episode 13 魂の歴史
窓から射し込む朝陽。
情緒のある夕陽も好きだが、この溢れんばかりの眩しい朝の陽射しのほうが俺は好きだ。
このログハウスの内装には細身の樹木や端材もふんだんに使っており、窓から射し込む光が室内の至る所に様々なコントラストを作り出す。
店舗兼住居であるこの『エルフの隠れ里』を建てる時、「切り出した樹木は出来るだけ無駄なく使って欲しい」とリクエストした。綺麗に製材された『材木』だけでは難しい、森林の中に自生している木々のフォルムを内装に残したかったのだ。
店の名前も含めて、集客を意識した訳ではなく、完全な自分の趣向だ。
いっそ屋内に樹木を生やしたまま残してくれと言ったら大工を困らせてしまったらしく、アンドレスに止められて渋々それは諦めたなぁ。
自分の心を穏やかにすることにこだわった内装だったのだ。
そこにあるのが当然のような、それこそ太陽や雲のように。
今もそれは変わりないのだが、さらに色豊かに、心に染み入るように感じる。
下の階から人の気配を感じた。
もちろん不審者ではない。そんな輩がキッチンで料理なんか作らない。
エミリーだ。
俺の生活を色豊かなものに変えてくれた、大切な女性。
身支度を整えてダイニング兼店舗カウンターへ。
その女性はいつも俺に優しい笑顔を向けてくれる。
「おはようございます、ユーゴさん。」
「おはよう、エミリー。」
やがて朝食の用意が出来て、カウンター席で二人並んで美味しく頂いた。
会話も弾む。
今日のお昼は彼女が賄い当番で、新メニューを皆に試食して貰うつもりだと聞いている。今から楽しみだ。
そして次の話題…昨夜に聞きそびれた「マスター代理として考えていること」。
それは、“占い”の話だった。
いつだったか、彼女には人の過去を見ることが出来る能力があると聞かされた。
あと俺が倒れたときに、離れた場所に居た彼女がそれを感じ取って駆け付けてくれたことも聞いた。これは別の能力なのだろうか。
「私には…ええと、正確には私が暮らしていた村で、私の家系と他の一部の家系には、他の人には見えないものを見る力があるのです。」
俺がコーヒーを淹れているところを眺めながら、彼女はゆっくりと語り始めた。
「人には見えないもの、それを私の暮らしていた村では“魂の歴史”と呼んでいます。」
「魂の、歴史?」
「その前に少し、私の出身地の話をさせてくださいね。」
「うん、聞かせて。」
コーヒーの入ったカップを彼女の前にそっと置いた。
彼女の出自には正直なところ興味はあったがこれまで詮索してこなかったのだ。これは他のスタッフに対しても言えることだが、あまりプライベートには立ち入らないようにしてきた。中には包み隠さずというか、少しは包み隠して欲しい人もいるが、それはさておき。
先ずは一般的なことを交えた話から始まった。
・エルフについて。
自然と共に生きる種族。
その生活基盤上からか変化を好まない傾向が強く、他の種族との交流を避けて森林や湖の近くで一生を過ごす。
・エミリーが暮らしていた村について。
各地に点在する村の中では他種族との交流に比較的寛容なほうに入るようだ。彼女の母親がヒューマンであり周囲とも仲良く出来ていたらしいことからもそれが窺える。
・エルフの寿命について。
平均寿命は300~400年で、中には600年以上を生きる者もいる。但しエミリーのように他種族の血が入ればその影響を受けることがある。
「私はヒューマンとのハーフですが、たぶん寿命に関しては純血のエルフ同様に長いと思います。」
「そうか、じゃあ俺も長生きしなきゃいけないな。」
「そうですよ。最低でも百年は頑張って下さいね。」
「ええっ、流石にそれは…、いや、頑張るよ。」
彼女は微笑み、俺の左肩にそっともたれかかり、腕を組んできた。
その腕に右手を添えて、もたれかかった彼女の頭に自分の頭を寄せた。
分かっていたことだが、エルフはヒューマンよりも長命だ。
つまり俺が先に死ぬ。
俺が死んだ後は、彼女はどうするのだろうか。
エルフなら100歳近くになってもまだ若々しいだろう。たぶんヒューマンの30歳の肉体年齢にもなっていないのではなかろうか。
だったら第二の出会いもあるかも知れないし、そのほうが寂しい想いをさせないで済むだろう。
などと考えていると。
「何十年か先。」
「え?」
「ユーゴさんが先に亡くなっても、私はユーゴさん以外の男性とは結婚しません。」
「エミリー…。」
「ユーゴさんの思い出と共に生きていきますから、これから沢山の思い出を、私に下さいね?」
「!…勿論だ。」
自分の顔を見られたくなくて、そっと彼女を抱き寄せた。
そっと、だ。
今は大切な話の途中だから、そこまでだ。
うん、堪えたぞ。
堪えたのは、涙だぞ。
またポツリポツリと彼女は話を再開した。
上半身の重みをお互いに預けたまま。
・魂について。
人間(ヒューマン、エルフ、獣人など全ての種族)は、体、心、魂の『三位一体』で出来ているそうだ。魂とは人間の肉体に宿り、その人間の存在を司るもの。昔アンドレスと各地を巡ったときに何処かの街の教会で聞かされたような気がする。
そして魂は宇宙と繋がっていて、生を受けると自我意識が主体になり…??
俺がよほどポカンとしていたのだろう、いや、自覚はあったのだが、エミリーはすぐさま軽く飛ばすような話し方に変えてくれた。
彼女曰く「村で司教様によくお話し頂いたから覚えている程度」とは言うが、全く理解が追い付かない。
・魂の歴史について。
魂は滅びることがない。身体が滅んでも(死んでも)次の身体を授かって新しい人生を繰り返し体験する。
魂が体験した幾つもの人生が、魂に全て記憶される。
この何世代もの魂の記憶を、『魂の歴史』と呼んでいるとのことだ。
但し新たな生を受けている間は前世以前の記憶は魂の奥底に封印されていると。
うん、このくらいなら理解できる。
「行ったことがない筈の土地で既視感を覚えたことが誰しもあると思いますが、殆どの場合はその魂の歴史に記憶された前世以前の実体験によるものです。」
「俺のように記憶を失っている者はどうだろうか?」
「ええと、実際には記憶を失った訳ではないのですが、魂に限っていえば、まだ浅いところに残っているはずです。既視感を覚えることもあると思います。その魂と自我意識とを繋いでいる心に何らかの刺激を受けることで…」
そこで言葉を止めてエミリーは黙り込んだ。何か考えを巡らせているようだ。
ほんの数秒の沈黙の後、また話し始めた。
「ユーゴさんはあの戦場で、忘れていた魔力の纏い方や戦い方を思い出しました。あのときは記憶というより身体に染み付いた反射行動として顕現したというか。…アンドレスさんを探して、走って、魔獣の吐く炎に焼かれそうになって、そしてアンドレスさん達を見付けて…それから…」
「エミリー、待って。」
「えっ?」
「ごめん、俺が余計な質問をしたようだ。俺の記憶のことを考えてくれたんだね、でも今は『魂の歴史』がどういうものなのか、君の能力がどういうものなのか、それを先に教えてくれるかい?」
「あ、はい、そうでした、その、思い出しちゃって。えっと…ごめんなさい…」
「いや、謝るようなことじゃないよ。俺こそ…」
コーヒーを淹れなおして小休止を入れた。
落ち着いてくれたところで彼女に続きを話して貰った。
・魂の歴史について(続き)。
前世と今世は深い繋がりがある。
前世で達成できなかったことを今世でやり遂げようとしている、あるいは前世の罪を今世で償っている等。
つまり同じような状況が繰り返され、因果関係までも引き継がれるという。
そしてこれらは魂に刻まれて無自覚のうちに行動指針の礎になるらしい。
中には夢を見るという形で明確に自覚することもあるが、これは魂として成熟されている場合に限る。
なに、魂の成熟って?
・魂の成熟について。
例えば他人に迷惑をかけることを意に介さない者は前世では人間ではなかったことが多いらしい。
前世でそれなりの徳を積んだことによって今世で初めて人間の身体と心を与えられたものの、魂としては若く未熟なために心と噛み合わないことが原因でそうなるのだそうだ。
それでも大抵は何度か新たな人生をやり直すことで魂を成熟させていくことが出来るとのこと。
・勘、直感、虫の知らせ等について。
先述の『既視感』と同じく、これらは根拠のない感覚的なものではなく、前世以前の実体験から『きっと上手くいく』『嫌な予感がする』と確かな経験則による判断がなされているようだ。
へぇー、そうだったのか。
「非常に興味深いね。」
「次は、私たちの能力についてですが、実のところ私たち自身も完全に把握しているわけではないのです。」
「そうなの?」
「私の家系を入れて、故郷の村では二つの家系だけにその能力があります。他の村ではどうか分かりませんが、少なくとも比較的近い三つの集落にはいないようです…私たちのことは知られてはいるようですけど。」
・能力を持つ人について。
彼女の故郷の村にある教会を取り仕切る司教と、その遠縁にあたる彼女の家族。(村中ほとんど遠縁とも言えるらしいが)
彼女の家族とは、父親と妹の二人。母親は彼女が幼少の頃に亡くなったらしいが、不思議なことに母親にも後天的に同じ能力が備わっていたらしい。
また、司教は村で最も長寿で500歳をとうに過ぎており、両親は既に他界し子供もいないとのこと。
・能力について。
本題である、当初“占い”と言っていた彼女の能力について。
もうここまで来たら想像できていたが、この能力というのは、人の“魂の歴史”が見えるというもの。
どのように見えるのだろうか。
「可視化されて肉眼に映って見えるわけではありません。魂を繋げて記憶を共有するのです。」
「宇宙と繋がっているという話と関係があるのかな?」
「そのとおりです!」
素敵な笑顔だ。
殆ど解ってないのに解ったような相槌を打ってしまったが、結果オーライか。
魂の歴史を見るとき、精神を集中して心を静かに維持してようやく、少しずつ穏やかに宇宙に抱き寄せられる感覚を得る。これが“繋がる”ということらしい。
「ユーゴさん飲み込みが早いです。」
「いや、さっき聞いたキーワードと勝手に繋げただけだから。」
「ふふ。あと、“繋がって”いなくても、人の心の機微のようなものを感じ取ることがあります。心の声とまではいきませんが感情を感じ取ることがあります。直感、勘といったようなものでしょうか。」
これには思い当たる出来事がある。
俺が店で倒れたときに、町中にいたエミリーがその異変を感じ取って駆け付けてくれたときではないか。
「きっと、そうだと思います。」
「きっと?」
親兄弟など近しい親族、友愛の対象者、あるいは能力を持つものどうしであれば、“繋がって”いない状態で且つ離れた場所に居ても、いずれかに身の危険など心が大きく乱されるようなことがあればもう一方がそれを察知することが出来るとのことだ。
しかし俺とエミリーは、そのときはまだ婚約はおろかお互い好意を持っていたかも怪しい時期だったはず。
そこでふと気配に気付いた。
危険な存在ではない。むしろ頼もしい人のものだ。
「では少なくともエミリーさんは、そのとき既にユーゴのことをかなり慕っていたということだな。」
いつの間にか後ろの席に座っていたアンドレスが、話しかけてきた。
二人して彼の姿を確認したところで、自分たちが会話に集中し過ぎていたことに気付かされた。
エミリーに視線を戻したら全く同じタイミングで彼女と目が合ってしまい、わざとらしくコホンと咳を一つ。
「アンドレス、気配を殺して入ってくるなんて、ちょっと趣味が良くないのではないか?」
もちろん本気で言っているわけではなく、そういう軽口も言い合える間柄、いや、この場合は照れ隠しだ。
アンドレスにはバレバレだが。
「確かにドアをノックもせずに入って無作法だったが、お前たちが熱心に話をしていて気付きそうにないなと思ってしまったものだから、ついな。悪戯が過ぎたようで、すまない。」
「いや、気にしていない。」
いつの間にかエミリーはキッチンに入って洗い物をしていた。
お湯も沸かしていたらしく、アンドレスのためにコーヒーを淹れてくれているようだ。
「どうぞ、アンドレスさん。」
「あぁ、ありがとう。」
彼が一息つくのを待って改めて声をかけた。
「アンドレス、今日はどういった用で?」
「ん、俺の用向きは後でいい。まだお前たちの話が途中だったようだから、コーヒーだけ頂いたら出直すことにする。」
「出来ればアンドレスさんにも聞いて頂きたいのですが。」
エミリーがアンドレスを引き留めた。
魂の歴史の話を?
いや、そもそもの話は彼女が「マスター代理として考えていること」だ。
「そうなのか?そういうことなら居させて貰おう。」
その後、彼女の家系や魂の歴史についてもう一度さっと概要を話したうえで、本題に入った。
「前世と今世は同じような状況を繰り返し体験する傾向があります。少なくとも何かしら因果関係があります。故郷の村では司教様が、相談者の前世での失敗例や成功例を教えることで道を示して、助けになっていらっしゃいました。」
「つまりエミリーさんはその能力を使った商売を考えているわけかな。」
「商売…いえ、この能力はお金儲けに使いたくないので、出来れば無料で。駄目でしょうか。」
「うん、うちの店で飲み食いしてくれれば問題ないと思うよ。もし評判になればこれを目当てに町の外からもお客さんが来てくれるかも知れないしね。」
だが心配もある。
エルフの村では認知されてはいるのだろうが、この町でも受け入れられるのだろうか。
あとヒューマンや獣人にも通用するのだろうか。寿命が違い過ぎるために精神年齢に差もありそうだし。
…あと、信じていないわけではないが、まずは実際に試したいところだ。
それと、軌道に乗ったときのエミリーへの負担を考えれば、スタッフの補充も急がないと。
などと考えていると。
「アンドレスさん。」
「ん?何だね、エミリーさん。」
「ユーゴさんに御用があったと思うのですが、何かお困りごとが増えたご様子ですね。」
「…なぜ、そう思うね?」
「アンドレスさんの心の機微を感じます。落ち着いていらっしゃいつつも、なにか時期を窺って迷っているような、そんな気がします。」
俺は見逃さなかった。
いつも冷静沈着なアンドレスが、ほんの一瞬だが目を見開いた様を。
あとエミリーが、俺以外の非血縁者の心でも解っちゃうところに少し嫉妬してしまった自分自身が嫌だな。
「ユーゴさん。」
「な、なに?」
「魂って、顔のようなもので、人それぞれ雰囲気や色があるのです。対象の方がすぐ目の前にいるなら、魔力を纏って観察すれば、大抵は心の機微程度ならだいたい解ります。」
「そうなんだね。」
「考えていることが読めるとまではいきません。でも先ほどのユーゴさんから感じたのは、寂しいような、そんな心の機微を感じました。でもそれは少しの間で…すぐいつもどおりに戻られましたけど。」
すごい。
というか恥ずかしい。
考えていることが読めるとまではいかないとは言ったが、それでもそこまで解るのか。
エミリーがニコニコしている。
アンドレス、俺を見るな。微笑むな。
貴方のほうこそ俺の心が読めているのではないか。
コホンと、わざとらしい咳払いをまた一つ。
恥ずかしいからではない、重要な話をするからだ。
「エミリー、質問していいかな。」
「はい、どうぞお願いします。」
「心の機微、かな。これは案外と手軽な印象があるのだけど、エミリーにとっては簡単なのか?」
「そうですね、心の機微を視るだけなら魔力を少し纏うだけで済むので、たいしたことはありません。」
「魂の歴史を視るほうは、それだけでは済まないということだね。…安全に行えるものなのか?」
身を削るようなこと、つまり寿命を代償にするとか、…あるいは血を捧げるとか、そんな人道的とは言い難いようなことがないか確認したかった。
そんな俺の緊張を感じ取ったのか、彼女は一瞬ハッとした表情をして、苦笑めいた笑顔で答えてくれた。
「いえ、そのような危険なものではありませんよ。ただ精神集中して、たぶん時間にして何秒か周囲から意識が隔絶されますので、念のため傍にどなたか御一緒して下さると安心です。」
「それくらいで済むのかい。」
「あとは、対象の方以外で強い魔力を持つ方や、発動中の魔道具が近くにあると上手くいかないことがあるくらいでしょうか。」
俺の心配は杞憂だったようだ。
とは言え、非常に稀有で恐らく神聖な類いの能力には違いなさそうなので、特別なものとして扱われて欲しいところだ。
さて、彼女の能力については概ね理解出来たように思う。
あとは具体的にどのように営業、いや活動するかだな。
―と、チラリと壁の時計に目をやったところで。
「ここから先は店の者も一緒に聞いて貰うほうがよいのではないか?」
とのアンドレスの提案を受け入れることにした。もうじきスタッフ達が出勤する頃合いだ。
一旦この話は中断して続きは後だな…と、そこでようやく思い出した。
「すまない、アンドレス。貴方の話がまだだった。」
元々アンドレスは俺に用事があってやってきたのだ。
「ああ、そうだったな。」
「すみません、私の話ばかりになってしまって。」
「いや、気にしなくていい。…出直して午後からにするとしよう。」
「アンドレス。」
彼が席を立ち上がって歩を進めようとしたところを呼び止めた。
エミリーが『なにか時期を窺って迷っている』と言った、彼の心の機微が気にかかっていたのだ。
「アンドレス、よければ概要でも話してくれないか。」
「―わかった。」
アンドレスは席から離れた場所に立ったまま、我々の方に向き直った。
「俺と一緒に、冒険者ギルドの依頼を受けて貰えないか。」
このタイミングで?
いや、だから迷っていたのか。