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UNBELIEVERS  作者: 津嶋千世
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脱出

 約束の時刻が近付いても真知子は動こうとはしなかった。

「そんな事をしたら天罰が下る。神の意向に逆らう事なんて出来ない」

 そう言って再び祈りを捧げていた。

「真知子さん、失礼します」

「えっ…?ぐっ!?」

 晶子は素早く真知子の鳩尾に拳を入れた。「グエッ」という小さな声の後で真知子は動かなくなった。

「ごめんね、智明。背負ってくれる?」

「…ああ、分かった」

 平然と気絶させた晶子に驚きながらも智明は頷いた。

「置いていけばいいんじゃないの?本人が望んでいるのなら」

 復調した豊が毒を吐いた。晶子は苦笑して

「生きている人を残しては行けない」

 と言った。そろそろ時間だ。ここから出よう。


 外は少しだけ白んでいて、晶子を入れた六人は校舎を出た。あの時と同じ六人だと晶子は思った。あの時、結局救出されたのは奴らが消えてから。何も起こらなくなってから救助隊が来たのだ。それは晶子は時々光りながら横たわる武志をずっと見ていた時だった。いつからそうやっていたのかはもう覚えていない。武志から出る光は誰かを傷付ける力は持ち合わせていなかったけれど武志を返してはくれなかった。

 晶子はギリッと奥歯を噛んだ。思い出に浸っている場合ではない。今、皆で脱出する事に集中しなければ。奴が動けば全滅。これは生きるか死ぬかの賭けなのだ。

 外は静かだった。動くものも無い。グラウンドに出ると向こうに人影が見えた。淡い光の壁の向こうに手を振っている斎賀の姿を確認した晶子は豊と紀之を先頭に走り始めた。

 智明は真知子を背負っているため歩みは遅い。大輝は少しでも智明の負担を軽くするために真知子の尻辺りに手を添えていた。そうやってグラウンドの中央辺りまで来た時、斎賀が壁の向こうから入って来ようとしているのを確認出来た。手には盾のような物が見える。最初に晶子に渡された物よりも丈夫そうに見えた。淡い光程度ならあれで防げるらしい。晶子は「斎賀さんに向かって走って」と豊と紀之に伝えた。豊が「おう」と振り向かずに返事をして走り出そうとしたその時だった。

「智明」

 という声がしたのは。

 はっとして振り返る。そこには愛美がいた。フラフラとした足取りでゆっくりと歩いていた。

「愛美!」

 智明は背中の真知子をその場に降ろして、振り返った。

「愛美!生きていたんだな!」

 嬉しそうな顔をした大輝が駆け寄ろうとしたのを、一瞬我を忘れて呆然としていた晶子が慌てて止めた。

「駄目!近寄っては駄目」

 必死になって晶子は大輝の腕を引っ張った。

「離せよ!俺に触るな!」

 こんな状況でも大輝は晶子に対して激しい拒絶を示した。しかし晶子は最早そんな事はどうでも良かった。

「駄目!あれは愛美ちゃんじゃない!」

 そう。確かにそこにいるのは愛美だが、ユラユラと揺れながら立っている彼女の目には生きている光が映っていない。

「あれは違う。愛美ちゃんじゃない」

 晶子は大輝を無理やり引っ張って後ろに投げ飛ばした。それを智明が受け止める。

「愛美だよ!何を言ってるんだよ!愛美じゃないか!」

 大輝も必死に愛美に駆け寄ろうとする。それを制するように晶子は彼の前に立ちはだかり、愛美を睨みつけた。すると悲しそうな顔をしていた愛美の表情が一変し、ニヤリと顔を歪めた。そして大きく開けた口から何か音を発した。

「―――――――――!」

「…っ!?」

 聞き取れない音だった。近いのは金属と金属が擦れるような音で、その不快感に思わず皆、耳を塞いだ。

「――――――――――」

 何かを言っているらしい。これが奴らの言語なのか?そう思いながら晶子が愛美の体を乗っ取った奴を睨むと、先頭にいたはずの紀之がいつの間にか晶子の側に来ていた。

「『どうだ、お前の大事な人間を奪ってやったぞ』って言ってる」

「!?」

 晶子は驚いて目を見開いたが、紀之は冷静な様子で続けた。

「『お前らがやったように』って。恋人?妻?夫?かな?そんなような大事な存在をお前らが奪ったからだって」

「の…りゆき?あなた、奴の言葉が分かるの?」

 晶子が愕然としていると紀之はゆっくりと頷いた。

「確証は無かったんだ。頭の中に声が聞こえるのが奴の声だっていうのが」

 彼が怪我をしていても何処か飄々としていたのも、最初のあの時に晶子を助けられたのも、全て声が聞こえていたからだった。奴の声が聞こえる紀之は奴の狙いを理解する事が出来た。だからといって何が出来るわけではない、ただ殺されるのを事前に察知出来るくらいだろうと思っていた彼は晶子にこの事を打ち明けなかった。

「こちらからは接触出来ないから話し合いは無理だ。ただ通訳は出来るみたいだ」

 通訳。それが紀之を生かした理由か。晶子は様々浮かぶ感情や疑問はとりあえず寄せておいて目の前の奴に集中した。

「豊!斎賀さんにこの事を伝えて!」

 そう言われて豊は急いで前に走った。智明は愛美に駆け寄ろうとする大輝を抑えていて、紀之は晶子の側で奴が発する音を解読していた。

「――――、―――――。――――――、――――、――――――――――」

「『この人間の思考を見たが、こいつは相反する事を考えていて実に面白かった。例えば、その男の事が好きだというのに信用出来ないと思っていたり、それから』」

「止めろ!それ以上、言うな!」

 晶子は怒りに震えながら叫んだ。

「これ以上、愛美ちゃんを辱めるな」

 愛美の思考は愛美だけのものだ。暴かれていいものではない。

「愛美が、誰を好きだって?」

 智明がボソッと呟いたのを聞いた大輝が叫んだ。

「智明だよ!ずっと愛美は智明の事が好きだったんだ!気が付かなかったのかよ!いや、気付かせなかったんだ、俺が!」

 その怒りとも悲しみとも取れる大輝の叫びでようやく智明は分かった。

「大輝、お前、愛美の事…?」

 智明は大輝を掴む力を解いた。

「俺とずっと一緒にいるっていうのは…?」

 愛美と一緒にいたいからって事か?と言いかけて智明は愛美を見た。ニヤニヤと口元が笑っている。

「晶子、あれは何故、人の心が分かる?あれは何だ?」

 智明の質問に答えたのは真知子だった。

「神よ!」

 この騒ぎで目を覚ました彼女は叫び声を上げた。

「神は正しい罰を下された。ずっと私を召使いみたいに扱っていた奴らを全員殺してくれたのよ!あいつらに今までの罪の分だけ罰を与えて下さったのよ!神だわ!神よ!天から注がれた光の中から現れて驕った人間に天罰を与える。これが神でなければ何だっていうの?」

 そして今までの真知子からは想像も出来ないくらいの速さで愛美に駆け寄って縋りついた。

「神よ!我を助けたもう」

 すると愛美は真知子を見下ろし、頭の上に手を翳した。そして光が生まれた。

「ぐふっ」

 あっという間に真知子は血を吐いてその場に倒れてしまった。

「真知子さん!」

 止める事も出来ないまま、真知子を死なせてしまった事に晶子は悔しくて拳を握った。

 愛美は嬉しそうな顔をして晶子達を見た。その顔はまるで絵画なんかで見たような優しそうな天使の笑顔で思わず見惚れてしまいそうになる。

 が、次の瞬間、「げぇっ」という声とともに愛美は泣き始めた。

「智明…」

 その口調は愛美だった。

「愛美ちゃん!?」

 晶子は驚いて愛美を見つめたが、愛美は智明しか見ていなかった。

「智明、私、あなたの事がずっと好きだった。ずっと一緒にいたかった。でももういいや。私は大輝の側を離れて、それで一人で生きてみるよ。今までありがとう。さよなら」

 それは愛美が最期の時に心にしまっていた言葉だった。もし生きていたら智明に伝えようと決めていた決意。それだけが残されていたのだ。

「愛美…」

 愛美の気持ちを初めて知った智明はただ立ちつくす事しか出来ずにいた。対して大輝は興奮して

「そんな事言うなよ!愛美。これからもずっと一緒にいようよ!三人でずっと…」

 そう言いながら二歩だけ足を進めた大輝に愛美はようやく視線を向けて、そして笑った。

「!!駄目だ!」

 叫んだのは紀之だった。晶子の思考も間に合わなかった。


 すっと目の前が明るくなった。細いレーザーのような一筋の光が晶子の脇を掠めていった。そして後ろから声がしなくなった。


 振り返りたくない。そうしたくないのに体が言う事を聞かない。いつもの夢と同じだ。知りたくない現実を知ってしまう。

 晶子は振り返った。そして見たのはただの赤い液体だった。

「大輝?」

 そこには確かに大輝がいたはずだった。彼を庇うようにして立っていたのだから。紀之が何かを言って自分を支えようとしている。あれ?私、立ってるの?座っているの?倒れそうなの?グルグルと回るような世界の中で晶子は理解した。もう大輝が存在していないという事を。

「ヴアアアアアアアアア!」

 その声が自分の叫び声である事は頭に入って来ない。さっきまで大輝が立っていた場所には血だまりと何かの塊しかない。その塊が肉片であると、したくもないのに理解してしまう。大輝はレーザー銃のような光で撃ち抜かれ、そしてそれは大輝の体を飛び散らした。爆発するように大輝の体は散り散りになってしまったのだ。

「ヴアアアアア…」

 晶子は我を忘れて獣のような声を上げ続けた。

「ヴアアアアアアアアア」

 大輝が消えた。あの笑顔も、あの細い体も、怖がりで怯えたような顔も、困った時に見せる右手の親指と人差し指で左手の人差し指を挟むように触る癖も、何もかもが愛おしかった。


その大輝が最悪の形で消えた。


 晶子は悲哀の声を上げ続けた。

「ヴアアアア…」

 悲しみが心を支配していた。

 と、その時、「パシーン!」という言う音とともに左頬に痛みが走った。

「!?」

 はっとして晶子は目に正気を戻した。そこに斎賀がいたからだ。

「斎賀さん?」

「しっかりしろ!俺たちはどんな絶望にも飲み込まれてはいけないんだ!」

「!!」

 晶子の頭にも正気が戻った。左頬の痛みは斎賀が殴ったからだと分かった。

「はい!」

 条件反射で返事をした。それから晶子は愛美の姿を探した。彼女はそのままそこに立ったままだった。晶子が叫んでいたのはとても長い時間に思えたが、実際はほんの数十秒の事だった。

「――――。―――」

「『これでおあいこだ』って言ってる」

 紀之が平静さを取り戻した晶子に奴の言葉を伝えた。

「『次は誰にしようか?』って。逃げよう」

 紀之が晶子を引きずるようにして後ろに下がった。

「待って。智明、一緒に…」

 智明は大輝がいた場所に座り込み、そして大輝の亡骸を拾い集めていた。

「大輝。大輝…」

 智明の精神は大輝が死んだ時に崩壊した。

「愛美、お前の気持ちには応えられない。俺は大輝が好きなんだ。愛しているんだ。大輝、お前、愛美が好きだったのか?そうなのか?そんな事、ないよな?お前、俺と一緒がいいって言ってたもんな。小学生の時からそう言ってたじゃないか。俺達、ずっと一緒だからな」

「智明!」

 晶子が智明も連れて行こうと手を伸ばした。その刹那、智明は晶子を見た。

「俺は大輝と一緒にいる。大輝がいない世界なんか生きる意味も無い。晶子、お前は唯一俺から大輝を引き離した奴だ。お前にだけは大輝は渡さない」

「っ!」

 晶子は智明の異常とも取れる大輝に対する熱情に圧倒されながらも、伸ばした手を引っ込めなかった。

「それでも!生きている人間を置いては行けない!」

 しかしそれを止めたのは斎賀だった。愛美を乗っ取った奴の動きが止まったままである事に違和感があったからだ。奴の動きが封じられている?それに気が付いた斎賀は皆に叫んだ。

「退避!すぐに退避する!五十嵐、行くぞ!」

「え?でも斎賀さん…、えっ!?」

「駄目だ。すぐに逃げる!」

 斎賀は晶子と紀之の手を引いて急いで外に向かった。その緊急事態を飲み込めなかった晶子であったが、何かを察した紀之も晶子のもう片方の手を引っ張った。

「奴が慌てている。言葉にするのは難しいけど、とにかく奴の方も焦ってる」

 紀之にはもう奴の言葉が頭に入ってきていなかった。ただ感情のようなものだけが流れ込んでくる。奴の感情が焦りから怯えに変わったのを感じたその時だった。愛美の上から大きな柱のような光が差し込んだのは。

「―――――――!!!!!」

 奴は断末魔の叫びを上げた。

「この場が崩壊する!急いで外に出ろ!もう光の壁なんかは関係ない」

 斎賀の言う通り、淡い光で構成されているはずの壁をいとも簡単に通り抜けられた。そして外では豊が既に救助隊から手当を受けていて、斎賀が連れて来た部下三名が晶子達の脱出を待ち構えていた。

「隊長!」

 部下の一人が斎賀に敬礼をした。それを確認してから振り返ると、光の柱は更に輝きを増し、もっと大きな柱となって、それから静かに消えた。もう壁も無くなり、すっかり見えるようになったグラウンドには沢山の死体がそのままあった。ただ、あの光柱が下りた場所には何も残っていなかった。愛美は勿論、側にいた真知子や智明、そして大輝の亡骸も全て。晶子はそれをただ呆然と見ている事しか出来なかった。


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