第六話「譲葉少佐の護衛官」
「お待たせいたしました、譲葉少佐」
食事のトレーを運んできてくれた篠田中尉に「ありがとう」と礼を言い、「いただきます」と箸を取る。
将校用の食堂で私が食事をする間、譲葉少佐の護衛官の一人である彼は、そばに控えて待っている。
初めてそれをやられた時にはなんとも落ち着かなかったが、元からおおざっぱな私は「それが彼の仕事なのだ」と理解すると一日で慣れた。
仕事という意識で行動している人に対して、それを申し訳なく思うことはない。
必要だと思うなら「御苦労さまです」と感謝すればいい。
◆×◆×◆×◆
凍える冬の息吹に森が白く染まる十二月。
私が椿の双子の妹として核都市【大和】の東方連合軍に入って、三ヶ月が過ぎた。
核都市【大和】は日本風の木造家屋とコンクリートのような素材の建物が混ざって立ち並ぶ、混沌としたところだ。
明るく賑わう表通りや夜に妖しく輝く裏通り、疲れて寂れた貧民街を抱いて、樹海の中に座している。
その中央にそびえたつ高層建築の堅固な城砦が東方連合軍の【大和】支部で、『世界統合機構』の支部。
そして私の現在地だ。
九月。
私は椿に渡された戸籍や兵役についての書類を持って行くとあっさり城砦へ入れられ、その日のうちに初めての戦闘任務を命じられて護衛官の篠田中尉とともに出撃した。
それは何を思ったのか【大和】を取り巻く分厚い外壁にかじりついてきた、数十体のムカデに似た大型の魔物の退治。
外壁の途中にある窓からその様子を見てシガーを呼び、炎で攻撃させると数分でぼろぼろと樹海に落ちて、静かになった。
また上ってきたりしないかどうか様子見に待機しながら、私が紅の狼の首筋を撫でて「さすがシガー」と褒めている間、周囲の兵士たちはちょっと離れたところから鋭い視線でこちらを観察していた。
護衛官は一線を引いて長命種の健康を管理しながらその動向に異常がないか監視し、他の兵士たちは自分たちに害を及ぼさないものかどうかを見極めようとしながら遠巻きにする。
それが軍での長命種の扱い。
漣に教えてもらって記章で見分けた二級や三級の異能者たちも、似たり寄ったりの扱いを受けているようだった。
椿が言った通り、護衛官が監視役でもあることや、命令一つで困難な戦いを強いられる任務に従事しなければならないことに抵抗がなければ、衣食住には困らない快適な環境だ。
三ヶ月の間に命じられた任務は、「ドラゴンワームの心臓石を取っておいで」と言った椿に落された砂漠から素材を掴んで生還するより、はるかに楽なものばかりだったし。
今の様子ならなんとか十年、生きていけるかも。
と、思っていたのだが。
◆×◆×◆×◆
「露草。そのお茶、毒入りだよ」
隣のイスの上にちょこんと座った白猫の言葉に、湯呑みへとのばしかけた手を止めた。
お茶は今、男性兵士が回ってきて「どうぞ」と急須からそそがれたばかりのものだ。
彼は顔を上げた私と目が合うよりも速く、持っていた急須から手を放して袖に仕込んだナイフを抜く。
私はその手に襲われるよりも速く、本能的に左手にはめた腕輪型の魔道具へ起動を命じる。
「〈束縛せよ、緑の鎖〉」
陶製の急須が落ちて割れる音が響き、腕輪型の魔道具から高速で伸びた緑の蔦が男性兵士に巻きつく。
その蔦はナイフを握ったまま捕まった彼の首にたどり着くと、容赦なく締め上げた。
「ぐぁっ……!」
全身を拘束されて首を絞められ、男性兵士が床に倒れて苦悶の声をあげる。
私を殺そうとしたのだから、相手は敵だ。
殺される前に“対処”しなければならない。
考えるのでも思うのでもなく、樹海生活で体に馴染んだ防衛本能が目覚め、魔道具の効果を観察しながら「第二、第三の敵はいないか?」と周囲の様子をうかがっている。
「おやめください譲葉少佐! 死んでしまいます!」
私の腕を掴んだ篠田中尉が叫び、そこでようやく理性が本能から手綱を取り返した。
ざわめく周囲の中に他の暗殺者は潜んでいないようだと判断し、なぜか乱れる心に困惑しつつ、魔道具を止める。
篠田中尉は魔道具の束縛を解かれた男の元に駆け寄り、ぐったりとして動かなくなった彼の脈を見ると、生きていることに安堵してから私の方を振り向いた。
その眼差しにこもる嫌悪感を察知して、彼が口を開く前に問う。
「なぜ止めた? 篠田中尉」
「あなたが彼を殺しかけていたからです。……譲葉少佐」
全身で私を拒絶する篠田中尉に、絶句する。
何?
今の、悪いのは私?
「あなたは魔女にしては優しい方だと思っていたのに、何の躊躇もなく人を……」
言いながら声をつまらせた篠田中尉の姿に、思わず深いため息がこぼれた。
今の自分の本能的な行動について、間違いをおかしたとは思わない。
おかしいのは中尉の方だ。
護衛対象である私の自衛行動を非難の口調で止め、精神的に揺らした。
もし相手が魔道具の束縛を乗り切れるほど強かったら、その瞬間に反撃に出られていた可能性もある。
平和な世界で安穏と育った私より、この殺伐とした厳しい世界で育った篠田中尉の方が人道に篤いというのは皮肉なものだ。
徴兵制度があるところなのだから、人道的な兵士がいたとしてもおかしくはないのかもしれないが。
何にしても、彼が私の護衛官に向いていないことはわかった。
そして護衛官の声ひとつで心揺らされるという現状には問題がある、ということもわかった。
今後は私の方からも護衛官に対し、必要以上の影響を受けないよう精神的に距離を置こう。
騒ぎを聞きつけて食堂に駆け込んできた人々の中に、私のもう一人の護衛官、鮫島少尉の姿を見つけたので、ついでにこっちの様子も確認しておくかと声をかけた。
「鮫島少尉。私がいきなり襲ってきた暗殺者を逆に殺しかけていたら、君は止める?」
「周囲が安全な状況であれば止めます、譲葉少佐」
無愛想で鉄面皮な男は淡々と答える。
私はその理由を問う。
「なぜ止める?」
「暗殺者の目的や背景、侵入経路を調べるには、生かしておいた方が得策であると指導されたためです、譲葉少佐」
それなら納得できる。
「うん」と頷いて席を立つと、襲撃者の近くに座り込んだまま、かすかに肩を震わせた護衛官を呼んだ。
「篠田中尉。高原中将のところへ行こうか」
「それは、それは……、この男について報告するためですか?」
「それもあるけど、君の転属願いを出そうと思って」
「わたしを護衛官から外すと?」
そりゃー君、そうしないとマズイだろう。
「なぜですか?」
すこし考えればすぐわかりそうな質問に、面倒だなと思いながらいつもの口調で答えた。
「食事をしている間、君が後ろにいるのは落ち着かないと思うからだよ、篠田中尉」