episode 4 10年前の出逢い
「ごちそうさま、マスター」
「またの来店お待ちしています!」
俺はランチの最後の客が帰るのを店の外まで見送ると、そのまま扉の表に「臨時休業」の看板を出し、店内に戻った。
フロアや厨房でテキパキと片付け中の店員たちに声を掛けた。
「みんな、今日もお疲れ様。それから、急にディナータイムを休むなんて言い出して、すまないね。」
料理長たちが応えてくれた。
「マスター、気にすること無いですよ。アンドレスさんも帰って来られたことだし、積もる話もあるでしょう。我々もここのところ働き詰めでしたから、ゆっくりさせて貰いますよ。」
「ウチも旦那に昼から店を休みにさせて、買い物にでも付き合わせるつもりでーす!」
「オレはトレーニングっス!ところでアンドレスさんって、あのS級冒険者のアンドレスさんですか?」
終始ワイワイ賑やかだった店内も既に皆が引き揚げ、今は静まり返っている。
エミリーも一度帰って出直してくるとのこと。余計な詮索をされないよう気を遣ったようだ。
「・・・・・」
テーブルに肘をついて両手で交互の肩を掴み、テーブルの木目をジッと眺めていた。
俺は一人座って物思いにふけっていた。
アンドレスは、俺が記憶を失った当時を知る男。というより、一緒に旅をしていた中で突然倒れた俺を担いでこの町まで運んでくれ、その後も色々と世話を焼いてくれた大恩人だ。
その彼が、エミリーと我々は知り合いであったかのようなことを言っていたが、彼女は昨夜それについて俺に何か伝えようとしていたのか?
テーブル上のコーヒーカップに視線を移す。料理長が帰る間際に淹れてくれたのだが、殆ど口をつけないままだった。
カップに右手を伸ばしかけたが、何故か酷く疲労を感じて手が止まり、すぐ目の前に掌を力なく落とす格好になった。
よく見れば、コーヒーから湯気が立たなくなっていた。
昔の記憶が気になるか?
今さら?
この町に運び込まれてきたときは、記憶が無いことに失望した。
怖かった。
周囲の俺を憐れむような視線も痛くて嫌だった。
家族が居るかも分からなかった。
俺を知る人が、この町に誰も居なかった。
いや、アンドレスが俺を知っていた。
しかし、俺は彼を知らなかった。
そもそも、俺が俺を、知らなかった。
冒険者ギルドの登録名簿に俺の名前はあった。
身に着けていた冒険者票で、その名簿の記録が確かに自分のことであることは判った。
しかしギルドの名簿では出身地すら判らなかった。
出自の一つも申請なく身分証を発行できていたとは、ギルドもいい加減なシステムに思える。
まあその前に、その記録が自分のものだという実感が微塵も無かったので、あまり追及しなかった。
アンドレスは、幾つもの町や村へ俺を連れて行ってくれた。
俺の記憶を戻せる医者を探しつつ、家族や知り合いに会えないか、また行方不明者の情報はないか、共に旅をしてくれた。
2年ちかい旅に成果は得られずに町に戻ったが、不思議と失意などは無かった。
何にも代えがたい友を得たからだ。
魔物と戦闘する術も忘れた俺を連れての旅は、アンドレスにとってさぞかし大変だったろう。道中に何度もお礼を言っていたら、最後にはいい加減にしろと叱られた。
それからは心の中で礼を言うことにした。
町に帰ったとき、彼は「焦らなくていい。時期がくれば全て解る。」と言ってくれた。
このとき俺は既に焦ってなどいなかったように思う。
でも、今は?
カタカタカタカタカタ・・・
テーブルに広げていた掌がいつの間にか拳を握って激しく痙攣させている。そのためコーヒーカップがソーサーの上で激しく揺れている。
なぜ今さら、こんな気持ちに?
町の皆に温かく迎え入れて貰い、この素晴らしい居場所も貰ったじゃないか。
もう昔のことは思い出さなくてよくなったんじゃなかったのか。
今、これ以上なにを望む?
充実を感じているじゃないか。
店の皆も、町の人達も、よくしてくれているじゃないか・・・。
なんなんだ・・・!!
―バシッ!
一瞬、頭の中で映像が弾け飛んだ。
モヤがかかったようでよく見えなかったが、その映像の中で俺は跪いて誰かを抱えて叫んでいた。喚いていた。
その腕の中に重さや温度を感じると共に、何とも言えない感情が湧き起こり、涙が止め処なく溢れ出てくる。
さらに激しい動悸と目眩に襲われ、気が遠くなっていく。
「はっ!はぁあっ!かはぁっ!」
息が苦しい。
俺の意思を無視して際限なく一方的に流れ込んで来る感情。
喪失感?絶望感?孤独感?虚無感?
何かに潰される、押し潰される、
何処かから落とされる、振り落とされる、
光が遠ざかる、光から突き放される、光が掻き消される、
闇、暗闇、音も光も届かない暗闇、漆黒の虚無空間、
飲まれる、飲み込まれる、
誰か、誰か、誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か・・・!
助けてくれっっ・・・!!!
ズドンッ!
「ぐぁっ!」
椅子から滑り落ちて、腰と右腕を打ち付けたようだ。
鼓動はまだ早く脈打っているが、呼吸は何とか落ち着き始めていた。
床に両手をついて身体を起こそうとしたが力が入らずに崩れ落ちた。
額から汗が滴り落ちて床も濡れており背中もびっしょりだ。
「マスターっ!! 大丈夫ですかっ!?」
店の入り口からエミリーの甲高い声が聞こえた。その後バタバタと目の前まで駆け寄ってくる足音。
どうやら俺はまだ店の床に這いつくばっているようだ。
ほぼ間をあけずにドカドカと別の足音も入ってきた。
その足音の主、アンドレスの肩を借りて椅子に座らせてもらったところへエミリーがグラスに水を注いで持ってきてくれ、俺はそれを一気に飲み干した。
目眩は収まり、心拍も呼吸も戻りつつある。少し気分も落ち着いてきた。
ようやく周りの様子を見る余裕が出てきた。向かいにアンドレス、隣にエミリーが座って俺の様子を伺っているようだ。
「ユーゴ、顔色は戻ったようだが、寝室まで連れていこうか?」
「大丈夫ですか?マスター。」
「ここで大丈夫だアンドレス。エミリーもありがとう。二人とも心配かけたね。」
「心配しました。・・・うぅっ・・・。」
エミリーはうつ向いて泣き出してしまった。
俺は驚いた。
心配は掛けたのだろうが、泣いてしまうほどの状況だったかと。
彼女にどう声をかけたものか考えていたところへ、アンドレスが俺に話しかける。
「ユーゴ、何があった?」
・・・・・!!
そうだ。何があった?
俺もよく解らない。解らないが、胸が張り裂けそうなくらい苦しかったことは覚えている。
暗い、果てしなく暗い、暗闇に突き落とされたことを・・・!!
「―ユーゴっ!?」
はっと我に返ると、アンドレスがテーブル越しに身を乗り出して、俺の左肩を掴んで揺すっていた。
さらに右腕にはエミリーがしがみついている。
「すまん、ユーゴ。話さなくていい。お前がどうにかなってしまう。」
確かに度々さっきのような発作を起こしていては、どうにかなってしまいそうだ。
しかし、もはや後戻りなんて出来そうにない。
「マスター。」
エミリーがおずおずと俺の右腕から離れながらも、顔を上げ、ついさっきまで泣いていたとは思えない力のある声で話し出す。
「後でお出掛けしましょう。」
「えっ?」
エミリーの提案に、俺もアンドレスも声を出してしまった。
―30分ほど後、我々は馬車に揺られていた。
エミリーは乗合馬車を使うつもりだったようだが、アンドレスが自分の顔を利かせて町長の馬車を借りてくれたらしい。彼は他の客に気兼ねしなくて済むからと言っていたが、きっと俺を気遣ってくれたのだろう。
だとしても、いきなり馬車を貸せと言われて応じるなんて、町長は彼に何か借りでもあるのだろうか?
「エミリーさん、君は店に行くとき、既にユーゴの異変を感じ取っていたのかい?」
アンドレスが御者台から我々のいるキャビンに向いて、訊ねてきた。
彼が言うには、彼が俺の店へ来る道中でエミリーが後ろから走って追い抜いて行ったらしい。そして声を掛けても彼女は気付く様子もなく、そのまま走り去ったようだ。そこで彼も胸騒ぎを覚え、彼女を走って追ったということだった。
「はい。・・・マスターが、何かに囚われて苦しんで叫ぶ姿が、頭の中に飛び込んできました。」
何だって?
エミリーは占いが得意だと言ってはいたが、これも彼女の能力なのだろうか。
知らないうちに俺の視線に彼女がすぐに気付くほど、正面の席に座っていた俺は彼女を凝視してしまっていたようだ。
慌てて「ごめん」と取り繕い、そのときに自分も体験した同じような現象を話そうとしたが、彼女がそれを制止した。
アンドレスもこちらを見ていたようだったが、また前に向き直った。
「マスター、目的地まで待ってください。そこでなら、きっと安全にお話し頂けると思います。」
「ええと、ラベンダー畑だっけ。リラックス効果が高くて昔から療養で滞在する人が多いって言ってたね。」
エミリーによると、この辺りのラベンダーは昔から自生していたが10年くらい前に火事で大半が失われてしまい、近くの村の住民達によって保護再生されたらしい。
その再生に尽力した薬師が品種改良を重ねて非常に高いリラックス効果を得られるようになり、今ではラベンダーの他にも様々なハーブを使った薬湯を観光資源として村は発展してきたのだそうだ。
「・・・・・」
アンドレスが何か思い出したような顔をしているが何も語らなかった。
少し陽が低くなって影が長くなり始めてきたころ、馬車はようやく目的地に着いた。
馬を水飲み場で休ませて繋いだ後、当初の目的を果たすためにラベンダー畑に入った。
そこは町や他の知る場所とは、全く違う空間だと実感した。
辺り一面のラベンダー。
視覚や嗅覚どころか五感全てに訴えかけてくるほどの癒し空間と言えた。
療養滞在者のために幾つか用意されたベンチの一つに三人で腰を掛けた。
アンドレスとエミリーが見守る中、俺は自分が体験した現象について慎重に話し始めた。
俺が跪いて誰かを抱えて叫んでいたこと。
流れ込む感情と共に涙が溢れ出てきたこと。
その後に激しい動悸と目眩に襲われて、暗闇に飲み込まれて気が遠のいていったこと。
二人は暫く俺を気に掛けてくれていたが、ラベンダーの効能が見事だったのか、俺の普段と変わりない様子を見てようやく安堵出来たようだ。
ここへ連れてきた当人のエミリーですらそうなのだから、俺が彼女達に掛けた心労はどれ程のものだったのかと考えさせられた。
一通り話し終えた後、エミリーは何やら考え込んでいるようで、アンドレスが先に口を開いた。
「ユーゴ、実に興味深い現象だが、俺にはその謎解きは難しいようだ。先ずはお前に聞きたいことがあるのだが。」
エミリーがピクリと反応したように見えた。俺は無言でアンドレスに続きを促す。
「ユーゴ、お前はこの場所を覚えていないか?」
この場所を?
俺は以前にここへ来たことがあるのか?
「いや、覚えていない。すまない。」
「そうか。いいんだ、謝ることはない。」
するとエミリーが意を決したような面持ちで話し出した。
「お二人に、私と妹を助けて頂いた場所です。」
驚く俺をよそに、アンドレスが納得したような顔で訊いた。
「エミリーさん、やはり君はあのときの姉妹エルフの子だったのだな。」
アンドレスとエミリーの話を合わせるとこうだ。
約10年前にこのラベンダー畑のそばで、エミリーと彼女の妹と父親の三人が魔物に襲われていたところを、アンドレスと俺が助け出した。
彼女の父親は脚にケガを負って身動きが取れず、姉妹も恐怖に身体がすくんで逃げるに逃げられず、死を覚悟しかけていた。
ちなみに、かつてのラベンダー畑の火事というのはその戦闘中に魔物が吐いた炎で焼かれたためらしい。
「私、お二人が現れて魔物と闘って頂いているのを目の当たりにして、安心して緊張の糸が切れたのか、気を失ってしまったんです。気が付いた時は三人とも村のお医者のベッドに寝かされていて、お二人は既に村を去った後でした。」
その戦闘中に、俺は魔物の攻撃を受けたわけでもないのに気を失った挙句、目覚めると記憶を無くしていた。
そして記憶を失った理由は結局そのまま解らずじまいだ。
予想していた通りエミリーが責任を感じている趣旨の言葉を口にしだしたので、俺はそれを無用であることを説明することに注力していると、アンドレスが助け船を出してくれた。
「俺も、当時エミリーさんたち三人に別れを言わずに立ち去ったことを気にしていたんだ。」
「そんな、逆です。こちらこそ御礼を言えないままでしたので、今更ですが本当にありがとうございました。」
当時、彼女の父親も我々に連絡を取ろうとしていたようだ。
村の医者では名前すら判らなかったが、冒険者ギルドにドラゴニュートの冒険者について問い合わせるとアンドレスの名前には行き着いた。
しかし、ちょうど我々は医者と家族探しの旅に出ていたために連絡のつけようも無かったようだ。
森の住民である彼らは町中に長く滞在することは許されておらず、探すことは諦めてギルドにアンドレス宛てで礼状を残し、志し半ばで自分たちの森へ帰ることにしたとのことだ。
「その手紙は確かに受け取った。」
アンドレスがそう応え、俺も彼女に向いて頷いた。
「そして2年くらい前に、ついに私は故郷を出ました。」
彼女が言うには、人里から離れて森に住まうエルフの、時が止まったような世界から離れたかったということ。
そして我々を探し出して会って御礼を言いたかったということ。
記憶に残る土地を転々としながら冒険者ギルドに依頼を出し、遂にドラゴニュートと旧交のあるヒューマン、つまり俺が経営する店を半年前に見付け、今に至るとのことだった。
なお、彼女には戦闘能力の類いは元々なかったため、フィールドの移動は冒険者(主に女性)を雇って身の安全を図っていたようだ。とは言え危険の伴う長い旅。彼女自身も少しずつ護身の類いや治癒系の魔法を少しずつ身につけていったようである。
「しかし、遂に見付けたユーゴは当時の記憶を失っていたことを知って、今の今まで自分のことを言い出せなかったというところかな、エミリーさん?」
彼女はアンドレスの問いかけに、黙って頷いた。
俺は、申し訳なく、そして情けなく思えた。
まったく、俺は無力だ。
いまだにアンドレスから受けた恩に報いることも、エミリーの行動力に応えることも、出来そうに思えない。
「―マスターっ!!」
「えっ?」
二人とも、俺が考え込んだものだから、また発作の予兆かと心配そうに覗き込んでいたようだ。
特にエミリーを不安にさせてしまったようだ。
「ごめん、大丈夫だ。」
二人はベンチに座りなおした。
これはもう、二人の前では滅多に考え事も出来なくなってきたかも知れない。
などと考えていると、エミリーがまた俺の顔を覗き込んできた。
「マスター、くれぐれも負い目を感じたり焦ったりしないでくださいね。」
・・・その通りだった。
特に何かをする訳でもないが、気持ちは焦り始めていたし、負い目もしっかり感じていた。
そんなに判りやすい表情をしていたのだろうか?
「わかったよ、ありがとう。大丈夫、気を付けるよ。」
「はい!」
俺を見つめてニコリと首を傾げる彼女の仕草が可愛らしく、また勝手な期待を持ってしまった。