騎士の誓い
「…どうしても行くのか?」
目の前に立つデラを気にかけつつ、文机の上の書類に目を通していたクレイは、ふと何かの策が急に尽きた時のように乱雑に髪を掻いた。
「何もわざわざ」
「決めたんです」
そう簡潔に答えるデラに、クレイは諦めたような視線を投げる。
「あと少しで婚約式だ。その後、婚約中にサラがこの国を訪れることは殆ど無いと思うが、それでも訪れるようなことがあれば護衛はお前に頼もうと思っていた」
「勿体無いお言葉です。ですが」
ここまで言っても固辞されるとは思わなかったクレイは、大きく溜息を吐いた。
「分かった。でも、どうして今なんだ?」
「討伐部隊が出発するからです」
「他の討伐部隊だってある。特に、あれは北の…」
「だから行きたいのです。私の故郷だからこそ」
その意外な言葉にクレイは目を見張った。
これまで自分の出自を語ろうとしなかったデラの口から初めて知らされる事実に、そしてデラが話す気になったことに、クレイは驚きを隠せない。
「お前の…故郷?」
「そうです」
「だったら余計に…」
「クレイ皇子」
すっ、と身を引いてクレイの足元に跪いたデラの頭を眺めながら、クレイはふうっ、と溜息を吐いた。
この無言の懇願を無下に出来ないことはクレイも知っている。
「…あの地域の出身だったんだな。だったら余計に、思い出したくもないだろうに」
その地域の惨状はクレイの記憶にも鮮明に残っている。今よりも小競り合いが絶えなかった頃、徴兵されて若い男達がいなくなった集落を狙う不埒者の手によって、悉く焼かれた地域だ。子供や年寄りは勿論、女達も容赦なく殺されていた。
そこは決して豊かな集落だった訳ではない。僅かな金銭の為に多大な犠牲を払わされた亡骸が、焦げた大地のあちこちに転がっていた。
「命からがら逃げおおせ、こうして皇子に拾われた幸運を無駄にするつもりはありません。そしてこの機会を逃すつもりもありません。復讐ではないのです、皇子。私はあの悪夢を自分自身の力で清算したいのです。そして、新たに見つけた希望の為に、前に進みたいのです」
「…希望?」
妙に老成して厭世的になっていたデラが見出した希望。クレイは興味津々に、椅子から腰を浮かせて足元に跪くデラに屈み込んだ。
「それは…マイリのことを言っているのか?」
デラの耳が見る見る赤くなっていくのを見て、クレイはにやりと笑う。
「…よりも」
「え?」
「妖魔よりも、邪悪な人間がこの国に存在しています。そんな国に大切な人を呼ぶことなど出来ません」
妖魔よりも邪悪な人間。
現実主義者のデラが引き合いに出したその例えにクレイは目を細めた。
勿論、そんな国にクレイも愛する人を迎え入れたいとは思わない。
「…行ってこい」
クレイの言葉にデラは顔を上げる。間近の鳶色の瞳が微笑むのを見て、デラの瞳が輝いた。
「ありがとうございます、皇子!」
「なるべく早く帰って来い。結婚式には間に合わないだろうが、せめてサラの妃殿下ぶりが板につくまでには帰って来い。面白いものを見逃すことになるぞ」
「それは、私に長らく猶予を与えて下さるということですか? しかし私には別の緊急の用件があるので、猶予を戴いたとしても、さっさと終わらせて戻って来るつもりです」
「その憎まれ口が聞けなくなるのは寂しいな」
ふ、とクレイは笑みを洩らす。
「誓え。無事に帰って来ると」
「はい、誓います。皇子もどうか、ご武運を」
「サラのことを言っているのか?」
「ハーヴィス王国との同盟手続きの話です」
しれっと返すデラの頭を、クレイは右手でがっしりと摑む。
「痛ッ。皇子、やめて下さい!」
「あの地域の生まれなら、お前は相当でかくなる筈だ。こんなこと出来るのも今のうちだけだろうからな。それに、いくら相手がサラでも、お前の主君の婚約者であることには変わりない。不敬罪に当たる発言は…」
「そもそも皇子から言い出したことでしょう?」
「口答えするな。…いいな、早く帰って来るんだぞ」
くしゃり、と髪を撫でられて、デラは改めてクレイの顔を見た。
「皇子…」
「もういい、行け。任務を果たすまで泣き言を言うんじゃないぞ。騎士の誓いは絶対だ。城へ帰還した後の処遇については…なるべくお前の意に添えるよう、僕から騎士団長に話をつけておく」
立ち上がって背を向けてしまったクレイに、デラは深々とお辞儀をする。
デラの気配が消えた後、クレイはゆっくりと振り向いて、デラが本当に退出したことを確認した。
「…無事に帰って来い、デラ」
そうぽつりと呟くと、クレイは再び席に着いて書類に目を通し始めた。
新年の決意、みたいなお話を書こうということで。
帰国後のデラの決意についてのお話です。
別のお話でデラはマイリに「討伐部隊に入ったのは功名の為」と説明していましたが、実はこんな裏話がありましたよ〜、というお話。
この後のデラを主役にしたサイドストーリーも書いてみたいなぁ…。