episode 11 仲間たち
「それで、マスター。さっきの続きなんですケド!?」
と、元気のいい声が店内に響き渡った。
ランチタイムが終わり、扉に『準備中』の札が掛かった途端に女性スタッフの一人が詰め寄ってきた。
――少し時間を遡る。
馬車を降り、馬と荷物をアンドレスに任せてエミリーと店内に入るやいなや、スタッフからも客からも関係なく矢継ぎ早に質問攻めに遭った。
何故か既に婚約のことが知れ渡っていたのだ。
想定外の状況に思考が追い付かず、荷物と馬車を片付けたアンドレスが店に戻ってきた時に彼をすぐ二階の自室に連れていって問い詰め、その理由はすぐ判明した。
ラベンダー畑の村の村長の仕業だ。
レストラン経由でアンドレスの“気が早く且つ策略めいた”婚約報告を受けた村長が、我々の出立よりも先駆けて早馬を出して礼状と祝辞を届けた、ということだ。
しかも、領主邸に出向中だったにも関わらず、だ。
なんと仕事が早い…と感心ではなくアンドレスの手引きによるものではないかと疑ったのだが彼には否定された。…信じてやれないな。
仮にそうだとしても、すぐ村長には御礼の手紙を出しておくことにしよう。
あと、彼に「もし俺がエミリーに求婚していなかったらどうしていたのだ」と訊いてみた。村長の耳に入ったときはまだアンドレスの脚本段階に過ぎなかった筈だから。
すると彼の答えは。
「策とは何重にも講じておくものだ。この村長の手紙が後押ししてお前に今ここで求婚せざるを得なくさせる状況も想定していた。順番が入れ替わっても結果が同じなら問題はない。」
…この人にはとても敵わない。
「そろそろ戻った方が良いぞ。」
彼に促され一階の店舗に戻ったとき、厨房は少し落ち着いていたがホールスタッフはまだ皆忙しそうに動き回っていた。
こんなときに俺は現場を離れて…と、いそいそと厨房に入ろうとすると、取り残されて一人で質問攻めに遭っていたのであろうエミリーと目が合い、真っ赤な顔をした彼女にぷくーっと頬を膨らましながらそっぽを向かれてしまった。
「ごめん。エミリー、一人にしてしまって…」
「…ふーんだ。」
エミリーの怒った顔も、かわ…
「あぁーっ! マスター、見付けまシタよーっ!!」
そこでソフィアに捕まり、カウンターの端の席で待機するよう仰せつかった。
もちろんマスターたる俺にはスタッフのそんな要請に従う必要は無かったのだが、何日も店に迷惑を掛けていたし、ここは大人しく言うことを聞いておくしかない…
――なんて、殊勝な考えは全くもって失策だった。
ランチタイムが終わり、大人しく待機してしまっていた俺とエミリーは現在ついに彼女たちの餌食スタートというわけである。
アンドレスも傍には居たのだが、この人はスタッフ側だ。今回は敵だ。
…ただ餌食になるだけなのもアレなので、ついでに、店のスタッフ紹介を兼ねてみよう。
まず、ソフィア。
彼女は数少ない開店当時から続いているスタッフの一人で、猫の獣人だ。
成人になってすぐ入店したので多分まだ二十代半ばと若いが、いまやホールの責任者を務めて貰っている。客にもファンが多い美人さん、なのだが…
「ヒューマンの慣習デハ、マスターとエミリーみたいに婚前旅行に行ッテ、交尾するんですヨネ?」
「「・・!!!」」
俺とエミリーが揃って凍り付くのと同時に他のスタッフも固まってしまった。
店で一番若い、男性スタッフのフリオは口を半開きにしたまま目を見開いている。トレーニングで身体は鍛えてこそいるが実は純朴な彼には刺激が強過ぎたらしい。…喋ってくれそうにない。
やがて傍にいたイルマが口を挟んできた。こちらは犬の獣人だ。
頼む、年上の女性として巧く指導してくれ。
「ソフィア、もっとオブラートに包んで、『ヤッたんですよね』って訊くんだよ。」
「「ヤッてません!!!」」
エミリーと二人で否定しながら嫌な汗がダラダラ流れる。
ソフィアは「そっかー、さすがイルマ姉さんダ。」とか言っている。
エミリーはいたたまれずに厨房のほうへ引っ込んでしまい、洗い物をしていた女性の調理スタッフにしがみ付いてしまった。
「リズ助けてー…」
「ちょっと、エミリー、しっかりしなさいよ。からかわれるのは判っていたでしょ。」
リズは料理長ダニエルの娘さんだ。ストイックで妥協しない、格好の良い女性だ。
彼女も元冒険者で、数年前にエミリーの護衛で一週間ほど行動を共にしたことがあったらしい。当時はそれだけの接点だったようだ。
半年ほど前にこの町で再会して、エミリーが人探しをしていてそれが俺だと知ったとき、聞かされていなかったとはいえ結果的に遠回りをさせたとして彼女は頭を下げていた。そしてエミリーを店員として引っ張り込んだ。
そんな過去のせいなのかは判らないが彼女はエミリーには特に優しくしているように見える。今もエミリーをハグしながら髪を撫でてやっている。
あと、今はいないがハーフドワーフのカーラ。
彼女の本職は彫金師。
日中は高名な鍛冶師であるご主人と二人で工房を営んでおり、ディナータイムの忙しいときに、彼女の都合が付いた範囲で厨房を時々手伝って貰っている。
最後に、エミリー。
えーと、晴れて、俺の婚約者になってくれた女性だ。
つい先日に判ったことだが、見た目は17歳前後なのに実は30過ぎなので、女性スタッフの中では最年長…もとい、エルフは混血でも長命のため、ざっくり実年齢20~30代ではヒューマンと比べて半分くらいの年齢に見えるようだ。その後は数十年くらい殆ど容姿が変わらないらしい。
俺の行方を追って旅に出て、冒険者ギルドに依頼を出して情報を求め、リズたち冒険者を雇いながら自力でも情報を探し、ついにこの町とこの店を探し当ててくれた。
こんなところか。
しかし相変わらずの人手不足だな。
時期料理長候補となれる男性の厨房スタッフと、若い女性ホールスタッフを絶賛募集中だ。
「マスター、申し訳ないが皆が仕事になりませんので、もう観念して頂けますか?」
その声にハッと我に返って声の主に向かうと料理長のダニエルだった。
アンドレスと同じくらい彼には頭が上がらないし、仕事も気配りも出来る人格者と言って差し支えない。
…と、もうこの紹介のノリは要らないか。
「観念、とは、どういうことでしょう、料理長…?」
「言葉どおりです。我々の仕事の障害となっているモヤモヤを解消するために、洗いざらい語って頂きたいわけです。」
「答えるほどのことなんて、たいして無いよ?」
「ふふ、そんなことはあり得ませんね。もちろんどなたかの尊厳や利益を著しく害する類いのことはお話し頂かなくて結構です。もっとも、マスターが活躍なさった時の雄姿なんかはエミリーに訊いたほうが楽し…コホン、良さそうですね。」
「ええぇ! 私もですか…?」
リズに抱き着きながら観念したかのように答えるエミリー。
恐る恐る振り返るエミリーの顔を、素早く駆け寄ってきたイルマが覗き込む。
「ねぇ、マスターは格好よかったかい?」
「え、えーと、その…、…はい…。」
ヒューヒュー、ガンガン、と口笛やら足踏みやら、鍋まで叩く音が店内に響き渡る。
「カッコよかったんだってぇ!」
「アンドレスさんと昔パーティ組んでいたってのはマジだったんスね、オレ感激ッス!」
「グスン、良かったデス、マスター。記憶を取り戻したんでスネ、うわーーーーん!!」
「皆さん、騒々しいですよ!」
ダニエル料理長が一喝するが、全く注意している感じのないそれと解る。
そして俺の方へ向き直って言った。
「マスター、今晩は臨時休業に致しましょう。」
「えぇっ、それではお客さんが…。」
「そうですよ、ダニエルさん。先日もディナータイムを休みにしたのに…。」
俺とエミリーが抵抗を試みたのだが。
「主な常連の方々には、一晩だけ我々の勝手を聞き届けて下さるよう申し入れて、快くご理解も頂いております。故にマスター達のご心配は無用です。」
「「…。」」
マスターそっちのけで既に決定事項か。
…あ、アンドレスが笑いを堪えている。彼もこの件の片棒を…いや主犯かも知れない。
このときスタッフ達+一名は重大なことを俺とエミリーに黙っていた。
常連さんたちを納得させる条件に、一般参加の婚約披露パーティ第二弾を企画提案していたのだ。
…それも翌日だ。
そして祝儀込みと称して一律そこそこの参加費用を設定したにも関わらず店のキャパを大きく超える人数が予定されており、確実にご近所迷惑な、むしろこちらが試練本番と言えるものだ。
かくして、ランチタイム後の清掃もやや省略され、本来ディナータイムの仕込みをする時間はスタッフが飲み食いする分の調理に充てられた。
あの…この食材も売り物なのですが…、あ、いや、ご自由に好きなだけお使い下さい。
そうして、俺とエミリーは二人して、まさしく酒の肴として、色々と暴かれていってしまった。
鉄板で、プロポーズの言葉はなんだとか。どちらから先に好きになったのかとか。
俺が昔にエミリーを助けた時から既に目をつけていたのだろうとか。
…アンドレスだろう、余計なことを吹き込んだのは!
酒が進む前に、俺が冒険者として再起を図る決意も発表した。
年齢的に心配だとする声もあった。
しかしエミリーがご丁寧に、自分を魔獣が吐いたブレスから庇ってくれてドキドキしたやら、風魔法を乗せた矢を放った姿に見惚れたやら、自分で力説しておきながら真っ赤になっていた。
…俺も真っ赤になりながらも「大切な人や町を守りたい」趣旨の抱負を語り、皆からからかわれながらも、応援の言葉を沢山貰うことが出来た。
途中でアンドレスが「俺が保証する。」なんて持ち上げられたときは、フリオが目をキラキラさせていた。そんなに冒険者に憧れているのかね。話半分に聞いてくれ。十分の一でもいいくらいだ。
続けて、店をどうするかについても相談した。
ダニエルに譲ることを提案したところ「冒険者ユーゴ殿の店、とした方が宣伝文句的にも良いですよ。」と固辞された。
そのかわり「マスター代理」を決めようとなった。
全員一致で推されたエミリーは最初こそ腰が引けていたが、リズが「サブマスター」として補助するということで、彼女は承諾してくれた。
また、俺が店を休みがちになるため、肩書を「マスター」から「オーナー」に変えることになった。ますますお飾りになる感があるが、我が儘で好きなことをさせて貰うのだから、丁度よかったか。
サクサクと重要な人事の話が進んだが、既に我々の不在中に話は進んでいたようだ。途中でダニエルにそっと訊いてみたらあっさりと白状してくれた。隠すつもりもなかったようだ。
徐々に皆の酒も進み、途中からスタッフのコイバナの披露大会に変わっていって更に大盛り上がり。
イルマがご主人のノロケ話をしだしたときは皆やや引いていた。そりゃあ獣人の交…いや、夜の営みの話を赤裸々に語られても返す言葉に困る。
因みに彼女のご主人は領内有数の商家の跡取りで、彼自身は既に複数の店舗経営を任されているほどの将来有望な敏腕商人らしいが、いいのか。奥さんがこんなで。いや、人それぞれだ、言うまい。
リズに婚約者がいると聞かされたときは何人かが色めきだったが、今は店の手伝いを優先するために結婚を待って貰っているとダニエルに補足されて静かになってしまった。俺も知っている。
厨房スタッフの募集はそのためもあり、応募は何人かあったのだがなかなかこれという人に出会えていない。…そうだ、ラベンダーの村のレストランから引き抜きとか…、いや、村長に恨まれる。
その後フリオがソフィアにいきなり告白した。きっと場の雰囲気を変えるために自ら生贄になったのだろう。彼の気持ちを知らなかったのは俺だけで、既に常連客達がフリオの恋を応援していたほど周知の事実だったらしい。
結果は「お友達でお願いしますデス!」とソッコーで皆の前で盛大に振られてしまい、彼の慰め会に移行か…と思いきや立ち直りが早かった。ソフィアも振った割には満更でもない様子でその後も変わらず彼に絡んでいたが、中途半端な態度は逆に残酷だぞ、ソフィア?
序盤は恥ずかしい思いもしたが、幸せで楽しい、いい会になった。
翌日に各段にレベルアップするなんてことはこの時は知る由もなく、きっとスタッフ一同は内心でほくそ笑んでいたに違いない。
通常の閉店時間まで宴は続き、ついにお開きとなった。
片付けは…即座に無理と判断した。明朝は一時間だけ早出をすることに決まった。
今は酔い醒ましに皆で珈琲を飲んでいるが、まだ話題は絶えない。早く帰れよ。
「で、エミリーはマスター、もといオーナーと一緒に暮らすわけだね?」
「ええっっ、それは、まだ先です、よ、ねえ、オーナー。」
「そ、そうだ、正式に結婚してからだな。」
「ヒューマンもエルフも回りくどくて潔癖デスねぇ~。もう番いになったのも同然ダカラ、今夜から一緒でいいデショ~?」
「既に何度か一つ屋根の下で寝食を共にしたではないか。」
「マジっすか、それ、アンドレスさん!」
「ちょ、アンドレス、誤解を招くようなことを言うなよ!」
「正確には、エミリーが酔い潰れたときと、お前が魔力欠乏症で倒れたときと、二度か。」
「「…!!!」」
周りからヤンヤヤンヤと囃し立てられた。
酔っ払いたちめ。
「お疲れ様でしたー。」
「皆さん、お疲れッすー!」
「う~、エミリー、ごメン。私、酔いに任せて調子ノッタ…」
「いいですよソフィアさん、いつも有難うございます。」
「皆も有難う。今日はしっかり休んで明日に備えてくれよ。」
「オーナーも、あとエミリーも、旅から戻ったばかりなのですから、今夜は二人とも程々になさって下さい。」
「「ななっっ!!」」
料理長ともあろう者が大真面目な顔でセクハラ発言。
ほうら、娘のリズに叱られている。
皆はまたヤンヤヤンヤと合唱復活。こら、近所迷惑でしょ。
なんやかんやありながらも、ようやく酔っ払いたちは解散。
酔っ払いの“計らい”で、エミリーは泊まることとなった。むしろ“謀らい”では?
アンドレスにも泊まって貰おうと思ったが「俺はそんな野暮ではない」とあっさり断られた。
かくして今は、店の二階の居間にエミリーと二人きり。
交代で入浴も済ませて少しだけ果実酒を飲み、さぁそろそろ寝ようかと彼女に寝具を渡して居間を出ようとしたところ。
「オーナー、あの…」
「…なに?」
「えっと…、いえ、何でもないです…おやすみなさい。」
「うん、おやすみ…」
ドアを閉じるときに隙間から見えた彼女の顔はどことなく寂しげに感じた。
俺がそう思っているだけ、思い上がっているだけかも知れない。
いや、一応は、求婚して受け入れて貰えたのだから、そういう期待を持っても…
いかん。
それは、そこに居残れば際限なく膨らんでしまいそうだった。
いや、きっと駄目ではないとは思うのだが、なんとも意気地のない俺はそれを振り切って、自分の寝室へと足早に移動した。
そのままベッドに横たわり、いささか取り過ぎたアルコールも手伝ってか、そもそも今朝は暗いうちから目覚めたので、意識は簡単に遠のき始めていった。
キィ…
キシキシ…
キィ…
遠くで、うんと遠くで、廊下が軋む音が聞こえたような気がした。
ドアが開く音もしたような?
ギシ…
自分の身体の周りが何か沈んだように感じだが、もはや深淵から這い出ることは叶わなかった。
なにか温かいような冷ややかなようなフンワリしたものも感じたのだが、もう瞼はピクリとも動かすことも叶わなかった。
「…おやすみなさい、ユーゴさん…」