第二話
「そうですね。名も知らず、同じ属性を持つ子供らだけで集めるのが通例ですので、彼女もオクタヴィアンもあの時は互いの名を知らなかったでしょう」
「ああ、あの場でだけの愛称で呼ぶのだよね。オクトではなかったのだろう? イヴァンは二人のそれを覚えているかい?」
「オクタヴィアンと彼女はあの時光属性が一番強く出ていましたから、僕の元に来たのですけれど、その時にはもう愛称をつけ終えていましてね。僕に教えるつもりはなかったようで、聞いておりません」
「じゃあ愛称すらも二人だけのものってことか……いいね、なんだか羨ましいよ。オクトにも女の子と秘密を持つような時代があったんだねえ」
「あの頃のオクタヴィアンは今よりもまだ可愛げというものがあったのですよ。チラチラと彼女を伺う様子はそれなりに愛らしかったですしね。まあ今では見る影もありませんが」
「ふふ、そんなこともないのじゃないかな。だって未だにオクトは初恋を引きずっているのだよ? 充分可愛げに溢れているのじゃないかな」
「確かに今もオクタヴィアンは彼女を思っているでしょうけれど、それは可愛げとは関係ないでしょう? それならまだ僕の方が可愛げと愛嬌に富んでいますよ」
「自分で言うのかい? まあ、イヴァンらしいけれどね。で、そんな可愛げがあったオクトに恋した彼女も可愛かったのだろう?」
「ええ、それはもうとても。ふくふくとした桃色の頬や愛らしいほどに小さな手のひらも、ふわりと柔らかな金の髪も、その声も笑顔も何もかもが可愛らしかったですよ」
どこか夢見るようにして告げるイヴァンの頬は少しばかり緩んでいる。
そんな顔をすると益々嫋やかな女性のようだ。というのは口にしないまま、ナタニエルは紅茶を一口含み一つ息をつく。
いつまでも夢見ていそうな彼を引き戻すために有効だろう一言を告げることにした。
「……そんな風に次々と出てくるなんて、イヴァンもその頃から彼女が好きだったと言うことかい? イヴァンの場合はなんだか幼女趣味のような気もするけれど、オクトと彼女の場合だと夢見がちで一途だと感じるねえ」
「失礼ですね、僕もあの頃は八つだと申したでしょう? 僕だって白皙の美少年だったのですよ?」
「白皙の美少年だったかは知らないけれど、君の場合その頃から今と変わらない性格だろう? それで顔は今よりもいっそう少女めいていた。今よりもっと凶悪なだったと記憶しているんだけど?」
紅茶とともに供されたさくりとしたガレットを口にしながら、イヴァンを評する。
白皙のではなく、紅顔の美青年と評される程度に整った容姿のナタニエルだから言えることである。余談だが、巷の彼らの印象は五十歩百歩である。ちなみに外見ではなく内面だが。
こんな遣り取りをこのまま続けても意味がない。
そう告げる代わりに一口また紅茶を含んだナタニエルは目元を緩ませる。目の前のイヴァンも知るように、やはりオクタヴィアンが今も彼女を想っているならば望んだ通りの未来になるだろう。
「オクトは彼女を好いている。彼女も彼を好いている。問題は今の彼女の置かれた立場だけれど、それも簡単に方のつく手段があるよね? 今ならば誰にも知られずに彼女を呼び戻せる──のだからね」
「そう、ですねこの機会であれば呼び戻すことは可能でしょう。けれど……けれどあの時の彼女は現実をわかりすぎるほどわかっていたからこそ、誰にも言わずに消えてしまったのですよ? そんな彼女を呼び戻すことなどできるのでしょうかね」
「できるかじゃなくて、やるんだよ」
一途にオクタヴィアンを想う彼女はとても頑固な質だとイヴァンもナタニエルも知っている。だからこそ事情を知る第三者が動かなければ二人の中が変わらないだろうことは難くない。
そしてその第三者は自分であるとナタニエルは思っている。というかそれ以外は認める気はない。こんな面白いことを誰かに譲る気はないのである。
なにせオクタヴィアンに恩を売れて、その上からかえるネタが増えるのである。やらないわけはない。
「それにしてもさ、いなくなって誰も探さないと思ったのかね? 探すに決まっているのに……。そんなことにも気づかないで、いらないことで悩んで迷って、間違えてしまうくらいには夢見がちで現実をわかっていた。そんなところが可愛いんだよねえ」
うっとりと夢見るように目を細め、歌うように呟く。
幾つ年が離れていようが、女性は皆等しく可愛らしく、美しく、そして麗しいもの。というのがナタニエルの言である。
ちなみに男性的な意味での博愛はしていない。愛でるだけであってそういった意味で手を出すなどは一切なしだ。というのもとある事情があり、ナタニエルは未だ清らかなままなでいなくてはならないのである。
彼女やオクタヴィアンだけでなく、ナタニエルも十分夢見がちと言って差し支えないだろう。それがイヴァンの意見だが、それを口に出さない分別は一応ある。が、必要だと思われることならば口にする。
イヴァンにとっての適温となった紅茶を含み、一言。
「あなたの方が年下でしょうに。まったく……あまり女性に夢ばかり見ていると後で痛い目を見ることになりますよ」
「いいんだよ、実際彼女はとても可愛いのだしね。素直に可愛いと言っても構わないだろう?」
「彼女が、と言うのでしたら他の方には口にしないように。周囲に現れるご令嬢の半数は、そのお立場だけを見ているのだ──と思う程度には警戒なさい」
「おや、心外だね。僕が誰彼構わずに言っているとでも?」
「近々でしたら三日前の夜会で三人。その前の夜会で五人。その前の前の伯爵家主催の茶会と夜会では十人ずつ──でしたか。しかも全て異なるご令嬢方で、婚姻可能な方の半数にお声掛けしてらっしゃいました。殿下は同世代の婚期を遅くしたいのですか? お声掛けした半数は主だった嫡男のご婚約者様方でもありましたよ?」
「あー…あはははは」
「やはり深くお考えではなかった、ということですか」
乾いた笑いで誤魔化してみたが、それは失敗であることは理解していた。
イヴァン自身が参加していないはずの夜会や茶会で、ナタニエルの行動をここまで詳細に知られているのがどうしてなのか。それが守護魔法の所為だ、とは知っている。他者の悪意や実害から身を守ってくれる魔法は、別名盗聴魔法とも言われていることも同様に。
嫌ではないのだ。
嫌ではないが嬉しくもないイヴァンの過保護に肩を落とす。
ナタニエルだって健康な男子である。清らかなままでできることがあることくらい知ってもいるのだ。ちょっとくらい試したくなっても仕方ないだろう──と言いたいが、自らその道を選んでしまっている故にそれも言えない。
でも次はもう少し後腐れのないだろう相手を選ぼう。なんてことを思いながらカップに残った紅茶をぐびりと飲み干し、席を立つ。イヴァン相手では分が悪い。
「はいはい、わかりました。気をつけるよ」
「次から『はい』は一回でお願いしますね。で、進めるに当たってまず始めはどうなさるおつもりですか。無策ではないのでしょう?」
「いや、ほぼ無策だよ」
「……殿下? 言うだけ言って僕に策から考えろということですか? それでは殿下が彼女の願いを叶えたことになりませんが、宜しいのですか?」
「宜しくない。…………んー…それじゃあ悩んでいるだろうリアンに伝えてくれるかい? 君の好きに動くといい、とね」
ほぼ無策であるが、リアンが必ず良い方向に進めるだろう。そんな期待からの言葉であって、けして丸投げしたわけではない。
ただ彼女側から行動を起こさねば、オクタヴィアンを動かすことは無理である。オクタヴィアンはまだ自分の心すら見極められていないのだろうから、それも道理であるが。兎に角リアンが動けば必ずオクタヴィアンは動く。それはナタニエルに確信できることだった。
「鏑矢はリアンに任せる、ということですか。……精々悩むといいですね、オクタヴィアンが」
「悩むだろうね。オクトは真面目で融通が利かなくて、それでいて思い込んだら一直線──だから。あれは長所でもあるけれど良し悪しだね。その所為でこんなにも時間がかかってしまっているんだから」
「アレは欠点でしょう? 少し考えればわかることがわからなくなるほど頭が固くなっている証拠ですし。まあ、罪の意識からだろうとなんだろうと、彼女のことを忘れていないようですから、無意識だろうその想いだけでしたら認めてやらないこともないですがね」
不承不承であると態度に大いに出しながら、イヴァンも席を立った。優雅とは言えなかった茶会はもう終いの時間である。そろそろ執務室へ向かわねば、仕事が押してしまう。そんな言い訳からの行動である。
妙にスタスタと扉まで向かうその背中に苦笑してナタニエルが呟く。多大に笑みを含んだ声音であるのは否定しない。やられたらやり返す、ということをナタニエルはイヴァンから学んでいるのである。
「イヴァンも素直じゃないよね」
からかいを甘んじて受けるような男ではないイヴァンは、くるりと振り返り艶やかに笑う。
「仕方ないでしょう? 殿下が言うように、僕にとってもオクタヴィアンの隣にいるべきは彼女だとしか思えない。それが普遍であると思いたいのです。────僕らのような立場の者が相愛の相手を見つけ、得られることは稀なのですよ? 不本意ですが、あの二人の想いに憧れても仕方ないでしょう?」
「おや、意外にロマンチックな考えからだったんだね。ただの横恋慕だと思っていたよ」
「それは否定しません。というかですね、リアンが現れてもオクタヴィアンが動かずにいるのでしたら僕がもらいます。脳筋な隣国の準騎士であるテオバルドに渡すなんて論外ですし、継承権十二位の横暴で脳筋なバカ王子などにも渡すつもりはありません」
「許せるのはオクトだけ、ということかい? 君の友情も大分歪んでいるねえ」
「殿下には言われたくありませんね」
「だってイヴァン、君って結婚できないだろう? 生涯独身でいるか、男に走るかしかできない──のじゃなかったけ?」
「────その内殿下もそう噂されるようになるのじゃないでしょうかね」
荒く鼻を鳴らし、イヴァンは部屋を出る。敬意もへったくれもない態度である。が、彼がこうなるであろうことはわかっていて言ったナタニエルだ。というか向かう先は同じであるのだから、先に出ても同じ部屋で仕事をするのに、イヴァンは意外と馬鹿だよね。なんて思うナタニエルである。
こうなった場合、ナタニエルが謝ったことは一度もない。ちなみにイヴァンが謝ったともない。いつも有耶無耶で終わる。その方が、互いの軽口をまた口にすることができるから──という理由であるのは余談だろう。
なにはともあれ願いを叶えることであの時贈られたハンカチーフの礼もでき、同時にオクタヴィアンが嫁取りできれば侯爵家も安泰で、オクタヴィアンも喜ぶはず。そうなるまでにも、そして娶せてからもオクタヴィアンで思う存分遊べるだろう。ナタニエルにとって最後のそれが一番最高のことである。ああ、未来は明るい。くつくつと笑いながら、ナタニエルはゆったりと執務室まで向かうのだった。