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冒頭10分  作者: 森モト
4/6

▼生き返った少年 ※微グロ


――その日、鰐塚玄子(わにづかくろこ)は仕事を早退けした。


高校卒業後、小さなイベント会社に就職し、早四年。

イベント前は多忙のあまり、安アパートに帰るより会社での寝泊まりが多くなることもしばしばの仕事だったが、早退したのは今回が初めてだった。

実際、ここ何日か企画に追われ、家には帰っていない。

久々の帰宅だというのに、玄子の体調はあまりに酷かった。

発熱はないが、ひどく気分が悪い。

吐き気が今にも喉元に競り上がってくる。

もうすぐクリスマスだという賑やかな周囲に羨望の眼差しを向ける余裕もない。

ただどくどくと脈打つ心臓と同じリズムで、昼間の出来事がリピートされていた。


『ワニコさん!』

後輩である竹上が、パソコンで作業をしながらおにぎりをかじっている玄子を呼んだ。

生返事をしながらも、またか、と少々うんざりする。

竹上は仕事はできるが少々おふざけが過ぎる男で、ホラーマニアだった。

昼休憩中は息抜きの時間とばかりに、周りがどれだけ忙しそうにしていてもネットで拾った怪画を玄子に見せたがる。

かくいう玄子もその手の話題は嫌いではないため、竹上とは馬が合うのだが、今は忙しい。死ぬほど忙しい。だから呼ぶな、とは内心で舌打ちしつつも、可愛い後輩の呼びかけに応じた。

竹上のデスクに赴けば、会員制の動画サイトのトップがパソコン画面を占めている。

『昨日、めっちゃヤバい動画見つけたんすよ!超リアルでサブいぼ!』

竹上は眼鏡のフレームを持ち上げながら、興奮気味に玄子を見上げた。

その騒がしい声に、十人といない社員の視線がこちらに集まった。

そういえば、朝から妙にそわそわしていたように思う。

竹上は基本はホラー系だが、グロテスクな画像や動画が好きだ。それも相当リアルで、時には本物、時にはアニメーションの。大抵は生物の惨殺シーンや、エログロの類いだったりする。

竹上の推奨する「作品」は、時にあまりに生々しく、ニセモノ好きの玄子が受け付けないものも多かった。

竹上がマウスを操作すると、動画のタイトルが小さく控え目に表示される。


「○月×日△時、八歳少年、都内某所 心臓」


コメント欄は非表示になっていた。

『アングラが集まる会員制の動画投稿サイトなんすけど、マジでヤバいって話題なんです』

掲示板で、警察に通報するとか騒いでるやつもいるくらいリアルなんすよ。確かに最近、小学生の誘拐事件がありましたけど、本物ならネットに流すわけないすよね―――。

そう続いた竹上の言葉に、玄子はそれなりの興味をそそられたが、動画が再生され始めて数秒経たないうちにその余裕は消えさった。

音もないその動画は、パソコンの画面上でもくもくと進んでいく。

俯瞰から撮られた、薄暗い闇の中。

それは、口にするのもおぞましい動画だった。


作り物、フェイクを前提にしたとしても、人間の道徳心をざっくりと引き裂くような。

画質も大して良くないそこに映し出されていたもの、それは。

―――こどもの解体ショーだった。

場所は、ごく普通の、ありふれたアパートの部屋のようだった。

俯瞰から見えるのは、フローリングの床、小物と写真立てが置かれた棚の上面、ベッドヘッド、インテリアカバーを被るコンセント。

(…あ、うちと同じラグ……)

部屋の中はかなり薄暗かった。

灯りは豆電球ひとつだろうか。

そんなよく見かけるような部屋で、まるで手術中の医者のような姿をした男が流れるような動きでゴム手袋をした手を動かしている。

よくは見えないが、その手には手術用のメス。

その先には、ビニールを敷かれた折り畳み式の長机に横たわる、幼い男の子の身体。

人形だろう、と玄子は反射的に思った。

―――思おうとした。

けれどその虚ろな半目、生々しい皮膚の反射、作り物とは思えない、リアルな肉感。

既にメスは少年の胸部を引き裂いており、男はそのぽっかりと空いた暗闇に手を伸ばそうとしていた。

そこで玄子の頭裏に、この動画のタイトルが過る。

(八歳少年、心臓、…心臓―――)

男の手が事務的に少年の体内へとつき入れられ、何かを探るように動いた。

『ぎゃあっ』

竹上が悲鳴を上げた。

男が何をするのか悟った迎えた玄子が、パソコンの画面に掌を叩きつけたからだ。

その衝撃にデスクトップパソコンががくんと揺れる。


『ちょ、ワニコさん!何するんですか!』

竹上が喚いたが、玄子はそれを無視してその頭を殴りつけた。

更に追い討ちを駆けるように竹上が座っているチェアをヒールで蹴り続ける。

ぎゃっぎゃっと竹上の悲鳴が断続的に上がる。

玄子は込み上げる嫌悪感を唇を噛んで堪え、マウスを操作して画面を閉じた。

それでも、あの小さな男の子の姿が眼球から離れない。

散々椅子ごと蹴り倒され、涙目になっている竹上を玄子は立ったまま睨み付けた。

『……あんた、いくらなんでも悪趣味すぎ』

吐き捨てるように自分のデスクへ戻ると、背中に竹上の情けない謝罪が届く。

それを無視して、玄子はデスクに置きっぱなしにしていたおにぎりをゴミ箱に投げ捨てた。

食べる気など起きる筈もなかった。

それから二時間ほど経って、玄子は先ほどの動画を忘れるように仕事に没頭した。

竹上の度重なる謝罪は全部無視して、ただひたすら仕事を続けた。

しかし脳にこびりついた、生白い肌、薄暗いなかで見る黒い血液、虚ろな目、皮膚の下を蠢く男の手、同じラグが、仕事に集中する脳とは別のところで再生され続けていた。

―――同じラグ。

そういえば、ちらりと見えていた棚も、自分の部屋のものと酷似していたように思う。

なかなか家に帰らないとはいえ、自分の部屋だ。小物の位置や細部まで思い出すことができる。

棚の上に置かれた小物、写真立て、それにベッドの位置――。

(……え?)

その考えが脳を過った時、玄子は指先が震えるのを止められなかった。

血の気が引いて、心臓がどくどくと早く脈打ち、チェアの上に胡座を掻いていた脚すら震えている。

(…あのコンセントカバー)

良くは見えなかったが、動画の中のそれは、今流行りのデコで埋め尽くされていたように思う。

そして玄子の部屋のコンセントカバーも、友人が誕生日にプレゼントしてくれたスワロフスキーで埋め尽くされたデコカバーだった。

有り得る筈のない考えに囚われ、玄子は思わず口を覆ってデスクに突っ伏した。

先程からこちらを気にしていた竹上が慌てて駆け寄ってくる。

(――有り得ない)

有り得るわけがない。

良く似た部屋なのかもしれない。

億単位の人間がいる国だ。それくらいの偶然、ないとは言い切れない。

(…でも)


棚やベッドの位置どころか、置かれた写真立てや小物、アクセサリーまで全く同じなど、有り得るのだろうか。

あの部屋は、確かに自分の部屋だ――。

否定しようとすればするほど、あの動画が鮮明に蘇る。

(…私の部屋で、「アレ」が、行われてる……?)

まさか、と笑い飛ばしてしまいたかった。

竹上が大丈夫ですか、と背中を擦ってくれていたが、玄子はそれに応える余裕もないほど自分の考えに没頭していた。

動画を観る前、竹上が呟いた一言が玄子の耳で蘇る。

『確かに最近、小学生の誘拐事件が――』

ゾ、と背筋を冷たいものが走り、玄子は胃液が込み上げるのを涙ながらに必死に堪えた。

――そうして「嫌な予感」に堪えきれなかった玄子は、社長自らに帰宅して休むよう命じられたのだ。


正直なところ、「あの家」には帰りたくなかった。

しかしどう考えても、玄子の被害妄想だ。

いや、自らが被害を受けたわけではないのだから、そう表現するのも憚られる。

(…じゃあなんて言えっていうの?猟奇殺人犯が私の部屋を無断で使用して、誘拐したこども達を解体してるって?)

バキッ。

―――言える訳がない。

折れたヒールに苛々しながらも、通い慣れたとは言えない帰路を急ぐ。

大きな緑地公園を横切る道路側の歩道を抜け、河沿いに出る。

舗装された遊歩道を数歩進めば、すぐそこに玄子のマンションは見えた。

昔ながらの長屋型の民家に挟まれながらも、一応の鉄筋コンクリートの建築物。

一応はマンションと称される造りだが、見た目があまりに貧相なので、それは慎ましくもハイツを名乗っている。

玄子の部屋は河側の三階。

部屋の灯りは付いていない。

しかしあの動画は暗闇で撮られたものだ。

赤外線カメラか何か知らないが、妙な色合いでノイズが酷かったように思う。

灯りが点いていないとはいえ、「あれ」が行われていないとは言い切れない。

「――は……」

そこまで考え至り、玄子は失笑した。

なにを本気で危ぶんでいるのか。

他人の部屋であんな犯行が行われているなど、有り得るはずがない。

玄子は急いでいた脚を緩め、そのままとうとう立ち止まった。

運動しただけが理由ではないどくどくと忙しない心音を他所に、動くのをやめた自分の爪先を見つめる。

(…有り得ないでしょ)

「たまたま」同じような構造の部屋で、「たまたま」似たような家具の配置で、「たまたま」似たようなコンセントカバーで、「たまたま」同じラグで。

ただ、それだけだ。

落ち着け、と玄子は自分に命じた。

しかし一度首をもたげた妄想は引くことを知らず、玄子の心臓をどくどくと叩きつけている。

普段なら馬鹿らしいの一言で済ます人間側である筈なのに、この粘つくような恐怖感はなんなのか。


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