1.初めの始まり
夏の夜。テストが一週間後まで差し迫り、クラスでも休み時間中机に教材を広げる生徒がチラホラと出てきている今日この頃、俺はクラスメイトであり友人の洋司の誘いを断りきれずに、学校から立ち入り禁止区域に指定されている森へと来ていた。
「……って、冷静に自分の状況を整理してみたが、何やってんだろって話だ
わな」
「ん、なんか言ったか、翔太?」
洋司はその高い身長で俺を見下ろしつつ、ニッカリと笑いながら聞いた。別に他意はないとわかっていても、見下ろされるという行為は腹が立つ。
なので、脇腹をつねる。
「い、痛っ! なにすんだよ!?」
「なんとなく腹が立った。許せ」
意味わかんねーなどと言いながらもその笑みは崩れない。コイツのこの顔を見ると毒気が抜かれるな…
「テストが近いのに、よくも誘ってくれたなって思っただけ」
「別についてこなけりゃ良かったじゃん。その時は俺一人で行ってたし」
「断ればビビったみたいに思われるだろ? それは嫌なんだよ」
「ははっ、今更だろ。お前が怖いの苦手なことくらい知ってるし」
「な、なんで知ってんだよ!?」
「あら、当たり? カマかけたんだけど」
洋司の手が、俺の頭にぽんと置かれた。そのままくしゃくしゃと撫で付けられる。自分の顔がどんどんと赤くなるのを感じた。
「だーっ、止めろ撫でるな! 俺はもう帰るぞ!」
「いいけど、一人で帰るのか?」
洋司の言葉に、ハッと我に返った。周りを見渡せば、月明かりに照らされて不気味に光る木々。風で擦れ合い、音を立てて揺れる木の葉。そして何より、暗い夜の森は、方向感覚が狂わされる。
「む、無理……」
「情けない声出すなよ。つーか、俺もあんまり帰って欲しくないんだよね」
たらり、と額から流れる汗を拭いながら、洋司は珍しく苦々しい表情を浮かべた。こいつがこんな顔をするなんて珍しい。
……そういえば、洋司はなんだってこんな森に行きたがったのだろうか。理由を聞いてなかった。
「なあ洋司、なんでお前はいきなり森に行きたいなんて言い出したんだ?」
「……ああ、話してなかったか。嫌な予感が、したんだよ。勉強しようとしても、テレビ見ようとしても、漫画読もうとしても、なんつーか、背筋が凍るような感覚、って言えばいいのかな。それが張り付いて離れねえんだ。そんで、いてもたってもいられなくなったって訳」
「嫌な予感、ね。正直風邪ひいたとしか思えないが……それで、その寒気と森に何の関係が?」
「いや、分からん。とにかくどこか行かなきゃって思ってお前に電話したら
、なんでかこの森に行こうって言葉が口から出たんだ」
なんでだろうな? なんてことを洋司は俺に聞いてくる。そんなことありえない。嘘だと一蹴しようと思ったが、顎に手を当てて考える洋司の姿が余りにも自然で、俺を怖がらせようとしているわけではないということは容易に分かった。
だが、本人の意思とは関係なく口が動くなど……洋司は気にしていないようだが、そうとうのホラーだ。
「それで、宛てもなく歩いてるってわけか」
「ははっ、まあそうなるな。そんで、今になって寒気がどんどん大きくなってきているわけなんだが、どうすればいいかな?」
「どうすりゃいいってそんなこと聞かれても……」
洋司の方に顔を向け、言葉を失った。その有様が明らかに異常だったからだ。
顔は汗に濡れ、前髪が額に張り付いており、顔色は青白く病人のようで、その表情は苦痛にゆがんでいる。
フラフラとよろける洋司の肩を、慌てて支える(俺の背の方が小さいから、傍から見れば縋り付いているように見えるかもしれないが)。
「お、おい、大丈夫かよ?」
「大丈夫に見えるなら……お前の目は節穴だろうよ……」
口角を上げ無理やりに笑顔を作る洋司の姿は、見ていて痛々しい。いつもの軽口にも、元気がない。これは相当にまずい状況なのかもしれない。
「洋司、一度帰ろう。このままここにいてもいいことはない」
「あ、あ……でも……俺歩けねえよ……」
「引きずってでも連れて帰るから安心しろ……ん?」
来た道を引き返そうと、振り返る。すると、遠く……大体100mほど離れた場所に、光が見えた。
懐中電灯だろうか。
「おい、洋司! 人がいたぞ。お前を運ぶのを手伝ってもらおう!」
「あ……あ……」
洋司は既に、立っていることすらキツいようで、浅い呼吸を繰り返し、必死に意識を保っているように見える。
どこの誰だかはわからないが、とにかく助けてもらわなければ。
「おーい、おーい! そこの人! 助けてくれ!」
懐中電灯の光に向けて声をかけるが、返事はない。気が付いていないのだろうか。更に大声を出すが、気がつかない。流石にイライラしてきた。この距
離でここまで大声を出せば流石に気がつくだろう。意図的に無視をしているのだろうか?
「洋司、少し移動するぞ。俺に寄りかかっていいから、進もう」
そう言うと、洋司は俺に完全に体重をあずけた。ただでさえ背丈で負けている俺は幼児を抱えるだけで精一杯だが、どうにかするしかない。
「おーい! あ、ちょ、待てって!」
青白い光は、ふよふよと上下に動きながらどんどんと移動していく。その動きが俺たちをおちょくっているように感じられ、更に腹が立った。
「クッソ、なんだってんだよ!」
洋司を引きずり、夜の森を歩く。足元に注意を向けてはいるのだが、時々木の根に足を取られてしまう。そのせいか、光との距離は一向に縮まらない。
そして、青白い光は、唐突に消え去った。
「は?」
もとより何もなかったかのように消えてしまった青白い光に、思わず素っ頓狂な声が出る。
辺りを見回しても、どこにも光はない。というか―――
「どこだ、ここ」
夢中で光を追いかけている間に、どうやらおかしなところに入ってしまったようだ。
背筋に冷たい汗が流れ、ブルリと震える。
「こ、こんなん……シャレになんねーぞ……」
支えている洋司に目をやる。もう完全に意識はないようだ。しかし、先程までのような苦悶の表情ではなく、安らかな寝顔だ。
これはもう安心してもいいということなのだろう、だが。
「どうやって、帰ればいい……?」
その言葉に答えるように風が吹き、森がさざめく。突然のことにびくりと身体が震える。一人になるだけで、こうもダメになってしまうのか。
思い出したかのように震えだす膝を叩き、なんとか歩みを進める。しかし、どこに進んでいいのか分からず、その歩みは遅々としたものだ。
「ど、どうすれば……」
涙声になってしまうのは、しかたのないことだろう。それでもまだその場に座り込んで泣き出したりしないのは、俺が抱えている洋司がいるからだ。俺を信じてくれたこいつのためにも、なんとしても帰路につかなければならない。
そして、更に歩く。一人、夜の森を。どこに向かっているのかも、分からないままに。