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極東の鴉  作者: 縞白
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第九話「約束の雫石」





「ごめん、鮫島少尉。もうダメかも」


 残り一枚の防御壁をかろうじて維持しながら言うと、重低音の声に叱りとばされた。


「諦めるな! 集中しろ!」


 うおう。

 今の声、頭にびりびりきたよ。


 でもさ、最後一枚の防御壁もメリメリ言っててもう今にも壊れそうで、無理なもんは無理なんだよと……、あれ?



 滝のように落ちてきていた水が、何の前触れもなくふっと止んだ。



 ヒビの入った最後の一枚の防御壁の中から、もうもうと立ちこめる水煙がおさまり、その向こうに巨大な蛇に似た生きものが現れるのを声もなく見つめる。





 頭には牡鹿のような立派な角を持ち、つややかな青の鱗で覆われた長い体に、五本爪の脚がある。

 しかし、神々しいまでの威厳をそなえて優美な巨躯に反して、ぎょろりとした目は余裕なく血走り、ひと睨みされただけで心臓が止まりそうな物騒な圧迫感に、息がつまった。





 たぶんこれが深い水底に棲むという、ヌシ。


 龍。





 ……て、わかってもどうしようもないな。

 これは死んだか。

 ぱくっと食われて、ごはんになって終わるのか。



 指一本動かせずに呆然としていると、頭の中に声が響いてきた。



《 人よ、何を騒ぐ? 》



 恐ろしげな姿とは違い、思慮深い老人のような声に驚いた。

 集中が途切れ、ヒビ割れた最後の一枚の防御壁が消える。


 ギャップがすごいんですが、本性はどちらですかと訊きたいのを我慢して、その問いかけに答えた。

 きっと、話をしている間はぱっくり食べたりしないはず。



「私達は必要なものを取りに来ただけです。用件は終わりましたので、もう帰ります。お騒がせして、申し訳ありませんでした」


《 我を起こしておいて、それで済むと思うておるのか? 》


「お言葉ながら、ヌシどの。あなたは眠っていたようには見えません。目が真っ赤で、お疲れのご様子です」


《 そうじゃ、そうじゃ。我は眠れぬ。だが動くこともできぬ。ゆえに腹が減っておる 》



 ぎらぎらと物騒に底光りする巨大な目が、私と鮫島少尉をとらえて動かない。

 冷や汗が浮かび、上ずりそうになる声をせいいっぱい落ちつけて、言った。



「ヌシどの、どうかお聞きください。

 私達のような小さなものを食べても、さほど腹の足しにはならないでしょう。それよりも眠れず、動くこともできないというその理由を、教えてはいただけませんか。何か私達にできることがあるのならば、喜んでいたします」



 永遠にも思える長い沈黙の後、老人の声が頭の中に響いた。



《 ……よかろう 》



 そして、大きな波を立てながらその巨体を低くかがめる。



《 我の首に、トゲが刺さっておる。それが痛うて痛うて、眠ることも動くこともできぬのだ。人よ、そなたに我に触れる許しを与えよう。さあ、このトゲを抜いてくれ 》



 青龍はなぜか鮫島少尉が動くことを許さなかったので、私一人で浅瀬の中に入ってトゲ抜きに行くことになった。


 もしトゲの近くにある逆さに生えた鱗に触れたら、我はたちまち怒り狂って大暴れするだろう、と脅かされたので、かなり慎重に鱗の向きを確認しながらトゲを探し、しばらくかかってようやく見つけた。



「ありました。鱗と鱗の間に、私の腕くらいのトゲが刺さっているようです。これから抜きますので、どうか動かないでください」



 無言で動きを止めた青龍の様子を見ながら自分の体に強化魔法をかけ、つややかな鱗と鱗の間にはさまった木の枝を掴むと、一息で引き抜く。


 抜く時の痛みで暴れられたらあっさり潰されるな、と思ったが、幸いなかなか我慢強い龍だったらしく、私がお願いした通り動かずに耐えてくれた。

 ほっとして一気に力が抜けそうになる体をかろうじて保ち、痛々しい傷口が化膿したりしないよう治癒魔法をかけて、木の枝を片手によろよろと水からあがる。


 青龍に動くことを許されなかった鮫島少尉が、手をのばして倒れそうな体を支えてくれた。

 もうほとんど気力が残っていなかったので、遠慮なく彼にもたれかかりながら、目を閉じた青龍に木の枝をかかげて見せる。



「ヌシどの、これがトゲです。無事に抜けました」



 青龍はゆっくりまぶたを開くと、血走った目はそのままだったものの、先よりだいぶ穏やかな表情で答えた。



《 おお。おお。なんと小さなトゲよ。そのように小さくあるものが、なぜ我にこれほどの苦痛を与えられたというのか。

 ……まあいい。人の子よ、礼を言う。何か望むものがあるなら、申してみよ。我がそなたの願いを叶えよう 》



 生きて帰れればじゅうぶんだ。

 下手に願い事なんて考えて言ったら、欲張りすぎて墓穴掘りそうだし。



「お役に立てたならこれ以上のことはありません。そもそも私達が騒いだためにヌシどのをわずらわせてしまったのですから、どうぞお気になさらないでください」


《 そのようなわけにはゆかぬ 》



 青龍はあっさり言って、ほろりと右の目から青い涙を流した。

 その涙は美しく青い雫石となり、琵琶湖の浅瀬の透明な水底へ沈んでいく。



 龍の涙、雫石!



 めったにお目にかかれない、とてつもなく稀少な素材だと気づいて心臓が高鳴った。

 あれを使ったら何が作れるだろう? とか、売ったら葡萄酒のボトルが何十年分買えるだろう? とか、低俗な思考が一瞬にして脳裏をかけめぐる。


 青龍はそれを見越したように言った。



《 人よ。この石を持ち帰り、願いが決まったなら戻り来て湖へ投げ入れよ。我はただ一度そなたに応え、その望みに耳を傾けよう。

 だが湖に投げ入れるためでなくこの石を手放した時、そなたの身には永劫に消えぬ呪いがかかると心せよ 》





 ……は?





 さらりと告げられたことをすぐには理解できないでいる私を置き去りに、また会う日を楽しみにしているぞと言って、青龍は湖底へ帰っていった。





 しーん、と静まりかえった琵琶湖のほとり。

 私はくたくたとその場に座りこんで、鮫島少尉に聞いた。


「もしかして私、今、呪いをかけられたの?」





 沈黙の中、水底で青い雫石がきらきらと輝いていた。





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