第十二話「世界樹の若枝」
幸か不幸か、『世界樹計画』の第二段階の適正者として、【大和】では私が選ばれた。
近い将来、世界中の砂漠に根を張ってそこに棲む魔物を抑え込むことを期待される“世界樹”の中枢候補、“世界樹の若枝”のうちの一体を育成せよ、と正式に命令が下る。
期間は二年だ。
椿の望みを叶えるにはちょうど良い立場だから歓迎すべきことなのだろうが、私が育てたものが世界中に根を張る植物の中枢になれるとは思えなかったので、その点は「残念です」としか言いようがない。
そして細い糸のような雨が若葉をすべる、初夏の頃。
世界樹の若枝が【大和】へ運ばれてきた。
それはつややかな新緑の色をした髪と濃いエメラルドの瞳を持ち、西洋風の愛らしい顔立ちをした両性具有体の子どもの姿をしていた。
幼いためかまだ言葉は喋れず、人見知りする性格なのか注目されると物影に隠れようとする癖のある、もの静かな子だった。
私は“世界樹の若枝”がなぜ人の姿をしているのか、どんな能力を持っているのか等の情報をまったく与えられず、ただ「定められた期間、この子を育成するように」と言われるのに、『魔導院』の秘密主義の一端を垣間見た。
さすが、「秘密主義者の巣窟」とか「手続きや様子見に時間をかけるばかりで仕事が遅い」とか、「態度も性格も悪い」とか、いろいろと悪評の多い世界的機関だ。
平然と自分達の思考を押し付け、それに対する抗議は「検討しておきます」の一言で流すのに慣れている。
ともかく私は【大和】での担当者として、人の形をした“世界樹の若枝”を引き取って育てることになったのだが、その子はなぜか私にはすぐなついた。
他の都市では担当者になつかず苦心したという話を聞いていたので、不思議に思っていると、漣が当たり前のように言った。
「椿が「私は必要な魂を呼んで、それにぴたりと当てはまる君が降りてきた」って言ってたでしょ。世界樹の若枝がなつきそうな魂っていう条件も入れてたんじゃないの」
あー、なるほど。
しかし、本当に私でいいのだろうか……
やや不安に思うが、命じられた以上はやるしかないのが現状だ。
名前が無いのは不便なので、その子に「皐月」という仮名を付け、私の荷物を宿舎から城砦に与えられた部屋へ移すと、一緒に生活し始めた。
戦闘任務から外され、数日に一回[通路門]の運用任務に当たるだけ、という生活はとても楽だった。
そして私はさらなる楽をするた……、じゃない、人見知りする皐月に社交性をつけるため、特徴的な髪と瞳の色を魔法で無難なものに変え、城砦の外へ連れ出した。
「ほーれ、遊んでおいでー」
にぎやかな表通りの端で走り回って遊ぶ子どもたちの中に放り込み、自分は木陰に座ってひらひら手をふる。
どうすればよいのかわからない様子でおろおろしていた皐月は、私が「ちょっと遊んでやって」と頼んだ女の子に手を引かれ、おずおずと鬼ごっこの中に入った。
たまたま目をつけたその女の子は面倒見の良いタイプで、最初は皐月と手をつないで一緒に逃げたり鬼をやったりしてから、ちょっと慣れたところで手を離した。
しかし皐月はまだ心細かったらしく、一人で鬼になってしまうと途方に暮れた様子でうろうろし始めたので、今日はこれで十分かと思って迎えに行った。
「よく遊べたねー。いい子、いい子」
自分の体へ強化魔法をかけてひょいと抱きあげ、途方に暮れた顔をよしよしと撫でて褒めまくる。
鬼ごっこの鬼を連れて行こうとする私を見て子どもたちが集まってきたので、「おやつに食べて」と乾燥果実の詰まった袋を先ほどの女の子に渡した。
「それじゃ、また明日ねー」
「うん。またあしたー!」
臨時収入ならぬ臨時おやつにありついた子どもたちは喜んで、笑顔で手を振ってくれた。
私は「またねって手を振るんだよ」と教え、意味がわかっているのかいないのか、ともかく一度手を振った皐月を「おー、すごいすごい」と褒めたたえながら城砦へ帰った。
魔物の活性化期が終わり、その間に受けた外壁の損傷の復旧作業が始まっている時期だからか、ただ夏だからか。
都市は明るく、子どもはにぎやかだ。
そして毎日表通りで遊んでいると、皐月は私の名前よりも先に、一番よく面倒を見てくれる女の子の名前を覚えた。
「さや、さーや」
「なあに? さつきちゃん」
今も沙耶というその子と手をつないで、都市の中を流れる小川を泳ぐちいさな魚を指差している。
沙耶は他の子が遊んでいるのに加わらず、皐月の指差すものが何と言うのか答えて、言葉を教えてやってくれた。
「あれはさかなって言うの。さかなよ。さ、か、なー」
「さ、あ、あー」
「そうそう。最初はあってる。さ、か、なー」
「さ、あ、あー」
私は木陰でのんびり寝転がり、そのなごやかな風景を眺めている。
背後に無言で立っている鮫島少尉については、何度「座ったら」と言っても「いいえ」と断るので、もう放置だ。
表通りに軒を連ねる店の人々や、皐月と遊んでくれる子どもたちの親は、護衛官の存在や何やらで、私が軍属の魔女で皐月が「普通の子どもとは違う」ことを察しているようだったが、とくに何も言わず受け入れてくれていた。
というか、時々「肴にどうぞ」と煮物や漬物などをくれたりして、なんだか歓迎な感じで不思議だ。
長命種が集められていてたくさんいる軍では冷たい視線で見られているのに、城砦の外へ出るとあたたかく迎えられるって、いったい何なんだろう?
理由がわからず首を傾げていると、子ども連れの魔女なんて珍しいし、子どもたちがお菓子をもらってなついている人だから、お返しに肴をくれているのでしょうと九条中尉が言った。
何も問題ないならいいんだけど。
そういえば、見た目が優男な彼はご近所の奥さん達に人気で、「ちょっと男手が要るんだけど借りてもいいかい?」とたまに声をかけられる。
私は「どうぞどうぞ」と本人の意見など聞きもせずに貸し出し、後で「ありがとうねぇ、助かったわ」と言いながら差し出される肴を、「いえいえ」と答えながら受け取っておいしくいただいた。
鮫島少尉は顔が多少いかついせいか眼光が鋭いせいか、ケンカ騒動が起きたりした時に「あんたちょっと、軍人さん! さっさと行って止めてちょうだいな!」と駆り出されるくらいで、引っぱって行かれることはなかった。
今日の肴は小間物屋の奥さんがくれたキュウリの漬物。
そしてお酒はにごり酒。
どっちもおいしいなーと堪能しているのを青桐中佐に見つかったりすると、「お前なんも世話してねぇな」と呆れられるのだが、ちゃんと見守ってるんだからいいだろうと思う。
皐月は赤ん坊ではなく自分で食べて動ける子どもの姿で来たのだから、一から十まで手とり足とり世話してやる必要はない。
「くー!」
小川のそばで何を思ったのか顔をあげた皐月が、唐突に私を指差して叫んだ。
くー? く? なに?
意味がわからず首を傾げていると、隣にいた沙耶が頷いた。
「そうそう。つゆくささん。くーさんね」
くーさんか。
なんかどこぞのクマさんの親戚みたいだな。
まあいいけど。
呼ばれたらしいので「ほーい」とひらひら手を振ると、皐月はぱたぱたと走ってきて私の上に飛び乗った。
ぐはっ、と大げさにうめいて痛がるふりをすると、びっくりして起きあがり、おろおろしながら「くー? くー?」と心配してくれる。
その様子を見て何ともないよと笑うと、皐月はちいさな頬をぷくっとふくらませて怒った。
「ごめんごめん、ちょっと遊んだだけだよ」
「くー、や!」
「えー? ヤって言われると傷つくなー」
「んー!」
悲しげな顔をすれば、ふるふると困ったように首を横に振る。
可愛い子どもにしか見えないのに、これが魔法で造りだされた生きものだというのだから、この世界の技術はおそろしい。
私から離れてまた沙耶と手をつなぎ、どこかへ走っていく皐月の背を見ながらふと、誰にともなく祈った。
願わくば、どうか最悪の結果にはなりませんように。