それぞれの感覚
初めての釣りは最高の形で終わりを迎えた。
久しく忘れていた気持ちは、あれから数十分と経過しているのにもかかわらず、未だに俺の心をくすぐり続けている。思い出すのは竿から伝わる振動だ。
「やっぱりツムギお兄さんに、釣りを体験してもらって正解でした」
隣で猫の日傘を差し、歩幅をあわせて歩く恋杏はそう言ってにっこりと微笑んだ。
「あれはいいな。今まで地味なものだと軽く見ていたが、なかなかどうして面白い」
「釣れた魚も野中さんっておばあちゃんがいただくみたいで、喜んでましたものね」
そうなのだ。サビキはタイミングによっては釣れすぎる。リベンジ後はひとりで三十匹以上も釣ってしまい、十匹は野中さんという人に、残りはリリースしたくらいだった。自分の釣った魚が誰かに食べてもらえるというのが、なんだか嬉しかったのを覚えている。
「で。……それはそうと、俺たちはこれからどこに行くんだ?」
なんとなくの流れで恋杏に付いてきてしまっていたが、どこへ行くのかは不明だった。
相変わらず山道ばかりを蛇行し、徐々に街の中心に向かっていそうな雰囲気はする。しかしかれこれ四十分ほど歩き続けている為、運動不足の社会人にはつらいものがあった。
「あ、言ってませんでしたね。日課のウインドウショッピングです」
「ウインドウショッピング? いや、というかこんな田舎景色にシャレたものが……」
「いいえ、ありますよ。ほら、アレです!」
嬉しそうにビシッと指さす恋杏の言うとおり、目先にはお店があった。入り口には回転ハンガーが複数設置されていて、特殊な柄や色の衣服がかけられていた。外観の塗装はハゲていて、錆びれた看板にはかろうじて『古着屋 マサ』と書かれている。
「いや古着屋じゃん!」
「古着屋をバカにしちゃいけないですよ。素敵なパンツがたくさんあるんです」
「ん? ……んん?」
いまなんて言った?
四十分かけて古着屋にウインドウショッピングを来たこととか、これが日課だとかより、更にツッコミどころ満載の単語が聞こえた気がしてならない。
「なぁ恋杏。聞こえなかったらしい。もう一度言ってくれ」
「素敵なパンツがここにはたくさんあるんです」
「は? え、おまえ、パンツを見に来たのか?」
「はい!」
あほじゃん。こいつってあほの子じゃん。
とはいえ、喜々として古着屋マサの店内に入っていく恋杏を見ているとそれ以上なにかを言う気になれず、後頭部をぼりぼり掻いて俺も恋杏の後ろに続いた。
「ほぇー! ほぇ~。あ、これ可愛い!」
下着コーナーらしき場所に一直線に向かうと、白いモノやピンク色のモノを手にとってはきゃあきゃあ騒いでいる。普通、女の子の下着選びに付き添う場面とかは緊張したり落ち着かないものだと思っていたが、今回に限ってそんなことにはなり得なかった。
恋杏はこちらをくるっと振り返って、
「ねえねえ、ツムギお兄さん。似合います?」
天使のような眩しい笑顔を振りまきながら、両手に持ったそれを頭に持っていった。手に持っているそれは紛れもなくパンティであり、しかも相当お年を召した方が穿かれるやつだった。
「正気か?」
「可愛さだけでなく、ミステリアスなところがいいですよね」
「なぁ正気か?」
「これ被って都会歩くとオサレレディなんでしょうね~!」
「やべえよ、あたま沸いてやがるよ」
俺の目は死んでると思う。誰か見てほしいこの顔を。
「ふふ。さすがに最後のは冗談ですよ。でもお兄さんには不評のようですね。残念です」
最後以外は本気らしい。
ふと、恋杏のいま穿いている下着がどうなっているのか気になってしまった。
けれど確かめるのは途轍もなく勇気がいるので、紛らわせるために別の話を振った。
「そ、そういや、制服姿だけど学校はいいのか?」
「うん。私の通う学校は自由がモットーなのです」
「自由って……そんなわけないだろ。サボってるのか?」
今まで鼻歌をうたったりご機嫌だった恋杏は、そこでピタリと動きを止めた。
「ほんとですよ。自由にしていいんです」
なんだか有無を言わさない雰囲気に、俺は頷くしかなかった。
それからしばらくパンツを物色した俺たちは、そのまま何も買わずに店を後にした。
恋杏はそのあとも予定があるそうだが、俺はそれ以上付いていく元気がなかったので別れることにした。また明日も会えるなら、釣りをしようと約束をして。
けれど後になって思う。
この時、俺が後をついていっていれば、何か変わったのだろうか、と。