第十七話「別れの挨拶」
鮫島少尉が入っているのは二人部屋で、同室の人は長期任務中でいないらしく、それは都合が良いと私はにっこり笑った。
部屋に入れるのをしぶる彼を、「たまにはいいでしょ」と強引にまるめこみ、止めようとする手をするりとかわして部屋へ入る。
「グラスある? なかなか上物の葡萄酒なんだよ」
「本気でここで飲むつもりなんですか」
窓辺にあるイスに座って言う私に、鮫島少尉はため息をついて諦め、グラスを二つ持ってきて向かいのイスに座った。
間にある机に肴を置いて、グラスに葡萄酒をつぐ。
「悪いね、押しかけて。でも一度一緒に飲んでみたいと思ってたから、嬉しいよ」
「……それはどうも」
「そんな困った顔しないで、ほら、飲んで飲んで。なかなかおいしいでしょ?」
「……ええ。確かに、味は良いです」
そうして渋面の彼にグラス二杯ほど飲ませてから、私はぽつりと言った。
「ごめんね、鮫島少尉」
「何がですか?」
「今君が飲んでる葡萄酒、睡眠薬入りなの」
一瞬動きを止め、次いで自分の体を見おろしてから、鮫島少尉は私の方を向いて言った。
「何も異常ありませんが」
「うん。ゆっくり効いてきて、ことん、といくものだから。それにしても、君、強いね。もうそろそろ眠気を感じてもいい頃なんだけど、本当に何も感じない?」
「何ともありません。それより、あなたも同じ酒を飲んでいるはずですが?」
「私は魔法薬を無効化する薬を飲んでから来たの。だから何杯飲んでも平気」
深々とため息をつき、鮫島少尉はイスの背にもたれて姿勢をくずした。
「それで? おれに睡眠薬を仕込んで、いったい何をしようというんです?」
リラックスした鮫島少尉は初めて見る。
なんだか新鮮で楽しい。
だけど、これが最初で最後。
「お別れを言いに来た」
鮫島少尉は速攻でつっこんできた。
「何ですか、いきなり。意味がわかりません。もっと具体的に説明してください」
「……うーん。一言で説明するなら、皐月が殺されそうだから逃げるんだよ」
「皐月が殺される? 『エイリー教』の過激派から脅迫状でもきたんですか?」
「『世界樹計画』が中止になったの。棗が知らせてくれた。世界樹の根を殺して若枝たちを全員機能停止に、皆殺しにする予定だそうだよ。担当者への事前通告無しでね」
さすがに鮫島少尉も絶句したが、すぐに立ち直った。
「その話は確かですか?」
「手紙は確かに棗の字だったし、時間がなさそうだからとにかく知らせる、と書いてあった。間違いならそれでいい。でも間違いじゃないなら、何もしないうちに皐月は殺される」
「だから連れて逃げると?」
「そう」
頷くと、怒鳴られた。
「馬鹿ですかあなたは!」
ドンッと机を叩いて立ちあがった彼の怒気に圧倒され、思わず息をのむ。
「だから言ったんだ、感情移入しすぎだと! 『魔導院』の計画によって作られたものを連れて軍から逃げるなど、自殺行為だと理解できないのか?」
「理解はしてるよ。だからお別れを言いに来たの」
「そうじゃない! そもそもどうしてそうなるんだ? あなたが皐月と呼ぶあれは、あなたの子どもではない。たまたま作られて配られた魔法生物が気に入ったからといって、それと心中するのはおかしいだろう」
そうだね。
私、おかしいのかも。
でも、どうしても皐月を見殺しにできない。
「ごめんね、鮫島少尉」
微笑んで言うと、それまでの怒気が抜けて、呆けたような鮫島少尉がどさりとイスに座った。
大きな手で自分の顔を覆い、指の間から低い声で言う。
「もう決めているんですね。おれが何を言っても、あなたはその決定を変える気はない」
「そう。だから、お別れを言いに来たの」
「おれが何を言ってもどうする気もないなら、どうしてそんなことをするんです? おれはたまたま配属された護衛官で、あなたは知らないかもしれないが、ただの捨て駒だ。家族もなく、いつどこで死んでも誰も気にしない」
「そんなことないよ。君が死んだら、私は悲しい」
たぶん、悲しいどころじゃない。
思わず言ったら、鮫島少尉は手を下ろし、真っ直ぐに私を見た。
奇妙に緊張した、数秒の沈黙。
鮫島少尉が訊く。
「教えてください、譲葉少佐。別れを言いに来るのに、先に睡眠薬入りの酒を飲ませたのはなぜです?」
「一言別れの挨拶はしておきたかったけど、その後で私達の脱走を上に報告されたら面倒だなと思って」
「それは理由の一つかもしれませんが、本心ではないでしょう。何年そばにいたと思ってるんですか? その間、おれはずっとあなたを見てきたんです。それくらいわかる。
今から脱走するというのなら、これで最後なんです。正直に、思ったことを言ってください」
自信過剰だと思われそうな考えだから、言いたくなかったんだけど。
眼光鋭い鮫島少尉の顔から視線をはずして、しぶしぶと、つぶやくような声で答える。
「……もしも、一緒に行くって言われたら、困るから」
そんなことはありえないと、わかっている。
ただの私の願望だ。
そんなセリフが鮫島少尉の口から出てくるはずがない。
その、はずだったのに。
「おれのことをよく理解してますね、譲葉少佐」
かすかな微笑みを浮かべて、鮫島少尉がそう言った。