晶子
晶子が来た時には既に奴らは現れていた。教えられた通りに一度限りの簡易的なシールドを使い、隙間を這うようにして中に入り込んだ晶子はパニック状態の現場に急行した。
そこは廃校になった小学校で、その日は同窓会が行われていた。卒業生68名参加していて、全員がグラウンドに出ていた。開会式の最中だったのだ。その時に奴らは突然、現れた。午後の太陽よりも明るい光が差し込んだかと思った次の瞬間、一人の男が倒れた。そして悲鳴が上がる。彼が血だらけだったからだ。
「きゃーーーっ!?」
多くの人がグラウンド内を走り回っている。しかし次々に倒れていく。誰もが混乱している中、そこに辿りついた晶子は叫んだ。
「建物の中へ!早く!」
近くにいた三人の男女に声を掛ける。
「建物の中へ!外は危ない!」
晶子は必死に沢山の人を誘導しようとした。だがその間にもバタバタと光の中で倒れていく。空からのスポットライトは確実に人を狙ってくる。晶子は自分がそれに入り込まないように走り回りながら、出来る限りの誘導を試みた。
「こっちに来て!校内に避難して!」
空からのスポットライトの数が一つなのを確認してから晶子は自分も学校の玄関に避難した。
結局、助けられたのは八人だけだった。中にはいち早く外に出た者かもしれない。助かったのはもっといるかもしれないと晶子は希望的観測を心に浮かべて自分を慰めた。
ふうっと晶子が息を吐いた時、一人の男が食って掛かってきた。
「おい!あれは一体何なんだ?お前、知ってるのか!?」
男は晶子の肩を揺さぶった。
「今のは何だ?あれは…?」
そして玄関に入る寸前に光に捕らわれて倒れた人を指差し、フラフラと近付こうと外に出た。
「駄目!」
晶子は慌てて彼を引き戻す。
「なっ!?」
ビュッとレーザーのような光が照射されたのはさっきまで彼がいた場所だった。晶子が彼を引っ張らなければそれが足を貫いていただろう。
「…」
男は顔面を蒼白させて晶子を見た。
「まだ危ない。あれはここに逃げ込んだのを知っているから。外には出ないで」
晶子がそう言うと彼は黙って頷いた。そしてそれを見ていた全員が愕然としていた。
「怪我をしている人はいますか?」
晶子は改めて避難してきた人達を見た。その時だった。
「あんた、何でここにいるんだよ」
それは怒りが込められている声だった。
「大輝に会うためにこんな事をしたのか!?」
そう言って晶子を睨んでいるのは大柄な男だった。知っている顔に晶子は驚く。彼の後ろに隠れるように小さくて細身の男が何も言えないまま震えていて、更にその細身の彼をかばうように隣に立つ女も晶子を睨んでいた。
大柄の男は西田智明。細身の男は石川大輝。そして女は篠崎愛美。晶子がよく知っている顔だった。
「二度と大輝には近寄らないって決まったはずだ!あんた、精神病院に送られたはずだろ!?一生そこにいるんじゃなかったのかよ!」
そう言うと智明は晶子に背中を向けた。
「とにかく。俺たちはあんたと一緒にいられないから」
それを見た晶子は慌てて彼らの前に走り出た。そして頭を下げる。
「お願いします。今は一緒に行動して下さい。外は危ない。こうなったら今は逃げる術も無いんです。皆と一緒にいて下さい」
そして顔を上げた。
「信じろだなんて無理だと分かっています。でも、お願いします。今は一緒に行動して下さい」
晶子は彼らを真っ直ぐに見つめた。その迫力に三人はたじろいだ。
「…いいよ」
小さな声で大輝が言った。
「大輝!?」
「あの女といた方が危ないって」
智明と愛美が口々に言ったが大輝は首を横に振った。
「よく分からないけど、この人が来たから助かったのは確かだから。でも俺はあんたには近付かないし、話すのもこれが最後だ」
今度は大輝が晶子を必死に睨みつけた。それでも晶子は安堵した顔になって「ありがとう」と言った。それから外の様子を見た。まだ光がウロウロしている。
「奴が建物の近くにいる。もっと奥に行きましょう。出来る限り窓にも近付かないで。奴は光の中から現れる。光が差し込んで来たら直ぐに光が届かない所まで逃げて下さい」
逃げられるものならば、という言葉を飲み込み、晶子は校内に目をやった。どこか集まれる場所は無いかと考えたのだ。
誰もが状況を把握出来ずに黙っていたが、
「開会式の後で食べる予定だったオードブルが職員室にあります。飲み物もあるし、少し休みませんか?」
そう言ったのは浅田真知子。水色のスーツを着て参加していた彼女はこの同窓会の幹事の一人で、奴が現れた時は校内で式の後の準備をしていたため難を逃れた。
「食べる?こんな時にか?」
さっき晶子に食ってかかった男が呆れた声を出した。しゅんとする真知子に晶子は微笑み
「それは助かります」
と言い、他の人に向き直った。
「何かあるのなら少し食べた方が良いです。何か飲むだけでも。喉は乾いているでしょう?」
確かに喉は乾いている。皆、顔を見合わせたが黙って頷いた。
「では職員室はどこですか?」
「あ、はい。すぐそこです」
真知子は先導するように前を歩いた。それを晶子は慌てて制して
「私が先に行きます」
と言って前に出た。しかし職員室は目の前だった。玄関から入ってすぐの所にあったのだ。今は奴らの気配は無い。とりあえず大丈夫だろう。そう思いながらも晶子は警戒しながら静かに職員室の中を覗くと、幾つかの机の上に沢山のオードブルが置かれていた。窓は外に面して並んでいる。職員室なのだ。外の様子が見られるように窓が多いのは仕方がない。隠れながら窓に近付き、外を見ると奴の光はグラウンドに集中しているのが確認出来た。生き残りを探しているのだろう。晶子は再び皆の元に戻った。
「大丈夫そうですが、窓が多いので心配です。他に窓の少ない場所はありませんか?廊下では落ち着かないでしょうし」
相談するように真知子に話すと、彼女は「うーん」と首を傾げてから
「図書室、かな」
と言った。
「階段を上ってすぐの所にあるんだけど、窓はあまり無かったような気がするから」
晶子は真知子が指差した場所に向かった。入口が二つある図書室は確かに他の教室より広く、確かに窓は少なくて廊下側と外側に一か所ずつ。窓の外には物置小屋が見える。グラウンドはその向こう。外を見なくて済む。本は運び出されているが机や椅子は残っていて、皆が座れそうだ。晶子は窓にカーテンを引いてから皆に声を掛けた。
「良さそうです。こちらで少し休みましょう」
そう言うと料理や飲料を持って皆で図書室に移動した。そしてクーラーボックスの中からそれぞれ飲み物を取るとようやく落ち着いたような顔になった。晶子はそれを見て少し安堵した。
(とりあえずパニック状態からは抜け出せたか…)
晶子もペットボトルのお茶を貰うと少しずつ口に入れた。その時自分も喉が渇いていた事に気が付く。思わず苦笑した。
ちらりと大輝を見た。相変わらず晶子から一番離れた場所で智明と愛美に守られるようにして立っていた。手にしているスポーツ飲料は前から好きだった物だ。変わらない。晶子の胸は高鳴ったが、それを必死に抑えた。
(落ち着け。落ち着け。やるべき事をやらないと)
晶子は大輝から目を離して、他の人達を見渡した。
「私は五十嵐晶子と言います。沢山聞きたい事もあるかと思いますが、まずは皆さんのお名前を教えてもらってもいいですか?今日はここで何を行っていたのかも教えて下さい」
喉の渇きを癒して少し落ち着きを取り戻していた彼らは少しずつ口を開いた。
「私は浅田真知子です。今日は同窓会を行っていました。この小学校は廃校になったんですが、コミュニティセンターとして使われる事が決まっているので、その前に幾つか年代を区切って同窓会が開催されているんです。今日は私たちの番で二十五歳から二十歳くらいの人が集まってました。私は一番上の二十五歳で幹事の一人です」
控え目な口調だったが丁寧な説明に真面目な性格が伺える。成程、だからオードブルとか分かっていたのか。まだ何かを言いたそうな真知子を遮って、晶子に食ってかかった男が真知子の隣に来た。
「俺は渡辺孝一郎。浅田と同じ年だ。仕事の都合で幹事はやってなかったが実家が近いから手伝ってた。それでこっちが従妹の聖花」
孝一郎が親指で指した先にいたのは不安そうな顔をした女の子だった。
「渡辺聖花です。二十歳です」
泣いた跡が見られる顔をしていて、微かに震えていた。
「私、友達と一緒に参加してて…」
それで晶子は彼女の震えている訳を理解した。目の前でやられたのだろう。一瞬、晶子が視線を下げた時に聖花の後ろの方から
「俺は小田原豊だ。年齢も言うの?二十三歳。俺も友達と来てた」
と言いながら歩み出てきたのは薄いピンクのジャケットを着た男で、きりっとした顔付きをしていた。きつそうな口調から外見通りの性格をしているようだった。
「何が起こってるのか、説明してくれるんだろ?」
「すみません。まずは皆さんの事を聞いてから」
晶子はやんわりと豊を牽制すると別の若い男を見た。晶子の視線に気が付いた彼は無表情のまま
「伊藤紀之。二十一。フリーター。暇だから来た」
とだけ言うと晶子から目を逸らした。そして彼は智明を見た。次はお前だと言わんばかりで智明は嫌そうな顔をしたが
「西田智明だ。俺たちはそいつに近付くつもりはない」
と言って晶子を睨んだ。
「ちょっと、智明。他の人もいるんだから」
愛美は小声で智明に注意すると、晶子以外の人に微笑みかけた。
「篠崎愛美です。私達、県立大学に通ってて四年生です。進学が決まっているので参加しました。私達は遅れて来たんです。グラウンドに来た時にはもう…」
「おい、余計な情報をあいつに与えるなよ」
「あの子は知ってるわよ、このくらい」
智明と小声で話しても愛美は決して晶子を見なかった。
「…俺は石川大輝。ようやく静かに暮らせるようになったのに…」
ため息をつくように大輝は言った。白い顔がさらに青白くなっている。大輝は俯いたまま、椅子に座った。
「大丈夫か?」
智明が隣に座る。それを見て愛美も智明とは反対側の大輝の隣に座った。それを見た他の人達も椅子に座る。皆、疲れているのだ。
「食べられる物を少しでも食べた方が良いです。休んで下さい」
晶子はオードブルの中から唐揚げを一つ摘まむと、大輝から離れた場所に座った。晶子が食べているのを見た彼らは少しずつ飲食を始めた。それと同時に口数も増えていった。
「さっきも言ったけれど、ここは来春からコミュニティセンターになる予定になっているから電気も水道も生きているの。だから同窓会が挙って行われていたんです。私たちの学年も盛り上がっちゃって私達が六年生の時の在学生に声を掛けたの。学年に一クラスしかない小学校だし、もう地元を離れた人も多いから集まったのは六十八人。学校の中で過ごしてから二次会で飲み会をする予定だった。二次会から参加する人もいたんだけど、どうしよう…」
真知子は心配そうに鞄から出した圏外のままのスマホを見つめた。
「どういう事になっているかは分かりませんが、二次会の開催は不可能だと皆、知っていると思いますよ?そういう手筈になっています」
「つまり情報操作されていると?」
豊の眉間にしわが寄る。孝一郎も渋い顔をして
「そろそろ教えてくれないか?あれが一体何なのか」
とイライラした口調で言った。晶子は姿勢を正した。本題に入るからだ。
「あれが何なのかは分かっていません。分かっているのは光の中から現れるって事だけ」
「光の中?」
誰ともなく言った。
「そう言えば急に眩しくなったよな?光が降り注いだみたいな感じになった…」
最後の方は声が震えていた。降り注がれた光の中で何が起こったのかを思い出したからだ。晶子は出来るだけ冷静に話そうと決めていた。そうでなければ自分も興奮してしまう。
「奴らは光の中を移動します」
「移動?」
「そう。例えば…」
晶子は床に指をさした。
「突然、上からスポットライトのような光が下りて来ます。それが奴らです。奴らは光から光へと移動して行きます。行き先に光があれば自分で光を出してそこに向かう。そうやって移動して行きます。上からの光は奴らの乗り物から出している光で大きい。そこは素早く移動出来るみたいですが自分で出す光ではそうはいかないみたいです。移動を遮るように光の道筋の中に飛び込むと死にます。更に奴らは指からレーザービームのような光を出す事も出来ます。これも当たると怪我をします。勿論、それで死に至る事になります。一番危ないのは上からの光に捕らわれる事です」
「なんかよく分からないんだけど、とりあえず死ぬって事だけは分かった」
豊の言葉に晶子は苦笑いをして
「とにかく眩しいくらいの光は危ないと思ってもらえればいいです」
「太陽光は?昼だったら全部危ないじゃないか」
「太陽光では明るさが足りないようです。奴らの光はもっと明るい。奴らは自然の光にはほとんど反応しないけど人工的な光は小さな光でも見付けます」
「人工的な光って?」
「要するに電気です。奴らが放つ光は目が開けられない程の明るさです。飲み込まれないようにして下さい」
ゴクリと誰かが唾を飲み込んだ。実際、光に包まれた後で体から血を吹き出して倒れた人を何人も見たのだ。あの光はヤバいと皆、改めて実感した。
「いつまで?」
不安そうな声を出したのは聖花だった。
「ここにいつまで隠れているの?」
「奴らが行動するのは三日だと考えられています。奴らにとってこれはゲームである一定のルールが存在すると推測されています。だけど必ず例外はある。短くなる場合もあれば、長くなる事もある。だから刺激をしないでここで静かに待つのが一番の安全なのです」
期間についての答えは出来なかった。それは晶子にも分からない。
「静かに奴らがいなくなるのを待つんです」
それが得策だ。
「こっちから攻撃とかって出来ないの?」
腕を組んだまま話を聞いていた紀之がポツリと言ったが、晶子は首を横に振った。
「勝てると思いますか?」
「…」
誰も返事をしなかった。勝つとか負けるとかの問題ではない。負けるという事は死ぬ事だ。生きたければ大人しくやり過ごすしかない。
「ですが、どうにか逃げられるように手配します。それまでどうか静かに隠れていて下さい」
「手配って?」
「私は一人で行動しているわけではありません。私はこういう事件に対応している組織の人間です。あなた方を助けられるよう、最大限の努力をします」
話は終わりだと晶子が立ち上がると、孝一郎が晶子に攻撃的な視線を投げた。
「あんた、あれだろ?大輝のストーカーだろ?」
「…」
晶子はその場で立ちつくした。
「さっきの智明達で思い出したんだ。五十嵐晶子といえば大輝のストーカーだ。悪質すぎて逮捕されたんだろ?刑務所じゃなくて精神病院に入ったって話は俺も聞いた事がある。智明の言うようにあんたの事、全面的に信用は出来ないと思うんだがな」
「そうですね」
晶子はあっさりと認めた。
「確かにそうだと思います。私を信じなくても目の前で起こった事は信じて下さい。奴らの光に捕らわれたらどうなるか見たはずです」
「…っ」
孝一郎はぐっと唇を噛んだ。そして大輝を見た。大輝は晶子から隠れるように愛美の後ろに隠れていた。彼は奴らよりも晶子を恐れているように見えた。そして愛美は彼を優しく気遣い、智明は憎悪の眼差しを晶子に向けていた。
「俺たちはあいつには近寄らない。だけど外のあれが何なのかは分からないからここからは動けない」
智明が苦渋の決断だと言ったのを孝一郎はため息交じりで聞いて
「俺もあれは人間がやったなんて思えないけどさ」
少し沈黙になった時、そっと呟くように聖花が言った。
「私は信じる。その人だって晶子さんが来てくれたから助かったって言ってたじゃない。私も晶子さんの声を聞いて逃げられたんだもん」
「そうだな。聖花の言う通りだな」
孝一郎は聖花には弱いらしい。真知子も晶子に向かって頷いた。
「ありがとうございます」
晶子は頭を下げて礼を述べた。腕時計を見ると時刻は午後四時になるところだった。
「私は見回りをして来ます。夕方は奴らの動きが鈍くなるんです。その間に校内を見ておきたい。皆さんは少し休んで下さい。それから絶対に電気は付けないで」
「あの、トイレは?行っても大丈夫?」
特に女性は心配だろう。トイレは図書室を出た廊下の突き当たりにある。
「奴らは音に反応はしません。電気を付けなければ大丈夫。多分、トイレには窓があると思いますが、窓には近付かず一番手前の個室を使って下さい」
「分かった」
真知子はほっとした顔をした。飲食をすればトイレには誰もが行くだろう。そういう事を思いつく彼女に晶子は感心して、彼女がいてくれれば少しは纏まるのではないかと思った。
「では様子を見て来ます」
晶子は図書室を出て、一階に降りた。そして外の様子を伺う。
建物の中に逃げた人間がいると奴は知っている。ここから逃げるためにはもっと奴の様子を観察しなければ。晶子は次の手を考えていた。おそらく今晩はここに泊まる事になるだろう。こちらが動くとしたら奴の動きが鈍くなる夕方か早朝。光と影が曖昧になる時間帯が適当だ。今、動けなければ明日になる。彼らの精神もそれくらいまでしかもたないだろう。奴の作ったバリアのような光の中から脱出するには作戦が必要だ。しかし晶子一人では厳しいと感じていた。
晶子が一人でここに来る事になったのは単純に人手不足だからだ。アメリカに奴らが現れ、日本人が多くいる場所であったためそちらに人員が割かれた。晶子が日本に残っていたのは偶然で、奴らが現れたもう一つの場所が大輝の出身小学校で、しかも彼がたまたま参加していたのも全て偶然だ。なんて事だろう。運命だと思い込んでしまいそうになる。
(勘違いだ。こんな偶然もたまにはある)
晶子は自分に言い聞かせた。
不意に胸元に下げていたスマホが震えた。
「はい、五十嵐」
『斎賀だ。そっちはどうだ?』
「生存者が八名います。今、校内の図書室に避難しました。同窓会をしていたそうで、グラウンドで開会式を行っていた時を狙われたようです。校内に食べ物があったのでしばらくは大丈夫だと思います」
『そうか』
「でも少しでも早く脱出したいです」
『何かあったのか?』
「相手がいました」
『相手?』
「私がストーカーしてた人です」
『ああ、お前の地元に近いんだったな。そうか…』
「引っ越したって聞いてたんですけどね。このためにわざわざ来たのかもしれません。困った偶然です。信用されていないし、早めにどうにかなりませんか?」
『…そうか。何体か分かるか?』
「光は一条しかないです」
『あっちは三体だとさ』
「こっちは遊びですかね?」
『さあな。でも一体だとそんなに粘らないだろう?状況的には去るのを待つのが良さそうだけど、まあ、早く手配出来るようにかけ合ってみるよ』
「主任がいませんもんねぇ」
『そうなんだよなぁ。まあ、俺も少しは粘れるさ』
「すみません。お願いします」
晶子は通話を切ってスマホを胸元に戻す。そして再び外の様子を探った。グラウンドに何度か光が落ちてくる。空中に浮かぶ投光器と地上を往復しているのだろう。そうやって生き残りを探しているのだ。そうやっているうちは安全だ。校内にいれば何とかなるかもしれない。今夜一晩、隠れていれば諦めて消えるかもしれないという淡い期待も湧いてくる。光が一条しかない事もこちらには有利だ。奴らは一体につき一条の光を持っている。ここにいるのが一体だけという証拠だ。一体なら粘らずにいなくなるかもしれない。晶子は二階に戻る。階段から図書室までは外に窓が無い。廊下の突き当たりは非常口になっていて扉には窓が付いているがグラウンド側ではない。これならトイレに行った時に外を見てもあの惨劇の場所は見なくて済む。グラウンドには沢山の人が倒れたままだ。血だらけだったり、人の形を成していないものもある。それを見れば否応なしにこれが現実だと実感してしまう。だが目に入れなければそれを避けられるかもしれない。トイレにある窓は小さい。電気さえつけなければ大丈夫だろう。水が生きていたのは幸いだった。晶子は絶望せずに済んだことにホッとして図書室に戻った。
だが図書室の扉を開ける前に足を止めた。揉めている声が聞こえたからだ。
「信用出来ないんだよ。これだってあいつがやったのかもしれないじゃないか。そうじゃないってどうして言える?」
智明の声だ。晶子は憂鬱になりそうになるのを堪えながらわざと大きな音を立ててドアを開けた。ガラッという音に皆、一斉に晶子を見た。智明が顔を赤くさせている。晶子がいない間、いかに彼女が悪い人間かを熱弁していのだろう。考えなくても分かる。智明に同調しているのは豊と孝一郎。困惑しているのは聖花。半信半疑の顔をしているのは紀之と真知子。大輝は顔色を悪くしたまま座っていて、愛美は心配そうに彼の背中をさすっていた。
ちっ…と晶子は舌打ちしそうになった。彼がいなければこんな混乱は起きていないはずだ。場を引っ掻き回していると自覚していない。思えばいつも智明に邪魔をされていた。智明のせいで大輝に近寄れない。智明の大輝に対する気持ちは最早、恋だ。無自覚な恋。本人が気付いていない分だけやっかいだ。誰よりも大輝に執着しているのは智明だ。それに本人だけが気付いていない。晶子の心に憎悪が蘇る。邪魔邪魔邪魔。何度そう思っただろう。いつもそばにいる智明、寄り添うように隣に立つ愛美、晶子を説得しようとする大輝の姉の理沙、大輝の同級生の拓哉も健司も恵利佳も留美も全部邪魔だった。全部排除して大輝と二人きりでいたかった。
「ふう…」
晶子は目を閉じて深呼吸する。
(落ち着け。私はもう以前の私ではない)
脳裏に浮かぶ、助けてくれた人と助けられなかった人。今の晶子の心の支えだ。
(やるべきことをやるだけだと決めたはずじゃないか)
晶子は自分に言い聞かせる。そして目を開けた。
「外の様子を見て来ました。夕方は奴の活動が鈍くなります。今はグラウンドの辺りをウロウロしていました。中には入って来られないと思いますが、明かりは付けないで下さい。問題は夜です。暗くなると小さな明かりも目立つので奴にも気付かれやすい。暗くなっても絶対に電気は付けないで下さい」
あくまでも智明の憎悪に関心が無いように振舞った。
「今のうちに食事を取って少し眠って下さい」
「眠る?そんなの無理だよ」
豊がすぐに反論した。
「寝たふりでもいいです。体を休めて下さい。学校の外には出ないで、というか出来る限り、この部屋からは出ないで下さい」
晶子がそう言った途端、ガタンという音がした。音がした方を見ると大輝が椅子から崩れ落ちていた。大きな音は椅子が倒れたせいだった。
「大輝?」
愛美は戸惑って大輝を見た。大輝は小刻みに震えていた。
「外に…出るな…?」
怯えた目で晶子を見る大輝に気が付いた愛美は、はっとして晶子に向かって言った。
「晶子、あんたも一緒にこの部屋にいるの?それで大輝に外に出るなって言うの?」
大輝を支えようとして駆け寄った智明も愛美の言葉で大輝に何が起きたのかを察した。
「お前、ここから出て行けよ。大輝はお前と同じ空間にはいられないんだよ」
晶子は愛美も智明も見ていなかった。焦点の合っていない目でガタガタと体を震わせる大輝にただただショックを受けていた。自分のした罪の重さに押しつぶされそうだった。
「すみません。出て行きます。でも廊下にいるのは許して下さい。私はずっと廊下にいますから」
早く逃げ出したかった。泣きそうになるのを見られたくなかった。そんな状態になった大輝の前で泣くことも許されない。
「トイレに行く時は一応声を掛けて下さい。常にみなさんでそれぞれの居場所を確認して下さい。外に向けて光は出さないように。電気も付けないで下さい。夜はここで明かす事になります。真っ暗で不安になると思いますが、どうか皆さんで支え合って乗り切って下さい。そのためにも眠った方がいいんです。早朝になれば奴の動きもまた鈍くなります。それまで堪えて下さい」
晶子は早口で言うと図書室から出ようとした。だがそれを孝一郎が止めた。
「ちょっと待ってくれ。もっと教えてくれないか。ちゃんともっと説明してほしい」
「そうだよ」
豊も立ち上がる。
「何で大輝のストーカーが俺たちを助けるんだ?ちゃんと説明しろよ。何だか訳の分からない事が起きて、それを助けるために現れたのがストーカー?偶然にしては出来すぎじゃねえ?」
晶子は苦笑して
「ええ、私もそう思います。でも本当に単なる偶然です。私も思ってもいませんでした」
と言った。その時、それまで黙っていた紀之が静かな口調で話し出した。
「なあ、あんた、あれ?中央刑務所の中に作られた精神病院にいた人なの?」
びくりとして晶子は紀之を見た。
「何、それ?」
紀之の隣に座っていた真知子が聞くと紀之は淡々と言った。
「中央刑務所の敷地内に新設された病院で主に精神病を患っている犯罪者を収容する所。半年くらい前かな?そこで暴動が起きて全滅したって噂があった」
「全滅って」
真知子が呆気にとられたが、智明はそれを聞いて吐き捨てるように
「頭のおかしい奴らが集まってるんだ。その位起きるだろ」
と言った。それを聞いた紀之は確信した様に「やっぱりあそこにいたの?」と晶子に聞いた。
「ニュースでは精神病のせいで暴動が伝染したみたいになったって言ってたけど、実際は違うんだって。ネットとかでは有名だった」
それから今、思い出した様子で
「そういえば何故かずっと明るかったって目撃証言があったって話だった。もしかして、あれって今と同じだった?」
皆、晶子を見ていた。人の口には戸を立てられない。ましてネット社会だ。瞬く間に情報が流れてしまう。だが消えるのも早い。すぐにあれとこれが結びつかなかったくらいには過去の話になっている。記憶に残らないのだ。晶子は口角だけを上げた。あれだけの事がすぐに忘れられてしまう。その事が可笑しい。「はははっ」と少しだけ笑い声を出した。その声が狂気に満ちていて皆、ぞっとした。
再び皆を見た晶子の表情は一変していた。ある意味とても丁寧な口調で話していた晶子から表情が消えた。
「昨日と同じ暮らしを明日も続けたいですか?」
唐突な質問に皆、「え?」と困惑した。話が読めずに紀之は顔をしかめて
「どういう意味?」
と聞いた。
「世の中には知らなくても良い事があります。またいつもの生活を送りたいなら何も知らない方がいい。今日のこの事は忘れて下さい」
「そんなの、無理だよ」
「無理ではありません。何日かすれば夢だったと思えます。そうやって昨日と同じ生活を送るんです」
「だから、そんなの無理だって」
「いいえ。私はそのためにここに来たんです。全て忘れてもらうために」
「忘れる?無理だ」
豊は怒って晶子に近寄る。
「友達が目の前で死んだんだぞ!忘れるわけないだろ!馬鹿にしてるのか!?」
そう言って晶子の腕を掴もうとした時、晶子は豊の手を叩き落とした。パシッと乾いた音が響く。
「物わかりの悪い人達ですね。忘れた方がいいと言っているんです。何も知らないままでいろと言っているんです。これはあなた方のためです」
晶子の迫力に豊は手を引っ込めた。しばしの沈黙が流れる。その時、それを破るように晶子のスマホが震えた。ブブブっというバイブレーションの後で晶子は通話ボタンを押した。
「はい、五十嵐」
『斎賀だ。そっちの状況をもっと知りたい』
「グッドタイミング」
『はあ?』
「いえ、こっちの話です。状況ですか。変わってませんね。光は一条で、グラウンドをウロウロしてます」
『そうか。…それで』
「ああ、ちょっと待って下さい」
晶子は一度通話を止めると
「では皆さん、少し休んで下さい」
と言って図書室を出た。廊下に出てトイレの前まで来てから晶子は斎賀との話の続きをした。
「お待たせしました。光は一条なんて隙はあるんじゃないかって思いますが」
『こっちでもその建物の情報を入手したんだがな。うーん、やっぱり去るのを待つのが一番安全策かもなあ。周りに何も無いし、外に逃げ込める場所も無い』
「そうなんですけどねえ。問題は私の方で」
『相手の事か?』
「そうです。一秒も一緒にいたくない様子ですし、出来るだけ早く私も離れたいですね。正直言って自信が無いです」
『何がだよ?』
「助けられるかどうか自信がありません」
『そうか。だが大丈夫だ、お前ならやれる。大丈夫だ』
「…そうでしょうか」
『ああ。だってお前、一番に助ける事を考えているだろう?その相手の奴と一緒にいるよりも助け出す事を優先している。だから大丈夫だよ』
「…そうですね」
確かにそうだ。晶子はまた目を閉じて深呼吸する。自分を落ち着かせる儀式だ。
「状況が変わったらすぐに連絡します」
『ああ、よろしく』
斎賀との電話を切ってから晶子は座り込んだ。暗くなる外を感じながらこれからの事を考えたかったが、今は休みたくて仕方が無かった。
揺さぶられて晶子は目を開けた。そこには愛美がいた。
「え?」
自分が眠っていたのに気が付いて晶子は慌てた。
「何かあった?」
既に周りは暗くなりつつあった。どれだけ寝ていたのだろう。腕時計を見ると五時すぎだった。一時間程経過していた。
「ごめん、私、つい寝ていて」
晶子が立ち上がると愛美は無表情のまま
「トイレに入りたいんだけど」
晶子が女子トイレの扉に寄り掛かるようにして寝ていたため愛美はトイレに入れずにいた。
「ああ、ごめん」
晶子はさっと扉の前から避ける。愛美は晶子の脇を通り抜ける時にふと言った。
「一緒に来てくれない?一人じゃ流石に怖いから」
「ああ、うん」
晶子は言われた通りにトイレの中で愛美を待った。ジャーっという音がして少ししてから愛美は個室から出てきた。
「ありがと」
愛美は小さく言った。彼女に礼を言われたのは初めてだ。嬉しくなって晶子は頷いた。
「うん」
「晶子さ」
「うん?」
「もう大輝の事はいいの?」
「え?」
愛美は晶子の目を見た。
「正直に言って。あれから大輝の事はどうでも良くなった?」
あれから、とは逮捕されてからの事だろう。晶子は少し自嘲した。
「どうでも良くはなっていない。けど、どうにかしようとはもう思わない」
「大輝にはもう何もしない?」
「しない」
強く言うと愛美は困惑した顔を見せた。
「もう何もしていない?」
「どういう意味?」
「…大輝は今も誰かに付きまとわれている」
愛美は信じられないといった口調だったが晶子は合点がいっていた。
「私が大輝のストーカーだった時も他にもいたよ?何人かは蹴散らしたけど、多分常に数人が大輝を見ていると思う」
「それは晶子が嗾けてるんだって言ってたけど?」
「智明が?」
「…うん」
晶子に対する智明の感情は同族嫌悪なのだと分かっていた。晶子という敵は智明にとってなくてはならないものなのだ。
「愛美ちゃん、もういいんじゃない?智明に告白したら?」
「―――っ!?」
愛美は驚いて晶子を見たが諦めたほうに笑った。
「そうだよね、大輝を見張ってるって事は私達の事もよく見てるって事だもんね。いつから知ってたの?」
「最初から、かな。愛美ちゃんは智明の事が好きだから大輝の側にいるんでしょ?」
「そう。大輝とは幼稚園から一緒なんだけどその頃から大人しい子だった。女の子みたいな感じだった。智明とは小学一年生の時に同じクラスになって友達になったんだけど、それからずっと仲良かった。中学校も高校も同じで、ずっと幼馴染として一緒にいて、それで晶子に会った。あんたのせいで智明は狂ったみたいに大輝を守ろうとするようになった。随分、恨んだよ?でも最近になって智明の事が分からなくなってきたんだ。大輝の事も。私はもう一緒にいない方がいいのかもしれない」
愛美は晶子を見た。晶子の目はあの頃とは違って生気が宿っている。
「晶子、あんたは変わったんだね」
「ううん。変わってないよ?多分ね。智明の言う通り、頭がおかしいんだよ、私。だから信用しない方がいい」
「頭がおかしい人が自分でそう言うわけないじゃん」
愛美は笑った。
「可笑しいんだよ、晶子。今も智明は大輝に寄り添うようにしてる。狂ってるって言ってる晶子がまともなら、まともだって言ってる智明は何?あれが正気だと思う?今日こんな事に巻き込まれたのも、ここで晶子に会えたのも運命なんじゃないかって思えるよ。今日の晶子を見ていたら何だか目が覚めたような気がした。私、ちょっと考えてみる、これからの事。明日も昨日と同じ日にはしない。でも今日の事は忘れる事にする。ねえ、晶子?その方がいいんでしょ?」
愛美は初めて晶子に微笑みかけた。
「じゃあね、晶子。ありがとう」
愛美は実はもうずっと前から大輝に対しての疑問を抱えていた。それでも一緒にいたのはやっぱり心配だったのと智明と一緒にいたかったから。
(それももう終わろう)
愛美の心に晶子の「逃げて」という声が響く。その声で愛美も助かったのだ。あれは何の下心も無かった。そこにいる人を助けるために必死になっている晶子の姿と、それを嘘だと攻撃する智明を見た時、愛美はようやく智明に対する疑問を自覚したのだ。
(無事に生きて出られたら新しい自分になろう)
愛美はそう心に決めて図書室に戻った。