そのご
水都が、メシを食い終わったので、また横にしてから、俺はその隣でメシにありつく。その段階で、おっさん二人は、すっかりと腹が満たされたのか、箸は動きを止めて、だらだらと飲みのほうへ流れているようだ。
「肉は、さすがに余りそうやな。」
俺が食べている加減を観察して、堀内のおっさんは残りの肉を覗きこむ。貢物というたが、「二、三日のうちに、肉とじしてや。」 と、水都に頼んでいる。
「まだ言うか? 」
「それが目的やねんから当たり前や。それより、一杯付き合えへんか? 」
「いらん。・・・・花月、あれとって。」
「ああ、すまん。」
水都の指さしているのは、タバコだ。満腹になると、一服したくなるのは、俺も一緒だ。灰皿とタバコとライターを渡したら、すぐに、ぷかぁーと紫煙が横からあがってくる。それを見てから、俺は、残りのすき焼きに手を出す。
「ほんま、おまえら、熟年夫婦のノリやな? 」
呆れたように、沢野は呟いているが、顔は笑っている。〆は、うどんやと叫んでいたが、そこまでは入らない。冷蔵庫に、残っている食材は、かなりあるので、我が家としては有難いことだ。
明日は、これに、うどんをいれて晩メシにするかと考える。どうせ、水都は、量は食べないから、残りで十分だ。
「花月、寝るわ。」
「おう。」
タバコを吸い終わると、緩々と立ち上がって寝室へ消えた。ここに、水都がいれば、おっさんたちも引き上げないだろうと思ってのことだと、俺は気づいていたから、来客を置き去りにすることを注意しなかった。正直、俺も眠い。そろそろ引き上げてくれないだろうか、と、おっさん二人を見たが、気にする様子もなく飲んでいる。
「話はついたんやったら帰ってくれへんか? 」
「せやな。おまえの面を見て飲んだら、悪夢を見そうや。」
「しかし、バクダン小僧も十年で一丁前になるもんや。」
「おっさん、それ、禁句やから。」
結局、だらだらと俺が食い終わるまで、おっさんたちは俺に付き合ってから帰って行った。片付けをして、水都の布団に潜り込む。人肌で温まった布団で、ほっと息を吐く。
「帰ったか? 」
「うん。」
「すまんな、あのおっさんらだけは、何を言うてもあかんねん。」
「あはははは・・・・まあ、ええんちがうか。気にしてるから、顔出ししたんやろ? 」
「半分はそれ、半分は釘刺しや。」
「戻るんか? 」
「ああ、戻らんとあかんらしいわ。」
「でも、前と一緒やったら夜逃げするから。」
俺が、そう言うと、水都は大笑いして、「せやな。」 と、頷いた。仕事のことは、俺にはわからないが、それなりの決着はつけたらしい。
「いつまでや? 」
「来月の中旬まではリフレッシュ休暇やねんて。」
「ふーん・・・・土日で旅行・・・・・行こうや。」
「その話は明日な。おやすみ、花月。」
やっぱり疲れていたらしく俺は、風呂にも入らず、そのまんま失神するように眠った。今度から、やるなら土曜日にしようと反省した。
一日、身体を、五月蝿いおっさんらがおったとはいえ、曲がりなりにも休められた俺は、どうにか、次の朝は動けるようにはなっていた。だが、まだ、なんだか、腰がぴきっとクるので、大人しく動いている。昨日は、早めに寝たので、朝は、いつもより早起きになった。
対して、太陽が黄色くなるほどの疲労で、一日仕事をして、帰宅してからも、五月蝿いおっさんに小突き回されていた俺の旦那は、起床時間になっても沈没していた。
・・・・まあ、それで、清々しく起きてきたら、『化け物』と、俺は賞賛したるけどな・・・・・・
卵をナタネにして、それを弁当の上に置く。昨日の肉を細かくしたのも、ちょっと醤油で味付けして炒めて、それも配置すると、二色のそぼろ弁当になった。
・・・・えーっと、後は、端っこに梅干を埋めて・・・ほんで、おかずか・・・・・
昨日の残りの春菊をお湯に潜らせて、ポン酢で合えて絞る。それから、煮豆と、おかずも、とりあえず入れて弁当らしくなった。弁当なんて作ったことがないから、勝手がわからなくて時間がかかった。気づいたら、そろそろ花月の出勤時間だ。
ゆっくりと沈没している花月の側まで行って、耳元で怒鳴った。これが一番効果的な起こし方である。
「花月っっ、そろそろ起きや。シャワー浴びてメシ食わなあかんから、ギリギリやで。」
ああ、もう、大声出すのにも腰は使われるということを、こういう時に実感する。叫ぶと、ぴきっとクるのだ、俺の腰。
うごうごとして、はっと時計の数字に気づいた花月が飛び上がる。すぐさま風呂場へ走って行った。低血圧の俺なら、確実に、あの段階で立ち眩みで倒れているはずだが、健康な旦那は、そのまんま行動している。ああいうところは、羨ましいところだ。
シャワーを浴びている間に、食パンを焼いて、カップスープを作った。さすがに、サラダまでは無理で、風呂場から、また走ってきた花月は、食パンを齧りながら、頭を拭いている。
「うーーーーー」
「ああ? ああ、後で食うから。ほら、後十分やで? 」
ひげをそりつつ、パンを食うというのは、どういう所業だろう、と、俺は、それをノンビリと観察していた。それで、さらに、俺に、「朝メシを食え」 とか注意までしているのだ。ある意味、聖徳太子並にすごいかもしれない。ごくごくとスープで、パンを飲み込むと、自室へ着替えに行った。パンイチで走り回っていて寒いと感じる間もなかった様子だ。
「ごめん、昼飯。」
スーツを着た花月が玄関へ行く前に、そう言って謝った。弁当ができなかったことを謝っている。
「ええねん、たまに、マクドでも食うてくるから。」
そして、弁当箱を差し出したら、ものすごい顔をされてしまった。それは驚いているのか怯えているのか、どっちなんや? という形相だった。
「おま、これ。」
「俺のお初やからな。期待はせんほうがええで。」
「水都、愛してるでーーー」
「朝からボケかましてんと、さっさと仕事に行けっっ。」
いつもなら、ここで蹴りを見舞うのだが、足があがらない。いや、あがるだろうが、ぴきでは済まなくなるので、やめた。
やめたら、花月に朝からチュウされてしまったが、まあ、たまにはいいやろう。旦那のやる気を出させるのも嫁の仕事っちゃー仕事やし。
「やれやれ、今日は、ごはん食べんでもええわ。あーーー気分的に楽やなあ。」
毎日毎日、作られていた弁当は、主に俺のために作成されていた。で、まあ、逆転の発想をすると、俺が作れば、俺の分は作らなくて良くて、さらに、花月が喜ぶということになる。
「毎日は無理やけど、家におる間は、なるべく作ってみようかな。」
一石二鳥なので、この案は採用だ。洗濯機のボタンを、ぽちっと押して、俺は、やでやでとこたつで解けた。
弁当の蓋を開けるのが、こんなに楽しみだったことが、過去あっただろうか、いや、ないって、小学校の遠足以上にときめいてるしっっ、と、昼休みまで、ニタニタと顔を緩ませて過ごした。
そして、重大なことに気づいたのは、弁当の蓋を開けた、その瞬間だ。
「ああっ、そうか・・・・あのあほーーーっっ。」
思わず叫んで、食堂で隣りに座っていた御堂筋に後ろ頭をはたかれた。
「大声出すなやっっ、吉本。・・・・あのな、愛妻弁当が嬉しいんはわかるけど、わかるけど騒ぐな。」
「いや、そーやなくて・・・しもたわ、下手こいてもた。あいつ、絶対に朝昼抜きで、ごろごろしとるわ。」
「はあ? 」
俺の分だけを製作したのだから、あいつの分はない。マクドでも食うとは言うたけど、わざわざ出歩くとも思えない。うっかりしていたが、あいつ、腰をいわしている。
「あーもー、今日、早速帰って説教せな。」
「ええ? 待て待て、吉本。弁当作ってくれた相手に説教て、どうなんよ? 」
で、まあ、蓋を開けた弁当が二色そぼろという、可愛いものだったので、とりあえず、無言で食い始める。それを見て、御堂筋も、やれやれと本日のランチに手を出した。
・・・・うまいやんけ・・・・・・
そぼろ部分は、ちゃんと濃い味付けになっていて、白メシのおかずになっていた。後はあっさりとした春菊とか煮マメが配置されていてバランスも取れている。
・・・・しかし、あいつ、容赦のない・・・・・
このひき肉状になっている肉は、昨日の肉だ。特上のすき焼き肉を、ひき肉にするセンスは、俺の嫁にしかないだろう。
「なあ、御堂筋、今頃、一泊やったら、どこへ行く? 」
食い終わってから、俺は、昨日の話を思い出した。今月中旬までというなら、今週と来週くらいは、まだ大丈夫のはずだ。
帰りに、旅行パンフを、あっちこっちから取って来た。それを、かばんから取り出したら、俺の嫁は目を丸くした。
「舞台は、普段じゃないほうがええなあ、と、思って。」
「ああ? 旅行で舞台って何? 」
昨日の残りに、肉と野菜を足してうどんも足した。それを、台所で、俺の嫁が煮ている。どうにか動けるようにはなったらしいが、まだ、なんかぎこちない動きで振り向く。
「弁当食わへんだら、一人えっち公開。」
「ああ? ないもんは食えへん。」
「どあほ、その煮てるやつとうどんで昼飯になったやろ? なんで、晩メシになっとんねん?」
「マクド食うたから。」
「ふーん、領収書は? 」
「え? 」
「マクドの領収書もしくは、本日、外出した証拠は? 」
「ない。でも、出た。」
「どこのマクドや? 駅前か? 」
「うん。」
「・・・・・あのな、水都。そんな歩き方で行けると思うんか? ひょこひょこと歩いて、メシ食いに行くなんてことは、おまえに関してはあらへんと断言できるわ。」
空腹だったら、砂糖入りのコーヒーを飲む。俺の嫁は、そういう人なんで、わざわざメシを食うために外出なんてしない。ましてや、腰の具合がおかしくて、ゆっくりしか歩けない状態なら寝ていようと考える。そういう人間だ。で、まあ、十年も夫夫もどきなんかやっていると、嘘つきやがっても、すぐに判る。うーと唸りつつ、俺の嫁は視線を逸らした。
「メシを食わへんかったら、ひとりえっち公開って言うたよな? それで、普通にしても、おもろないから、どっかの旅館でやっていただこうと思うたわけよ? 部屋に露天風呂ついてるとこにしやへんか? 」
「それは、あれか? その露天風呂でやれってことか? 」
「そうそう、なんか情緒あってええやん。たまに、そういう色っぽいこともしとかんと。どうせやったら、城崎でカニとかどうや? そろそろ、シーズン終わるし。」
「なんで、俺の旦那は、こんなあほやねんやろう。」
憐れむような目で俺を見て、俺の嫁は溜息を吐いた。旅行は確定だ。嫁が反対するわけがない。
「ほな、メシ食いながら行き先を決めようや。」
「俺、カニ尽くしとかいややで。」
「わかってるって、懐石風の料理に単品でカニ追加とかにする。」
うどんの入ったすき焼きを食べつつ、俺らは、週末の旅行について、いろいろとパンフを漁った。結論は出なかったが、俺の行きたいところでいいと、嫁が言うので、御堂筋に少し相談してみようと思った。できたら、ミステリーツアーで、嫁には行き先を知らせない方向でいきたい。
それほど、俺の手料理というものは貴重だっただろうか。ふと考えて、そういや俺の旦那と同居するまで、料理といえば、「カップラーメンに湯を入れる」だったことを思い出した。 同居して、俺の旦那が作るものを観察して、自分でもできそうなことをやりだしたら、俺の旦那は泣きださんばかりに喜んだから、それからちまちまと料理を覚えたのだ。
つまり、堀内のおっさんとつるんでいた頃は、俺の内に手料理というカテゴリーは存在しておらず、さらに、花月と同居してからは、堀内が転勤してしまったこともあって、つるむことがなくなっていた。
「なるほど。」
「何が、『なるほど』や? みっちゃん。」
あんたは、この家の人間か? と、ツッコミたくなるほど、堂に入った態度で堀内は、こたつで寛いでいる。持ってきた書類に目を通し、何件か電話した後、おっさんは新聞を眺めていたのだ。
「俺の手料理の貴重さが、わかった。」
「貴重やろ? わし、見たことあらへんだんやから。」
「せやな。同居してから、じわじわと覚えたわ。」
「花月のガキが、あんなに料理できんのも知らんかったしな。」
「花月は、会うた時から自炊やったで。そのほうが食事代が安いからやって。」
学生時代、花月は学費と家賃については親に頼っていたが、後は、ほとんど、バイトで賄っていた。自炊のほうが栄養バランスがよくて安価であることを、俺に説明してくれたし、俺の分も作ってくれていた。
「ようできたヤツやで、あれは。」
しみじみと、堀内が呟く。
「うん、俺も、よう、あんなんが俺の旦那になりよったと思うわ。」
俺も、卵を撹拌させつつ呟いた。どこもかしこも、まともで真っ当な人間であるはずの花月が、男の俺を嫁に貰った。理由は、「なんぼやっても孕まないから。」と「少し壊れているから」 だった。今でも、よくわからない理由だが、当人は、離婚するつもりはないらしく、今でも毎日、ここへ帰ってくる。
「いやまあ、割れ鍋に綴じ蓋っちゅーか、なんちゅーかやなあ。」
「そういうもんやろうか? あいつ、元々はホモやないはずやけどなあ。・・・そこ、片してくれるか? おっさん。うどんでけたで。」
「おう、すまんすまん。おまえ、運べるんか? 」
まだ、腰に違和感はあるのだが、まあ、うどんぐらいは運べる。いつものように花月によって作成されていた弁当と、朝メシを運び、やれやれと俺もこたつに落ち着く。
きっちりと気付きやがった俺の旦那は、朝から、ちまちまと俺の弁当を作成した。で、俺のほうは、旦那の弁当を作成した。ということで、内容物は同じだが、どのような配分であるかは、お互いに内緒で作った。
堀内のおっさんが、肉とじうどんを作れと、昼前に押しかけてきたので、その弁当は結局、おっさんの前にあったりする。パカンと、蓋を開けて、おっさんが、へなへなと萎れた。
「ん? 」
その様子に、俺も弁当を見て、ものすごく気分が萎えた。ピンクのでんぶで、ハートが描かれていたのだ。
・・・・ほんまにあほやな、あいつ・・・・・
わざわざ、でんぶまで買ってきて作ったのだから、その努力には頭が下がるのだが、それが三十を越えた俺の弁当ということに、疑問はないのだろうか、と、思う。
「・・・・みっちゃん・・・・」
「なんや? 」
「これしかないんか? 」
堀内は情けないという顔で、弁当を俺に向ける。
「あらへんで。後は、このパンやから。うどんとパンはあかんやろう。」
「・・・あいつ・・・ほんまに、あほやな? 」
「あほやなかったら、俺なんか嫁に貰わへんと思うで。」
せやな、と、言いつつ、おっさんは、無言で弁当に箸をつけた。
ピンクのハートが飾られた弁当なんてもんは、テレビドラマの世界だけだと思っていたので、実物が現れた時は絶句した。それも作ったのが、女子高生とか若いOLとかいうなら、わしも驚かなかったかもしれない。
作ったのは、三十を越えたクソガキで、食べさせる相手も三十を越えたボケガキというのが、非常に不愉快な事実だ。十年も生活していて、まだ、そんな甘ったるいことをするのか、あのクソガキの頭を分析してもらいたいと思う。それも愛想の欠片も何もないボケガキが、それで喜んでいる節はない。目の前で、もそもそと食パンを食っている水都は、半分義務で食べているような生き物だ。愛情をかけた弁当というもの自体を認識しているかどうかが怪しい。
「これ、毎日、作ってもらっとんのか? みっちゃん。」
「おう、そうやで。俺は、そんなに食われへんって言うんやけど、やめるつもりはないらしい。」
へんっっと鼻息で面倒だと現して、ベーコンを噛んでいるところを見ると、やはり弁当を作って貰えることについての感慨なんてものは感じられない。だが、文句を吐きつつも食事しているわけだから、十年で、そういう躾けはされたということだろう。
「来週の木曜日の予定はあるか? 」
「いいや。」
「ほな、空けといてくれ。朝のうちに迎えに来るから、スーツで待機しといてや。」
「わかった。」
クビは認められないと言うたので、大人しく頷いた。いや、納得がいかないとなれば、逃げるだろうが、それをさせるつもりはない。
「お昼おごったるからな。」
「ああ、せやせや。これ、沢野のおっさんに叩き返しといてくれ。」
唐突に思い出したのか、自分の背後のチェストから、クリップで留められた札を、水都が差し出した。
「なんや、この金? 」
「沢野のおっさんが、「ソープに行け」、言うてくれた。あのおっさんから金なんか貰うと碌なことあらへん。」
「それは賢明な判断や。」
それを受け取って胸ポケットにしまったら、追い討ちをかけるように、メモ用紙とサインペンを渡された。さすがに、わしの教育は息づいているな、と、苦笑して、そこに、「金五萬円受領」 と、書いてサインした後に、つき返し、うどんをすする。インスタントの出汁で作られているが、ちゃんと味付けされていて、肉とじうどんは美味い。
「みっちゃんの作ったうどんが食べられるなんてなあ。」
「いや、それぐらいは作れるから。」
「他は、何ができんねん? 」
「簡単な煮物とかぐらいはできるけどなあ。花月のほうが上手や。」
年季が違うからなあーと、水都は楽しそうに笑いつつ、野菜スープを飲んでいる。それらは、全てバクダン小僧が作ったものだ。
「花月のあほは、おまえの作ったもんのほうが美味いとかぬかしとるんちゃうか? 」
「そうやねん、あいつ、味覚おかしいで。」
いや、おまえらが幸せやったら、ええねんけど、目一杯に惚気るのは勘弁してくれ、と、堀内は内心でツッコむ。