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だうん  作者: 篠義
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そのよん

 元々、その計画は出来上がっていたので、さほど問題はない。場所とシステムさえ移行できれば、人員は、すでに確保してある。

「どないすんのや? 」

 メシを食いつつ、その計画についての細部を沢野と詰めているのだが、それではないほうについての質問を受けた。

「何がですやろ? 沢野さん。」

「とぼけてもあかんで、堀内。どうせ、えげつないことするつもりやろ? 」

 まあ、長いこと一緒に働いている間柄だ。こちらが、やろうとすることも薄々は気づいているのだろう。そして、この男は、それを見越しているのに、確認だけはする。

「いつもの通りにさせてもらいます。ただし、今度は売り払いますけどな。」

「それ、みっちゃんの耳に入ってもええんかい? 」

「はははは・・・・あれが、心優しくなんのは、あのクソバクダン小僧のためだけや。それ以外は、なんの感情もあらへんがな。」

 別に、今までも隠したことはない。戒めるためでもあったが、はっきりと教えてあるし、堕ちて行く人間の経緯を見張らせていたこともある。それでも、顔色ひとつ変えたことはない。

「しかし、わしは驚いたわ。久しぶりに会うたら、えらい表情豊かになっとった。」

 沢野は本社勤務になってからは、ほとんど顔を合わせていない。あの頃の水都は、表情も乏しくて栄養失調で顔色も悪かった。

「そら、あんた、十年もかけてな、せっせと、あれを世話したあほの成果っちゅーもんやろ? ・・・・・色気まで出させよるやなんて思わなんだで。」

 うっすらと頬を染めて微笑む水都など、見られるとは堀内だって思わなかったし、「花月のために、もうちょっとゆとりのある仕事をしたい。」 と、言い出すとも思わなかった。

 十年は長いようで短い時間だ。自分が関わっていた高校生の水都は変化しなかったが、大学生の水都は、花月と関わって劇的に変化した。それを悔しいというよりも、寂しいと思うのが親心というものだ。

「あれはあかんで、堀内。みっちゃんは、梃子でも動かんやろう。」

「わかってるて。せやから、関西統括を組むことになったんやないか。」

 水都が、絶対に動かないと言うなら、関西だけでも任せてしまおうと堀内も沢野も考えた。堀内が仕事を完璧に教え込んであるから、今更、その重圧で潰れることはない。そして、今更、欲に目が眩むなんてこともないだろう。本社では、すでに東海と中部は、統括した部門がある。本来は、本社で、関西も統括するのが筋だが、その責任者が動きたくないというなら、こちらでやってもらえば済むことだ。それに、重要な手駒である水都の地位も、少し上げておきたいという心積もりもある。自分たちが信頼して仕事を任せられる手駒の地位が、今までは低すぎた。それというのも、水都が昇進に興味も野心もなかったからだ。だが、それでは、堀内が困る。専務の子飼いの部下が、ただの平社員では、発言権もないからだ。

 昔のように郵便とFAXと電話だけでのやりとりではないから、インフラさえ整えば、どこで指示を出していても問題にはならない。

「しかし、みっちゃんも強情やな? まあ、それやから、仕事を任せられるんやけどな。」

 強面の沢野や堀内にも、怯えて竦むなんてことはない。はっきりと物を言う水都は、貴重な手ゴマだと、沢野も考えている。だからこその遠征だった。たぶん、水都が辞めたとわかったら、同業種のものが確保しにくることはわかっていた。こちらの手の内を全て知っている年若い水都なら、情報も引き出せるし、即戦力てして申し分ない。そして、金に興味がない。こんな有難い性質の人間を、放置しておくはずがない。どこの企業も、資金運用の人間の選択には苦労している。履歴書や興信所の調査でわかるのは、過去のことだけだ。だから、その人間の本質なんてものを見極めるのが難しい。目の前に金が転がっていれば、どうなるのかということは、なかなかわからないものだ。それが、勤続足掛け十五年で、一度も前借をしたことのない経理がいるとわかれば、どこの企業だって欲しがるというものだ。

「みっちゃんは、動かへんって言うたやろ? あいつ、ああいうとこは計算しよるからな。有給分は、ゆっくりしとるはずや。」

「ああ、そんな感じやったわ。わし、メシに誘たんやけど、お昼ごちそうしてもろた。みっちゃん手作りの卵とじうどんと、バクダン小僧の手作り弁当をよばれたわ。はははは。ああやってたら、みっちゃんも普通の若いもんと変わらへんなあ。」

「え? おいおい、沢野さん、何してくれてんねんっっ。」

 沢野が、思い出し笑いをして、聞き捨てならないことを言い出したので、堀内は立ち上がらんばかりの勢いで詰め寄った。

「未だ嘗て、みっちゃんの手作りなんて、わし食うたことあらへんぞっっ。あんだけ貢がせといて、その恩恵を、沢野さんが横取りって、どういうことや? あー? 」

「そこか? 堀内。たかだか、うどんで、その態度か? 」

「当たり前や、あいつは、料理なんてすることあらへんかったんやっっ。なんでやーーーみっちゃんっっ。パトロンは俺やるんぞぉぉぉぉ。」

「堀内も行ってきたらええがな。どうせ、しばらくは、こっちにおんねんから。なかなか手際ようしてくれたで。」

 凄んで叫んだところで、沢野も慣れたものだ。いけしゃあしゃあと言い放ち、冷酒をくいっとあおって笑っている。沢野は、関西統括部門のためだけに動いているが、堀内は、少し私情が入っている。十五年も育てた子飼いの水都は、もはや身内の気分であるから、堀内も、いろいろと水都にだけは甘い。今回も、本社へ移動させるべきところを、関西へ統括部門を作ることにしたのは、動かない水都のためだからだ。







 「すまん。悪かった。」 と、いう言葉が聞こえたが、怒鳴り返す気力がなくて無視した。日曜の午後から、同居人がもよおしたらしく、いきなり始めてしまったのは、別にかまわないのだが、何か興が乗ったらしく何時間も耐久レースのようなことをやられてしまい、こっちの腰が壊れた。そろそろ若くもないので回復が遅い。

 朝になっても、動くのが難しいというのは、どうなんだ? という状態だ。専業主夫だから、取り立てて急ぐことはないが、これだと、トイレに行くのも辛いもんがある。

 朝から、トイレまで運んでもらい、ついでに、食事もさせてもらったから、当座は寝ているしかない状態だ。


・・・・あれか、沢野のおっさんか? 原因は・・・・・


 怒りの琴線に触れたとしたら、沢野のおっさんの来訪だろう。元の職場からの復帰要請が気に食わなかったのか、はたまた、余所の男が、ここに来たことが気に食わへんのか、どちらかは判らないが、まあ、そんなところだ。


・・・・沢野のおっさんで、あれやったら、堀内のおっさんが来たら・・・俺、やり殺されるんやないやろか・・・・・


 そんなことを、つらつらと考えては、眠り、また、考えてと、自堕落なことを繰り返していたら、呼び鈴の音がした。それから、枕元に置かれていた携帯が震える。相手は、堀内だったのが、笑える。噂なんてするもんじゃない。

「「おい、みっちゃん、家におるんやろ? 」」

 開口一番が、これだ。名乗りもしなければ、挨拶も、もしもしもない。いきなり、叫んでいるあたりが、堀内のおっさんらしいところだ。

「おることはおるけど、何の用や? 」

 だから、俺のほうも、そのまんま切り返す。

「肉とじうどん作ってくれ。肉は持ってきた。」

「はあ? 」

「沢野に、卵とじうどんしたったんやろ? そしたら、わしは、その上を作ってもらわんとあかん。」

「何があかんって? ていうか、なんで、あんたらに、うどんなんかしたらなあかんねんっっ。」

「おまえの手料理なんて貴重すぎるからやっっ。とっとと、ここを開けさらさんと、騒ぎ立てるぞ。」

 このおっさんは、やる。いくら、人の少ないだろうウィークデーといえど、騒げば近所に迷惑になる。

「ちょっと待っとけ。」 と、叫んで携帯は切ったものの、すぐに走れるわけはない。朝よりはマシだが、ガクガクの腰で歩くというのは、かなりしんどいものだ。えっちらほっちらと玄関まで辿り着き、鍵を開けて座りこんだと同時に、傍若無人な堀内が入ってきた。座りこんだ俺を見て、びっくりしたように、その前にしゃがみこむ。

「具合悪いんか? みっちゃん? 」

「・・・・悪いやろ・・・・どう見ても・・・俺・・・・メシなんか、よう作らへんで・・・・」

 とりあえず、追い返すつもりで、余計に具合悪そうに装ったら、「病院は? 救急車か? 」 と、騒がれる。なぜ、俺の知り合いは、誰も彼も、こう五月蝿いんだろうと、息を吐いた。

「寝てたら治るから帰ってくれ。話は後日でええ。」

「食欲は? 」

「あんまない。」

「あほは? 」

「仕事に決まってるやろ。月曜日やぞ。」

 わかった、と、堀内は立ち上がって、玄関から出て行った。よしよし、と、俺は、そのまんま廊下に横になった。座っている格好が、すでに辛かったりするのだ。しばらく休んだら、匍匐前進で戻ろうと思っていたら、また、扉が開いた。

「おいっっ、みっちゃんっっ。こんなとこで寝るなっっ。どこや? 寝室はどこなんやっっ? 」


・・・・あーもー腹に力が入ったら、シバキたおしたんねけどなーーくそー・・・・


 殴る体力だけ回復してくれへんかなーと、俺は文句を吐きつつ、おっさんの肩を借りて寝室に戻った。そして、おっさんのとんでもない言葉に、余計に疲れた気がした。

「食欲なくても食べなあかんから、沢野にあっさりしたもん運ばせたからな。食べるんやで? 」


・・・・え?・・・・・・


「肉は冷蔵庫に入れとくから、明日また来るわ。いや、晩メシにすきやきしてもらおうか、あのあほにな。」


・・・・うわぁーやめてくれーーー・・・・・俺、花月にやり殺される・・・・・・


 携帯で、「糸こんと春菊と白菜、それから、ごぼうやろ? あと、すきやき麩と、うどんや。ああ? 〆はうどんに決まっとるやろーがっっ。何? 卵とじ? どあほっっ、それは朝じゃ朝っっ。」 と、沢野とすきやきについて討論している堀内のおっさんを眺めつつ、「なんでもええから、こいつを夕方までに帰らせくれ。」 と、八百万の神様にお願いしてみたが、効くわけはないだろう。 





・・・・・太陽が黄色い・・・・土曜にやりゃよかった・・・・・


 月曜日の朝、俺は激しく後悔したものの、仕事には出勤した。さすがに、太陽が黄色いという理由で、仕事を休むわけにはいかなかったからだ。

 迷っているということは、戻っても良いと考えている。当人は気づいてないのだが、やっぱり古巣は楽なんだろう。

 それを考えたら、なんかムカついた。人生投げかけている俺の嫁は、それで自分の身体に無理があっても、わからないというのが、ミソだ。何かあっても、当人は気づかないままで、ぶっ倒れていることだろう。それを気にしてくれる職場なら、俺は構わないのだが、今のところは、それこそ、倒れたまんま放置されていそうで、イヤだ。それを口で説明しても、俺の嫁にはわからない。それが腹立たしくなって、ものすごくえげつない方法でストレスを解消した。久しぶりに、無茶をしたという自覚はある。ついでに、久しぶりに俺の嫁を介護老人にしてしまった。

 起き上がる以前の状態だったから、下手すると熱も出しているかもしれない。今日は、うどんかおじやくらいしか食えないだろうな、と、それについても反省した。いくら専業主夫とはいえ、寝たきりにさせたのは申し訳ない。


・・・・・堀内のおっさんが、迎えに来るんなら、その時に、はっきり確認させてもらうしかないよな・・・・・


 長年付き合いのある堀内には、俺も言いたいことが言えるし、俺の嫁のことも、よく知っているから、状況を説明しやすいだろう。






 うだうだとしつつ、どうにか通常勤務をこなして、帰宅した。うどんは、家に冷凍があるので、それで済ますつもりだ。

「ただいまぁー」

 出て来るわけがないので、ぼそっと呟いて玄関開けたら、いきなり絶句した。賑やかな声とテレビの音が聞こえていた。玄関を締めた音に反応して、足音が近づいてきた。

「おお、遅かったやないか。」

「なっなんで? 」

「おお、バクダン小僧も、立派になっとるやないか。」

「あんた、誰や? 」

 ふたりのおっさんが居間からやってきて、俺の前に立った。片方はいい。知り合いだし、話をしようと思っていた相手だ。だが、もう一方のずんぐりむっくりしたおっさんは、俺の記憶にはない。

「わし? わし、沢野のおっちゃん。みっちゃんの上司や。和菓子は食うたか? バクダン小僧。」

「あーーー先週来たおっさんかぁーっっ。」

「そうそう、みっちゃんが具合が悪いっていうから見舞いにこさせてもろた。あかんで、熱もあるやないか。」

 なんで、玄関先で俺は、見ず知らずのおっさんから小言を言われなあかんねんと思い、そのまんま無視するように、居間へ向かった。

 そこには、ぐったりしている俺の嫁がこたつに転がっていた。

「すまん、あいつら、帰りよらへんねん。」

 見たこともない厚手の毛布に包まれて、片手で拝む様にして俺の嫁は、軽く頭を下げた。ついでに、こたつの上には、うちにあるはずのない卓上コンロと鉄鍋がある。

「熱あんねんて? 」

「たいしたことない。それより、あれ、メシ食うて帰るって言うて居座ってるんや。」

「はあ? なんで? 」

 そして、嫁の説明を聞いて、脱力した。俺の嫁の作るメシ食いたさに、騒ぎになっているというのが、ほんと、おかしい。

「ごめんな、花月。」

 本当に申し訳なさそうな顔をしている俺の嫁を見たら、やっぱり何も言えない。こいつのことだから、帰そうとはしただろう。具合が悪いのに、そんなことしていたとしたら、そりゃ熱も出るというものだ。

「まあ、材料があるんやったら作ったるわ。」

「すまん。」

「おまえは食えるんか? 」

「ちょっとぐらいなら。」

「わかった。お粥さんしたるから。」

 すき焼きなら野菜も入っているし、卵で食べるから栄養はあるだろう。タダの材料なら容赦なく使ってやろうと立ち上がったら、居間の入り口にふたりのおっさんがニヤニヤしながら立っていた。






「何をさらしよるんじゃ、このボケっっ。」

「じゃかましいっっ。うちの家では、どんな酒も料理に使うんじゃっっ。」

 こたつの上にあるすきやき鍋の前で、花月と堀内のおっさんが喧嘩しながらも、すき焼きを作成している。うちの家は、日本酒なんてものは飲まないので、どんなものでも料理酒となるのだが、堀内が持ってきたのは、おそらく値段の張るやつだろうから怒るのは無理もない。

 で、まあ、取り成してくれればいいのに、沢野のおっさんは楽しそうに、それを肴にしつつ、勝手にお湯割りの焼酎を飲んでいたりする。


・・・・もう、ほんま、あんたら、自由すぎるやろ・・・・・


 俺が、これぐらい弱っているということは、俺の旦那も、同様に弱っているわけで、今日は、さっさと寝るつもりで帰って来ただろうから、接待なんてさせて、ほんま申し訳ないと思う。とはいえ、俺は長いことは立ってられへん状況なので手伝うことができない。






 沢野のおっさんがやってきたのは、小一時間ほどしてからだった。転勤して五年以上経っているとはいえ、昔から、こっちで、ぶいぶい言わせてたおっさんやから、知り合いのとこで、料理を用意させたらしい。紙袋からタッパーを引っ張り出して、「レンジで温めてや。」 と、堀内のおっさんに差し出している。

「みっちゃん、ふぐぞうすいやったら食べられるやろ? 」

「また、そんな高そうなもんを・・・・・・それ、温めんとくれ。」

 徹底的な猫舌の俺は、湯気の出るものは苦手だ。まだ、冷めているほうがマシというものだ。それを知っている堀内も、そのまんま、そのタッパーを渡してくれた。

「堀内、わしらのもあるで。」

 当たり前やろうと言いつつ、堀内のおっさんも弁当を渡されて、それを開いた。ご丁寧にお茶まであるのが、さすがというところだ。

「この間は、元気そうやったけどなあ。風邪か? 」

「まあ、そんなとこやろ。」

「しかし、おまえも律儀ななあ。言うて、すぐに来てるとは思わへんかった。」

 だが、この様子では料理なんてできないだろうと、沢野のおっさんも、よしゃいいのに、余計なことを言う。

「せやから、あのあほにすき焼きしてもらおうと思たわけや。材料は買おて、来てくれたんやろな? 」

「もちろんや。酒も用意したし、わしも参加させてもらうで。」


・・・・・いや、あんたら、大概にせいよ・・・・・


 俺は、沢野のおっさんの言葉に喉を詰まらせた。堀内だけでも、性質が悪いのに、さらに、沢野までおられたら、俺、監禁されるに違いない。

「ぐふっげほっ・・・・おい、おっさんら・・・・」

「まあ、しゃーないか。材料そっち持ちやしなあ。」

「おい、堀内のおっさんっっ、勝手に決めんなっっ。」

「ありゃ? みっちゃん、顔赤いで熱あんのと違うか? 」

 咽ている俺を見て、沢野のおっさんは、すちゃりと携帯を取り出して、「風邪薬と毛布とテンピュール枕持ってこい。」 とか叫んでいる。ついでとばかりに、堀内が、「それから、ビール一ダース追加じゃっっ。」 と、沢野の携帯に叫んでいる。

 人の話をきかないおっさんたちは、ほんま性質が悪い。メシを食い終わる頃に、風邪薬と毛布となんちゃら枕とビール一ダースが届いた。

「とりあえず、熱やったら、これで治まる。・・・・おい、堀内、宴会は何時からや? 」

「せやなあ、七時かそこいらやろう。」

「ほな、わし、用事片してから、もっかい来るわ。・・・・みっちゃん、アイスクリンでも買おうてきたるからな。大人しいしときや。」

「もう、来んでええ。」

「つれないこといいなや。久しぶりにバクダン小僧の顔も見たいがな。」

 あはははは、と、笑い、沢野は出て行った。堀内が出て行ったら、鍵をかけておこうと思っていた。食べ終わったものを片付けて、堀内が部屋を出たので、また、えっちらおっちらと部屋の外へ顔を出したら、こたつに寝転がっている堀内がいた。


・・・・え?・・・・


「仕事は? おっさん。」

「なんや、みっちゃん、寂しなったんか? 」

「ちゃうがな。おっさんかて仕事あるやろ? 」

「わしの仕事は、待機。今、絶好調で、ツボやからな。くくくくくくく・・・・・あれは売るで。」

 堀内の言葉は、わかりにくいように喋っているが、長年付き合えば、それが意味しているものはわかる。たぶん、店長たちは、店の金に手を出した。というか、出すように唆されたに違いない。売るというのは、穴を開けた金の代わりに、闇金から本人名義で借金をさせて返済させることを指している。返済方法は、様々だ。マグロ漁船に乗せられるという比較的温厚なものから、臓器売買、戸籍売買、借金の額によって、それらは変わってくる。売るというのは、本人を売るという意味なのだ。

「俺には関係ない。」

「せやな、おまえには関係ないわ。始末がつくまでは、好きにしとったらええ。来月の中ごろには、どうにかする。」

 売られる人間が可哀想だと、俺は思わない。売られる理由があるからだ。善良な人間だろうが悪人だろうが、ひっかかるほうが悪い。それだけの金を使ったのは、紛れもなく当人だ。それを返済するのは当然のことで、使った額に見合う売られ方をするのだから、それで妥当な罪だと言える。

「俺は仕事辞めた。」

「おまえ、ただいま、無断欠勤扱いにされてて、罪全部ひっかぶらされるみたいやど? 」

「そうか。ほんなら、俺を売るか? 」

「ははははは・・・・ほんま、おまえはおもろいわ。おまえをソープに沈めたら、花月のあほが、今度こそ、ほんまに、わしを殺しにくるやないか。おっとろしいことを言うな。」

 わかっている。堀内は、そんなことはしない。ただし、俺が強情を張れば、俺もひっかけて始末するという脅しも含んでいる。

「俺、花月のためにできることしたいだけなんや。」

「したったらええがな。・・・・廊下に転がるなよ、みっちゃん。」

 ずるずると引きずられて、こたつに放り込まれ、枕と毛布も置いてくれた。午後の娯楽テレビの音を聞きながら、俺は、そのまんま薬のせいで眠ってしまった。





 それなりに優秀な小僧だ、と、堀内は知っている。高学歴とかいうことではない。頭が良いのだ。要領がいいとも言う。だいたいの仕組みを教えれば、それで、適当に仕事ができるのが、その証拠だ。ついでに、縁故がないのも、堀内には有難いことだ。何かあっても、水都の始末さえつければ、表に漏れることはないからだ。そう思って、仕事を叩きこんで、この業界での暮らし方も教えたつもりだ。他人と深く関わってはいけないのが、大前提の、この業界の水は、水都には合っていた。


・・・・それが、よりにもよって、男と所帯を持つとはなあー。おっちゃんでも、想定外やったわ、みっちゃん・・・・・


 それが、何がどうなったのか、強力な縁故ができた。それも、旦那だ。簡単に消すには、このふたりを同時に隠すしかないのだが、運の悪いことに、この旦那には両親がいて、職場があって、社会ときっちりと繋がっているので、おいそれと始末できない。男同士の不毛な関係だから、そのうち別れるだろうと、高を括っていたら、どっこい十年しても、いまだに幸せそうに暮らしていたりする。なんせ、他人にも自分にも関心のないはずの小僧が、『旦那のためにできることをしたい』 と、まで言うのだ。もう、堀内は呆れるを通り越して笑うしかない。

「それはそれで、わしはええねんけどな。」

 つまり、今度は、それが、小僧の足枷にはなるからだ。脅すことだって、以前より簡単だし、懐柔するのも楽だ。それまでは、何にも興味がない小僧だったから、弱みがなかったからだ。仕事の上では必要な小僧だ。簡単に手放すつもりなどない。




 ぶるぶると携帯が震えた。


「わしや。・・・ああ・・・そうか、ひっかかったか。・・・・・・わかった。それでは足りんやろ? おまえらの取り分は一割や。五万でええんか? ・・・・・・・ああ、そうやな。それぐらいはな。」

 人間など簡単なものだ。甘い声や一夜の楽しみで勘違いする。どんどん箍が外れて身分不相応のことをやりはじめれば、目の前の現金に目が眩む。それは自分の物ではないということを忘れられるのだ。

「・・・・ホストか・・・・えげつないの・・・・」

 定時連絡を切ったら、下から声がした。小僧が起きたらしい。

「えげつないことあるかい。分相応のことをしてたら、別に何も起きひん。・・・・具合はどうや? 」

「こんなもんやろ。・・・・俺、定時でなくてもええけど、今より早よ帰れるようにしてほしい。」

 小僧は、人間に興味はない。だから、誰がどうなろうと動じない。今まで散々に、自分の側で堕ちて行く人間を冷ややかに見ていた。だから、感想を漏らしただけで、すぐに、自分の今後に話を切り替える。

「おまえがトップで関西統括を組むことにした。場所も、今のとこから動かすが、それほど遠くはない。関西の支店を統合して、その関係者は全員、そこへ送るから、おまえの仕事は半分になって、責任が倍になる。それでどうや? 」

 しばらく、小僧は考えていたが、「まあ、そんなこっちゃろうな。」 と、薄く笑った。それから、よろよろと立ち上がる。

「なんや? 」

「トイレ。話は終わったから帰れ。」

 壁伝いによろよろと歩いている姿に、ふと気づいた。

「なあ、みっちゃん。」

「なんや? 」

「おまえ、もしかして、腰あかんのか? 」 

 堀内の言葉に、へっと鼻先で小僧は笑った。「残業ばっかして、一ヶ月溜めさせたら、こういうことになるんや。」 と、言い残してトイレへ消えた。


・・・・あ、そういうことかいな・・・・・こら、まだまだ、別れることはあらへんな・・・・・・


 小僧の言葉に、堀内も苦笑して、冷蔵庫に入れたビールを手にして、ごろりと寝転がる。トイレから出てきた小僧は、堀内の姿に舌打ちして、自分の部屋へ戻った。




 夕刻、沢野が乱入して来るまで、ふたりとも十分に惰眠を貪ったのは言うまでもない。




 



 すき焼きというのは、各家庭によって違うらしいということは、俺も知っていた。うちの家のは、平均的なものだったらしい。俺の嫁は、元々、家で食べたことが、ほとんどなくて現物を食べたのが、俺の手作りだから、それしか知らない。

「ごぼう? なんで? 」

「ええ出汁がでる。」

「すき焼き麩? 何じゃ、こらぁー。」

「すき焼き専用の焼き麩や。味が染みたらうまいんや。」

 準備されていた食材を広げて、びっくりするものが、いくつかあった。外食しかしていないであろう堀内だが、食い物には五月蝿いらしい。肉も、どーんっと二キロあったのには驚いた。

「あのな、おっさん。」

「おう、なんや? 」

 別に手伝っているわけではない。俺が下僕のごとく働いているのを肴に、ビールを飲んだくれている。

「うちの嫁に、肉とじうどんをしてもらうつもりやってんやんな? 」

「せや、みっちゃんの手作りを食うつもりやったのに、おまえのになったわ。」

「ほんなら、二キロもいらんし、これ、どう見ても、すき焼き用の特上ちゃうんけ? うどんに入れるんは、切り落としでええんやけど知らんのか? 」

「切り落とし? なんじゃ、それは? すじ肉のことか? 」

 そうか、高級なもんしか食ってないと、切り落としも知らんのか、と、俺は納得した。恐ろしく原価の張る肉とじうどんができたであろう。うどんと肉が半々の量というやつだ。ついでに、卵も高級品だ。

「ええ肉の切れ端のことや。うどんに入れるんやったら、200グラムもあったら釣りがくるわ。」

「あほか、わしかて二キロも肉はいらんわい。あれは、おまえ、みっちゃんへの貢物じゃっっ。」

「ああ、そうなんか。そら、おおきに。」

 俺の嫁に貢いでも、あまり意味がない。それが高かろうが珍しかろうが、興味がないからだ。俺より俺の嫁との付き合いが長い割りに、堀内は、わかっていても貢いでくる。

「だいたいやな。十代の若造でもあるまいに、叩き壊すほどの無茶しよる旦那持ちのみっちゃんやぞ? 栄養のあるもんを貢いだらんと、倒れるやろうが。」

「へ? 」

 けけけけけ・・・・と意地悪そうな顔で堀内は笑っている。具合が悪い原因に気づいたらしい。

「ええ年しとって、まだお盛んで何よりやな? クソガキ。」

「じゃかましいわっっ。人んちの夫夫生活に意見すんなや、外野っっ。」

「外野? えらい言われようや。わし、みっちゃんの親代わりやのに。」

「親代わりやったら、もうちょっと可愛がったれや。・・・・あいつ、仕舞いにぶっ倒れる。」

 居間のほうは、テレビの音があるから、こちらの声は低くすれば聞こえない。言いたいことを先に言うほうがいいだろうと、俺は切り出した。すると、堀内も声を低くして、「すまんかった。」 と、片手をあげた。

「わしも、忙しいて見落としとった。・・・・・定時には無理やが、もうちょっと早よ帰れる算段は、今つけとるところや。みっちゃんにも、そう説明したから、夜逃げするような真似はせんでくれ。」

「見破っとったか。」

「当たり前や、おまえの最終手段は、それやないか。」

 昔、騒ぎを起こした時も、俺は逃亡を企てた。あの時も、このおっさんは、それを引き止めた。俺は何も変わってないらしい。

「水都は、なんて言うた? 」

「『そういう、こっちゃろうな』って言うた。まあ、それで納得せんかったら、おまえを山車にして脅すけどな。」

「ははははは・・・・俺、今、刃物持ってんねんけど? おっさん。」

「どあほ。わしを刺したら三年は服役じゃ。三年も、みっちゃんを夜啼きさせるつもりか? 小僧。」

「・・・なるほど・・・・そうくるか。」

「あほなこと言うてんと、さっさと材料を切れ。」

 たぶん、堀内が来た時点で、話は纏まったのだろう。古巣に引き戻されることについて、俺の嫁は承諾はしたらしい。なんだかんだ言うて、堀内のおっさんは、俺の嫁には甘いのだ。気分的には父親気分だと、以前から言う。

「あんたが引退したら、水都も専業主夫にするからな。」

「せやな、そうしたったらええわ。みっちゃんが、それまでに経営に参加してなかったらな。・・・・・おいおい、こぼうはササガキやっっ。そんなザクザク切るんやないわ。」

 後半から、また声が大きくなる。あまりひそひそしていては、俺の嫁が不審に思うからだ。

「それやったら、ササガキを買おてこいやっっ、おっさん。」

 だから、俺も怒鳴り返しつつ、ごぼうをササガキにやりかえる。



 台所で、仲良く喧嘩している声がする。なんだかんだと言うが、ふたりとも気が合うらしい。どうやら、材料が切り終わったらしく花月が戻ってきた。

「どうや? 」

「長くはあかん。」

「わかった。」

 長く座っていられるか、という質問だ。いつも、俺が寝たきりになると、花月は、寝たまま食べさせてくれるのだが、さすがに、おっさん二人の前だし、こたつでは難しい。どうするのかと思っていたが、とりあえず、寝とけ、と、手を下に合図した。

「さあさあ、ようやく始められるか。・・・・とりあえず、肉。」

 堀内が、脂身を落としている。俺は、すき焼きなんて作られたものしか食わないから作り方が、今ひとつわからんのだが、花月が黙っているところを見たら、あれで正解なんだろう。

「関西風か。久しぶりやな。」

 沢野は、ちびちびと焼酎を口に含みつつ呟いている。中部は関東とも関西とも料理が違うので、慣れるまで苦労したと聞いている。

「あーーーーおまっっ、それっっ。」

「うちでは酒は料理酒や。」

 一枚肉を焼いて、そこに砂糖、酒、醤油で味付けして、野菜を投入して、その野菜から染み出す水分で、さらに、肉を焼くというのが、基本ルールだが、うちの家には酒というものがない。いつもは、白湯か水だ。で、堀内のおっさんが、ええ酒を持って来たと言うたから、花月が、それを投入したのだ。さぞかしおいしいやろうと、俺は、そのどつきあい漫才を笑いながら見ていた。




 おもろい漫才も、すき焼きが出来上がれば終わる。さあさあ、と、食べられる段階になると、堀内は冷酒をくいっとあおって、それから箸を付けた。沢野も、ほくほくとした顔で口を動かしている。俺、どうやって食うかなーと思っていたら、こたつの上に茶碗が置かれた。それから、かなり大きめの器に、たまごをつけた白菜とか糸こんとか肉とかが、ちまちまと置かれていく。冷やさないと食べられない俺の場合、鍋物は、こういう算段になる。それから、小皿に梅干と、お粥さんの入った茶碗と冷たいお茶が準備される。

「お待たせ、水都。」

「うえ? 」

 ゆっくりと起き上がらせられて、俺の背後に花月が胡坐で座りこんだ。それにもたれるようにして俺の身体は支えられて、箸を渡された。

「座椅子ないから、とりあえず、これで。」

「ああ、座椅子な。・・・・こんなに食えへんで。」

「いや、肉は食うとけっっ。おっさんからの貢物やねんから、めっちゃ高いぞ。」

「そうか、ほな、おまえが俺の代わりに食うとけや。俺、高いもん食うと消化不良起こすさかい。」

「食えるだけでええから。」

「わかってる。・・・・おまえ、お茶でも飲むか? 」

「せなや。」

「すまんのーー腹減ってんのに。すぐ終わらせるわ。」

「ゆっくりでええで。お粥さんも食べや。」

「はいはい、おまえ、マメすぎ。・・・口に入れたろか?」

「ええから、自分が食べ。」

 たぶん、この二人、いつも、こんな会話を、ふたりっきりでやっているんだろうなーと、沢野と堀内は唖然としている。親父たちの存在を忘れているのか、いつも通りのことなので気にしていないのか、おまえら、どこの熱々新婚さんやねんっっ、ということをやらかしているのだが、当人たち、ごく普通だ。たぶん、これが素だ。

「なんか微妙に寂しい気分や。」

 沢野が、はあ、と、息を吐き出して、ぐいっと焼酎を飲む。

「わし、かなりムカつくわ。」

 対して、堀内は、けっっと吐き出して、冷酒を一気飲みした。




 当人たちは、いちやいちゃしているつもりはないので、淡々としている。

「なあ、みっちゃん。」

「なんや? 沢野のおっさん。」

「それ、欲しい。」

 それは、水都の背後に座っている花月のことだ。ちまちまとお粥を食べていた水都を、のんびりと観察しつつ、ウーロン茶を飲んでいる旦那だ。水都と同じ職場に勤めるということなら、ふたりして本社へ移動させられるので、沢野は、そう言った。だが、だ。ふたりの言葉に、さらに絶句する目に遭わされた。

「あかん、これは、俺のもんや。手を出したらしばくぞっっ。」

「悪いけど、俺、水都以外の男はあかんから。」

 いや、おまえら、もう、ほんと、その天然告白大会は何ごとなんよ? と、堀内は、さらに度肝を抜かれた。いつもは単品で会うことが多いから、ふたり揃ったら、こんなに強烈だとは知らなかったのだ。




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