42 転移と誤魔化し
ミリアスは幼児退行した水菜を連れて、グリードたちの元へ向かった。
「ん? 霧が濃いな……」
元いた方向は分かっており、今はその方向へと向かっていたのだが、ミリアスたちが空から降りて来た時よりも霧が濃くなっていた。
今となって考えてみれば、降りてきた時の霧の量も異常であったのだ。普段であれば、このギュノース沼地には霧がかかることなど滅多にない。たとえかかったとしても、精々、ちょっとぼやける程度の霧であるはずだ。それが視界を狭める程の量など、普通ではない。戦闘による異常気象かと考えていたのだが、この場合、誰かが意図的に霧で包んでいると考えた方が理屈が通る。
「なんで、こんな単純なことにも気が付かなかったんだ?」
「ふふふ、それはね、君がだらしないからよ」
「っ!?」
ふと口に出した疑問は、思わぬところから返ってきた。
真後ろで声が聞こえた俺は咄嗟に水菜を抱えて、自身の前方に跳躍し、振り返る。
そこには二つの人影があった。一つはグリード、もう一つは色欲のアスモデウスと名乗っている、セリアこと猪鹿月咲夜という日本人だ。
「グリードっ! はぁ、面倒な……」
グリードのステータス欄にはしっかりと《魅了》という文字が記されていた。
対処の方法はいくらでもある。
最も最適な方法はグリードを……いや、まだ、俺にはその勇気はない……な。
別の方法としては[交換]の能力を使えばグリードから《魅了》を剥がすことはできるが、それはあくまで《魅了》を交換するだけであり、それを誰に移すかによるのだ。損がないのは水菜と咲夜なのだが、術者が咲夜なわけであり、自分に魅了を掛けることはできない為、[交換]が発動出来ない。そうなると、水菜に移すのがいいのだ。しかし、この幼児退行問題の彼女、実は戦闘能力が高いのだ。それもグリードより高い。
「う~ん、グリード、別にいいかなぁ……」
「お兄ちゃん? あのおばさん知ってるよ、みな、あのおばさん嫌い」
「……お、おばさん……?」
あ~、やっぱ、気にしてんのか。
色欲の罪人である咲夜の年齢は二三だ。一七である水菜からするともうおばさんの部類に入るのだろうが、俺も人のことを言えない。転生前を含めれば、三十路近くになってしまう。十年の空白を数えなければ二十数歳ではあるのだが……
「……その幼児退行ぶりを見ると、今はノアなのかしらね? 色欲の魔王であるアスモデウスを年増呼ばわりしたこと、忘れないわよ……」
「うぅ……やっぱり、こわぃ……」
めんどくせぇ……
なんでこんなに面倒なことになってるんだ? 幼児退行のこともそうだが、グリードの魅了はどうにか出来なかったのか?
「ん? そういえば、アルは? どこいった?」
探知の能力を使い、あるの魔力を探してみるも、あたりに彼女の反応はない。というか、この霧の中には魔力がない。
「霧が魔力を遮れるもんか?」
「あら? 君は気がついてないのかしら?」
一面に広がる霧に視線を向け、目を凝らす。能力の補正もあり、ある一つの情報が浮かび上がった。
「…………これは、聖の奇跡か?」
魔力というのは、魔属性の力であり、その反対、一般に奇跡と呼ばれるものが聖属性の力だ。
この世界の住人は人により量は違えど、必ず魔力を宿しているのだが、奇跡というのは、魔法のようなもので、実は聖属性の力を利用し超常的な現象を引き起こすというからくりだ。聖属性という点から、人を傷つけるような力ではなく、守るための力としての現象の方がその本領を発揮することができるらしい。ただ、その中には強力な呪術の類も含まれていつようで、扱いは難しいとも言われている。
「君はもう気がついているだろうけれど、私は転移者よ」
……ん? なんで、俺が気がついてるって知っているんだ?
「そんな警戒しないで頂戴な、ただ、私達が念話スキル持ちだってことよ」
なるほど、先の会話が筒抜けだったのか。通りで水菜が俺にくっついていても何もいってこないわけだ。
「なら、尚更不思議だな、お前はなんで俺に近づいた?」
「イケメンだったから☆」
「……」
そうだ、こいつ、色欲の悪魔憑きなんだよな……まともなわけがない。
「ちょっと、失礼なこと考えてない?」
「無駄に勘が鋭いんだな」
「ま、冗談はほどほどに」
「……ほんとに冗談だったのか?」
「んんっ! 私が君に声をかけた一番の理由は、私があなたに興味があったからよ」
「性的な意味で?」
「んなわけないでしょ、イケメンでも年下には興味ないわ」
『俺年上だけどな』とは言えなかった。なるべくではあるが、俺が転生者であるというのは知られたくない。ウナには軽い気持ちで言ってしまったのだが、後々考えてみると良くないことであった。今後は注意しなくては、と心に誓った筈が今回の醜態である。
「ま、それは置いといて、興味がある、というのは君の身体よ、変な意味で履くてよ?」
「わかってる、俺の顔が日本人らしくないってんだろ? 俺は昔っから日本人顔じゃねぇって言われてたんだ、今更勘違いされてもなんとも思わねぇよ」
「ん? え、待って? 君のその身体は自分のものなの?」
「あぁ、俺の母の実家がフランスのチュールでパン屋をやっていてな……」
「ちゅ、チュール? パン屋?」
これは実際の話だ。実は俺の母爈嚌祁瑞姫の本名はシルヴェール・フローラであり、日本にきた時に名前を変えたそうだ。だから重要な書類等には「爈嚌祁・S・フローラ」で記されている。
「ん~? 私たちと同じなのかしら?」
「転移した時期は違えど同胞と言えるのでは?」
「こ、これはちょっと期待はずれかしら……ま、まぁ、いいわ、一応こちらの仲間ということよね」
「いや、それh――」
「――おい、ミリアスさん、それは一体全体どういうことさっ!!」
今度は真横から何かが飛んできた。
軽く身体を捻り回避したのだが、これが俺でなければ、真っ二つであったに違いない。知覚能力も身体能力も上昇中の俺のステータスでさえ、今の攻撃にはギリギリの回避であったのだから。
「……アルか?」
攻撃をしてきたと思われるはアルしか思いつかなかった。
俺の名前を知っていて、これほどの攻撃をしてくる者を俺はアル以外には知らない。
彼女のステータスを見たときは驚いた。彼女の身体能力はレベルの割に高過ぎだったのだ。今の俺の素の状態のステータスを上回るものもあった。
「あんたはこいつらの仲間だったってことだよな! それでアタイらを貶めようとしてたんだろ!!」
なるほど、俺と咲夜の会話を聞いていたのか。しかし、この反応だと、途中から、しかも変なタイミングから聞いていたみたいだな。
「ミリアスさん! あんた一体何者なんだ!!」
「俺は……Fランク冒険者のミリアス=エグノスだ! それ以外の何者でもない! こいつらは俺のことを仲間だといったけど、俺はそんなこと微塵も思っていないっ!!」
「なっ!?」
「じゃあ、どういうことなんだよっ!?」
アルが泣いている。
俺の裏切り行為がそんなに悲しかったのか? 俺はそこまでの情を交わした仲ではなかったと感じていたんだけどな、向こうはそうでもなかったってことか……
これは、悪いことをしてしまったな……
「アル、先に謝らせてくれ」
「はぁ?」
「悲しい思いさせて、すまん」
「は、はぁ!? 悲しくなんてっ!!」
「説明すると長くなるんだが聞いてくれ……」
「ま、待て、長いのか?」
「あぁ、長いと思う」
「な、ならいい、話さなくていい!!」
「っ信じてくれ! 俺はお前たちを見捨てはしない!!」
「だ、大丈夫! わかってる! 大丈夫だから近寄るなぁ!!」
「何かしら、この疎外感」
「はっ!! アルっ! ミリアス!? てんめぇ!! なぁにアルをなかせとんじゃぁ!!」
「ってえぇ!? あいつ自力で魅了をといたの!?」
「おにいちゃ……ん……? なんで、あたし、あいつのことお兄ちゃんって呼んでるの……? あれ? あれれ? あぁれれぇ?」
グリードの《魅了》は解け、水菜の幼児退行が元に戻った所為で、状況が一気にややこしくなってしまった。
ミリアスの中でこの状況をみていた二ティは腹を抱えて笑っていたそうだ。
とりあえず、グリードは殴っておこう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
魔王城・グリッドストレイニア
ここは魔族の王である者達が集う城。
その城の最上階の部屋に一人の魔王が住んでいた。
彼の名前はカルヴァドス。怠惰の悪魔ベルフェゴールを取り込んだ、世界で初かもしれない、上位魔族だ。種族名は幻想種の喉怪族。頭から羊の角は生やしているのだが、両方ともに根元から折られている。その理由が……
「寝返りの時に角が邪魔なんだよな」
であった。
彼は生まれながらの堕落気質で、その怠惰が認められ悪魔ベルフェゴールがこの悪魔に取り憑こうとしたのだが、逆に彼の怠惰によって貯められていた魔力により、取り込まれてしまったのだ。だから、現在の怠惰の悪魔はベルフェゴールではなく、彼になるのだが、その場合、悪魔ではないため、怠惰の魔王と呼ばれている。つまり、故怠惰の悪魔ベルフェゴールというわけだ。
そんな彼は一人の女性を雇っていた。一年間無休で給料はなし、時々起きるベルフェゴールの世話をする以外は基本自由行動可。魔王城内にあるものはすべて使用して良いと、彼からのお墨付きもえている。何不自由ない暮らしではあったのだが、生憎とこの仕事は暇で暇で仕方がない。
そんな彼女が今一番ハマっていることが、水晶占いである。
水晶占いで世界各地の情報を集め、その中でも特に興味を惹かれたものを集中的に見る。水晶で見た景色は実際の感覚として記憶することができるので、彼女の娯楽は世界旅行ということになるのだ。
彼女が今見ているのは、とある迷宮の内部。その迷宮では女王がおり、国家を形成していた。
「なんと、このダンジョンすごいですねェ? どうしてこんな魔物が生まれたんでしょうか?」
彼女の興味はその女王に向けられていた。
「はて? この魔物、何処かでみたことがあるような……?」
いったい、この魔物はなんだろう? 私をここまで惹きつける何かがこの魔物にはあるというのかしら?
この出会いが今後どのように発展していくのか、この先の未来は水晶でも見えないようであった。