38 思いの力
マニョールの主な攻撃はトランプカードであった。トランプに魔力を込めて投げるだけの簡単な技なのだが、そのトランプには様々な仕掛けが施されていた。
対して、リャンは【土壁】の名に恥じぬ分厚い土壁を駆使し、様々な現象を起こしていた。
だが、マニョールの放ったトランプはリャンの創り出した土壁をいとも容易く撃ち抜いた。
「ほいっ!」
「くっ!!」
トランプカードが土壁に当たった瞬間、厚さ一メートルもあった土壁は粉々に爆散した。
リャンの力は圧倒的にマニョールに劣っていた。
彼が沼から岩を突出させれば、兎人族の脚力をもって躱し、更には、彼の岩を泥へと戻してしまう。
対して、マニョールが放ってくるトランプには仕掛けが施されており、躱しても爆発、威力も様々で、分厚い土壁を創り出した時に、爆竹一つ分程度の威力だと、魔力の無駄遣いになってしまう。そうすると必然的に常に厚く壁を作っておくか、防御を捨てて攻めに出るかの二択になってしまう。
「土で模られた短剣」
リャンの選択は後者だ。
彼の周囲には複数の短剣が、マニョールに刃を向け浮かんでいる。その短剣はリャンの合図があればいつでもマニョールへと飛んでいけるだろう。しかし、リャンも理解していた。この程度の魔法ではマニョールのことは倒すことはできないと。しかし、それでも、手数を増やすしか、良い戦法が思いつかなかったのだ。
「やはり、貴方はまだまだですね……」
リャンが焦っていると、マニョールが静かに口を開いた。その態度は、先程までのおちゃらけた道化ではなく、重みのある、荘厳華麗な面持ちで、リャンの心を見透かしているかのようであった。
「はぁ、ふぅ、それは貴方の実力に私が届いていないからでは?」
「ですから、それが間違いだと……いえ、いいでしょう。一つお話をして差し上げましょう」
「俺は悠長に話なんてッ――」
「――むかし」
「聞いてます……?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
むかし、むかし。それはまだ、月の民たちが月人至上主義だった頃のお話。
月の裏側のあるところに、一人の少年がいました。
少年は月の民であり、彼の家はその中でも高位の存在にあった。
彼はその家の長男で、とても良い暮らしをしてきました。
少年には双子の弟妹がいました。
彼はいつも一緒にいる二人の世話する、面倒見のいい性格をしていました。
弟が公園でけがをすれば回復魔法で傷を治し。
妹が台所でけがをすればやはりこれも回復魔法で傷を治してきました。
そうして、回復魔法で傷を治していると、ある時から、弟妹たちの怪我は増えて行きました。
彼が傷を治してくれるからと、怪我をすることを厭わなくなったのです。
その事に気がついた少年は、その日以降、回復魔法を使うことを辞めました。
弟妹が公園やどこかで怪我をしてきても、ちょっとのことでは回復魔法を使ってはくれませんでした。
そんな少年が唯一回復魔法を使用したのは、命に関わる怪我の時。ただその時だけになりました。
弟妹たちはこんなに怪我をしているのに治らないのは嫌だと思い、こう考えました。
どうにかして兄様に魔法を使わせたいと……
二人は様々なことをして、少年に再び魔法を使ってもらおうとしましたが、全くうまくいきませんでした。
そんな、ある時、月に一人の男が侵入したとの報告がありました。
少年は、弟妹たちに公園に行くときは気を付けるように言い聞かせ、いつもの様に仕事に出て行きました。月の貴族だからといって仕事をしなくていいわけではありませんからね。
そして、夜になり、少年は家に帰ってきました。
彼はいつも夜遅くに帰るので、家の明かりはついていないのですが、今日は何故か、明かりが点いたままになっていました。不思議に思いつつも、玄関をくぐり抜けると、途轍もない魔力を放つ二つの気配を感じ取りました。
少年は咄嗟に玄関の外へ出ますが、ふと、家族のことを思い出し、裏庭から居間へと入り込みました。
そこには死体がありました。
祖父は槍に貫かれ、祖母は首を斧で切断されていました。
彼の両親は、少し離れた廊下にいました。無残にも、胴体と四肢をバラバラにされ、置かれていました。
このような事態になったことを少年は嘆き悲しみました。
それでも、彼は未だ姿の見えない弟妹たちを思い、鉛のように重くなった身体を動かしました。
そして、彼が見たのは二人の弟妹たちが自分たちの身体を貪り合っている惨状でした。
数日後、仕事に来ない少年を心配し、家にやってきた月の民は、数ある死体のその中央で一人真っ赤になりながら佇んでいる悪魔を見つけました。
悪魔の両手には、自身の弟妹と見られる二つの生首の刺さった棒を持っていたそうです。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
話を終えたマニョールはどこか哀愁漂う表情を見せていた。
「それは貴方の体験談では?」
無神経にそんなことを聞いてしまったのはなぜだろうか。
「いいえ、私にはそんなことをする度胸など微塵もございませんよっ!」
マニョールの表情に変わりはなかったが、彼の瞳の奥にある何かを恨むような、どす黒い感情を感じ取ってしまった。
正直彼は得体のしれない存在だった。何故、そんな表情をするのか、そもそも、できるのか、リャンには全く理解出来なかった。
「貴方は、誰なのですか?」
「私か? 誰だと思う?」
マニョールは、リャンの口から咄嗟に出てきたその言葉に動揺も見せず、口をニヤつかせながら答えた。
「例えあなたが悪魔だろうと、叩き伏せるまでです!」
リャンは自分を鼓舞するように叫び、気合いを入れ直した。だが……
「ふっ……ふっふふ、ふふははっ! はっはっはっはっ!!」
マニョールはただ、腹を抱えて笑うのみであった。
「土壁による封圧死」
泥沼より厚さ数メートルもの二つの大きな土壁現れ、マニョールを挟み込んだ。マニョールは別段その場を動く様子を見せず、そのまま壁に押しつぶされた。
リャンは念の為、二つの土壁をさらに推し進め、双方共、破壊しながら進み、合わせて五メートル程の厚さになったところで動きを止めた。
「そんなに、甘くはない……か」
――ピキッ
土壁に小さな罅が入った。
やがて罅は大きくなり、最終的には土壁は雪崩の様に崩れ去っていった。
「リャン、認めてやろう、貴様は強い」
その壁の中から出てきた者は先程までのマニョールとは思えないほどに肥大していた。
百七十センチだった彼は、背を丸めてはいるが三メートル近くの大きさになり、少し筋肉質だった彼の腕は、大樹の枝の様に太くなっており、彼の体は力強くそして頑丈になっているようだった。さらにはその見た目にも変化があり、老執事風であったその姿は今では狼、人狼にとうに赤黒い毛を纏い、鼻から口が犬のように伸び、その口からは獰猛な牙を生やしていた。
「だが、俺はもっと強い」
何時の間にか日は沈み、辺りは暗さを増していた。
楽しげに表情を歪め、その怪物は月夜を笑った。
「石化!」
あの瞳から狂気を感じ取った。夥しい熱量の狂気を。
気が付けば咄嗟に上級土魔法を放っていた。
石化の魔法。
対象を石化させる。対象の指定は腕を向けること。石化は身体の足先から始まり、石化の速度は魔力の使用量により早くすることができる。
リャンは出力最大の魔力を使った為、マニョールの全身が石化するのには一秒もかからなかった。
「っぁ、はぁ、はぁ……」
だが、リャンは息を切らしていた。
大量の魔力を消費するというのは、身体に大きな負担をかけることになる。
「咄嗟に石化を使ってしまったが……さっきの目はダメだ」
この魔法は、表面的には石のようになるのだが、正確には対象の身体を石の膜で覆った状態にする魔法である。そのため、ある程度の筋力があれば……
――バギィィィ
簡単に解けてしまうのだ。
「石化魔法の弱点は、筋力、と思われがちだが、これの解き方は何も力尽くだけではない」
ただ、この男は違った。
「暴食」
「……暴食の魔王……ベルゼブブ?」
リャンにはアーキビストの仕事の合間に読んだ伝記の中にあった、魔王の姿を覚えていた。
先程まではただの人狼、獣人種の大狼族との差はわからなかった。だが、石化の魔法を彼は食したのだ。その姿が、暴食の悪魔、魔王ベルゼブブとして描かれていたものととても似ていたのだ。
「よくわかったな……?」
最悪だ。俺の現魔力は総量の四割を過ぎている。魔力というのは精神力とも言われ、そこをついてしまえば意識を失ってしまう。強制的に意識が途切れ、二割を超えるまで意識は戻らない。
そんな状態で最強の魔王と言われたベルゼブブを相手する、それはつまり、己の死を意味するのと同義だ。
「ぐぁっ……まずい魔力だなァ……」
どうする? 逃げるための魔力はあるだろうが、例え魔力が全快でもこの魔王からは逃げることなどできないだろう。
「逃げるか? 追いやしねぇぞ?」
そんなわけはない。この魔王は残忍で知られている。だが、先のマニョールの話はこの男の話であったのではないかと思われる。となると、彼の残忍さには納得がいってしまうのだが、ある意味では同情してしまう気持ちがないわけではない。
「なんとか言えよ? お人形さんじゃつまらねぇぜ?」
「土壁の塔」
「分解」
中級土魔法をいとも容易く相殺された。彼の実力は確実に俺を凌駕している。
「身体強化」
「がぁっはっ!!?」
それに身体能力の差もある。
自分の力にそれなりの自信はもっていたのだが、この男の前には到底及ばないと思わずにはいられない。
「おらぁっ!!」
「ぐっ! 土壁」
土壁には防御だけでなく、形を変えることで足止めをすることができる。
「うぉっととっ!」
足元に段差を作るだけで、ちょっとしたトラップになる。原始的ではあるが、集中力が必要な戦場においてはかなり有用なトラップではある。
「土壁の千剣」
「これは……すげぇな…………」
リャンの土魔法、最上級の土壁の千剣。
名前の通り、彼の周りには竜巻のように数多くの土剣が、千本の剣が、宙を舞っている。その中に飛び込めば容易に切り裂かれるだろう。
「ま、俺にゃぁ関係ねぇがな…………過食」
彼が剣の嵐の中に進むと、土剣は容赦なく彼に突き刺さっていく。一歩踏み出す度に十三本の剣がかれに 突き刺さる。それでも彼は剣を気にせず嵐の中を突き進む。
「ぐっはぁ! いたいねぇ、いたいねぇ……こんなまずい魔力ははしかねぇんだよっ!」
彼は突き刺さっていく剣を喰らいながら、着々と中心のリャンのもとへとあゆみを進めている。
「はぁ、こうも数が多いと鬱陶しいなぁ……消すかぁ……はぁ……貪食」
「次で、最後だ」
「ほぉっ! 槍か? 地震か? 地割れか? いいぜぇ……なんでも掛かって来やがれぇ!」
「生命体還元」
「は……?」
リャンは残った魔力の大半を注ぎ、土魔法の中でも特に禁忌とされる魔法を放った。
「は? はえ? うっ……ぐっ、グルゥゥウァッ」
「はぁ、はぁ……こ……れは……禁忌の魔法だ……」
この魔法が近畿と呼ばっれる所以はただ一つだ。対象の精神を何かに封じ込めることができるのだ。今回は相手が魔王であっただけあって、完全に封印するとまではいけなかったが、数時間眠りにつかせることができたのは間違いないだろう。これで、時間稼ぎとしては完璧だろう。例えここで……
「お前……やってくれた……なっ!! くっそっ! 俺の……チッ! マニョール!!」
ベルゼブブは意識を保てなくなったのだろう。苦しげにしながらもマニョールへと意識を渡したようであった。
「えぇ、わかってますよ、彼は殺しません」
「なっ!?」
既に俺の身体は動かなくなりつつある。今の俺は格好の獲物と言っていいだろうに、何故、彼は俺を殺さないのだろうか?
「簡単なことですよ、貴方はいつでも殺せますが、彼らは……」
言葉の意味を悟った、リャンは最後の力を振り絞り、巨大な土壁を自身の後ろに築き、マニョールに泥の礫を放った。
「ふっ、一向に成長しない男ですね……単調な攻撃ほど交わしやすいものは……っ?」
マニョールは余裕な態度で躱し、リャンの短剣は彼の横をすり抜けていった。
と思われたのだが、躱した筈の短剣により、マニョールの頬が切れ、血が滴っていた。
「特に攻撃に変わった様子は見られませんでしたが……」
「伊達に……Sランク……冒険者やって……ません……ので……彼らに……手出しは……させま……せん……!」
「なるほど……やはり、地力と気力は私の方が低いようですね」
マニョールの推測は正しい。リャンの地力も気力もそこら一般の冒険者とは違い、Sランクに相応しいものをもっていたのだ。しかし、今の今まではその実力も有効に活用できておらず、Sランクの域を抜け出せずにいたのだ。その地力が、強敵であるマニョールと出会ったことで開花し、少しずつではあるが、マニョールの技術力に追いついてきているのだ。だが、それでも、所詮は火事場の馬鹿力、付け焼刃になってしまうのだ。マニョールの洗礼された技術力はそんな一朝一夕では越せないのであろう。
「いえ……リャンさん、貴方の勝ちでしょう」
「なん――」
――ドゴォォォンン
マニョールが放った言葉に疑問を抱いたリャンの言葉を遮るほどの爆音が、ギュノース沼地の戦場に響いた。