episode 3 帰還した友
「マスター?」
意識の外から誰かが俺を呼ぶ声がする。
母が我が子を安心させるように、優しく語りかけるようなトーンで。
いや、母というより、もっと若い女の子の声だ。
・・・女の子の声?
「マスターっ!」
今度はやけに元気なトーンのお陰ですっかり覚醒したものの、俺は事態が呑み込めなかった。
ベッドの上で仰向けの俺の顔を、よく見知ったハーフエルフの彼女が横から覗き込んでいるという状況だ。
目で周囲を見渡す。
ログハウス二階にある俺の部屋だ。窓からは、真っ青な東の空に太陽が輝いているのが見える。その窓から差し込む陽射しを遮るように、彼女がなぜ、傍らに立っているんだ?
まさかのまさかなのか、俺!?
ついに・・・いやいやいや、まだそうと決まったわけではない。もしそうなら彼女はこんな何もなかったかのように振る舞ったりしない。たぶん。
「おはようございます、マスター。昨夜はご面倒お掛けして、本当にごめんなさい。あと、その・・・重かったでしょ・・・?」
ようやく冷静になって昨夜の出来事を思い出した後、ずっと申し訳なさそうにしている彼女にはいったん部屋を出て一階で待っていて貰うことにした。
俺は急いで身支度を整えてカウンターに向かった。すると厨房からいい香りがする。どうやら彼女が朝食を作ってくれているようだ。
「マスター、勝手に厨房を使ってスミマセン。ちょっとだけ食材を拝借して朝ご飯を作りました。」
「おっ、いつもどおり美味そうだ。じゃあ一緒に食べよう。」
「はい!」
うちは飲食店。賄いも、自分達であり合わせの食材を使って作っている。
中でも彼女が作るものは店員の中でも人気が高く、俺も含めて彼女の当番を心待ちにする者が多いほどだ。料理長がレシピを聞いて店の正規メニューにしたものも既に幾つかあるくらいレベルも高い。
昨夜と同じ席に二人並んで食事を始めることにした。既にトーストとコーヒー、あとポトフが置かれていた。
「このポトフ美味い!」
「ありがとうございます、マスター。」
「次回の賄い当番の時もういちど作ってくれないか?」
「ふふ、わかりました。」
つい先程までは昨夜のことを気にしてションボリ気味だったが、すっかりいつもの明るい彼女に戻ってくれたようだ。
かくいう俺も、いつもの一人寂しい朝食ではなく、女の子が作る手料理を二人で食べる極めて稀少なシチュエーションに年甲斐も無くテンションが上がっている。
「本格的にエルフの郷土料理に取り組みたいな。ちょうど店の名前も『エルフの隠れ里』だし。」
「ずっと聞きたかったのですが、どういう経緯でこの店名になったのですか?」
厨房でポトフのお替りをよそってくれていた彼女がカウンターに戻ってきて、そう訊ねた。
俺は彼女からお皿を受け取りながら、「うーん」とちょっと考えてから答えた。
「昨日の話を覚えてくれているかな。町の皆への恩返しで俺がこの店を始めたって話。組みあげられていく丸太を見ていたら、町の中に見えない森が作られていくような感じが何となくしたんだ。」
彼女は再び席に着き、俺の横顔を見ながら笑みを浮かべて話に聞き入ってくれている。・・・何だろうこの感覚は。とても懐かしい気分に充足されていくようだ。
一瞬、呆けてしまった。
ふと我に返って、コーヒーを少し口にした後、話を続けた。
「エルフって森の中に村を作るんだよね?」
「はい。地上だけではなくて、部族によっては樹の上に作ることもあります。村が大きくなって目立つのを好まないので、そんなときは部族から幾つかの氏族が離れて、他の土地に別の集落を作るんです。村まるごと引っ越しすることもあります。」
「行ったことがあるって人も聞かないし、仮に行けても次には無いかも知れないのか。まさに『隠れ里』・・・?」
そこまで言ってハッとした。
いま彼女から聞かされたことは、この店を始めるときに俺は既に知っていたのだろうか。そうでないと『エルフの隠れ里』なんて名前を思いつかないはずだ。
記憶を失ってからこのログハウスが建つまで時間があったから、その間に知り得たのだろうか。
・・・少し考え事が長かったらしく、彼女が横から覗き込んできた。
「マスター?」
「あっ、ゴ、ゴメン。えーと、よく覚えていないけど、お店を始める直前くらいに誰かから聞いたんだと思うんだ。それで、このログハウスにそのイメージを重ねたんだと思う。」
我ながら自信の無さが丸出しの回答だ。
しかも、覗き込んできた彼女の顔が近すぎて緊張して口籠ったうえに視線まで逸らしてしまった。うーむ、彼女はひと回りくらい年下だぞ。いや多分。少なくとも見た目は。
視線を戻すと、昨夜にも一度見た、少し寂しそうな表情の彼女がそこにいた。
「・・・そうだったんですね。私、マスターがエルフと何かの御縁があったからなのかと思っていました。」
「冒険者の中にも個人的に付き合いのあるエルフは思い当たらないな。」
彼女はカウンター上を見つめたまま、静かに食事を続けた。
誰だってそういった顔をするだろうが、彼女はいつも笑顔のイメージが強いためかギャップが強くて気になってしまう。昨夜は気のせいかと思ったが、やはり何か理由がありそうだ。しかも、俺がらみ?
肝心な時に言葉が出ず、俺も黙って食事を続けた。まさに空気の重さを感じ始めていた、そのとき。
「やあ、邪魔するよ」
扉が開く音と共に、聞き覚えのあるバリトンボイスの声が飛び込んできた。
朝陽を背に受けているため姿は暗いが、竜の獣人・ドラゴニュートで間違いない。背には何か長尺の武器を背負ってはいるが防具は比較的軽装のようだ。彼は遠慮もなく且つ颯爽とした様子で店内に歩を進めてきた。
俺は右手を彼の前に差し出し、親子ほど差のある彼の大きな手とガッチリ握手をしながら言った。
「アンドレス!久しぶりだ。旅から帰ってきたところか?」
「ああそうだ。朝からすまんな、ユーゴ。店は繁盛しているのか?」
「お陰様で。さあ座ってくれ。朝飯は食べたのか?」
「いや、まだだ。しかし店のほうもまだだろう?」
そうだった。ポトフがまだ残っているか聞こうとしたが、隣にいたはずの彼女の姿が無い。
旧友との数年ぶりの再会に我を忘れかけ、彼女を放置してしまっていた。
彼女の姿を探す俺に、彼が声を掛けてくる。
「彼女なら俺が座りかけるときに厨房に入っていったぞ。ところでお前、いつの間に所帯を持ったんだ?」
「え?いやいやいや、それは違う、違うぞ!」
彼女はどうやら気を利かせてアンドレスの食事を用意しに行ってくれていたようだ。
その間に、彼の誤解を解くために、彼女が従業員であることと彼女が泊まることになった経緯を話す。
しかし彼はニヤニヤしながら俺をからかい続けるものだから、厨房に入った彼女に聞かれてはいないかと気が気でならない。
やがて彼女がトレーを持って戻ってきた。温めなおしたポトフと、トーストとコーヒーも用意してくれていた。
「どうぞ召し上がってください。アンドレスさん。」
「ああ、ありがとう。エルフのお嬢さん。」
「申し遅れました。私、このお店で半年ほど前からお世話になっている、エミリーと申します。」
「俺はユーゴの旧友のアンドレスだ。冒険者をやっている。美味しそうな食事を用意してくれて有難う。さっそく頂くことにするよ、エミリーさん。」
冒険者は旅に出ると野宿が多く、野山や川などで自給自足の食事生活になる。宿泊施設に泊まることもあるがせいぜい月のうち3~4日程度らしい。風呂は言うまでもなく川で水浴びが代わりだ。もちろん川があれば、の話だが。
恐らくアンドレスは近くで野宿して夜明けと共にこの町に向かい、つい今朝に着いたのだろう。
よほど空腹だったらしくあっという間に食事を平らげ、俺とエミリーも彼に引っ張られるようにして食事を済ませた。
エミリーが三人分の食器を下げて厨房に向かった時に、アンドレスが神妙な表情で俺に訊ねてきた。
「ユーゴ、彼女にはどこまで話しているんだ?」
「昔のことか?ある時期以前の記憶が無いことと、この店を始めた頃のことくらいだな。冒険者だったことは俺自身に実感がないから話していない。そもそも従業員でも料理長と一部の者しか知らないと思う。」
「そうか。昨夜、彼女はお前に何か大事なことを伝えたかったんじゃないか?」
俺は、眉をひそめた。
アンドレスの言葉の意味は正直よく解らなかったが、彼は博識なうえに非常に思慮深い男だ。「何となくそう思った」だけのことを口にすることは殆どない。だから彼の言葉には大抵において重みがある。
「アンドレス、いま『大事なことを“伝えたかった”のでは』と言ったよな?」
「ああ。俺の記憶が確かなら、俺は彼女を知っているし、以前のお前も彼女を知っていた。」
さっきより更に眉をひそめることとなった。かなり深いシワが眉間に入ったことだろう。
それだけ彼の言葉が俺の中の何かを激しく突き動かしているし、心拍数が上がってくるのも判った。彼に気付かれない程度の軽い深呼吸を何度か繰り返して落ち着かせる。
「・・・今度は『知っていた』か。貴方の記憶では、我々と当時の彼女との間に何があったんだ?」
「それも含めて、三人で話をしたいのだが。大丈夫か?」
いつか向き合わないといけないとは思っていた。しかもアンドレスからの申し入れだ。彼には大恩がある。
彼は以前から「時期がくるまで焦らなくていい」と言って最初から俺をずっと気遣ってくれていたが、ついに『時期がきた』と言うことなのだろう。
なぁに、今の生活が急に変わるわけではない。軽く、腹をくくるとしよう。
「わかったよ。アンドレス。」
「そうか。じゃあ、後でまた来るよ。」
「えっ、今ではダメなのか?」
「話は長くなる。ランチの仕込み前に、お前に何かあったら事だ。」
バッと壁の振り子時計を見て、思っていたよりも時間が過ぎていることに気が付いて俺がぎょっとしているところへ、アンドレスが追い打ちをかけた。
「あと、彼女も昨日と同じ服のままでは不味かろう?」
いつの間にか厨房から戻ってきていたエミリーも同時に時計を見て焦ったようで、彼女の口から「ひゃっ」と声が聞こえた気がした。いや、聞こえた。
「マスター!いちど自宅に戻って来ます!アンドレスさん!では後ほどまた!」
バタバタとエミリーは勢いよく飛び出していった。かなり珍しい彼女の慌てぶりを見て、さっきまで緊張していたのが幾分か和らいでいくのを感じた。
彼女は『後ほどまた』と言って帰ったが、途中から俺たちの話を聞いていたということか。彼女が当時の事をどれだけ知っているのか判らないが、昨夜に彼女が言いたかったことや、あの寂しそうな顔をした理由が解るかも知れない。
「ありがとう、アンドレス。」
俺の言葉に一瞬キョトンとしたようだったが、隣に座っていた旧友は黙って俺の背中をポンポンと叩いた。本当に彼には世話になりっぱなしだ。
「で、いつ彼女を嫁さんに貰うつもりなんだ?」
「・・・なななっ!」
そう言えば、結婚の世話もさせろって、かなり昔に言われていたようような気がする。
まさか、これも腹をくくれということか?