5.恋の香り
「あぁ…気が滅入った…」
あたしは高いビルの屋上に腰掛け、低い声で唸った。
眼下には行き交う人々や色とりどりの車がある。
「あいつと結ばれても、この先絶対苦労するよねぇ」
「それこそ、お前が気にすることじゃない。あの娘がそれを願ったんだ。仕方ないんだ」
メルがゆっくりとした口調であたしに言い聞かせた。
「でもさ、本来はその人に合った人とくっつけるってのが良いキューピッドなんじゃないかなぁ」
「それは俺も思うけどな。昔と比べて合理的なのが多すぎる。だから離婚率も増加する」
あたしの紙に記載されていた、4人目の女性。
彼女が振り向かせたいと思っていたのは浮気症の男だった。
あたしの銃の力で依頼主に心を奪われ、結婚は出来るだろう。
だけど、この愛の魔法は万能じゃなくて、永遠でもない。
あくまでも心を動かすきっかけにしか過ぎない。
お互い努力しながら生活し、本物の愛に育てていくのだ。
…だけど、浮気症なタイプは効果が持続しにくい。
彼女が苦労するのは目に見えていた。
控えめで笑顔が素敵だったあの女の子…
もっと良い人を見つけてあげたかったなぁ…
「シャロ、あと1人だろ。切り替えていけ」
「わかってる」
あたしは自分のモヤモヤを振り切るように、空に身を投げ出した。
そして、そのまま街の喧騒へと低空飛行する。
「シャロは愛を届けたいとかじゃなくて、好奇心でキューピッドを目指してると聞いたことがあるけど」
「そうだよ?」
「さっきの様子を見ると、充分キューピッドらしい考え方だ」
「…そうかな」
「合理的に淡々とこなすキューピッドたちとは違う」
「…そうかな」
あたしはまだモヤモヤしながら、メルの言葉に首を傾げる。
だめだ、だめだ、集中、集中!
リスト最後の1人はこの辺りにいるはず。
反応を感じるんだけど…
「シャロ、あそこだ」
「ほんとだ!」
オープンテラスのカフェで、女性が1人ランチを食べていた。
あたしたちには体全体がピンクのオーラに包まれてるように見える。
仕事のお昼休憩かな?
スーツを着こなし、髪を綺麗にまとめている美人さんだ。
あたしは近くの信号機に腰を下ろし、様子を見守る。
「リナさん!」
そこへスーツ姿の男性が彼女に声をかけた。
「!?」
仕事ができそうなキリッとした顔立ちだった彼女…リナさんは目を丸くして、一気に赤面した。
フォークがぶつかったパスタ皿が高い音をたてる。
「遠くからでもリナさんだってわかったんですよ」
「そ、そうなんだ…!いきなりでびっくりしたわぁ」
年下っぽい青年が屈託無く笑い、リナさんは頑張って自分を立て直そうとしている。
ふわっと漂ってくる、甘くて香ばしい香り。
恋してる人特有の、焼きたてのお菓子みたいな、恋の香りだ。
んー、胸がキュンとしてくるねぇ。
「このカフェ、よく来るんですか?」
「う、うん。会社にも近いし、気に入ってて」
「そうなんですね」
なんとなく、あたしの力がなくても上手くいきそうな空気感はあるけど。
さっきの仕事に比べると俄然やる気がでてくるなぁ!
あたしは何もない空間から銃を一丁取り出した。
そして銃口を男性の左胸に向ける。
躊躇いなく引き金を引くと、ピンクの光線が出て、彼のハートを射抜く。
彼の体は一瞬、ピクンと動く。
「…あの、リナさん」
「なに?」
「今度一緒にランチに行きませんか?」
「えぇっ?」
リナさんの声が裏返る。
「ダメですか?」
「ううん、全然、ぜんっぜん、ダメじゃないよ。大丈夫」
そして2人はなんだか照れながら、連絡先を交換し始めた。
うんうん、なんか良いじゃない。
その瞬間、達成したリストが光になって消えた。
これで完了したことが教官に届く。
「さて、と。帰りますか」
「ああ」
天界に向けて移動しようと思った時、ざわっとした感覚がしてあたしは動きを止めた。
これは…悪意だ。