彼女のピンク色の
彼女は言った。
「私が一度だけ見た雪はピンク色をしていて、本当にきれいだった」
僕は言い返した。
「僕が一度だけ見た雪も綺麗だったけど、白だったよ」
それ以来、僕らは出会っていない。
あれから僕はもう何度も雪を見た。
どこで見ても、いつ見ても、僕の見る雪は白かった。
彼女がどうしてあんなことを言ったのか、僕にはいまだにわからない。
それでも彼女を疑いたくなくて、信じていたくて、彼女の目に映る光景を僕の目にも映したくて、僕はカメラマンになった。
雪景色専門のカメラマンだ。
僕の撮る雪は、いつも白かった。
僕の写真を見た人々は、僕の撮る雪景色の白さに心が洗われるようだと言った。
僕は雪が好きだった。
小さいころに一度見た日からずっと雪が大好きだった。
それは僕が住んでいた地域では珍しかったからかもしれないし、物静かな父が必死に家の前の雪かきをしている姿が面白かったからかもしれない。冷たくてかき氷みたいだったからかもしれないし、その全部かもしれない。でも一番確実なのは雪が白かったからだ。朝起きて窓から外を見た瞬間、辺り一面に積もった真っ白な雪を見て僕は、彼女の肌みたいに綺麗だ、と思った。
僕にとって雪は彼女のようなものであり、だから雪は白でなくてはならなかった。
僕は彼女が好きだった。雪のように真っ白な肌で、雪のように無垢な心の彼女が好きだった。彼女は悪いことなんて何もしないし、小さな嘘だってつかない。
だから雪は彼女のような白でなくてはならないけれど、それと同じくらい僕はピンク色の雪を見なくてはならなかった。
雪はもう珍しくもなくなったが、僕はやはり雪が好きだ。
彼女にはあれ以来出会っていないが、僕はやはり彼女が好きだ。
雪が好きだから彼女が好きなのか、彼女が好きだから雪が好きなのかわからないくらい、僕の中でいつまで経っても雪は彼女のようで彼女は雪のようだ。
ちらちらと舞い落ちる雪を浴びるとき、僕は全身に彼女を感じる。
降り積もった雪に足跡をつけるとき、僕は彼女を汚す。
雪景色をカメラで写すとき、僕は彼女の心を覗く。
手つかずの雪を口に含むとき、僕は彼女を愛す。
僕の地元に、僕が初めて雪を見て以来の雪が降った。そう母から連絡が入った。地元には随分と長い間、帰っていない。それは雪が降らなかったからだし、彼女が住んでいないからだ。雪を撮影するために僕は数十年ぶりに地元に帰った。
懐かしさよりも新鮮に感じる地元の道を、僕は彼女を汚しながら歩く。前を歩いている女性は雪に慣れていないらしく、歩きにくそうだ。そんな様子をぼんやりと眺めていたら、ふと体が傾き、その瞬間女性は派手に静かに転んだ。
「大丈夫ですか?」
そう言って駆け寄ると、女性は雪から顔を上げて何が起きたかわからないという表情をしていた。
「ありがとうございます。雪って、こんなに滑るんですね」
僕が差し出した手に掴まって立ち上がりながらそう言って、困ったように微笑む。その唇からは乾燥のためか、転んだときに切ったのか、血が流れている。
「あっ。せっかく真っ白だったのに汚しちゃった」
そう心底申し訳なさそうに言う女性の目線の先に目をやる。
そして僕は地元で、また初めての雪を見た。
雪は女性の血で微かにピンク色になっていた。雪で冷えていた全身が熱くなる。何十年も求め続けてきた雪景色が今、僕の足元に広がっている。ようやく彼女の目に映る光景を僕の目に映すことができた。やはり彼女は嘘なんてつかない。彼女は雪のように真っ白だ。
僕は走り出した。勢いよく彼女を汚しながら、初めて彼女を愛した丘へ向かう。僕は唇を噛みしめ血の味を感じながら一面の雪に接吻する。雪が僕の血に染まる。彼女は僕に染まり彼女と僕は一つになる。
僕はそのまま雪の上に転がった。カメラを手に取ることなんて、忘れていた。これは彼女と僕だけの雪景色だ。写真なんて必要ない。僕はピンク色の雪を優しく手に取り口に含んで目を閉じた。
いまでも僕にとって雪は彼女のようで、彼女は雪のようだ。
僕はいつも持ち歩いているカッターナイフを取り出し、握りしめる。
いつか僕は、彼女のピンク色の雪を見たい。
ゆきのまち文学賞に応募させていただきました。
何のひっかかりもなく落ちていったので、せっかく書いたため投稿しました。