8 黒い奴 その2
なんとか一本かけたのであげときます。
あぁ、むしゃくしゃする。
それも全部あのクソ野郎のせいだ!! 今更なんなんだ! もう、手遅れなんだよ!! ちくしょう!! あぁ、ほんとに、今は目に見えるものすべてが憎らしい!! むしゃくしゃする!!
こいつらを殺ったところで何の意味もないっていうのにな。
そう考えながらも、身体は欲望に忠実で、目に入った生き物の全てを奪っていく。
自分の力だけではもう、抑えきれなくっているのかもしれない。この森の生き物全てを殺し尽くすまで止まれない兵器になってしまっていた。
だが、本当のところはそんなこともない、ちゃんと街からは離れているし、それに加え、徐々にではあるが悲しみが怒りを超えつつある。その証拠にさっきまでは蹂躙していた魔物たち相手に、一つ、また一つと、傷を負わされてしまっている。
このままではいつか、魔物の群れに負けて、殺されるかもしれない。
或いは元からそのつもりだったのだろうか。
自分は、もう、死にたいのではないか? そう思わずにはいられない。
自分の中で様々な感情が渦巻いて、己を蝕んでいく。
傍から見ればこの男の行動は余りにも狂気じみていたと言えるだろう。それも、ある感情からくる、即ち愛故の狂気なのだと。
それだけ、この男は悲しい表情であり、悔しい表情でもあり、怒りで真っ赤でもあった。
「キミ、大丈夫? 相当消耗してる見たいだけど?」
「っ!?」
俺は咄嗟に後ろに飛び退いた。
自分でも、理性が残っていることに驚いていた。だが、それ以上に目の前に現れた、少女への恐怖で、頭がいっぱいだった。己が危険を感知し、今すぐに逃げろと本能が警報を鳴らしているものの、彼女がそれを許さない。
「ひどいなぁ、こんなに可憐だというのに、そんなに怯えないでよ」
そう言った少女は俺の目の前まで来ると、俺の足を蹴り、跪かせ、頭を抱え、静かに撫でていた。
あぁ、俺はこの感覚を知っている。
遠い昔のことだが、今でも鮮明に思い出すことができる、俺にとってかけがえのない思い出、大切な感情。
……優しさだ。
「キミはよく頑張った、もう大丈夫、大丈夫」
あぁ、ダメだ、この少女には叶わない。
彼女はそう思わせるのに十分な優しさを持っていた。
本能の警報が鳴っていなかったかのように一切の動作を停止してしまうほどに。
俺がこの少女に手を出すことはもう、一生かなわないだろう。
「…………お名前をお伺いしてもよろしいですか」
自然と名前を訪ねていた。
「あぁ、大丈夫だよ、僕はメリー、メリーだ」
突然の問にも関わらず、名前を教えてくれた。
その名前を聞いた、その時には、既に、俺はこの子に全てを捧げていいと思っていた。
「メリー様、私は、あなた様に、全てを捧げる覚悟にございます、どうか、御側に」
「いいだろう、もとよりそのつもりだ」
「ありがたき幸せにございます」
口をついて出たのはそんな、心からのお礼であった。
今まで、戦っていた自分はもう死んだのだと理解してしまった。
理解したが故の言葉だったのだろう。その言葉は誰のものでもない、主に捧げる己の言葉だった。
「そうだ、僕のものになるなら、名前を授けなきゃね」
「い、いえ、大丈夫です!! 恐れ多過ぎます!」
そんな、主は私に名前を付けようと提案してくれた、とても嬉しい気持ちが心いっぱいに広がっていくのがわかった。だが、その主が選んだ名前が……
「ん~じゃあ、ヨハンね、君は今日からヨハンと名乗りなさい」
「ヨハン……」
「何? 気に入らなかった?」
それは、今の名前と同じだった、奇しくも主と親の思考は同じだったということなのだろうか?
「いえ、そんなことないです……」
「そうだよね、同じ名前じゃあいやかな?」
「っ! えぇ、まぁ」
知っていて、ヨハンと名づけたらしい、そこにはなにか意味でもあったのだろうか? なにか特別なものでも。
「でもね、キミの名前はヨハンだよ、僕のヨハンだ」
だが、そんな悩みも、この言葉で吹き飛んでしまった。
そうだ、俺はメリー様のヨハンだ。
今から俺はただのヨハンではなく、メリー様のヨハンになりましょう。
「そう……ですね……分かりました。私はヨハンです、メリー様のヨハンになりましょう」
「うん、よろしく、ヨハン、んで、早速命令ね……っ!!」
「どうか、なさいましたか?」
「ごめん、ヨハン、急用ができた、また、連絡するから!」
「え、は、はい、お待ちしております」
「んじゃ」
あのメリー様がこれだけ慌てる用とは、少し気になるが、これは深く詮索してはいけないのだろう。なんとなくだがそんな気がした。
そんな、ヨハンは彼女が消えていった方をずっと見つめていた。
その目はただただ、深い、深い色をしていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
洗面所から戻ると、メリーの姿が消えていた。
前から時々いなくなることがったので、不自然なことではないのだが、メリーがいないと少しさみしい気持ちになってしまう。
そのせいで、自分たちの部屋のメリーが使っているタンスが気になってしまうのもしょうがないというものだ。何せ、身体はまだ五歳児とはいえ、なかみは立派な高校生だ。というか精神年齢的に言えば二三だ、父さんが今二七で、母さんは二五だ、日本感覚で行くと若い気もするがこっちとは日付の仕方も違うわけで、一概にこうとは言えないが、こちらの世界では標準ぐらいであるとおもわれる。
この世界には魔物と呼ばれる生き物が存在するので、結婚ができずに生涯を終える人も少なくはないのだ。
だが、そんな、俺が、同じ部屋で女の子と昼夜をともに過ごしているわけで、我慢できているは、唯に体が出来上がっていないからだろう。
それでも、心は抑えきれず、現在メリーのタンスの中を覗いているところです。
おや? これは、メリーのキャミソール? か、んで、こっちのが……メリーの、ゴクリ。
そう思いながら、片手に持った青いリボンのフリルが付いている水色の布を眺めていると、自身の探知にて、空間の揺らぎを確認した。その瞬間に
「ミリィ! ただいま!!」
案の定、そんなセリフが聞こえたので、タンスを閉めて自分のベッドに腰掛ける。その間わずか0.001秒、高速思考と高速移動の高速コンボによりなせる技だ。実は今のでそれぞれレベルが上がっていたりする。
「あぁ、おかえり、メリー」
それでも、どうにか冷静を保つことだけはできたみたいだ。
「うん? ミリィはそこで何してたの?」
俺は焦りに焦った、額から汗がたれているのではないかと思うほど緊張してしまっていた。まだ、大丈夫だよな。一旦落ち着こう、冷静に、クールになろうぜ。俺ならベッドで何をする? …………そうか、これだ。
「あぁ、僕は本をちょっと読んでたんだ、こっちの魔法についての」
「あ~そっかぁ……ねぇ、やっぱり、魔法使いたい?」
なんとかごまかせたかな、我ながらよかったと思うぞ、さぁ、さっさと、質問に答えて、私は逃げなくてはならないのだ! 戦略的撤退なのだ!
「いいや、そんなことはない、メリーに魔術を教えてもらえなくなるからな」
「えへへ、そっかぁ……ん?」
あっ、そこは……
「ねぇ、ミリィ、私のクローゼットいじった?」
ん? クローゼット? おれはクローゼットまでは手出してないぞ? ここは素直に言って大丈夫だろうか?
「クローゼット? 特に触ってないけど? どうかした?」
「んー、気のせいかな、なんか。服の順番変わってる気がしてさ」
「そうか、近頃、この辺で、下着盗難事件とかあったらしいからメリーも気をつけろよ?」
それとなく自分じゃないですよアピールしといたほうがいいかと思ったので、その作戦を決行しておく。
「うん、そうだね、ミリィみたいなの、これ以上増やしたくないしね」
「…………ん? ……それは、どういう?」
「え? ミリィ、人の下着漁ってさ、使おうとしたでしょ?」
バレてたー、どういうこと? なんで知っているの? 誰も見てないか確認したっていうのに、監視でもついてた? そういうのありそう、あぁ、もうだめだこれ。現行犯逮捕じゃん。
「ごめんなさい」
「もう、しょうがないんだから、次からは言ってよね!」
どゆこと、言っておけば触り放題、見放題、使い放題で月額0円というやつだったの?
「え? そこ?」
「だって、脱ぎたて……」
「了解であります!!」
「やっぱりミリィはどうしようもない変態さんだね」
メリーの美貌に勝てるものなど、あんまりない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
まずい、まずいぞ! これはまずい。奴につけていた監視員との連絡が途絶えた、しかも、その報告も遅れていて、私の耳に入ったのが一週間も後だったのは大きな痛手だ……だが、なぜ、遅れていたのだ、向こうの処理ではとどこうりなかったと調べは付いたというのに、いや、もしかすると、これは奴の仕業なのやもしれんな。それか、あやつが裏で糸を引いているのもあり得るな。
誰にせよ、新しい監視員を見つけなくてはならないか、また、仕事が増えてしまったな。
「ふぅ」
「陛下、お疲れのようですね、御休憩なさってはいかがですか? 紅茶をお持ちしましたよ」
「うむ、そうだな、すまない、頂こう」
声を掛けてきたのは最近、秘書の仕事を任せている男だ、なまえは、何といったか?
「ん? お主、すまんが、名前はなんじゃったかの?」
「おやおや、つい先日も仰ったというのに、もうお忘れですか?」
「すまんのぉ、さいきん物覚えが悪くてな」
「ご冗談を……ヨハンですよ、以後お見知りおきを」
「おぉ、そうじゃったな、ヨハンよ、良い紅茶であった」
「そうでしたか、実はその紅茶、私が栽培して淹れたものでしたので少々自信がなかったのですが、お口にあったようで何よりです」
「うむ、いい茶葉ができたものだ、良い休憩になったな」
「ありがたきお言葉」
うむ、少し休憩もできたことであるし、再び職務に戻るとするかの。
いや、にしても、やはりあのヨハンという男相当できる男じゃな、動作にも隙がない上に、相手の機微に敏感であった。将来どのように化けるか楽しみじゃのう。
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「あの爺さん、相当レベル高いな、こりゃ、一筋縄では行かなそうですよ、お嬢様」
きらびやかな廊下を歩き、誰にいうでもなく、虚空にそう呟くのは、誰も見ることはできなかった。
爺「あの男、できるな」
ヨ「あの爺さん、あれ、名前、思い出せない」