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黒騎士は初恋を拗らせている  作者: 来生珱甫
第一章 オクタヴィアンの罪と罰
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第三話

 オクタヴィアンはいつも同じ夢に魘されては目覚めていた。

 それは魘されるような要因など見当たらない、一面に広がる鮮やかな赤と、滑らかな白だけの世界にぽつんと彼一人がいるもの。

 原因だとすれば、自分一人しかいないその空間の中で、遠くから微かにすすり泣くような甘く切ない音がいつも聞こえていたことだろうか。


 音はまるでオクタヴィアンを責めるように、それでいて求めるように響く。それはオクタヴィアン自身が望んでいるからそう聞こえるのかもしれない。


 どこか聞き覚えのある、誰かの声のように思える音が届くたびにオクタヴィアンの心は締めつけられる。

 だからかなのか、夢の中でオクタヴィアンはいつもその場から動けずにいた。

 手も足も、瞬き一つ己の自由にならなかった。

 思うままになるはずの夢でなす術なく立ち尽くす。己の不甲斐なさを嫌というほど知ったのもこの夢だった。


 様々なことをオクタヴィアンに教えたこの夢は彼が成人した十五の時から、今なお欠かすことなく訪れている。ともすれば昼夜問わず。

 そんな夢を何故見るのかを、オクタヴィアンもわかっている。もう取り戻すこともできない過去に犯した罪故なのだ、と。そしてオクタヴィアン自身がどれほどその罪に苛まれているのかを突きつけるため、夢見ているのだ、ということも。

 けれどそれがわかっていても、心が磨耗しないわけではない。故にオクタヴィアンの眠りはいつも浅かった。

 だが夢は昼夜を問わない。心休まる時などなかった。

 だからオクタヴィアンは夜にごく短い睡眠をとり、日中は剣を、拳をふるい続けた。無心にそれらをふるうことでしか夢を振り払うことができない。そんな脅迫観念の元に。


 元来オクタヴィアンは体を動かすことよりも、机上で頭を使い学ぶことが得意だった。だがそれはどれもすぐに理解できてしまうが故に余裕が持てた。だからふとした拍子に夢を見てしまうのだろうと、不得手であった格闘術や剣術に打ち込んだのだ。


 机上でのことに集中するよりもずっと自分を酷使できることが良かったのだろう。オクタヴィアンは日中ならば夢に囚われることが少なくなった。


 そうして幾つもの肉刺を潰し、幾つもの傷を作った。

 始めたばかりの頃は、古い傷が癒える前に重なるように新しい傷を作ったものだ。けれど何時しかそうした傷を負うことがなくなった頃、オクタヴィアンに敵う者は数えるほどになった。

 それからも剣を、拳を振るい続けたオクタヴィアンは剣と格闘術だけであれば、国で三指に入るほどになった。

 オクタヴィアンは誰の目から見ても強くなり、数多の者から賞賛をされ、羨望の眼差しで見られた。


 幾度となく異性の秋波や同性の嫉妬の視線を受けたが、オクタヴィアンはそれに対しこれといった感情を抱くことはなかった。元よりオクタヴィアンは他者から向けられる感情に興味がないのだ。


 それに強者と呼ばれる元は、それと正反対のもの。


 自分の心の脆弱さと比例して膂力や剣技が身についただけなのだ、と理解していた。だからオクタヴィアンはどれほど強者だと褒めそやされようと、自分がただの臆病者であることも理解していた。そして本来自分は騎士と名乗っていい者ではないとも同時に。


 騎士とは強いだけでなく、清廉潔白であるべし。


 騎士に多大なる憧れを抱いていた曽祖父に教えられたそれは、戒めのようなあの夢を見て怯え、逃げるように剣を振るうことで強者と呼ばれるに至った自分には似つかわしくない。それがオクタヴィアンの思うところだ。

 けれど国で三指という力と、生まれ持った身分と立場から、騎士を辞めることもできないままでいる。


 本来オクタヴィアンは貴族の嫡子というしがらみ故に何かを選べる立場にはなかった。


 王家を頂点にして、国を動かす権を持つ血筋の一つである貴族には、己の自由になることなど数えるほどしかない。その中に組み込まれていたオクタヴィアンが自分で選んだものはごく僅か。数少ない友と、趣味嗜好くらい、だろうか。


 そんなオクタヴィアンは、王太子であるナタニエルと幼い時分から交流を持てる地位、侯爵家の嫡男だ。それも四代続いて宰相を勤めた家系で、王家への忠誠も誓い、その信頼も厚い。

 そんなオクタヴィアンが騎士となったのは本来あるべき道に背いた結果だとも言えるが、それしか道がなかったとも言える。


 オクタヴィアンとて十五の時までは父の後を継ぐつもりだった。


 それは彼が選んだごく僅かの一つで、ナタニエルを王と戴き、彼を支える次期宰相となるべく邁進していたのだ。だがオクタヴィアンが十五になったその春の日が運命の分かれ道になった。オクタヴィアンは己の犯した罪故にその道を自ら閉ざした。


 己が侯爵家を継ぐべきではないこと、宰相となり王を諌め、導くことなどできないこと。

 それを理由に詳しいことなどなに一つ語らぬままに申し出た。初めは渋っていたが、オクタヴィアンが引かぬことを悟り、認められた。父にも、王家にも。

 本来ならば侯爵家から除籍され、市井に下るべきだったオクタヴィアンだったが、それは許されなかった。

 宰相を目指さないのならばと代替に出されたのが騎士で、それ以外に選択は与えられなかった。故にオクタヴィアンは宰相家とも言える侯爵家嫡子でありながら、侯爵家の軛から外れ騎士となった。


 だが全ての者がそれを認めているとも言えない。


 家に従うべきという風潮の貴族でありながら、家の柵から解き放たれたオクタヴィアン。家が、王家がそれを許したのだとしても、認めない者は一定数いる。

 そしてオクタヴィアン自身誰に憚ることなく騎士としての仕事を全うできるほど強気にもなれず、かと言ってきっぱりと立場を返上することもできないという中途半端なままだ。


 それはオクタヴィアンがただの騎士でないからなのかもしれない。


 オクタヴィアンは己が身を酷使して得た実力があり、そしてその血筋がある。それ故に騎士となってたった三年で王子の筆頭護衛騎士となった。勿論そこに彼の意思など存在しない。自ら騎士になりたい、と言ったこともなければ、筆頭護衛になりたいと言った記憶もない。

 宰相も、筆頭護衛騎士も名実共に力を持つものだけが得られる名誉ある地位だ。

 本来なら家の違う道を歩んだオクタヴィアンがその名誉を得ることはない。そうであるのにオクタヴィアンが筆頭護衛騎士にまで上り詰められたのは、偏に彼が類を見ないほどに強く、そして高潔であったから。


 勿論宰相家の嫡子であるオクタヴィアンが騎士に足る技量を有していても、騎士足り得る心根がないとよく言われていた。もっともそれは元来筆頭護衛の家系であったイヴァンが宰相補佐となり、次期宰相と目されていること。そしてオクタヴィアン自身が挙げた功績故に周囲も声高に批判できないでいるのだが。


 オクタヴィアンはある戦を経て軍神と囁かれるようになった。


 脈々と続いていたものを継がぬ彼に対し強かった当たりが薄まるほどのそれは『エストラミータの恩恵』と呼ばれる、民草の希望となった戦だ。


 アウローラは今でこそ平和で、安寧とした国になったが、一年と少し前までは戦が続いていた。そのどれもが大国たるアウローラと小国との小競り合い程度のものであったが、小さくとも戦は戦。東や西の国境にほど近い村の幾つかが犠牲になり、少なくはない死者にも出た。


 始まりが隣国とこの国と隣り合う貧しい小国が、この国からの援助を求めて──という理由だとオクタヴィアンも知っていたが、どんな理由であれ戦を仕掛けてきたのだ。民が疲弊し、遺恨だけが残る戦を。甘えなど許されるはずはない。

 常の王であれば民を思い早急に終結するため尽力しただろう。


 彼の国の要求を飲むわけもないのだからそれが当然なのだが、小国の王が知己である故に王は逡巡していた。


 自国を思えば討ち取るべきである。だが学友でもある小国の王を討てるのか。その迷いが僅かな遅れとなり、国境沿いの村が犠牲になった。


 そのことで当時立太子間近だったナタニエルが動いた。

 彼は王の苦悩と、民の疲弊を癒すため、オクタヴィアン達護衛騎士数名を率いて前線に出たのだ。


 分隊で大連隊に挑む。

 それは馬鹿の所業としか言えないが、ナタニエルにも、オクタヴィアン以下騎士達にも不安などなかった。それが小国の全軍と知っていたのはナタニエルだけだったが、皆己の強さを過信せず知っていたのだ。

 詳しいことをオクタヴィアンは知らないが、敵軍を率いる将を討ち、軍の勢いを削げばいいとだけ言われ向かった前線。

 少数精鋭で敵軍に混じり敵将を討ち取り戦は収束した。

 がその後、たった三日で小国を瓦解させたのはナタニエルの底意地の悪い策のお陰なのだろう。どんな策かはオクタヴィアンは知らない。がきっと知らない方が幸せなのだろうとは思う。なにせナタニエルも、イヴァンもとてもいい性格(・・・・)であることは知己故に理解しているので。


 そうして前線で剣を振るう騎士であるうちは、オクタヴィアンも多少なりとも夢を忘れていられた。きっと村民を救うため動いたこともその一つだろう。けれど一度剣を置けば夢はすぐオクタヴィアンに迫る。


 それを振り払うように戦で剣を振るい温かい返り血も何度も浴びた。どれほど鍛えようとお世辞にも逞しいとは言えない白い腕も、罪深さを表すような漆黒の髪も血で染め上げたこともある。

 毒々しいまでのその赤を見て、自分の騎士と言うには白すぎる肌を見て、剣を振るいながらも夢を思い出したこともある。それに心は磨耗したが、罪に苦しむ自分が人であると思うことはできた。

 こうして人を助けようとも、自分は救われてはいけないのだと安堵に似た思いすら抱けた。その末に首領を取れたのは運が良かったのだろうとオクタヴィアンは思っている。


 己が人であるからこそ罪に苛まれ、苦しみの果てに夢を作り出している。それでも夢が突きつける罪をなかったことにして忘れることをオクタヴィアンはしない。

 夢を見て逃避する自分を忘れようとはするが、罪自体はないものにはしないのだ。

 それは罪人であることが戒めとして自分を律することができる手段だ、と感じているからだろう。


 だからいつだって己の浴びた血と己の肌のような赤と白の二色ふたいろはオクタヴィアンの心に深く残っている。あの日から、今なおずっと変わらずに。

 犯した罪故にあの日から見始めた夢。昼であろうと夜であろうと自分を苛むその二つの色に囚われ、受け入れ、そして訪れるかどうかもわからない断罪をオクタヴィアンは待ち望んでいた。

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