄には何を入れているのですか?」
彼女は俺が右肩から下げている縦長の鞄のことが気になっていたようだ。
身を屈めて斜め後ろから付いて来ている彼女にすれば、目の前で存在をかなり主張していたそれは、彼女の視界の妨げになっていたのかも知れない。
「ああ、これは・・・」
と振り返って彼女の問いに応えかけたそのとき、我々のすぐ頭上を、轟音と共に火線が駆け抜けた。
「―――っっ!」
「あぐっ!?」
咄嗟にエミリーの頭に手を伸ばして少々乱暴に土の上へ突っ伏させた。
直後、数十m後方の小屋が直撃を受けて粉微塵に大破して炎上する瞬間が目に飛び込んだ。
少し遅れてチリチリと熱い空気と異臭が周囲に立ち込める。
エミリーを突っ伏させた際の痛みで彼女は苦しむ声を漏らしたが、そんなことは気にせず、彼女を俺のマントの中に頭からスッポリ包みつつ背中から覆いかぶさるようにして、二人で土の上に伏せた。
ラベンダーを幾つか踏み潰しただろうが、そんなことは構っていられない。
―魔獣に気付かれたのか!?
頭のてっぺんから血の気が引き、全身から冷や汗が噴き出す感覚に囚われた。
ドクン、ドクン、ドクンと、鼓動が一気に加速する。
口から心臓を吐き出しそうだ。
・・・苦しい・・・。それでも息を殺して伏せ続ける。
時間にして多分20~30秒程なのだろうが、その何十倍にも感じられた。
その間、マントの隅で彼女と自分の口と鼻を覆いながら呼吸の確保に努める。
彼女も状況を把握しているようでジッとしている。
首の後ろのあたりがヒリヒリしているのを感じる。
後ろを向いていたときに頭上を走った火線で火傷を負ったのかも知れない。
耐熱耐寒等の魔法効果が付与されているらしい装備で全身を固めているが、もしこれを着ていなかったら無事で済まなかったかも知れない。
「・・・・・。」
―追撃の様子はない、か?
不思議と早くも落ち着きつつある自分に疑問を持ちつつも、マントから出した頭をそろりそろりともたげる。
するとラベンダーの焼け焦げた匂いをうっかり吸い込み、むせ返りそうになった。
エミリーには引き続きマントの下で突っ伏させたまま、自分の目で周りの様子を窺う。
辛うじてヒューマンである自分の目でも戦場の様子が判る距離まで来ることが出来ていた。
やがてアンドレスの無事を確認できた。
いや、彼は元より心配など要らなかっただろう。
アンドレスの後方では、今ちょうど目を覚ました神官が、自分を介抱してくれた兵士に治癒魔法をかけているところだった。
アンドレスがそれを守るため、二体の魔物と対峙していた。
彼一人で二体と?
魔獣の一体と戦っていた三人の兵士は、少し離れた場所で頭や身体から出血してその全員が見るからに疲労困憊であり、ある者は膝をつき、ある者は横たわって負傷した脚を掴んで叫んでいた。
アンドレスは彼らに魔物の追撃や自身の攻撃の巻き添えを喰わせないよう立ち回り、劣勢とまではいかないものの、非常に動き辛そうにしている。
あと二人の冒険者は離れた場所に横たわっており、身動きしている様子が見られず、生死不明だ。
明らかに、状況が悪化してしまっている。
兵士達を保護するには、我々がここへ切り込む勢いでないと難しい。
ギリ・・・
歯噛みする音が俺の口元から漏れる。
何かが沸々と身体の奥から湧き上がってくる。
これは何だ?
「マスター。」
包んだマントの下からいつの間にか顔を出していたエミリーが、俺に顔を向ける。
近い。
そこでハッとして、周囲の安全を確認して彼女から自分の身体をどかして、正座の姿勢をとった。
魔獣に見付るため立ち上がることは出来ない。
「ご、ごめん、エミリー。咄嗟の事とはいえ痛い目に、いや、嫌な想いをさせて・・・」
「いいえ、そんな。ありがとうございます・・・。」
彼女も身体を起こして座りつつ、伏し目がちに、続けて言った。
「マスターに身を挺して守って頂いたのは、これで二度目です。」
そうか。
俺は一度目を覚えていないのだが、散々アンドレスやエミリーから聞かされてきた。
確かその一度目の戦闘のときに、ラベンダー畑は魔物が吐いた炎のために半焼したのだと聞いた。
今回も炎を吐く魔獣が相手なのは巡り合わせだろうか。
先ほどから身体の奥から何か湧き上がってくる感覚は、今も止まらない。
身体中に張り巡らされた血管を駆け巡る感覚すらある。
「・・・マスター?」
エミリーが俺の顔を覗き込んでくる。
ああ、また彼女に心配をかけていたようだ。
しかし大丈夫だ。
この感覚を、俺は知っている。
いや、思い出した。
その感覚の正体をハッキリと。
先ほどから身体中に蓄積されてきていた何かが集約され、可視化されてきた。
「マスター・・・!?」
目を見開く彼女の視線の先、俺の両手が、ぼんやりと光を帯び始めていた。
魔力だ。
俺には使えなかったはずの、魔法を発動するための、精神エネルギーだ。
俺は、傍らに落ちていた縦長の鞄を手に取り、縛っていた紐を素早く解いた。
鞄から取り出したそれは、満月の光を受けて、さながら夜空に浮かぶ月のように輝く、長い円弧形状を成していた。
白銀色の弓。
優美な装飾を施されたその胴には古代文字のような紋様が端から端までびっしりと彫られている。
この弓の銘は・・・覚えていない。
しかし俺は迷うことなく、やはり鞄に入れてあった矢筒を取り出し、弓に矢をつがえた。
つがえ方は・・・覚えている。
両手の光に呼応するように弓の紋様が青白く光り始めた。
その紋様の光が、握っている手の傍から順番に両端まで伝わって拡がっていき、弦も端から徐々に白い光を蓄えていった。
さらに鏃も同じように光を放ち始め、やがて光が収まると共に風を纏い始めた。
狙いの先は、アンドレスが対峙している魔獣の一体。
不思議と確信がある。
この距離なら、当てられると。
弓を引き絞る。
そして横目でエミリーの顔を見た。
彼女はまだ驚きを隠せないといった顔をしつつも、俺の視線に気付いてハッとして笑顔を返してきた。
少し不安が混じっているようだが。
「エミリー、君はいつでも治癒魔法をかけられるよう準備を頼む。」
「・・・! 分かりまし・・・」
彼女が応えるか応えないかの瞬間、俺は矢を放った。
直後、鈍い音と共に魔獣が激しく吠えながらよろめいた。
「マスター、すごい、当たった!」
矢というものは、放物線を描くように飛んでいくものだと、ずっと思っていた。
しかし自分が放った矢は、殆ど一直線に、最短距離で魔獣を捉えた。
それを示すように、真っ直ぐ長く渦巻く風と共に僅かに光を残す軌跡が、宙に残っていた。
「・・・いや、外した!」
魔獣の首を捉えたかのように見えたが、掠めて傷を負わせただけで大したダメージにはなっていない。
間髪入れず二本目の矢をつがえる。
弓が大きいため姿勢を低くしても周囲のラベンダーよりも上に出っ張ってしまうが、先ほど大破炎上した小屋が後方でまだ火と黒煙を上げており、戦場からこちらの姿はすぐには判らないはずだ。
また月がまだ陰ることなく戦場を照らし、坂の上に居るため見通しもよく、我々には変わらず地の利がある。
つまり、今が状況を打開することが出来る千載一遇のチャンスということだ。
狙いを定め始めたとき、二体の魔獣が一斉に動いた。
いま手傷を負わせた魔獣が、アンドレスにやられたと思ったのか、半狂乱に彼めがけて突進している。
もう一方の魔獣も、立ち上がったばかりの兵士と傍らにいる神官に飛び掛からんとしている。
咄嗟に、兵士たちを襲おうとしている魔獣に狙いを移そうとした。
「マスター、さっきの魔獣をもう一度狙って下さい!アンドレスさんが気付きました!」
「・・・!!」
エミリーの声に反応し、最初の魔獣に視線を戻した。
同時にアンドレスは、兵士に飛び掛かろうとしている魔獣に向いて、薙刀を構えつつ走り出した。
手傷を負わせたほうの魔獣はその彼に向かって突進している。
こいつを、次こそ仕留める。
アンドレスは我々に気付くばかりか、俺の弓矢を信じてくれたらしい。
いや、逆か。
また当て損じたときに、魔獣の攻撃を被るのが兵士達ではなく自分になるよう仕向ける選択をしたのだ。
「必ず当てる!」
二撃目を放った。
先ほどと同じく、渦巻く風と光の軌跡が宙を貫き、そして。
魔獣の首に恐らく直径10cmくらいの大穴を開け、魔獣は首から血を噴き出しながら、前のめりにグシャリと地面に倒れた。
すぐに三本目の矢もつがえたが、残る一体は既にアンドレスが一刀両断に切り伏せていた。
さすがに強い。
魔獣は沈黙した。
俺とエミリーは、アンドレスと戦闘で倒れた人たちの元へ駆けつけることにした。