56 彼らの目的
「行ってきます」
誰に言うでもなく、囁くように出たその一言には様々な感情が篭っていた。
豪華な夕食を食べた後、すぐに床についた裕翔は、翌日まだ日も出ていないこの時間に、ウナ家の玄関で静かに荷物を纏めていた。昨日まで一緒にいた三人も今は彼の隣に居ない。一日濃い時間を過ごしたことでまだ寝ているだろうと考えた上でのこの時間だ。
「おい……一人で大丈夫なのか?」
そんな裕翔の背中を見つめていた彼は口を開いた。
「ぜ、善……っこれは……」
この時間に荷物をまとめている姿を見られた裕翔は、自分がこれからしようとしていることを見抜かれまいと取り繕うように言い訳を考えるも、何も浮かばず、狼狽えていた。
「安心しろ。別に止めに来たわけじゃない」
善の言い方に、裕翔は気まずい思いを抱いていた。ウナに気が付かれるのは仕方のないことだと考えていたものの、気配には気を使ったつもりでいたのだが、まさか善にまで気付かれるというのは考えていなかったからだ。嬉しいような悔しいような、複雑な思いから裕翔は善の姿をまともに見ることは出来ず、玄関の方へと踵を返し、立ち止まった。
「て――」
裕翔が少しだけ振り向き、なにかを言いかけるも、それを遮るように善はあるものを投げた。投げられた何かは綺麗な弧を描き、裕翔の元まで飛んでくる。それを見事に片手で受け取ると裕翔はその手を開き何を受け取ったのか確認した。そこには白い龍の模様の上に厄除守と縦文字で書かれた赤い小さな袋のようなものだった。
「これは……お守り?」
「うちは寺院なんでな。祓ってあるから持って行け」
「しかしこれは……」
「いいから」
裕翔には善の意図はわからなかった。ただ単純に好意から渡されたお守りで十分だろうと自分の中で自分を叱咤し、渡されたお守りを握り締め、彼は玄関の扉を開ける。扉を出る直前、彼は少しだけ振り向き――
――行ってきます
と、先の言葉を繰り返す。彼の表情は、晴れやかな笑顔だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「裕翔の行方で俺たちが知っているのはここまで。それ以降、あいつには一度も会っていない。今どこで何をしているのか、というか生きているのかさえ不明。これは永良の方もそう、最初の森で別れて以降、消息不明だ」
「お前らはその後どうしたんだ?」
「俺らはその数日後に家を出たよ。ウナの家に居候しているわけにもいかないからね。近くの街を転々としていたさ」
善はそう言い切った。
"話の内容は理解したが、彼らを信用しきるには至らない"これがミリアスの判断だった。しかし、彼にはそれよりも気になることがひとつあった。
「なぁ、倉田、お前、今と話の中でと全く話し方が違うよな……」
「ん、そうかな? こんな感じでしゃべってたでしょ」
飄々と言ってのける善はウナの話の中の『こちらに転移してきた当初』とは全く違う話し方をしている。
「冗談。こっちの世界ではこの喋り方だと目立つからさ。俺のこの外行き声だと特にな」
善は最初の話し方だと、自分の声質に合っていないと思っているようだ。今の飄々とした口調は、どこか親しみやすく、相手の懐に入りやすいという理由もあるから使っているという理由もあるらしい。だが正直、剽軽口調も堅苦しいのもどちらも合っているのでは? とミリアスは思っていた。
実際日本にいた頃はどうしていたのだろうか?
「うちは寺院で話し方にも厳しかったからね。自ずと口調も堅苦しくなったよ。今だにその癖が時々出るんだけど……というか、そんなことは今はいいんだよ、それよりも」
善はほんの僅かにだが、顔を歪めていた。どうやら、この手の話はしたくないようだ。彼は話を逸らすように本題へ促す。ミリアスも先の話は少し気にはなった。しかし、既に話しが本題から逸れつつあり、戻るとしてら丁度良いタイミングだろうとこれ以上深く追求することはしなかった。それと同時に、これから話す内容は逐一メモを取り、記憶映像も十分に保管するようにとニティへ思念で指示していた。
「ミリアスはこの数年で神様か悪魔に会う機会はあったかい?」
善はミリアスが作り出した木の机に肘を立て、両手を顔の前で組んだ。彼の藤紫の瞳がミリアスの心を揺さぶる。能力を行使したわけではないのだが、ミリアスにはどこか不気味な視線だと警戒させるほどの何かを備えているようだった。その瞳を見ていると逸らしたくなる視線を敢えて彼の瞳一点に当てる。逸らしてはいけないと本能が感じた故の行動である。
「俺は女神となら会ったことがある。お前たちと同じくこっちに来る前にな」
ミリアスは瞬きもせず、藤紫の瞳だけを見て答える。善もミリアスから目を逸らさずに黙す。
両者が目を合わせていた時間はそれほど長いわけではない、秒数にしてわずか二か三程度だ。その僅かな時間でさえ二人の間では思惑同士が激しくぶつかり合ったことだろう。先に視線を逸らしたのは善だ。会話の流れからしても不自然ではなかったのだが、そばで見ていた仲間たちはそのやりとりに息を呑んでいた。
「……悪魔に会わなかったと言うつもりはないのですね」
肩を落とし、呆れた様子の善は視線を外してから改めて問う。
「神や悪魔がいたところで俺には関係ないな。俺はただ家族に会うためだけに行動してるんだ」
「なるほど。なら俺たちは別に敵対する必要もないな。寧ろ、日本へ帰る為に手を貸してくれる気はないか?」
善が言うことに不自然な点はない。ミリアスは家族に会う為に行動すると言っているわけで、それは日本にいる家族と再開したいと願っているとも解釈出来る。しかし、それは正解ではない。なぜなら、前提条件が違うからだ。善たちであれば、もし元の世界には戻ることができたら、いつもの平穏な日常に戻ることが出来るかもしれない。だが、ミリアスは違う。元の世界での黒髪黒目の櫓実はどこにもいないのだ。神アリス――メリーの話で言えば、消滅したとのこと――つまりは、今の状態で日本に戻ることに意味はない。戻ったところで帰る場所はない。本当のところ、彼の家族であれば状況を説明すれば受け入れてくれるだろうが、今のミリアスにはその勇気がない。信じてもらえず、拒絶された場合、自分がどうなるか想像ができないのだ。
全くもって姿かたちが変わってしまった自分は、本当に空綺麗の家の子であると言えるのか?
ロディやアウラのことは? 自分は本当に日本人であるのか?
考えれば考えるほどに自分がどうしたいのかわからなくなる。
それでも今やらなくてはならないことは、彼の中ではっきりしていた。
「申し訳ないが、その提案には乗れない。俺には俺のやらなければならないことがある」
ミリアスは胸を貼って言い切った。彼にはまだ日本に行く勇気はない。しかし、それでもいつかは元の世界の家族にあわなければならないとも考えていた。だが、善たちにあったことで改めてキチンと考える必要が有ることに気が付かされたミリアスは、少し自分の甘さを反省していた。これまでやりたい放題していたが、やらなければいけないことも見つける必要がある。先ほど断言してみせた彼だが、やらなければならないことがはっきりしているではないのだ。
「そうか。いや、こちらも無理に引き込もうとは思わないからな。ただ、残念だと感じているよ」
「俺も日本に帰る手段を見つけておくことに反対はしない。こちらで何か情報を得たときは伝える」
「そうしてもらえるとありがたい」
こうして大罪一行、特に転移組との話は済んだ。彼らの主な目的はウナの勧誘とミリアスの調査だったらしく、その成果は上々。ウナの勧誘こそ失敗に終わったが、それもミリアスとの交流での成果を考えれば問題ない。それほどにミリアスの存在は特殊であった。彼が使う魔法を善たちが習出来れば、彼らの戦力も一段と上がるだろう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「お前らの目的はそれだけなのか?」
ミリアスは樹で作られた机や椅子を片付けると、大罪一行とギルドマスターのグランを連れ、戦場で負傷した兵や田中達に気絶させられた冒険者らを馬車へ誘導していた。馬車は既にグランの秘書であるリラによって手配されており、軽傷者や自力で帰れるものは続々と街へ戻っている。重傷者等の自力で帰ることが不可能なものや動かすことの出来ない状態にあるものはミリアスの能力[楽園]の範囲内にて療養中であった。流石は神様からもらった能力の一部とだけあって、目に見えて効果的であった。
「あぁ、目的といえばもう一つ。君が転移者だと知ったから増えたことなんだが……」
その言葉のあと少しの間を開けると、善は最初はそのつもりはなかったんだけどねと付け足す。俺が彼らと同じ日本人でこっちに飛ばされたとわかったから話す内容ということらしい。もし、そうでなくても条件が合えば伝えていることではあったというが、そこの真偽は定かではない。
「実は、転移したときに女神さまからスキルをもらった帳尻合わせとして、俺らは何かしらを失っているらしい。これはとある神から聞いた話だから法螺話という訳ではないと思うんだが、ミリアスは何か思い当たる節はないかい?」
ミリアスには"失ったもの"と言われて思い付いたが一つある。
それは彼の身体だ。空綺麗 櫓実としての、日本人としての、彼の身体・肉体・本体は神アリス、メリー自身の口から『消滅した』と聞いていたからだ。しかし、不思議に思うこともあった。アリスからもらった[固有能力:交換]の代償が肉体の損失であるとしたら、スキルの帳尻あわせという点では、残りの三つの能力にも何か代償を払っているということになる。もしも、天恵の代償が天呪であるというのなら、とても有り難……くはないが、代償を払わなくて済むという点では得であり、"成長と不滅"という点で対比していることからも代償だとしても納得はいった。しかし、[神術:心眼]に関して言えば、ミリアスには全くと言っていいほど代償を払った覚えはない。
「どうかしたのかい?」
善はミリアスのどこか思い詰めた表情に驚いていた。彼と一緒にいた時間は短いが、彼は話をしている際あまり動揺も歓喜もせず、素の表情だった。だから、善の第一印象ではミリアスのことを昔の自分のように堅物で、自分勝手な人物と思っていた。実際に話して見るともっと自分達にもフランキーで、ウナへの対応を見る限りでも優しさにあふれた人物なのだろうと評価を一転していた。それに、彼の評価をそれだけに留まらず、戦ってみた二人の話では、自分の実力を把握していて、突然の状況にも冷静に対処出来且、相手のことを見極める能力にも長けているということだった。その為、今の善の評価では、彼は良くも悪くも人間離れしているというものだった。そのミリアスが思いつめるような何かを自分が伝えたという事実がとても恐ろしく感じてしまったのかもしれない。善がミリアスに対して顔色を伺ったのはそういう理由だった。
「いや、何でもない。俺も思い当たるものが一つあった」
「そうかい」
善はその先を聞くのを躊躇った。彼は何故か、その先を聞くことで自分が自分を保てなくなってしまうような、そんな奇妙な予感がしたからだ。
「いやぁ……にしてもミリアスはすげぇなぁ」
話を変えるように、能天気な十の声があたりの悪い空気を吹き飛ばした。本人にその自覚はないのかもしれないのだが、少なくとも善とミリアスは十の行動に何かを感じ、小声で感謝の言葉をつぶやいていた。
「ん? どうした?」
「いや、何でもない」
「はぁ? 不思議なやつだな~?」
一行はギュノース沼地をあとにし、精霊の森を抜けた先、ソールの街の西門があるパブル平原まで戻ってきていた。負傷していた兵もミリアスのおかげで大分良くなり、街に戻って医者に見てもらえば、後遺症もなく治るだろうとのことだ。
「ところで、お前たちは何でリザードマンを引き連れていたんだ?」
平原のど真ん中で、ウナとレアリに挟まれながら、ミリアスは率直に思ったことを善に聞いていた。
「引き連れていた? 何のこと? 僕らは普通に海から街に向かっていただけだよ?」
善の答えでミリアスはやっと気がついた。
彼ら大罪の気配と奴らの気配の違いに。
〔ニティ! 広範囲で探知だ!!〕
〔探知中……これはっ……急いだほうがいいかもしれません。どうやら、迷宮のボスが階層を上がってきているようです〕
〔嘘だろッ!?〕
ニティの報告は最悪だった。渓谷の最新部に出来た迷宮には、グリードがかつて所属していたジェイソンファミリーの面子がいるのだ。リザードマン達はその迷宮から漏れ出てきたと思われ、渓谷からギュノース沼地まで繋がる洞窟を通って、精霊の森まで侵攻しようとしていたのだと考えられている。この事実を知っているのはミリアスとグランの二人だけだ。リラも侵攻自体は把握しているのだろうが、このことをグランから聞いているかどうかはわからない。
迷宮の地下二十階。普段はその階層から動くことはないとされている階層主が地上へ向かって階層を上がっているようだ。リザードマン達が地上へ上がってきたのはもしかするとこのボスが原因なのかもしれない。何故階層主が階層を上がろうとしているのかはわからない。過去にも迷宮から魔物が溢れ出るということはあったようだし、たまたまの現象である可能性もある。何もわからないが、それでも傍迷惑な話であるのは間違いないのだ。
ジェイソンファミリーはもしかすると、この現象を察知していたのかもしれないな。察知した上で、ファミリーの総力を上げて手柄とし、最悪ダメだったときの為に情報屋に何らかの集団で援助依頼を要請していたのかもしれない。
考えても仕方のないことなのだが、これは一大事である。この階層主がもし、地上に上がってくることがあれば、相当な被害が予想できるのだ。本来迷宮とは、冒険者や探検家の中でも武力派、戦闘派などと呼ばれる一部の力ある者が挑むものであり、その階層は一層ごとにレベルが跳ね上がるとも言われている。ベテランの冒険者らのパーティーが十分に準備をしていても二十階層まで行ければいいほうだ。今回の階層主はそのベテラン冒険者パーティーでも見送るとされている魔物だ。街の一つや二つ壊滅してもおかしくは無いのだ。
「グランさんはいまどこにいる!?」
周囲の冒険者達を含める、仲間たちはミリアスの突然の叫びに一瞬固まったが、何かを感じ取り、直ぐにギルドマスターのいる場所を伝えた。その情報を聞くとミリアスは感謝の言葉よりも先に走り出していった。
逸早くグランにこの状況を伝え、最悪の場合に備えてもらう必要があるからだ。
そんな折、ミリアスは一つ疑問に思っていた。
――何故、俺は今、こんなに焦っているんだ……?