8.前を向いて、顔を上げて
やがて泣くことに疲れ、飽きてきた。
うつ伏せていたあたしは仰向けになり、高い空を見上げる。
これからどうしよう。
どうしたい?
自問自答を繰り返す。
「…メル」
「ん?」
「あたしが。あたしだけが銃を授かったのは、何か理由があるんだと思うの」
「ビーナスさまが寝ぼけてただけかも知れないけどな」
「たとえそうだったとしても」
メルの軽口を遮る。
「そうだったとしても…あたしは、あたしにしか出来ないことをやりたい」
腫れて重たい瞼で、流れる白い雲を追う。
「いいんじゃねぇの?お前はきっと、良くも悪くも特別な天使だ」
メルの優しい口調にあたしは少し笑う。
バーバラ先生の冷たい視線、カイリのあざ笑う口元。
全く理解できない、というミリアの瞳。
特別な天使どころか、ただの問題児だ。
『魔界に生まれていたら、活躍できたかもね』
カイリの声が響く。
魔界…
そうだ!
パズルのピースの最後がカチリとハマった、そんな気分!
あたしは勢いよく上体を起こした。
「うおっ、びっくりした」
体をビクつかせるメル。
「あたし、魔界に行く」
「はっ?」
「あたし、魔界へ行って、魔族たち相手にキューピッドをする。今まで誰もやったことないでしょ」
遠い昔に争いがあったのち、天界と魔界はお互い干渉しないということで落ち着いた。
ごく稀に天使や魔族がお互いの世界を行き来することはある、と聞いたことはあるけれど。
一般的な普通の天使は魔界も魔族も見たことないし、見る気もないのだ。
「魔界でキューピッド…なぁ」
メルは自分のお腹をポリポリとかいて、首を傾げる。
「魔族は気性が荒いやつらばかりだと聞くぞ?とっ捕まって酷い目に合わされるかも知れない。天界に強制送還されて、今よりお前の立場が悪くなるかも知れない」
…確かにそうかも知れない。
そのどっちもあたしはごめんだ。
だけど、こうして泣いてばかりいるより。
刺すような視線に耐えているより。
前を向いて、顔を上げて。
新しいチャレンジをしたいと思った。
「あたし、行く」
メルとあたしの視線がぶつかる。
何秒かして、メルが先に視線を逸らした。
「わかった。無茶言う方が、泣いてるよりずっとお前らしい」
「ありがと」
あたしが微笑むと、
「行動は目立たないように夜にしろ」
釘を刺す事も忘れなかった。
その日の夜。
あたしは寮のベッドからそっと抜け出した。
そして、外れにある深い森へと飛んで行く。
「メル、暗くてよく見えない」
「りょーかい」
あたしが言うと、メルの体の周りがほんのりと光る。
あたしはその光を頼りに木々を見下ろしていく。
「あ、あれだ」
キラキラと光る小さな泉が見えた。
話は聞いていたけど、実際見るのは初めて。
魔界へと通じる泉だ。
あたしの視線にメルは光を消した。
再び世界は闇に包まれ、輝く水面を頼りに降下していく。
泉の近くには椅子に腰かけた男性の天使が居眠りをしていた。
手には弓矢を持っている。
魔界から侵入者が現れないように、念のために見張っているの門番のような存在。
だけど、何も起こらずに数千年。
こうやって気持ちがゆるゆるになって寝てしまうのも仕方ない。
形だけの門番なのだ。
あたしは地上に降り、木の隙間から様子を伺いながら一歩、一歩近づく。
パキッ。
その時小枝を踏んで高い音をたててしまった。
「誰だ!」
飛び起きた門番は矢に手をかけ、あたしはすかさず銃を向ける。
勝負は一瞬。
青い光線が彼を包み、体はゆっくりと地面に倒れた。
そして再び寝息をたてる。
「お見事」
「どうも」
あたしたちは短いやりとりをして、泉に近づいた。
ブルーグリーンに輝いた、美しい泉。
ただし透明感はなく、底は見えない。
「おし、いいぞ」
メルは両腕をあたしの首に回し、しっかりと捕まる。
「じゃあ、出発!」
迷ってたら飛び込めなくなってしまう。
あたしはあれこれ考えるより早く、泉に飛び込んだ。