29 二つの影
俺は風呂から出ると、居間のソファーに座り直した。すると、レアリは何故か息を切らしながらお茶を持ってきてくれた。
「ん、ありがと。ところでレアリ」
「は、はぁい!? な、何ですか!?」
「い、いや。大したことじゃないんだが、なんでそんなに息を切らしてるんだ?」
「へ!? き、気のせいじゃないですかぁ? あ! 私、少し野暮用を思い出しましたの! 失礼させていただきますわ! おほほほほ!」
レアリは若干、いや、大分テンションを狂わせながら自分の部屋へ去っていった。
「エル」
「ふぇっ!? エルはなんにも知らないですぅ!!」
「そ、そうか」
エルの方も走って自室へ戻っていった。あ、こけた。エルはそれっきり意識を失ったのか起き上がらなかった。
「はぁ、あいつらな……」
「ん? 何かあった?」
「いや、なんでもない」
「ミリアス」
「ん? どうした?」
「私と涼妹どっちが好み?」
「ぶっ!?」
俺は口に含んでいたお茶を盛大に吹いた。自分でも汚いと思ったが、止められなかった。それほど、ウナの質問には衝撃が含まれていた。
「ウ、ウナ? 何言ってんだ?」
「単刀直入に言うと、どっちとしたい?」
「はぁ!?」
今の気持ちをどう表現したらいいか? 単純だ。取り敢えず、自室に帰りたい。だが、ウナはそうさせてはくれないようだ。俺の腕をがっちり掴んで、自分の身体で押さえつけている。確かに筋力では到底押さえつけられてはいないのだが、その小さいながらに柔らかい双丘が俺の思考を惑わせる。
「どっちも身体は同じだろ!?」
俺はここで重大なミスを犯した。この答えに対する完全な間違いである。言ってから気付いたが、これはそういう問題ではなかったのだ。
「お、おい!? ウナ!?」
ウナは泣いてた。
ウナは自分が泣いていることに気が付いていないのか、表情は変わらないが、確実に涙を流していたのだ。
自分の答えの所為であることは確実であり、俺は声を掛けることができなかった。
「……ごめんなさい」
そう言って彼女は自分の部屋に行ってしまった。
「悪いのは俺のほうだろ……」
〔ばっかだな! 自業自得じゃねぇか! ざまぁねぇな! ははっ!〕
〔わきまえなさい! このクズが!!〕
〔ニティ、ありがとな、だが、こいつの言う通りだ〕
〔ほらな!〕
〔で、ですが〕
〔心配ない、何かあったら教えてくれ〕
〔わかり、ました〕
〔ケッ、つまんねぇな〕
俺は静かに湯呑のお茶を入れ直した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
さっきからおかしい。ウナが出てきてくれない。突然交代させられたと思ったら、目の前にはミリアスくんがいるし、そのミリアスくんが何かすごい悲しい顔してるし、私なんて涙流して泣いてるし。
「なんでかな? すごい悲しいや」
わけがわからない。自分の身体に起きている異変に戸惑いを隠せない。まるで自分の身体じゃないみたいに。
「ねぇウナ? なんで泣いてるの? 何があなたを苦しめてるの? 私には思い出せないよ。どうしたら出てきてくれるの? ねぇ……ウナぁ…………助けてよぉ、ミリアスくんは私に何をしたの?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
いくらか時間が経った。俺の気持ちは未だに整理が付かないままだ。
――コンコン
樹の家の居間で考え込んでいると不意に外から玄関のドアをノックする音が聞こえた。
〔中性。二人です〕
ニティによる報告を受けると、徐ろに立ち上がり、居間の扉を開け玄関へ向かった。
ドアの前に行くまでに強化能力を用いて気配を探る。中性という報告ではあったのだが……
相手は二人。呼吸は浅く緩やかで、心音にも異常はない。二人のうち一人は背が高く180cmくらいはあり、もう一方は150cmくらいであった。背の高い方は男であり、低い方は女だ。筋力の張り具合から、男は背中に大きく重い武器を背負っている。女の方はレイピアなのだろうか? バランスが後ろにあるため長剣のようなものを腰に下げている。同時に襲われる分には問題ないだろうが。が、万が一、な。
「グラビタス・ディヴォール」
重の魔術で俺と二人を囲う壁を張った。もちろん、この壁は物理的なものは何も通さない。何で二人には急に辺りが真っ暗になったように感じるだろう。準備が出来たところでドアに手をかけた。
「は~い。何か?」
「っ!? 何時の間にっ!?」
女の方が驚きを顕にし、腰に備えていた日本刀の柄に手をかけたが、男の方がそれを制した。だが、俺の注意はそんなものことよりも別のものにいっていた。それは彼女の持っている刀だ。さっきまではレイピアか長剣のようなものだろうと思っていたが、これは確実に日本刀だ。男は男でカイザーアックスのような、両刀の戦斧を背負っていた。二つとも今まで見てきた西洋的なものではなく東洋風なのは間違いない。
「どちら様で?」
興奮さめやらぬうちに、取り敢えず何者かたと尋ねると、男が答えてくれた。
「森の主よ。どうか我らにその御力を貸していただきたい」
上下関係がしっかりしているのだろう。男が話している時は女の方は一歩引いていた。だが、男がいった言葉に対して俺よりも驚くのはどうかと思うぞ。おそらく俺とは違った意味で驚いているのだろう。
「はい?」
取り敢えず、こいつらの意図がわからないので聞き返すことにした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
森の中をのんきに一人で歩いている魔物がいた。肌は黒緑色で、半裸。さらに木の棒のようなものを振り回している。ゴブリンだ。このゴブリンはサボりだろう。ゴブリンは普通縄張りを巡回するものなのだが、このゴブリンは小動物にちょっかいを掛け遊んでいた。普通じゃない。
そんなゴブリンに狙いをつける二つの影があった。各々が武器を構え、ゴブリンのことを虎視眈眈と狙っている。
ゴブリンが小動物を掴み、その首を切り落とし、血を抜き始める。それと同時に二つの影は動き出し、その影がゴブリンで交差すると、その体をバラバラにした。
「珍しいやつだったな」
「あぁ、この獲物はもらってこうぜ」
「そうだな……にしても……ふむ。わからんな。どうなっている?」
「はぁ……迷ったな? クソ親父」
「いいや、前来た時と全く同じ道を辿っているんだがな……」
「いや、いつのことだよ……」
「……数百年程前だな」
「そんなん宛にしてんのかよ!?」
「そんな長くないだろ」
「そりゃあ親父からすりゃあそうだけどさぁ……」
「そんなことはいい。取り敢えず、この状況の打開策を考えろ、早くしないと日が暮れてしまう」
「いや、親父も考えろよ……」
二人は自身の記憶を頼りに森の中を進んでいった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
森の中にはまたしても二つの影があった。それはちょうどミリアスが入浴する少し前のことだ。
(いいですか? エル絶対に見つかってはいけませんよ?)
(やっぱり、やめませんか? こんなこと)
(何を言っているのですか!? こんな機会滅多にないのですよ!?)
(それは……そうですけど……こんな覗きみたいなっていうか覗きですよね?)
(いいえ!! これは立派な防犯ですよ!! 契約者である彼を守るのは当然です!!)
レアリとエルの二人はお風呂場の天井に開いた穴の外からミリアスの入浴シーンを一目見ようと態々木の上まで登っていたのだ。レアリは見る気満々で、そんなレアリにエルは気が引けていた。どうやら高いところにコンプレックスがあるようで、どうにか説得しているようだ。そしてそんな二人の動向はミリアスにはバレバレであった。ミリアス、というかニティにではあるが……
(きました! きましたよ! ミリアスさんです!!)
(ん? あれ? 何かタオル巻いてませんか?)
(どうしてでしょうか? ま、まさか!? 私たちに気づいてる!? いや、流石にこの距離はねぇ?)
そういえば孤児院にいた時に窓を見て、ギルドの様子がおかしいといって出て行ったことがありましたね。孤児院からギルドまでって街一個分は離れてますし、確かその時は気のせいだったといってすぐ戻ってきましたしね。そんなわけありませんか。実はエルは気づけたはずであった。
(って、あ!?)
(どうしました?)
(ウ、ウナさん!?)
ちょっと目を離していたわたしはエルのそういった言葉に驚きもう一度目を風呂場を覗いた。
(あれ? でもウナさん? 何か様子がおかしくないですか?)
(え? そうですね、男性と入浴を共にするなんてうら……おかしいですね)
(いえ、そうではなくて……なんていうか、こう……私と同じ匂いがします)
(え……エル? 流石の私でもそれはどうかと思いますよ?)
(へ? あ、いや、私のようなおどおどした雰囲気ってことです!!)
(あ、成程……)
(えぇ、そうです! レアリさんもよく見てみればわかりますよ!!)
(そうかしら…………)
そう言われて風呂場を覗き込むと
(どうです?)
(えぇ、確かに。というかもう別人では? 彼女、耳も尻尾もないですよ?)
もはや別人と言っても過言ではない状態のウナがいた。
(……ホントだ)
((あれ、誰ですかね?))
二人揃ってそんな疑問を声にはださなが考えていた。
(ってウナさん出て行きましたよ!!)
(ん? なんで先に上がったんでしょうか?)
素朴な疑問を抱いていると、その間も隣で風呂場を見ていたエルがビクンッと体を弾ませた。
(ひっ!?)
(ど、どうしました?)
(……ミリアスさんと目があいました)
((ま、まさか))
「さっ! 私たちも行きましょうか!!」
私たち二人は葉でカモフラージュしていた身体を動かし、降りる準備をした。
「そ、そうですね!! ちょっと冷えてきましたし! サウナに行くのもいいかもしれませんね!!」
「いいですね! 入りましょう!!」
「はい! って、ん? 上のあれ何ですか?」
「上? 水のようですね。魔力がこもってますよ」
「え? レアリさんじゃ?」
「違いますよ?」
「「てことはっ!?」」
二人してお風呂場を見るとニッコリと笑顔を浮かべるミリアスの顔があり、二人してその笑顔にドキッとしていたが、次の瞬間にはずぶ濡れになっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ん? 今、悲鳴みたいなの聞こえなかったか?」
「俺には聞こえなかったが?」
「そうか?」
絶賛迷子中の二人は未だ森を抜けられないでいた。
――パタパタバタバタバサバサパサパサ
するとある方向から、数十匹の鳥型魔獣達が一斉に飛んでいった。
「少しだが、魔力を感じた」
「だろ?」
「あぁ、行ってみるか」
「あいさー!!」
そうして歩くこと数十分。
二人の目の前に姿を現したのは何であったか。
家だ。
とても心地の良い香りを放っている、家だ。
中から臭っているのかとも考えたがそうではないらしい。中はわからないが、外の葉や枝すらもが香りをはなっているようだ。
「これは……ツリーハウス……なのか?」
「そうだろ、人の手が加わっているのは間違いねぇよ!!」
本当にそうだろうか? 先程悲鳴が聞こえたと言うのもそうだが、魔力を感じたということは戦闘になったと考えるのが妥当だ。そして此処らで戦闘が起こるとしたらこのツリーハウスが有力だろう。今、このツリーハウスからは魔力を感じない。ということは何等かの方法で魔力を放った者が倒されたと考える。そうするとこのツリーハウスは本当にツリーハウスなのか疑い深くなってくるな。もしこれが魔物であり、我らが餌でしかないと考えると、この妙に良い香りにも納得がいく。そうだな。おそらくそうに違いない。だが、問題はないだろう。これだけの知力があれば何かしら交渉の仕様があるだろう。
「おやじ! 扉があるぞ!」
「馬鹿者! あまり騒ぐな!」
「わ、わかったよ……」
「よし、取り敢えず、ノックしてみるか……」
「おう! 早くしようぜ!」
「あぁ」
――コンコン
ノックをしたが、反応がない。これは魔物の説が大きくなったか?
すると、急に周囲が暗くなった。
「「!?」」
あまりの事態に我らの声は音にならなかった。
そして数秒後にその扉が開かれて、若い男が出てきた。
「は~い。何か?」
その男が声を発した瞬間、寒気がした。
俺にはとても敵わないと言う実力の差を本能が感じたのだ。