47 意識の覚醒
それは一瞬の出来事だった。
服選びで移動した先の店がこの異世界〈ラルメキア〉に転移した。
私だけが店に入って服を選んでいると、急に視界が歪み、立っていることが困難になったのだ。
咄嗟に、倒れるのだけは阻止しようと、目の前にあった、服の商品棚に手をかけ、座り込むことになった。
「な、なに……?」
立ちくらみ。それとはまた少し違った、まるで足の感覚がなくなり、立っている、という状態が維持できなくなるように、仕向けられたような、そんな気がした。
突然の状況に、思考は追いつかず、腰が抜けたのか立ち上がることも出来なくなっていた。
それでも、友達が外にいたことで、今の自分の状態を見て驚いているかもしれない、という事に気付き、外に視線を向けたのは、状況にいち早く気づけたという点で言えば良かったのかもしれない。
視線の先、この服屋の外。在るべきはずの通路は店の軒先を境に一面、白一色の何もない空間と化していた。そこで気がついたのだが、よくよく視線を上にあげてみると。天井には何もなく、ただ距離感の感じられない、白い壁のようなものが存在するのみであった。
そして、涼妹は結論に至る。
「え? ここどこ? 皆は?」
気が付けば、白い空間に囲まれた、服屋にいた。
周りを見渡せば、店の客と思われる人物が数人と、店員が三人おり、自分とは違い、倒れて頭を打ったのか、全員が意識を失っていた。今に思えば、倒れるだけで? とは思うが、その時はそれ以上に、異様な空間となっている服屋の外に気を取られていたのだろう。
数分の時が立ち、身体の感覚が戻ったのを確認して、私は店の外へ足を伸ばすことにした。
寝ていた人達を起こそうとはしたのだけれど、なぜか、身体を揺すり、声をかけても起きることはなかった。全員の確認をしたわけではないが、誰も起きる気配はなかったので、取り敢えず現状だけでも把握しておこうと思い、再び店の外へと注意を向けたのだ。
「よし」
そのまま皆が起きるのを待つ、という選択肢もあったのだろうが、その時私の頭の中を占めていたのは『逃げなきゃ』というものであり、それは周りの人達に気がつかれてはならない、という焦りも含んでいた。何故逃げなければならないのか、周りの人達に気が付かれるのが何故ダメなのかもその時の私は何もわからなかった。ただ、この衝動の先にあるものがなんなのか、本能的に知っている、という確信があった。そして、それは私の足を動かすのには十分な感情だった。
私はそこにいた人たちを置いて、店の外に出て行った。
何もない、真っ白な空間を、ただひたすらに、歩いた。
方角は分からずとも、方向はわかる。
服屋を背にして前へ前へとただ歩き続けた。
そうして、歩き続けた結果、私は落ちた。
落ちたと思ったのは、単純に浮遊感がしたからだ。目に映るものは何も変わらなかった為、落ちているのかを確認するすべはない。本当に落ちているのかもわからなかったのだが、一瞬浮遊感がしたのは確実だった。
あの時、落ちた瞬間に目を瞑っていなければ、どのように移動したのかがわかっていたのだろう。目を開けた時、私の目の前には死屍累々となった人々の姿があった。
「ぬ? ヒトか? この我の厄災から逃れたのか? なんという強運ぞ」
何か言ってるのは理解していたのだが、何を言っているのかさっぱりわからなかった。
私の意識は完全に友達だと思われる屍へと向けられていたからだ。
「ぁえ? 葉月? 奈々、悠里……?」
目の前が真っ暗になる気がした。
彼女たちとは先程まで一緒にアイスを食べて過ごしていたのだ。
それがどういうことだ?
気が付けば彼女たちは死んでいた?
「死ん……で……る?」
私が勝手に決めつけていたが、彼女たちは死んでいるのか?
私はそれを確かめたのか?
否。
彼女たちは生きている可能性はあるのではないか?
「き、救急車……そうだ、電話。病院に電話しなきゃ……」
涼妹は彼女達を助ける為に自分の中でできる限りの思考をしていた。
しかし、それでも、彼女達を助ける手段など有りはしない。
よく見れば分かることだ。
葉月の右半身。奈々の片腕、両足。二人の体の一部はどこにもない。あるのは見るも無残な彼女たちの残骸のみだ。悠里に至っては頭しか残っていない。首から下は今、目の前に居る、謎の化け物が貪っている。
「なんじゃこの娘? ずいぶん壊れとるじゃないか……ん? なるほど、これらの中に知る者がおったか……」
「たぃ、携帯っ……ど、どこやったっけ? そう、だ。鞄?」
涼妹は携帯を探しに、鞄を取りに行こうと身体を動かすが思うようにはいかなかった。
「なん、で……?」
「そりゃあ、我がここにいるんじゃ、人間なぞ動けるはずもなかろう?」
そこで、やっと、気が付いた。
何か居る。
目の前に何か居る。
そして、そいつは食べている。
何を? 何かを。
よく見て? 見えないよ。
あれは何? あれは……
「ゆう、り……」
「ん? なんじゃ? これがお主の知人じゃったのか? ……うむ、味は悪くないぞ? ほどよく噛みごたえもある、すぽーつでもやっておったのかのぉ? 身が引き締まっておるな。血液も悪くない、健康そのものだったようじゃな」
そう言いながら、目の前の、大蛇のような見た目に四本の足が生えた生物、おそらく『龍』である化け物は悠里の身体を丸のみして、咀嚼していた。
その姿に私は怒りが沸いた。
なにを食べているんだ?
その感想なんだ?
悠里を食べる必要あるのか?
しかし、そのどれも、口にすることすら出来ない。そんな自分に心底腹が立った。
気が付けば、私はそいつを睨んでいた。赤い、赤い、涙を流しながら。
「かっかっかっ、恨むか? しかしな娘よ。その感情は我の好物よのぉ……っくぅ!! もっとじゃッ! もっと、我を恨むが良いッ!! そして、我に復讐するがいい、そうすればお主のその感情はお主だけのモノとなるッ!! かっかっかっ!! 面白い、面白いぞ、人間ッ!! いや、違う、なぁ? 蓼科 涼妹ぇッ!!」
「なっ……なま、え?」
なんでこいつが私の名前を知っているの?
私は自分の事なんて話してないし、そもそも、こいつと会話などした覚えもない。
「そりゃあ、そうであろう? 我はお主の友、佐賀 悠里を喰らったのだ、よく覚えておるぞ? お主のこともなぁ」
なにがよく覚えているだ? それはお前のものじゃない! 悠里に返せ!!
しかし、この化け物はよく喋る。私との会話を楽しんでいるようだ。私としては全く面白くもない。反吐が出そうなくらいだ。早くこの化け物を殺してやりたい。
「まぁまぁ、そう焦るでない。お主には我を殺してもらわねばならぬのだからな、かっかっかっ」
「は……?」
化物のその一言に私の怒りは度を越して、冷めていくのを感じた。
◇◆◇◆◇
化け物の名前はエンデュラーク。
蛇龍だそうだ。
普通の龍ではないということなのだが、私にはさっぱり違いがわからなかった。
ただ、私は今までこんな生き物見たこともないが、普通に現代社会で生きているらしい事は理解した。
彼が言うには、自分が手をくださずとも、私は死ぬらしい。
なぜなら、私はこれから異世界へ転移するそうだ。
そんな話を簡単に信じるなど、私はどうかしているとも思うが、なぜか、確信を持って言える。彼が私に嘘を付くことは無い。
確かに、彼を恨む気持ちはあるし、怒りだって収まっていない。それでも、私は彼の話を聞いておかねばならないと思っているのだ。私は私の気持ち……本能を信じて、耳を傾けて見ることにした。
「それで? 私が貴方を殺す必要がある理由は? まぁ、殺すことは確定事項だけど、一応聞かせてよ」
「ふん、この我を容易に殺せると思うなよ? 我はこの世界に来たころから」
「あぁ、はいはい、そういうのいいから」
エンデュラークの話は長い。隙あらば自慢話をしようとするので、全て聞いていたら時間の無駄だ。
「くっ、小娘が、まぁ、よい。我は大人じゃからな、話を進めるとしよう」
エンデュラークの物言いに若干の悪意を感じるが、ここで私が咎めても話が長くなるだけだ。我慢しよう。我慢だ。
「先ず初めに。貴様は我を殺すことはできぬな」
「そりゃ、そうでしょうとも」
普通に考えて、ただの女子校生がドラゴン倒せたら、事件ものだよ。蜥蜴をドラゴンとするなら、例外。私は蜥蜴がいたら、尻尾巻いて逃げるけどね。それは蜥蜴も同じだろうけど、尻尾切るか巻くかの違いでしょう。
私の思考を他所にエンデュラークは話を続ける。
「そこで、お主には我を食ってもらい、ステータス向上、つまりは、強くなってもらう」
「うん? 食べるの? 私が?」
「うむ、やはり、この世界のものらは、龍を食べるのには少々抵抗が有るようじゃがの。それをしてもらわねば、強くなることなど、出来はしないしのぉ」
食べる? 食べるって、食事だよね? 栄養摂取だよね……?
「食べたら、私の復讐終わりじゃん」
「いや、我は死なぬぞ? 我の身体は世界各地に巨万といるからの?」
「え”?」
こんな生き物が何体もいるって言うの?
それを全部倒してくれって事?
「それに、我は」
と言って、エンデュラークは自分の能力を自慢するかのように話した。
曰く、彼らは不死身で、一体でも細胞が生き残れば再生することも可能らしい。
曰く、彼らには寄生性があり、人体や有機物など生き物に寄生し、乗っ取るらしい。
曰く、彼らは意識の共有ができ、敵に襲われれば、周囲の龍が駆けつけるらしい。
これらの理由から、彼を完全に倒すことはほぼ不可能ということだ。
「どうすれば、いいのよ!? 勝てる勝てない以前に、いづれ殺されるじゃない!?」
「じゃから、頼んでおるんじゃ。我らを殺しきるには我らを集め、一撃で、消滅させることじゃのぉ、まぁ、今の小娘がそんなことできるのじゃったら、我は驚きのあまり、ショック死するがな」
「そんなの無理に決まってるでしょ」
そんなことができるなら、こうなる前にこいつを殺してる。そうすれば、皆は、助かったのかもしれないのだ。そうだ、私はこいつを殺さなければならない。何があっても、これから、私の生涯をかけてでも、こいつを殺す、その手段を探そう。そうでなきゃ、私の気が収まらない。
「それがの、お主は残念なことに、選ばれたのじゃよ」
「選ばれた? 何に?」
エンデュラークはなにか勿体ぶるかのように、溜めて、言った。
「……獣神様にじゃな」
「獣神?」
獣神とは、読んで字のごとく獣の神だ。
神が居る。というのは信じがたいことではあるが、龍がいるのだ。神もいるだろう。そこはいい、そこは問題じゃない。
問題は獣神に選ばれたことだ。何に選ばれたのか分からないが、嬉しいことではなさそうだ。
「獣神様は神の結界から自力で抜け出したお主に興味を持った。そして、我にご命令なさったのだよ」
涼妹は色々と気になったこともあったが、話の流れを切らない為に黙っていることにした。
「命令の内容は単純。彼女に絶望を与えよ。その一言じゃ」
「絶望を与えよ、か。……それじゃあ、私が出てこなければ、皆が死ぬことはなかったってことだよね」
「ま、そうじゃな、我が言えたことではないが、お主の存在がこやつらの死因の一部分を担っとるわけじゃな」
私がここへ来なければ、大人しく、あの店で待機していれば、とは考えずにはいられない。
涼妹にとってはその事実を知っただけでも、十分な絶望だ。
それを汲み取るかのように、エンデュラークは言う。
「それを踏まえたうえで、我を殺すことは確定であり、殺すだけでなく、取り込み、獣神様に一矢報いたいとは思わんか?」
それは、確かに、そうだ。こんな事態にした元凶は私であり、獣神でもある。エンデュラークもであるが、こいつの処分は決まっている。何か、しなくては気が収まらない。
「私は……何を……すればいい?」
何処かで分かってはいたんだ。
黒い感情が私の中で渦巻いているのに。
それでも、私はそれに気が付いていない振りをして、自分の為にこいつに従うしか選択肢は思い浮かばなかった。
涼妹が目に殺意を宿したその時、邪龍は静かに頬を緩めていた。