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だうん  作者: 篠義
3/7

そのさん

 意外なことに気づいたのは、俺の嫁が専業主夫化して一週間後のことだ。朝は、見送るにしても、パジャマなのは致し方ないとしよう。しかし、夕刻の帰宅時間まで、そのまんまであって、さすがに寒いのか、ジャージの上を羽織っているというおかしな格好であることが、日常茶飯事であるということに気づいた時だ。

「あのな。つかぬことをお尋ねすんねけどな。」

「おう。」

「おまえの服って、それしかないんか? 」

「え? 毎日着替えるほどには汚してないからやけど? 」

「いや、買い物は何を着ていくんや? 」

「この上にジャージでコート。」

 よくよく考えたら、こいつの衣服について考えたことはない。思わず、嫁の衣装ケースを開けたら、スーツとワイシャツが、ほとんどであることが判明した。後は、俺と出かける時に穿いているジーパンと、ニットのセーターが二着だ。

「何んかあるか? 」

「いや、おまえ、これって・・・・・」

「今まで、家ではパジャマとジャージやったからな。別にええやろ。」

 いや、かまわないのだが、あまりにも、毎日、同じ格好をしているのは、どうかと思う。ていうか、やっぱり、自分には興味がないのだ、俺の嫁。

「出かける。」

 ちょうど、土曜日の午後だ。近くのユニクロかシマムラあたりなら、それほど財布は傷まずに、何点かは買える。

「どこへ? 」

 怪訝そうな嫁は首を傾げているが、とりあえず、セーターとジーパンを、そこから引っ張り出して手渡した。

「俺の嫁の服を買う。」

「え? 家におるんやから、これでええやないか。」

「あかんっっ。ちゃんとした格好もしくは裸にフリルなエプロンで、俺を出迎えろ。」

「はあ? フリル? それは、おまえ、気食悪いと実証したったやないか。」

 以前、同僚の彼女がプレゼントしてくれたエプロンで、あまりにも似合わないことは実証した。だが、それとこれは別だ。

「だから、ちゃんとした格好で迎えろ。」

「そんな面倒な。」

「わかった。俺がちゃんと準備したるから、毎日、それを着ろ。」

 確かに、普段着なんてあまり持っていないものだが、こいつのは、ひどすぎる。仕事の時間が大半だったから、スーツ以外のものを着ることが少なかったけど、一週間、同じパジャマはないだろう。ていうか、洗濯しようよ、俺の嫁。

「パジャマも三着買う。」

「もったいない。」

「三着を一週間ローテーションするように。これは、旦那の命令じゃっっ。」

 専業主夫になっても、自分に興味がないことに変わりはないということを痛感した俺は、毎朝、毎晩、嫁の服装を整えるという用事が増えた。掃除と洗濯がなくなったから、配分からいえば楽なものだが、ついでに、昼は弁当にすることにしたので、朝は、弁当も作ることになった。これは、嫁が面倒だと昼飯を食わないことが判明したからだ。


 ・・・・・まあ、ええけどな。・・・・・・


 朝から弁当を詰めつつ、俺は苦笑する。どうしたって、嫁の世話は俺の仕事には違いないからだ。ベッドの足元に、本日の着替えを準備して、台所に弁当箱を置く。どうも気が抜けてしまった俺の嫁は、朝は寝坊するようになった。しばらくは、自堕落な暮らしというのを堪能したらええ、と、俺は思っている。今まで、そんなこと、したこともないのだから、遅ればせながら、そういうものを楽しむのもいいだろう。



 きちんと目が覚めるのが、最近は九時過ぎで、のそのそと起き上がる。ベッドの足元には、きちんと畳まれた服が置かれていて、渋々ながらも着替える。それから、コーヒーを砂糖入りで飲んで、洗濯物に取り掛かる。まあ、そうはいっても、ぽちっと、ボタンを押すだけで、脱水まではお任せだ。

 とりあえず、食卓の上にあるものを眺めて、それから、タバコをふかしつつ新聞を読む。


・・・そりゃ、専業主婦になりたがるわけだよな・・・・・・


 なんとも長閑な時間がある。掃除といっても、子供やペットがいるわけではないから、汚れることはない。適当に、掃除機をかけて、後は、目立つところだけ雑巾で拭くぐらいのことだ。

 食卓には、ラップされた朝飯があって、ついでに、横には、可愛いキャラクターが描かれた弁当箱がある。俺は、それだけで、とても疲れた気分になる。



 先日、面倒だから、朝飯しか食わないことがバレて、百均で俺の旦那が買ってきた弁当箱だ。それほど食べないから、小さいのでよかったのだが、小さいのは、どれもキャラクターものの弁当箱だったらしい。当人は、大きなサイズの普通のものだった。毎朝、ちまちまと弁当を作り、花月は出勤する。まあ、野郎の作る弁当だから、のり弁当とかうめぼし弁当に毛が生えた程度ではあるが、手間ではあるだろう。

「食ってなかったり、そのまんま捨てた場合は、俺の前で一人エッチ公開っっ。」

 あほなことを叫んでいたが、あれは本気だ。長年付き合っているので、本気か嘘かくらいはわかる。怒ると容赦しない男なので、それだけは勘弁だと、大人しく食べている。

「でもな、俺、朝飯食って、昼飯食うなんて芸当は難しいんやけどなあ。」

 働いていた時ですら、一口二口しか朝は食べなかったし、昼飯だって麺類で済ましていたのだから、二食をまともになど食えるはずもない。朝飯を昼に食って、弁当は、三時のおやつに無理に詰めている。それでも、確実に体重が増加しそうに苦しい。


・・・マメ過ぎて、涙出るわ・・・・


 洗濯物を干し終えて、仕方なく朝飯に手を出す。




     ぴんぽーんぴんぽーんぴんぽーんぴんぽーん




「誰じゃあっっ、人んちでピンポンダッシュしとるあほはっっ。」

 がんがんと鳴らされる呼び鈴に、怒鳴りつつ玄関を開けたら、とんでもないのが立っていた。

「・・・え?・・・・」

「よおう、みっちゃんっっ。久しぶりやなあ。さあさあ、おっちゃんとメシでも行こうやないか。」

「・・う・・え・・・常務ぅぅぅ?・・・」

「そうそう、常務の沢野のおっちゃんやでぇ。」

 俺の働いていた会社が合併する前は社長だったおっさんだ。合併して、常務になったものの、経営しているのは実質このおっさんだったりする。ついでに、堀内のおっさんが専務で、表向きには、堀内のおっさんのほうが地位が高く見られているが、実は、代表権を持っていないだけで、沢野のおっさんが現在の会社の経営全般の舵取りしているので、俺からすれば雲の上の人だったりする。昔は、同じところで働いていたが、会社が合併して本店が中部になった段階で、代表取締役を合併した相手の会社の社長に譲る形で、補佐役として本店に移動したので、それからは、ほとんど会っていない。

「なんで、あんたが、ここにおるねんっっ。」

「みっちゃんの顔を拝みに。」

「あんた、本社におるはずやろっっ。」

 そう、本社で、ふんぞり返っているはずのおっさんだが、フットワークが軽いのでも有名だ。お忍びで各店舗の視察なんぞやらかす悪魔のようなおっさんでもある。しかし、ここのところは、中部地域の梃入れとかで、あっちばっかりを飛び回っていたはずだ。

「いやあーみっちゃんがゆっくりしてるって聞いてなあ。ほら、いつも、堀内がわしの邪魔ばっかりして、みっちゃんに会わせてくれへんかったから押しかけてきたわ。」

 あははははは・・・と盛大に笑って、おっさんは、俺の手を掴まえる。外でメシでも食おうというのだが、そんなことをして、弁当を残したら、俺はとんでもない罰ゲームを受ける羽目になる。

「悪いけど、メシあんねん。」

「ほおか、ほな、おっちゃん、駅前で弁当を買おて来るわ。」

「いや、それやったらある。・・・ていうか、今更なんの騒ぎやねん? 俺はクビになったはずやで? 」

「クビ? ほおう、みっちゃんがクビなあ。本社の人事部では、みっちゃんは、リフレッシュ休暇でお休みになってたけど? 」

「そんなもん、うちの会社にあるかいっっ。」

「規定はある。誰も使こてなかっただけや。まあ、ええ、メシ食いながら話そうやないか。」

 このおっさんは、堀内のおっさんに輪をかけて喋りの達者なおっさんだ。そそくさと、玄関で靴を脱ぎ、さっさと上がってしまった。




 居間へと勝手に上がりこんだ沢野のおっさんは、おお、ええもんがある、と、こたつに、どっかりと腰を下ろした。こうなると、食べないと動かないだろうから、俺も追い返すのは諦めた。堀内のおっさんほどではないが、このおっさんにも、いろいろと世話にはなっていた。

「沢野さん、うどんとインスタントラーメンと、どっちがええですか? 」

「そら、うどんやろう。」

 俺用の弁当では、絶対に足りないだろうと、追加メニューを尋ねたら、関西人らしく、うどんと言った。冷凍庫から冷凍うどんとねぎを取り出して、適当に卵とじうどんを作り、それと弁当を差し出した。

 小さくて可愛い弁当箱を、じっと、おっさんは眺めてから、「バクダン小僧は元気そうやな? 」 と、笑った。食事に無頓着な俺が、これを作るわけがないことを、沢野のおっさんも知っている。

「元気です。マメすぎて、俺はメタボにならへんかが不安ですわ。」

 俺は、トーストと朝飯のおかずと野菜スープを、こたつに載せて、本音を吐いた。家でくだぐたしているだけなので、そこまで世話されんでもええと思っている。

「いやいや、おまえは、それぐらいで、ええこっちゃろう。おーおー、ええがな、ええがな、この卵とじ。ほな、いただきます。」

 小さな弁当箱から、メシをつまみ、えらい勢いで食事を始めてしまったので、俺もとりあえず口をつけた。まだ、あんまり腹は減っていないのだが、となりで、がつがつと食われたら、吊られてしまった。

 全部きれいに食べ終わると、沢野のおっさんは、携帯で電話して、「美味い和菓子を持って来い。生のやつやぞ。」 と、怒鳴って切った。

「誰か来てるんか? 」

「一応、秘書と運転手はついてるで。」

「それやったら、メシなんか食ってんと用件済まして帰ったらよかったんや。」

「何を言うとるんや、この子は。みっちゃんの顔を見に来たんやから、こんでええんや。だいたい、用件はそれだけや。」

「そんなもん信じられるか。」

 このおっさんが、そんなことで来るわけがない。俺がやっていた仕事は、ある意味、丸秘事項に携わっているから、口止めか、辞める際の念書でも取りに来たはずだ。けっして、外部に漏らさないという念書とか、下手すると、この業界からの追放とか言い渡されると、俺は思っていた。それぐらい、金を捌く仕事だったからだ。

「この業界は、まともなヤツはおらんのよ。だいたいが、どっかで下手こいたか、まともには働けへんヤツが来るとこや。」

 いきなり、タバコをふかしつつ、沢野のおっさんは、しみじみと言いだした。確かに、俺だって未成年ということを隠して、最初は勤めていた。長いこと、同じ職場にいる人間も少ないし、どこからどう見ても、やーさんとしか思えないのがいたりする。そういう職場ではあった。

「本来は、金周りの仕事は身内にさせるんが、この業界の常識や。それが、堀内は、他人に任せる方法を編み出した。いや、みっちゃんは、ちゃうで。おまえが凄いのは、そこと違う。」

 堀内のおっさんは、経理関係の人間に借金をさせて、それで管理していた。逃げても、闇金へ、その証文を売り飛ばすから、逃げられないし、借金があるからサボることもできない。そういう汚い方法だが、それで定着率は格段に上がった。俺も、同じように借金をしていたから、それは知っている。

「俺かて、一緒や。」

「あはははは・・・・ほんま、自分のことはわかってへんで、おまえは。おまえが凄いのはな、勤続十年越えて、なお、前借してへんってことや。ついでに、経理も綺麗なもんや。自分にも金にも興味がないから、おまえは貴重なんよ。」

「ああ、それは、堀内のおっさんから叩きこまれたからな。」

 事務所にあるものは、金であっても金でない。この金は、勝手に持ち出すと、警察と闇金に追われる匂い袋みたいなもんや、と、俺は叩きこまれた。昔は、ネットで金を動かすのではなくて、現金で動かしていたから、事務所には札束が、ごろごろしていた。

「まあ、教えられても誘惑には勝たれへんのが人間や。ましてや、まともでないヤツは、わかってても手を出す。または、帳簿を改竄してちょろまかすことをする。」

「切羽詰ってたらな。」

 何度も、そんな人間は見てきた。そこにあるのが、自分の物だと錯覚するのだ。

「おまえには、それがあらへんから貴重なんよ。堀内は、有給のあるうちは動かへんと胸を張りよったが、わしは心配やから、ここへこさしてもろた。」

「え? 」

 指でも詰めさせるつもりか? と、訝しんだところへ、また、呼び鈴が鳴った。出て見ると、きつちりとしたスーツにメガネの男が菓子折りを差し出して、また、消えた。



 届いた菓子折りは、どっかの有名店のものらしく仰々しい箱に入っていたが、沢野のおっさんは、「さあ、デザートや。」 と、乱暴に紙包みを破いた。話が途中だから、仕方なく、お茶を入れなおし、食べた食器を台所へ下げた。

 菓子折りは、季節のものを模した生菓子で、梅やうぐいすの形のものや、少し早いが、雛人形の形もあった。

「おっさん、こんなん食べるんやったっけ? 」

「いや、一個でええ。後は、みっちゃんが食べ。残ったら、バクダン小僧にも食わせたれ。」

 バクダン小僧という花月の愛称は、過去、あのあほがやったバカ騒ぎが原因で、その当時、事務所にいた人間は、誰でも知っている。もちろん、沢野のおっさんも、そこにいた。

「その愛称はやめたってくれ。人生最大の恥らしいから。」

 あまりにも、バカなことをしたので、花月は、そのことを深く恥じている。だから、俺の職場には、何があっても近寄らないほどだ。すでに、あの騒ぎを知っている人間は、あそこにはいないのだが、それでも、トラウマになっているらしい。

「あのバクダン小僧の根性は、わし、大好きやで。」

「わかったから、ほんで、続きは? 」

 どんどん脱線されては、話が長くなるので、本来の路線へ強制的に戻した。

「まあ、そんな調子やったら大丈夫やな? 」

「だから、何がやねん? 」

「うち以外に就職されては困るから、止めに来たのが本題。貴重なみっちゃんを手放すくらいやったら、あいつら全員を放り出すほうがええ。」

「貴重? 金に興味がないのがか? そんなもん、どう転ぶかもわからへん。」

 もし、花月が不治の病で大金があれば手術できると言われたら、俺は、確実にやるだろう。昔は、ひとりだったから、そんなことはなかったが、今は違う。ふたりになったから、背負うものは半分になったけど、その代わり、何かあったら、ふたり分になる。

「バクダン小僧がおる限り、みっちゃんは大丈夫や。ていうか、おまえ、あれと所帯持ったから、今まで無事に生きてるんや。・・・・ええか? よそから引き抜きの話が来ても行ったらあかんで。」

「いや、俺は、すでにクビやって。」

「それはない、それはない。堀内が、ものごっついえげつなぁーい仕返しをしとるから、すぐに戻って貰う。」

「いや、あのな、沢野さん。俺、もうちょっとゆとりのある仕事を考えてるから。」

「ああーああー、それも心配せんでもええ。今度は、もっとしっかりした部下を用意するからな。仕事は、資金周りだけをしてくれたらええ。」

 ぱくっと、綺麗な緑色の鶯を口に放り込んで、沢野のおっんは立ち上がった。それから、お茶を飲んで玄関へ歩き出す。

「ちょっ、ちょっと待て、おっさん。せやから、俺は辞めたんやて。」

「ははははは・・・・堀内が、おまえを手放すわけがないやろ。辞めたところで、堀内は諦めへんわ。まあ、みっちゃんが本社に来ぃひんのは残念やけどな。バクダン小僧は、みっちゃんには必要みたいやから、それは諦めたんやで、あの男。」

 あはははは・・・と、笑って沢野のおっさんが靴を履いて、玄関から出て行く。慌てて、俺もツッカケを足にひっかけて外へ出たら、黒塗りのベンツが路上に止まっていた。

「堀内が、そのうち現れるから、それまでは遊んどき。ああ、せやせや、おこづかいやろう。それで、ゲーセンでも本屋でも、ソープでも、好きなことしとり。」

 財布から抜かれた何枚かの万札を、俺に握らせると、文句を言う暇も与えずに、階段を軽やかに走り降りて、とっととベンツで消えてしまった。


・・・・・俺は、ガキか? ソープって・・・・・


 まあ、そのうち、堀内のおっさんが来るのなら、その時に突き返そうと、ポケットにしまった。


・・・・やめれへんのかなあー・・・・・


 あのおっさんが現れたということは、そういうことなんだろうが、まあ、話次第のことだ。どういう話になったとしても、俺のほうも時間的な問題が解決されない限り、辞めるつもりでいる。沢野のおっさんの口ぶりからすると、同業種なら使ってもらえる様子だから、それについては安心した。引き抜いてくれるなら条件は、つけたい放題だろう。




 家に帰ったら、こたつの上に菓子折りがあった。甘いものが苦手な俺の嫁が、わざわざ、こんな箱モノを買ってくることはない。

「おかえり。」

「ただいま、誰か来たんか? 」

 菓子折りを指し示して、そう尋ねたら、「ああ、沢野のおっさんが来たんや。」 と、こともなげに俺の嫁は答えた。

「誰や? サワノって? 」

 聞いたことのない名前だ。

「元社長で、今は常務。一応、堀内のおっさんの上司かな。」

「はあー? 」

「とりあえず着替えてきたら、どないや? 話やったら、メシ食いながらでもええやろ? 」

 今夜は刺身とアラ汁やで、と、俺の嫁がおっしゃるので、スーツをさっさと脱いで、ジャージに着替えた。うちは、食事中にテレビは見ないし、酒も、あんまり飲まないので、すぐに白メシと味噌汁が並べられる。金時豆が、箸休めにあって、刺身は鯛とマグロだった。

「なんで、イカはないんよ? イカ。」

「モンゴしかなかったんや。あれは硬いからな。」

「うわっ、このマグロ、めっちゃアブラあるやんけ。漬けでもよさそうやな。」

「そう言うやろうと思って、冷蔵庫に漬けにしたぁるから、後でお茶漬けしたらええわ。」

「おおーーさすが、俺の嫁。ツボを心得とるっ。」

 ふたりして、適当な会話をしつつ、食事する。別に難しいことではなくて、世間話みたいものだ。しばらくして、腹がくちくなったところで、「それで? 」 と、俺は切り出した。

 それだけで、先ほどの話だと、水都もわかる。

「辞められへんらしいわ。」

「え? 」

「沢野のおっさんが他へ勤めるくらいなら、そのままでおれって言いに来た。今度は、ちゃんとした部下もいれて、システムを変えるつもりらしい。」

「で? 」

 迷っているのか? と、無言で尋ねる。その言葉に、俺の嫁は、「まあな。」 と、肯定した。

「定時上がりできるようにするって言いよった。それなら、それでええか、と、ちょっと思ったんやけどな。ただな、あのおっさんは口八丁手八丁で有名やから、どこまでが真実なんかが、今ひとつなんよ。・・・・・俺としては、花月の世話ができるくらいの時間は欲しいから。」

「いや、それは大変嬉しいんやけど・・・・できれば、おまえの世話をしてくれ。」

「それは、おまえの仕事やから任せるわ。」

 死ぬまで生きていればいい、という考え方だった水都は、自分のことなんて、どうでもええと言い切る。とりあえずは、俺の世話をすることだけでも感心があるのは、壊れ具合が、幾分かマシになっているということだろう。

「堀内のおっさんが迎えに来るらしい。その時に話を聞いて、納得できる内容なら戻るかもしれへん。あかんかったら、引っ越す。」

「どこへ? 」

「おまえの職場の近く。家賃が安いとこに移ろ。それなら、俺もバイトするぐらいでええし。・・・・・正直、ちょっと怖いんよ。おまえのために金が必要になったら、俺は、なんかしそうやから。」

 苦笑するというか、なんていうか、震えるように瞳を伏せて、水都は呟いた。現金を操る仕事だとは聞いている。例えば、俺が大病を患って、莫大な手術費用があれば治ると言われたら、自分は確実に金を盗むだろうと言う。

「なんで、俺が大病? 」

「いや、そういうこともあるかもしれへんやん。交通事故とかな。」

「なんで、俺を死ぬ目に遭わすんじゃ、このどあほはっっ。そんな心配はいらん。俺は、ちゃんと共済に入ってるし、健康保険にも加入してる。だいたい、この至極健康体の俺が病気なんかあるかぁーいっっ。」

 ああ、こいつは、俺があって生きているのだと、その言葉に心が温かくなった。当人は気づいていないだろうが、俺には、熱烈な告白とも取れる言葉だ。ひとりにはなりたくない、と、水都は思っている。十年して、ようやく、その域まで、俺の嫁は達したらしい。

「せやねんけどな。なんか、ふと、そんなこと思た。」

「愛してるで、俺の嫁。」

「意味がわからへん。」

「いや、俺はわかってるから。おまえの深層心理に愛の告白をかましとるだけ。・・・・まあ、ええわ。おまえの好きにしたらええ。せやけど、今までと同じ仕事内容やったら、俺は反対や。それこそ、夜逃げするからっっ。」


 仕事がイヤなら嫁を連れて、引っ越せばいい。今より生活が厳しくても、別に俺は気にしない。俺の嫁が、生きてるだけの状態でなければ、それでいい。



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